『フアミリー』の名称で、牧師先生夫妻やスタッフの方と
家族単位で交わり、又祈りをする日を、月一回設けていて
それが5年ぐらい、イヤもっとかもしれないが
兎に角 細々と続いている。
遠い滋賀県から来てくださることに感謝している。
今日は 長男の為だけに集中してみんなで祈った。
長男は具合が悪いらしく、今日は一回も部屋からでてきていないが
前のように、心が捻じ曲がるような心配や落ち込みはしなくなった私。
確かに 信仰による成長をしている自分を感じている。
とても穏やかで とても暖かい・・・という形容がピッタリな心境である。
疲れることもあるし、沈んでいることもあるけど
前のようではない
先生はまず、みんなで息子を感謝する祈りを提案された。
「二階で寝ていることを感謝します」とか
「時折階下におりてくることができることを感謝です」とか
「笑顔があることを感謝します。」とか・・・・。
分からないけど、言い合っているうちに、言葉が出てくるものですね。
そして 次は 息子に関するお願いの祈りをみんなでした。
集まっている6人が、それぞれに息子のために心を合わせて祈る。
祈られている 当の本人は気がついていないんですが
これだけの人に祈られているなんて、なんて恵みでしょうか。
その祈りは、主イエスのお名前と、その流された十字架での血によって
天の父なる神のみこころに叶っていることを信じています。
私も祈られ続けて、救われ、今があるのですから・・・。
50年も背信していたにもかかわらず・・・です。
焦らず・・・のんびりと 祈り続けることできますように・・・。


神戸礼拝もミニチャペルも、まず家族が一つになって
主を礼拝できるようになることが 第一
という
神様のみこころが分かった気が、今日確かにしました。
私たちは神のみこころをこの地にあらわせる事が出来るように
又、創造主なる神、子なるキリスト、聖霊との豊かな交わりの中に
主を礼拝する者として、創られたことを改めて思います。
そして 私たちを神はねたむほどに愛しておられる・・・
と聖書にあります。
その事実を受け取ります。アーメン
家族単位で交わり、又祈りをする日を、月一回設けていて
それが5年ぐらい、イヤもっとかもしれないが
兎に角 細々と続いている。
遠い滋賀県から来てくださることに感謝している。
今日は 長男の為だけに集中してみんなで祈った。
長男は具合が悪いらしく、今日は一回も部屋からでてきていないが
前のように、心が捻じ曲がるような心配や落ち込みはしなくなった私。
確かに 信仰による成長をしている自分を感じている。
とても穏やかで とても暖かい・・・という形容がピッタリな心境である。
疲れることもあるし、沈んでいることもあるけど
前のようではない

先生はまず、みんなで息子を感謝する祈りを提案された。
「二階で寝ていることを感謝します」とか
「時折階下におりてくることができることを感謝です」とか
「笑顔があることを感謝します。」とか・・・・。
分からないけど、言い合っているうちに、言葉が出てくるものですね。
そして 次は 息子に関するお願いの祈りをみんなでした。
集まっている6人が、それぞれに息子のために心を合わせて祈る。
祈られている 当の本人は気がついていないんですが
これだけの人に祈られているなんて、なんて恵みでしょうか。
その祈りは、主イエスのお名前と、その流された十字架での血によって
天の父なる神のみこころに叶っていることを信じています。
私も祈られ続けて、救われ、今があるのですから・・・。
50年も背信していたにもかかわらず・・・です。
焦らず・・・のんびりと 祈り続けることできますように・・・。


神戸礼拝もミニチャペルも、まず家族が一つになって
主を礼拝できるようになることが 第一

神様のみこころが分かった気が、今日確かにしました。

私たちは神のみこころをこの地にあらわせる事が出来るように
又、創造主なる神、子なるキリスト、聖霊との豊かな交わりの中に
主を礼拝する者として、創られたことを改めて思います。
そして 私たちを神はねたむほどに愛しておられる・・・
と聖書にあります。
その事実を受け取ります。アーメン