ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

予定はすべて変更に!

2020年09月23日 | 介護
私の予定はすべて変更になりました。
朝の9時から母の付き添いで病院に行き、検査をし、診察をし、入院の日と手術の日を決め、入院の説明も受け、帰って来たのが3時半でした。
お昼も食べずに病院に!
母は病院の車いすを借り、私は車いすを押して、病院内をあっちこっち移動し、おかげで本日の目標の歩数はクリアしましたよ。
自宅に帰って入院の準備と支度を…。
荷物をキャリーケーバックに詰めたら怒られました。
キャリーバックの方が良いのに、ジッパー付きのバックに入れろと!
持つのは私です。それ持って母の手も引かなければなりません。
無理です。
キャリーバックって言ってもそんなに大きくは無いんですよ。
お一人様で2泊3日くらいの物が詰められます。
旅行に行くときに1泊2日で夫婦でそれ一つ持って行きます。
なのに大きいと!
入院の荷物をまとめて、その後、病院からの書類に目を通し、書いて、30分で夕食を作り、食べてもらいました。
それからしばらくして着替えを手伝い、その後、母はベッドに腰かけて靴下を脱ごうとしたらベットから転落しました。
私は呼ばれて駆け付けてすぐさま母の後ろに回り、母の胸の下に手をやり、母を起こしてベッドに!
いやあ、このベッドが母が以前左手首を粉砕骨折した時に買ったベッドです。
私は介護用ベッドのレンタルもすすめたのですが、レンタルは嫌だといい、それなら介護用ベッドを買おうと言ったら「高いから嫌だ!」と言い、まるで大学生がアルバイトしたお金で買うようなベッドを買いました。
柵もないベッドです。
私は何の資格もないのにいきなり母の介護ヘルパーです。
おまけに無給で無休です。
弟からは何の援助も無いんですよ。
電話をしても3分ですからね。
用件話したら忙しいと切られます。
そもそも母の育て方の問題です。
弟は一般常識を知らないのです。
そういう風に育てたのは母です。
今日は私の愚痴を書きました。
明日は母入院します。
明後日には手術をします。
2週間の入院です。
27日は予定していた木馬亭も行けそうです。
5日の木馬亭も行けそうです。
7日の木馬亭は無理だな。

4日で8時間の睡眠です

2020年09月22日 | 介護
母のことが心配で隣の部屋に待機しています。
4日間で8時間の睡眠です。
いつ呼ばれてもいいようにしています。
母の認知症は日に日にひどくなるような気がします。
とにかく入院している間に市役所の福祉課や地域包括支援センターに相談には行こうと思います。
一人で抱え込まない。
食事は何とかスプーンやホークを使って左手でも食べてくれるようになりました。
トイレもトイレットペーパーが左手では切れないようで、私が切ってたたんで箱に入れて、トイレに何時も数枚置いています。
着替えを手伝うくらいです。
もともと90年間ほとんど顔は洗ったことが無く、いつもコールドクリームでふき取るだけです。
顔は洗わなくても死にません。
歯はほぼ入れはなので入れ歯を洗うだけです。
今日はまだ入院日も手術日も決まっていないのに、支度をなれない左手で始めていました。
お産を除いてはこれで入院は3回目です。
1回目の左手首の粉砕骨折辺りから母は認知症の兆候がありました。
認知症は日に日にひどくなっていくような気がします。
とにかく寝てばかりいるので、褥瘡が出来ると困るので、起きていることも話しています。
起きてテレビを見る。
それは言っています。
痛み止めを飲んでも痛い右手をかばうように母はしています。
右手は固定されて吊られています。
今は昔のような三角巾じゃあ無いんですよ。
黒いもので吊られています。
明日の診察でどんなことを言われるのでしょう?
入院も手術も早い方がいいですね。
皆さんも気をつけてくださいね。
ご老人じゃなくてもちょっとの段差で転びます。
階段でも転びます。
私も10年くらい前に、めまいで2階の階段から転げ落ちて左ひじを骨折しました。
そのときはギブスをして1か月で治りました。
骨折って怖いですね。
その後、会社の机に主人が足をぶつけて親指を骨折してきました。
同じ病院に行ったら看護師さんに言われたのは「今度はご主人ですか?」ですからね。

自分の眼鏡に大きな傷

2020年09月22日 | 介護
自分の眼鏡に大きな傷を見つける。
拭いても拭いても傷がある。
あっちこっちに傷がある。
こりゃあ眼科に行って検眼して眼鏡を作り直す必要があると思う。
ところが眼科に行く時間が無いのだ。
母の骨折、病院の付き添い。
入院の手続き。
手術日やらその他もろもろで、連休もありなので眼科に行かれない。
ましてやショッピングモールの眼鏡店にも行かれない。
傷のある眼鏡をかけている。
出来るならきちんといた眼科に行きたいと思う。
飛蚊症と緑内障の検査もしたいと思う。
めんどくさいのでいつも駅の側の眼科で済ませていた。
また、友達の友達の娘さんが市内で眼科をしていると言う。
ところが、その友達の友達が私の苦手な関西人なので、そこには行く気はないのだ。
母の通っている隣町の眼科なら自転車でも徒歩でも行かれるので、そこに行きたいと思うが、いかんせん混んでいる。
寄る年波視野も狭くなってきたと思う。
緑内障を疑う必要もあると…。
今は何分にも自分のことは後回しにしなければならない。
母が優先なのだ。
私は病気一つしてはいけないと思う。
実母を看取る。
これは私に課せられた運命なのだ。
自分のことは後回しにするべきなのだ。
優先順位は母が一番で二番は主人なのだ。
やっと何とかお風呂にも入り、お風呂の掃除もして、出てきた。
すべては運命なのだと思う。
主人が病気になったのも運命なのだ。
私が病気になったのも運命なのだ。
母と暮らすのも看取るのも介護をするのも看病をするのも介助をするのも運命なのだ。
長女に生まれた宿命なのだ。
次男と結婚した運命なのだ。
母が入院したら時間を作って地域包括支援センターに相談に行こうと思う。市役所の福祉課にも行こうと思う。
今の我が家の家計で施設に入れるのは無理だと思う。
頼れる家族がいないのが現状です。
私に弟はいても、母に息子は居てもほぼ音信普通です。
今まで1円の援助も無いのに、無理です。
唯一母の一番下の妹が認知症の義母の介護をしたので、困ったときは相談しています。
実の息子でさえも何もしてくれないので無理ですね。
ましてや嫁も病気があるようで無理ですね。
お見舞いさえも来ません。
ましてや電話も来ません。
弟を一般常識を知らないように育てたのは母です。
私は自分を犠牲にしても母を看取ります。
たった一言最後に「ありがとう!」と、言ってもらえればいいのです。
父をきちんと看取れなかった私のせめてもの親孝行だと思います。

どこまでもつきまとう不幸

2020年09月21日 | 介護
どこまでも不幸が付きまとっている。
そもそも子供の頃にさかのぼる。
幼稚園にも保育園にも行かれなかった。
小中高と社会人になってもいじめと言うものは付きまとった。
友達は出来ても親友と言うものがいなかった。
そもそも友達とのつきあい方が分からなかったし、会話に気を遣っていた。
自分の友達に友達がいて、そのまた友達に友達がいることが基本、嫌だった。
自分だけの友達を望んだ。
やっと出来た友達に嫌われないように付き合い、会話をする。
それには自分の意見を封印する。
相手の意見に従う。
自分が楽しくなくても、相手が楽しければ私も楽しい素振りをした。
相手に対して気を遣う。
本音で話をしない。
家庭では母の支配下に置かれ、全てを管理され育った。
楽しくもない子供の時代を過ごし、家庭でも母の支配下は楽しくなく、社会人になっても楽しい思い出は皆無に近かった。
弟は22歳で結婚した。
私もあわてて結婚と言う逃げ道を探したが、上手くはいかなかった。
お見合いをいくつかしたが、帯に短し襷に長しだったのだ。
付き合った相手と勝手にデートの約束をしたら母に怒られた。
約束をする前にデードに行っても良いか?
母に聞き、行き先と帰る時間を告げ、帰ってきたらデードの内容を報告しなければならなかったのだ。
食べたものから話の内容まで母に聞かれ嫌な思いをしたのは言うまでもない。
やっと32歳で結婚したのもつかの間、2年後には不妊治療を4年間することになるのだ。
その後、不妊治療は諦めたが、2年後には母と同居することになるのだ。
それからと言うもの、私の自由は再び元の木阿弥になり、母の管理下で暮らすことになる。
数年前から母は認知症になり、
それ以前に左手首を粉砕骨折し、手術をし、今度は右手首を骨折した。
自分勝手でわがままな母は無理な要求もしてくるのだ。
被り物の服が着たいと言う。
下着も被り物がいいと言う。
骨折した右手首では被り物は無理だと言うのに!
なだめ透かして、前開きの下着とブラウスを着せる。
食事にも気を遣う。

今、呼ばれたかと思うと、すぐに呼ばれる。
その度に母の部屋に飛んで行く。
このところ私は金曜日からまともに寝てはいない。
呼ばれたらすぐに母の部屋に飛んで行けるようにしている。
2階の寝室では呼ばれても聞こえない。
すぐに飛んでいっても、私が階段で転んではもともこうもないのだ。
楽しいことは全て奪われ、出来なくなった。
予定は未定で、申し込んだチケットも行けるかどうかはわからない。
私は適当に家事をしながら母の介護と介助をしなければならないのだ。
私に本当に安らげる日々は来るのだろうか?

介護と介助と家事

2020年09月20日 | 介護
認知症の母の介護をしている。
母は自分で出来ることは自分でしたがるので、困るのだ。
その母が洗濯物を取り込んでいたら庭で転倒して右手首を骨折した。
何度も洗濯物を干す時も私がやると言っているのに、自分で干したがる。
私が干したのでは気に入らないのか?
干し直す。
洗濯物も取り込む時間が決まっていて、乾いていてもいなくても、時間が来たら取り込む。
案の定、私たち夫婦が
外出中に取り込んで転んだ。
転んだ拍子に右手首を骨折した。
たまたま向かいの奥さんが見つけてくれたことで良かったが、誰も見つけてくれなければ、私たちが帰るまでそのままで、行き倒れになりかねなかった。
まあ!認知症になっても何でもしたがる。
私が掃除をした後で、嫌みのように掃除をする。
作ったおかずに文句を言う。
今、話したことでも忘れる。
「私、ボケちゃったのかもね?」
「あなたはとっくにボケてます!」
ものを覚えられない。
同じ話を何度もしてくる。
母曰く「お前には何度も言わないとわからないからさ!」
頼んでもいないことをする。
やらなくてもいいことをする。
やれないのにやろうとする。
表に出たらなるべく携帯電話を使っている人の側に寄らないように、座らないように話しているのに、座ってしまう。
ペースメーカーを埋め込んでいるのだ。
埋め込んでいることはわかっているが、理解していない。
まあ、病院で携帯電話を使う人の多いこと!
電話こそ掛けないけど、何かをしている。
LINEやゲームや何かをしている。
何度母に注意しても携帯の側に座る。20cm以上離れていればいいらしいが、もしものこともあるので!
ペースメーカーの意味を理解していない。
今までは認知症だけですんだ。
身の回りのことは自分でするので、私はあまり手伝わずにすんだ。
ところが今度は右手首の骨折です。
右利きの母はそれでもなれない左手でスプーンを持ち、ご飯を食べました。
夕食は蕎麦にしたらなれない左手でフォークを使い蕎麦を少し食べました。
水曜日に総合病院の整形外科に行って先生に診てもらい、入院日と手術日を決めます。
私の予定は全て無くなりそうです。
楽しみにしていたことも無くなりそうです。
地元の高齢者大学は行かれないことを告げました。
全く母と同居してからと言うもの母に振り回されてばかりいます。
私は突然の介護に介助ですからね。
私が以前左肘を骨折したときはギブスをして、自宅で1ヶ月で治しました。
1ヶ月間は母に家事をお願いしました。
まあ、母は85歳過ぎたら我が家に迷惑の掛け通しですね。
後、何年生きるやら?
母の入院している間に地域包括支援センターに相談には行ってきます。
どこかの施設に入れるにしてもお金が無いんですよ。
弟は一円も出しませんからね。
実母なのにね。
お金も出さなきゃあ口も出さないよ。
私は一人で母を抱えています。