![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ed/e63bdec7d3a6ede69d9af2b4ca75ed1e.jpg)
久々の登場です。ネタ切れで困っていましたが、ようやく話題が見つかりました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/abanzai.gif)
発病後5年経って気が付いたことがあります。
きゅうちゃんは、信じられないほどたくさんの「後遺症」というおみやげを持って我が家に帰ってきました。
いったいどのように生活をしていったらいいのか全くわからず、とてもつらい日々の連続でした。
何をするにも思い通りに手足が動かず、とっても不自由な思いをしながらの生活です。今までのようにはいきません。
「本人のために、あまり手出しをしないほうがいいのかなぁ」、とか、それとは逆に
「一人では出来ないのだから、なんでも手伝ってあげなければいけないな」、、いったいどちらが正解なのかどこまで手助けをしてあげよいものかも、悩みました。
「出来ない」ということが前提になっているので、全てにおいて「無理」になってしまうのです。
何かをしようとしても、「無理
」という言葉がかえってくるので、私もはっとして、
「あ、そうか。私たちにはできても、きゅうちゃんには無理なんだ・・・悪いこと言ってしまったなぁ・・・」と反省の連続でした。
でも、いつの頃からか、きゅうちゃんとの会話から
「無理」という言葉が消え、
「やってみる」という言葉に代わっていました。退院後二年目あたりからだと思います。
そして、今まで「出来ないだろうから」と、避けてきたことや、ぶなんな所でよしとしていたことに真正面から向き合う姿勢に変わったのです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_1.gif)
正直なところ、
「何でもリハビリなのだから、やったほうがいいのに」とか、「このままじゃ身体が動かなくなってしまうのでは?」と、すごく心配でした。
でも、きゅうちゃんの意思にまかせてのんびり構えていてよかったです。
そのとき思いました。
きゅうちゃんが出来ないことを、手助けしてあげるのは勿論大切ですが、それよりも、いかに本人が「やってみよう!」と思えるように協力してあげることが一番の手助けなのではないでしょうか。
「よし!ダメもとでもちょっとやってみるか!
」
そう思うように導いてあげることが私の使命なのかもしれないと思いました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/abanzai.gif)
発病後5年経って気が付いたことがあります。
きゅうちゃんは、信じられないほどたくさんの「後遺症」というおみやげを持って我が家に帰ってきました。
いったいどのように生活をしていったらいいのか全くわからず、とてもつらい日々の連続でした。
何をするにも思い通りに手足が動かず、とっても不自由な思いをしながらの生活です。今までのようにはいきません。
「本人のために、あまり手出しをしないほうがいいのかなぁ」、とか、それとは逆に
「一人では出来ないのだから、なんでも手伝ってあげなければいけないな」、、いったいどちらが正解なのかどこまで手助けをしてあげよいものかも、悩みました。
「出来ない」ということが前提になっているので、全てにおいて「無理」になってしまうのです。
何かをしようとしても、「無理
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_ang3.gif)
「あ、そうか。私たちにはできても、きゅうちゃんには無理なんだ・・・悪いこと言ってしまったなぁ・・・」と反省の連続でした。
でも、いつの頃からか、きゅうちゃんとの会話から
「無理」という言葉が消え、
「やってみる」という言葉に代わっていました。退院後二年目あたりからだと思います。
そして、今まで「出来ないだろうから」と、避けてきたことや、ぶなんな所でよしとしていたことに真正面から向き合う姿勢に変わったのです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_1.gif)
正直なところ、
「何でもリハビリなのだから、やったほうがいいのに」とか、「このままじゃ身体が動かなくなってしまうのでは?」と、すごく心配でした。
でも、きゅうちゃんの意思にまかせてのんびり構えていてよかったです。
そのとき思いました。
きゅうちゃんが出来ないことを、手助けしてあげるのは勿論大切ですが、それよりも、いかに本人が「やってみよう!」と思えるように協力してあげることが一番の手助けなのではないでしょうか。
「よし!ダメもとでもちょっとやってみるか!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/goo.gif)
そう思うように導いてあげることが私の使命なのかもしれないと思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
なるほど!
今はハハの強気に引き摺られている感が強いですが
今はちょっと無理でも繰り返し挑んでいるうちに、大概なんとかなってくるから不思議に思ってしまいます。
身体を動かす事は得意でも、小さい頃から勉強は大嫌いでした。
いくら神秘不思議といっても、三つ子の魂は一番強いようです。
スムーズに動き、介助出来る様になったのは、やはり2年ぐらいたった頃からです。今はどうしたいのか素早く察知できるようになった気がします。生活も楽しめるようになりました。カメさんも後遺症のイライラから解放された感があります。
出来ないことを嘆くより、出来る事に感謝して精神的にゆとりある日々を送っていければと願っています。
日常生活を通した息長いリハビリとも、ぴったりマッチと思います。
ところで前出かめこちゃんコメントには、まるで誰かが綱吉風暴君だったみたいに述懐していますが、少々誇張気味。昔は鼻っ柱が強かったところもあるでしょうが、橋出血してカドがとれ、性格は丸やかになったと思いますよ。
「馬を引けぇぃ!」のイメージが強すぎて・・
カメさんのおっしゃるとおり、日常の介護生活を書いていきたいとおもっております。
かめこさんと同じく、倒れてから年数が経つにしたがって、少しずつ生活も元に近づいてきました。
勿論、元のとおりとまではいきませんが、慣れてきたせいか、随分楽な生活をさせてもらっています。
きゅうちゃんが倒れた事を感謝するわけではありませんが、この生活によって随分勉強させてもらっています。
ううう~~何か買ってもらわなくちゃ