こんちゃん「こんにちはこんちゃんです😊
ワタシは佐賀県太良町の竹崎城址展望台にきています😌
こちらは南北朝時代に島原の有馬隆泰によって築城された竹崎城の近くに再現した展望台です😌
ワタシは竹崎城跡を探しに行きますのであとはよろしくお願いします❗タッタッタッ🐾」
ぺろちゃん「…行っちゃいまちた😅」
ピースくん「ほんとのお城しか興味ないのね😅」
それではここから第54回こんちゃんのお城めぐり「竹崎城跡」を始めます😊
竹崎城址展望台の駐車場から少し戻った場所に竹崎城跡の木碑と説明板がありました😌
これによると南北朝時代に島原の有馬隆泰が築城し今川了俊の大軍を退けたといわれています😊
この説明板は有馬泰隆となっていましたが太良町のパンフレットや観光協会のホームページでは隆泰となっているのでそちらが正しいのではないかと思いました😌
戦国時代は有馬氏(島原)と龍造寺氏(肥前)両者の勢力の接点であったため攻防が繰り返されたそうです😌
戦国時代末龍造寺家晴によって修築され龍造寺家(諫早家)の出城として重要な役割を果たしてきたが島原の乱後取り壊されたと伝えられているそうです😌
看板の建っている場所は石垣跡のように見えました😊
ここが遺構になるのですね😌
城の特徴は自然地形を利用して水陸両面に備えた山城と水城の性格を持つ築城様式であったそうですよ😊
あ~見てみたかったですねぇ😌
上に上るとさらに向こうに遺構
があるのでしょうか?
見に行ってみましょう❗シュタッ、シュタタッ🐾
残念ながらこの一部分だけのようです😌
現在僅かに東西500m南北600mにわたる石垣の一部と幅10m深さ6m長さ40mの空壕が一条残っているにすぎないそうです😌
そして空壕は見つけられませんでした😞
結局ワタシが見つけられたのはここだけでした😌
しかし南北朝時代から島原の乱の後までお城が戦いの城として使われていた時代にここには竹崎城があったのです❗
そしてここで攻防が繰り広げられていたのですね😌
その歴史を感じながら今回のお城めぐりは終わりにしたいと思います😊
こんちゃんがお送りしました😌