本や・野の花が出版準備をしている「神の国」――キリストの教えをやさしく語る――を抜粋してご紹介しています。この本の著者は、日本アッセンブリ・オブ・ゴッド教団の佐々木正明師です。
師は、いくつかの神学校で学び、牧師、宣教師として、50年間以上、日本と海外で草の根の伝道をしてきた方です。
神の国
第3課
神の国の到来
Ⅰ. 到来(とうらい)の宣言と現れ
Ⅰ.A. キリストの誕生
Ⅰ.B. キリストの働き
自然の世界
霊の世界
人間の世界
※※※ まとめ ※※※
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One More!
聖書は、キリストが処女マリヤから生まれたと教えています。 これがどんな意味を持っていたのか、聖書には説明がありませんので、私たちが明確に語ることはできませんが、人の罪を身代(みが)わりに負って死ぬはずのキリストが、普通の誕生によって人間の罪の性質を受け継いでしまっては、目的を果たせなくなるために、必要な奇跡だったと考えられています。人の罪を身代わりに負うキリストは、罪のないお方でなければなりませんでした。
筆者がクリスチャンになった頃は、いまほど科学が進歩していなかったために、「処女降誕など絶対にあり得ない、非科学的だ」と、さんざん笑われ、非難されたものです。すでに専門家たちの間では、処女降誕は理論的に可能だと知られていたのですが、新米クリスチャンの筆者の周りには、それを知っている人はひとりもいませんでした。でも今は、すっかり変わってしまいました。クローン技術で実証されてしまったためです。キリストは神の力によって身ごもったのであって、クローン技術によるのではありませんが、マリヤは間違いなく処女だったのです。
マリヤはその後、夫ヨセフとの間に少なくても4人の男の子と、2人の女の子をもうけていますので、永遠の処女ではありません。(マタイ13:55-56) マリヤを永遠の処女に仕立て上げたのは、カトリック教会が異教(いきょう)の女性礼拝を取り入れ、マリヤを神聖化したために起こった間違いです。このような形で処女を神聖化するのは、聖書の教えではありません。かえって、性生活は神から与えられた尊いものであり、子供を産むのは、女性の最も大切な役割です。それこそ神聖な仕事です。