ノアの小窓から

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伝道者の書13、良い名声は良い香油にまさり、死の日は生まれる日にまさる。(伝道者の書7章1節~9節)

2020年05月19日 | 聖書
 

  良い名声は良い香油にまさり、
  死の日は生まれる日にまさる。(伝道者の書7章1節)
  祝宴の家に行くよりは、
  喪中の家に行くほうがよい。
  そこには、すべての人の終わりがあり、
  生きている者が
  それを心に留めるようになるからだ。(2節)

 
 香油はお金を出せば買えますが、名声はお金では買えません。死体の腐臭を防ぐために振りかけられる香油は、お金があれば買えるのです。しかし、どれほど高価な香油も、彼が生前に築いた名声ほど彼を飾りません。まさに、「棺を蓋いて事定まる」のです。
 死は、人生とは何かを考えさせられる絶好の機会です。だからこそ、心と足が重くなる喪中の家にこそ行くべきだと言うのです。

  悲しみは笑いにまさる。
  顔の曇りによって心は良くなる。(3節)

 言葉の流れで、喪中の家つまり、悲しみの家に行くのは、笑うより勝るというのです。顔を曇らせるのは知恵を得ることなのでしょう。

  知恵ある者の心は喪中の家に向き、
  愚かな者の心は楽しみの家に向く。(4節)
  知恵ある者の叱責を聞くのは、
  愚かな者の歌を聞くのにまさる。(5節)

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  愚かな者の笑いはなべの下のいばらがはじける音に似ている。
  これもまた、むなしい。(6節)

 「鍋の下のいばらがはじける音」は、今の人には想像がむずかしいですよね。さとうが結婚した相手はかなりのへき地に実家がありました。ガスの設備があっても、枯れ枝を燃やして燃料の足しにしていました。
 炉の中に投げ込まれた枯れ枝や枯草は、簡単に火が付き、ぱちぱちと景気の良い音を立てて燃えますが、すぐに燃え尽きてしまいます。大きな薪をついでやらなければ、湯を温めることさえできないでしょう。
 愚か者の笑いも同じです。ガハガハと大声で笑うけれど、少しも人の心を暖めません。
 テレビのバラエティ番組なんかで、度を超えて笑っている芸人を見て、ふと、むなしくなる時がありますね。

  しいたげは知恵ある者を愚かにし、
  まいないは心を滅ぼす。(7節)

 どんな知恵あるものも、しいたげを行うときは、愚かになっていることなのです。同時に、わいろをもらうことは、やはり知恵ある者の価値を滅ぼすと、伝道者は言います。
 そうしてまた、繰り返されるのです。終わりは初めにまさると。
 ことわざも言います。「終わり良ければすべてよし」

  事の終わりは、その初めにまさり、
  忍耐は、うぬぼれにまさる。(8節)

 時にはうぬぼれなければやっていけないのが人間でしょうが、自我を殺して忍耐をするべきなのでしょうか。苛立つ時にも、忍耐をするべきでしょうか。

  軽々しく心をいらだててはならない。
  いらだちは愚かな者の胸にとどまるから。(9節)

 すぐに苛立つのは愚か者だとすれば、愚か者でない人など、めったにいないようにも思えるのですが。

 頂点にいる王の立場は、じつはいら立ちを耐えることが多かったのかもしれません。





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