引き続きこんちゃんです😊
土塁の上に上って角まで歩いてゆくと、少し高くなっています😊
これはもしかして…
やはり櫓跡でした😊
本丸には3隅に隅櫓があったと、新庄城についてで説明されていましたからね😌
その場所には「武器櫓跡」の標柱が立っていました😌
この一角に2層の隅櫓がそびえていて、中に槍・鉄砲などの武器をいれていたそうです😌
こうゆう、「もしかして…」と思う場所に標柱があって、説明していただけるのはとてもいいですね😊
櫓跡のベンチに座って、ひと休みしました😊
お堀の向こう岸で釣りをしている人がもし敵だったら、ここから一撃でやれそうです😌
などと想像しちゃいました😊
土塁の上を北へ歩いてゆくと、表御門跡に突き当たりました😊
土塁の上を北へ歩いてゆくと、表御門跡に突き当たりました😊
こちら側にも階段があり、下りることが出来ました😊
次は戸澤神社の右、北側をめぐってゆきます😊
次は戸澤神社の右、北側をめぐってゆきます😊
神社の横の目立たない場所に「新庄市指定文化財(史跡)新庄城址」の標柱が立っていました😌
もう少し目立つ場所にド~ンとあるとうれしいですね😊
折下吉延氏と心字池の石碑と、新荘天満宮と心字池の案内板が並んであります😊
折下吉延氏と心字池の石碑と、新荘天満宮と心字池の案内板が並んであります😊
最上公園の心字池は郷土にゆかりの深い造園家の折下吉延氏の監修により、新庄城址に造られたものなんだそうです😌
明治神宮の森、浜町公園、隅田公園、錦糸公園、山下公園等の公園新設や都市計画に大きな手腕を発揮された方なんだそうです😌
心字池は「心」の字を形どって造られた池なんだそうです😌
心字池は「心」の字を形どって造られた池なんだそうです😌
池には3つの橋がありそれぞれ過去、現在、未来を表しているそうです😌
本丸の西側へきました😊
本丸の西側へきました😊
この場所は少し低くなっていました😌
ここはかつてはお堀だったのではないかと思います😊
高い部分の端に「大納戸櫓跡」の標柱がありました😊
高い部分の端に「大納戸櫓跡」の標柱がありました😊
本丸の西北隅に築かれた隅櫓で、瓦葺き、2層の櫓だったそうです😋
北側の入口に平行して水路が通っていました😌
北側の入口に平行して水路が通っていました😌
標柱には「御用水」とあって、指首野川から分水して城内にひき入れ、用水としていた。と書いてありました
お堀との段差がこんなにあります😌
お堀との段差がこんなにあります😌
この御用水は今でもここから本丸へ流れていって、先ほど見た心字池や戸澤神社の前を通り、南へ抜けていってるようでした😊
土橋のような所をゆくと「裏御門跡」とゆう標柱がありました😊
土橋のような所をゆくと「裏御門跡」とゆう標柱がありました😊
本丸北側にあった城門跡らしいです😌
裏御門も高い石垣の上に築かれた櫓門だったそうですが、こちらには石垣など残っていませんでした😊
残念ですねぇ😌
本丸の3隅にあった隅櫓の最後の1つを探して土塁に上がってみると見つけました😊
「小納戸櫓跡」の標柱です😊
本丸の3隅にあった隅櫓の最後の1つを探して土塁に上がってみると見つけました😊
「小納戸櫓跡」の標柱です😊
本丸の東北隅に築かれた隅櫓で、こちらも瓦葺き2層の櫓だったそうです😌
内側の上ってきた方では分かりづらかったですが、お堀側を見ると立派な土塁の形が残っていました😊
内側の上ってきた方では分かりづらかったですが、お堀側を見ると立派な土塁の形が残っていました😊
いいですねぇ😌
正面近くに戻ってきました😊
こちらの土塁の上には標柱によると「御物見跡」とありました😊
ここに城外の様子をうかがう建物があり、この土塁の上に土塀がめぐらされていたとありました😊
その後、新庄ふるさと歴史センターへゆき、駐車場の近くで、この「最上公園(新庄城跡)史跡案内図」を見つけました😊
その後、新庄ふるさと歴史センターへゆき、駐車場の近くで、この「最上公園(新庄城跡)史跡案内図」を見つけました😊
出来れば最初に見たかったです😅
この案内図、本丸のどこかにも設置されていたのでしょうか?😌
何ヵ所かあるといいなぁと思いました😊
案内図の側に「大手御門跡」の標柱もありました😊
案内図の側に「大手御門跡」の標柱もありました😊
外曲輪の正門があったところなんだそうです😌
大手御門は高い石垣を土台として築かれた櫓門であったそうです😌
正門ですからさぞかし立派な櫓門が建っていたのでしょう😌
今回のお城めぐりは以上になります😊
今回のお城めぐりは以上になります😊
今は最上公園となっていましたが、新庄城址としても遺構が残っていますし、標柱などでの説明もとても親切でした😌
楽しいお城めぐりでした😊
それではまたどこかのお城めぐりでお会いしましょう😌
こんちゃんがお送りしました😊