おでかけ大好き!ピースくん

ぼくピースくんが色んな所に遊びに行った写真を発表しま~す!

名護屋城跡陣跡めぐり・1-4(2020年2月)

2020年06月01日 | こんちゃんのお城めぐり
名護屋城博物館の裏にきました😊
ここには木下延俊陣跡があるのですが残念ながら見学できないようです😌

木下延俊の父家定は秀吉の正室北政所の兄で延俊はその三男だそうです😌
縁戚の関係もあって陣屋は名護屋城の大手口前面に構えられており最も城に近いんですね😊
発掘調査では礎石建物、飛石、雪隠(トイレ)も発見されてるそうです😌

城山トンネルを抜けた所にある駐車場あたりに浅野長政陣跡の標柱がありました😊
この茂みに陣跡があるのでしょうか😌

「歴史探訪の道」11 木下勝俊・藤堂高虎です😊
木下勝俊(1569~1649)播磨国龍野城主は弟延俊・利房とともに名護屋に陣を構えていたそうです😌
藤堂高虎(1556~1630)伊予国板島(宇和島)城主は普請上手として有名で伏見城、今治城、江戸城、伊賀上野城、日光東照宮などの築造に従事しているそうです😌
藤堂高虎の陣跡はこの説明板からもだいぶ離れたところでした😌

「歴史探訪の道」10 木下延俊・古田織部
木下延俊(1577~1642)豊後国日出藩主(江戸時代)の陣跡は先程見学出来なかった所ですね😌
そしてここにきていた時代はどこかの城主ではなかったのでしょうか?😌
古田織部(1544~1615)は千利休の高弟で茶人として名高いそうです😌
江戸幕府二代将軍秀忠の茶道指南を務めたそうです😌

その古田織部陣跡は見学出来るので行ってみます😊

見てください❗
仮設道路を登って行くと曲輪の北東側の石垣が見えてきました😊
高く積み上げるため2段構造になっています😊

古田織部は利休亡き後の「茶の湯」の第一人者として秀吉に付き添い名護屋での茶席を取り仕切っていたらしいです😌
陣屋全体にみられる露地風の雰囲気は茶人である織部ならではの特徴みたいです😌
風流なお屋敷だったのでしょうね😌

曲輪の角です😊
ここも石垣がきっちり組まれています😌

外側を見ることができました😊
石の加工はされていませんが算木に積まれているように見えました😌

そして正面側のこの石垣がとてもステキでした😌
まさにデザインチックな積み方です😊

古田織部陣跡の石垣はとってもよかったです😊

「歴史探訪の道」7 福島正則・小早川隆景・加藤清正
福島正則(1561~1624)尾張国清洲城主は幼少より秀吉に仕え賤ヶ岳の戦いでは七本槍の1人として活躍したそうです😌
母は秀吉の伯母といわれているみたいです😊
小早川隆景(1533~1597)筑前国名島城主は毛利元就の三男で、後に安芸国小早川家を継いだそうです😌
豊臣秀吉五大老の一人だそうです😌
加藤清正(1562~1611)肥後国熊本城主も幼少より秀吉に仕え賤ヶ岳の戦いでは七本槍の1人として活躍したそうです😌
しかしやはり加藤清正といえば熊本城ですよね😊
熊本城に行きましたねぇ😌
築城技術に優れ熊本城のほか江戸城、大坂城の普請にもあたったそうです😊

加藤清正陣跡の標柱です😊
加藤清正はここにどのような陣跡を築いたのでしょう?😌

「歴史探訪の道」6 津軽為信・片桐且元・木村重隆です😊
津軽為信(1550~1607)陸奥国堀越城主です❗
青森県から唐津までやってきていたのですね😌
陣屋は搦手口すぐ前方に位置しており城の重要な区域を警護していたそうです😊
片桐且元(1556~1615)摂津国茨木城主も賤ヶ岳の戦いで七本槍の1人として活躍した人みたいです😌
木村重隆(?~1595)は常陸介と称する、しかし実名にもいくつかの諸説があり生まれやその後の行動には不明の点が多いとなっています😌
このような武将もあの時代にはたくさんいたんでしょうね😌

それにしても津軽為信さん…本当に遠いところからお疲れ様でした😌
いったい何日かけてここまで来たのでしょうね😅
そして堀越城…高い土塁がステキでした😌

片桐且元陣跡の標柱です😊
奥の林の中が陣跡でしょうか😌

名護屋城にある「歴史探訪の道」総合案内板にきました😊
1日陣跡めぐりをしましたが半分もめぐれてはいないようです😅
見学可能な陣跡と「歴史探訪の道」陣跡説明板を中心に回りましたが本当に日本全国から大名がやってきているんですね😊
びっくりです😊
行ったことのあるお城の城主を見ると懐かしく思い出しますし、行ったことのないお城はいつか訪れてみたいと思いました😌
豊臣時代の大名のことも色々勉強できました😊
それでは次回は波戸岬方面の陣跡をめぐりたいと思っています😌
こんちゃんがお送りしました😊


名護屋城跡陣跡めぐり・1-3(2020年2月)

2020年06月01日 | こんちゃんのお城めぐり
引き続き堀秀治陣跡をめぐっています😊
北西曲輪にきました😊
内部には建物跡、玉石敷、飛石の遺構が見つかり北と南西に石段の出入口が認められたそうです😌

北西曲輪は簡素な石垣を築くことによって曲輪を形成しています😊

この部分は石垣がよく残っていました😊

北西曲輪から南西に下りてきました😊
こちらは搦手口だったようです😌
ここから見上げると高台に立派なお屋敷を構えていた様子が想像できます😌
陣跡とゆうのは仮住まいでキャンプのようなものかと思っていましたが新居を建てて引っ越しするようなものだったのだなぁとこの陣跡を見て思いました😊

搦手口のすぐそばに「歴史探訪の道」9 波多親・松浦鎮信がありました😊
波多親(?生没年不詳)は肥前国岸岳城主で波多氏はこの玄界灘一帯を制した松浦党の有力一族でしたが改易されてしまったそうです😌
松浦鎮信(1549~1614)は肥前国平戸城主で豊臣秀吉の九州平定に際して父隆信とともに出陣して活躍したそうです😌
平戸城行きましたね😌
さらに先日お城めぐりした獅子城跡は鎮信の何代も前の披が築城し披の子の持の時に平戸に移ったそうです😌
色々繋がっています😌

「歴史探訪の道」5 鍋島直茂・豊臣秀保です😊
鍋島直茂(1538~1618)肥前国佐嘉城主です😊
佐賀城もめぐりましたね😌
鍋島直茂は龍造寺隆信に仕え、死後は替わって肥前国を治めたそうです😌
豊臣秀保(1579~1594?)大和国郡山城主です😊
大和郡山城のお城めぐりもしましたねぇ😌
懐かしいです…
豊臣秀保は秀吉の甥にあたり、秀吉が最も信頼していた弟秀長の養子となったそうです😌

鍋島直茂陣跡と豊臣秀保陣跡の標柱もありました😊
豊臣秀保陣跡は見学出来るようです😊
行ってみましょう😌

「歴史探訪の道」道標がありました😊
豊臣秀保陣屋跡はこの道の先にあるようです😌

石垣が見えてきました❗
入口は坂を登ったところでしょうか😌

ここが入口ですか😊
陣は第一陣と第二陣からなるそうですが見学出来るのは第一陣です😌
第一陣の入口は表門と中門のある枡形だったようです😊

石垣、石塁は現存する石積みのなかで崩れかけているところは積み直し欠落しているところは新たに積んだそうです😌

内門側から見た枡形です😊

豊臣秀保陣跡は「名護屋城跡ならびに陣跡保存整備事業」で最初の陣跡として選ばれたそうです😌
数多くの陣跡のなかでも残存状態が極めて良好だったからみたいです😊

陣は石垣、石塁、土塁、段落ち、空堀などによって構築されていて大規模かつ堅固な構えだったそうです😊

第一陣の曲輪の内部に書院建物、瓦葺き二層櫓、数寄屋、庭園等を発見したそうでその様子は「名護屋城図」屏風の描写と驚くほど一致しているそうです😊
第一陣を囲む石垣が残っていてとてもよかったです😊

戻る途中に堀秀治陣跡の標柱がありました😊
陣跡の道路沿いです😌
ですがここにあっても整備された陣跡の入口からはだいぶ離れていたのでわかりづらくなってそうです😅

「歴史探訪の道」4 宇喜多秀家・溝口秀勝です😊
宇喜多秀家(1572~1655)は備前国岡山城主でした😌
佐賀県の1県スペシャルに来る途中でお城めぐりしましたね😊
宇喜多秀家は秀吉の晩年には五大老に列せられていましたが関ヶ原の戦いに敗れ、やがて八丈島に流罪となってしまったそうです😞
溝口秀勝(1548~1610)は加賀国大聖寺城主で丹羽長秀、織田信長、豊臣秀吉に仕えた人だそうです😌
溝口秀勝の陣跡は畑の向こうの森にあるようです😊
宇喜多秀家の陣跡はその向こうにあるみたいです😌

次はまた少し移動してめぐりましょう😊

名護屋城跡陣跡めぐり・1-2(2020年2月)

2020年06月01日 | こんちゃんのお城めぐり
「歴史探訪の道」3 稲葉重通・堀秀治にきました😊
稲葉重通(?~1598)美濃国清水城主は美濃三人衆と呼ばれた稲葉良通の長子だそうです😌
堀秀治(1576~1606)越前国北庄次いで越後国春日山城主の陣跡にはこの後訪れます😊
陣跡では唯一の全体的整備とゆうことでとても楽しみです😊

「歴史探訪の道」道標があります😊
この道を行くと堀秀治陣跡があるそうです😌

この奥が堀秀治陣跡ですね😌
行ってみましょう😊

堀秀治陣跡です😊
すごく大きな説明板がありました😊
堀秀治は16歳の若さで参陣したそうです😌
秀治の父である堀秀政は豊臣秀吉に仕え信頼も厚かったためかこの陣は本城から近く大規模なものだったそうです😌
陣は大きく分けて6つの曲輪で構成されており遺構の残りも良好らしいです😊
楽しみですね😊
ちなみにここは東曲輪で大手口より切通しと飛び石でつながっている場所でした😌

大手口にきました😊
本城を正面に見るこの陣の正面入口があった所です😊
まずは下の大手曲輪を見に行ってみましょう😌

大手曲輪です😊
曲輪内部は掘立柱建物跡があり平面表示されています😊

大手曲輪の玉石舗装された虎口です

大手口の遺構ではいちばん下まで玉石舗装されていたそうです😌

大手口を上がってくると広い空間が見えてきました😊

門礎石があります😊
どのような門が建っていたのでしょう?😌

本曲輪にきました😊
この陣の中心となる曲輪で曲輪内部の遺構の残りもよく礎石建物跡や飛び石、旗竿石が見つかっているそうです😊

本曲輪入口から名護屋城を望むことができます😌
この陣はほんとに本城から近かったのですね😌

土塁・空堀跡です😊
本来の位置に高さと深さを縮小して再現しているそうです😌

実際の空堀はどのくらいの深さがあったのでしょう😌

礎石建物跡は広間御殿の他に能舞台が平面表示されています😌

茶室もありました😌
なんだか雅な生活をなさっていたのですね😅

旗竿石です😊
この石の他にもいくつもあるそうです😌

向こうに見えるのは北西曲輪ですね😊
本曲輪との間は2本の空堀で区切られているのがみえます😌

それでは堀秀治陣跡の北西曲輪に行ってみましょう😊

名護屋城跡陣跡めぐり・1-1(2020年2月)

2020年06月01日 | こんちゃんのお城めぐり
ある日のことでした😌
ぺろちゃん「ねぇねぇこんちゃんぼく見つけちゃったでしゅ😊
戦国スタンプラリー肥前名護屋城ってゆうのがあるでしゅよ❗
一緒にやりたいでしゅぅ~😆」
こんちゃん「いぇ…ワタシはスタンプには興味ありませんから😌✋」

ぺろちゃん「でしゅけどぉ~これってお城めぐりちて更に陣跡めぐりもしちゃうスタンプラリーなんでしゅよぉ😌」
こんちゃん「なんですって❗陣跡めぐりですか😊
それは是非ともめぐらなければ❗
さっそく出発しましょう😊」

とゆうことで道の駅桃山天下市にやってきました😊

今回は名護屋城の陣跡めぐりですから第45回肥前名護屋城の番外編としてお送りします😌
それでは道の駅の駐車場から陣跡めぐりを始めましょう😊
前田利家陣跡の森です😊

ぺろちゃん「こんちゃん歴史探訪の道1(前田利家、小西行長)のスタンプを獲得ちまちたよぉ😊」
こんちゃん「いぇ…ですからワタシはスタンプに興味はありませんから…😌✋
ぺろちゃんおひとりでどうぞ😌
さぁ❗陣跡めぐりを続けますよ😊」

前田利家陣跡の森を抜けると曲輪に出たようです😊
前田利家陣跡は名護屋城の南方約300mに位置し標高79mの頂上部を含む広さ10万㎡に及ぶ最大級の大きさを誇っていたそうです😌
陣屋は山上の曲輪群と山裾の曲輪にわかれていて、ここは山裾の曲輪で「館部」のようです😊

この穴は旗竿石でしょうか?😌
名護屋城跡陣跡位置図のパンフレットに載っていた旗竿石の写真とは違っていました😌

古い石碑もありました😊
どのくらい前に建てられたのでしょう?😌

館部に上がるための大手虎口です😊
虎口に面した石垣の高さは最大5.5m通路の幅も5.5mでその規模や石垣石段の立派さは名護屋城と比べても見劣りしない格式を持っているそうです😌
すばらしいですね😊
石垣はだいぶ崩れてしまっていたようで修理工事をして可能な限りもとの位置に復元し必要最小限新しい石を追加したそうです😌
その他発掘調査した実際の石段、門礎石を露出展示しているそうです😌
ステキな復元だと思います😊

「歴史探訪の道」陣跡説明板がありました😊
1 前田利家・小西行長です😊
前田利家(1538~1599)は加賀国金沢城主ですか😌
いつか行ってみたいですねぇ😌
陣跡はいま見てきた所ですね😊
小西行長(?~1600)は肥後国宇土城主でキリシタン大名でしたね😌
陣跡は前田利家陣跡の向こうにあるみたいです😊
後で行きましょう😌

「歴史探訪の道」道標もあって散策できるようになっています😌
それでは次に行ってみましょう😊

「歴史探訪の道」2 長宗我部元親・石田三成です😊
長宗我部元親(1539~1599)土佐国浦戸城主は天正13年に四国を統一した直後に豊臣秀吉の攻撃を受けて降伏、土佐一国の領地になったんですね😌
陣跡はこの後近くまで行けるみたいです😊
石田三成(1560~1600)近江国佐和山城主は豊臣政権五奉行の1人で関ヶ原で敗れてしまった人ですね😢
ここから随分離れた陣跡なので近くまでは行きませんでした😌

立花宗茂陣跡の標柱です😊
筑後国(福岡)柳川13万石城主です😌

太閤道とあります😌
豊臣秀吉が造った道、通った道のことをいい日本各地にあるそうです😊
名護屋・唐津間にも「太閤道」と呼ばれる道が断続的に存在し復元すると約16kmの道になるそうです😌

看板の前にあった太閤道です😊
当時はこの道を通って全国の大名達が名護屋までやってきたのですね😌
想像してみましょう…😌

名護屋中学校前にあった藤堂高虎陣跡と毛利輝元陣跡の標柱です😊
どこだったのでしょう?中学校の敷地内?かと思ったのですが後で地図を見るとこの場所からは大分離れた場所でした😌
陣跡の目の前に標柱が建っているとは限らないのですね😌
長宗我部元親陣跡です😊
先程の「歴史探訪の道」陣跡説明板があった道とは違う道沿いにありました😊
向こうの森が陣跡のようです😌
ここに土佐から来ていたのですね😌

長宗我部元親陣跡のすぐそばに大谷吉継陣跡がありました😊
越前敦賀城主で豊臣秀吉の家臣だったそうです😌

ここから小西行長陣跡に向かいます😊

この辺りが小西行長陣跡だと思うのですが…
この石垣は遺構なのでしょうか?😌

小西行長陣跡の標柱は表通りにありました😊

ピースくんだよ❗
もうこんちゃんにつきあってるとお昼ごはんも食べ損ねちゃうからさぁ😞
ぼく1人でお弁当食べちゃうもんねぇ😋
おべんと2つ…わんぱくでしょぉ😆