おでかけ大好き!ピースくん

ぼくピースくんが色んな所に遊びに行った写真を発表しま~す!

新庄城跡・2(2022年8月)

2022年08月17日 | こんちゃんのお城めぐり
引き続きこんちゃんです😊
土塁の上に上って角まで歩いてゆくと、少し高くなっています😊
これはもしかして…

やはり櫓跡でした😊
本丸には3隅に隅櫓があったと、新庄城についてで説明されていましたからね😌
その場所には「武器櫓跡」の標柱が立っていました😌
この一角に2層の隅櫓がそびえていて、中に槍・鉄砲などの武器をいれていたそうです😌
こうゆう、「もしかして…」と思う場所に標柱があって、説明していただけるのはとてもいいですね😊

櫓跡のベンチに座って、ひと休みしました😊
お堀の向こう岸で釣りをしている人がもし敵だったら、ここから一撃でやれそうです😌
などと想像しちゃいました😊

土塁の上を北へ歩いてゆくと、表御門跡に突き当たりました😊
こちら側にも階段があり、下りることが出来ました😊

次は戸澤神社の右、北側をめぐってゆきます😊
神社の横の目立たない場所に「新庄市指定文化財(史跡)新庄城址」の標柱が立っていました😌
もう少し目立つ場所にド~ンとあるとうれしいですね😊

折下吉延氏と心字池の石碑と、新荘天満宮と心字池の案内板が並んであります😊
最上公園の心字池は郷土にゆかりの深い造園家の折下吉延氏の監修により、新庄城址に造られたものなんだそうです😌
明治神宮の森、浜町公園、隅田公園、錦糸公園、山下公園等の公園新設や都市計画に大きな手腕を発揮された方なんだそうです😌

心字池は「心」の字を形どって造られた池なんだそうです😌
池には3つの橋がありそれぞれ過去、現在、未来を表しているそうです😌

本丸の西側へきました😊
この場所は少し低くなっていました😌
ここはかつてはお堀だったのではないかと思います😊

高い部分の端に「大納戸櫓跡」の標柱がありました😊
本丸の西北隅に築かれた隅櫓で、瓦葺き、2層の櫓だったそうです😋

北側の入口に平行して水路が通っていました😌
標柱には「御用水」とあって、指首野川から分水して城内にひき入れ、用水としていた。と書いてありました

お堀との段差がこんなにあります😌
この御用水は今でもここから本丸へ流れていって、先ほど見た心字池や戸澤神社の前を通り、南へ抜けていってるようでした😊

土橋のような所をゆくと「裏御門跡」とゆう標柱がありました😊
本丸北側にあった城門跡らしいです😌
裏御門も高い石垣の上に築かれた櫓門だったそうですが、こちらには石垣など残っていませんでした😊
残念ですねぇ😌

本丸の3隅にあった隅櫓の最後の1つを探して土塁に上がってみると見つけました😊

「小納戸櫓跡」の標柱です😊
本丸の東北隅に築かれた隅櫓で、こちらも瓦葺き2層の櫓だったそうです😌

内側の上ってきた方では分かりづらかったですが、お堀側を見ると立派な土塁の形が残っていました😊
いいですねぇ😌

正面近くに戻ってきました😊
こちらの土塁の上には標柱によると「御物見跡」とありました😊
ここに城外の様子をうかがう建物があり、この土塁の上に土塀がめぐらされていたとありました😊

その後、新庄ふるさと歴史センターへゆき、駐車場の近くで、この「最上公園(新庄城跡)史跡案内図」を見つけました😊
出来れば最初に見たかったです😅
この案内図、本丸のどこかにも設置されていたのでしょうか?😌
何ヵ所かあるといいなぁと思いました😊

案内図の側に「大手御門跡」の標柱もありました😊
外曲輪の正門があったところなんだそうです😌
大手御門は高い石垣を土台として築かれた櫓門であったそうです😌
正門ですからさぞかし立派な櫓門が建っていたのでしょう😌

今回のお城めぐりは以上になります😊
今は最上公園となっていましたが、新庄城址としても遺構が残っていますし、標柱などでの説明もとても親切でした😌
楽しいお城めぐりでした😊
それではまたどこかのお城めぐりでお会いしましょう😌
こんちゃんがお送りしました😊

新庄城跡・1(2022年8月)

2022年08月17日 | こんちゃんのお城めぐり
こんにちはこんちゃんです😊
ワタシは新庄市にある最上公園に来ています😌
石碑には戸澤神社と刻まれています😌
ここはかつての新庄城本丸跡なんですね😊
そうです、お城めぐりのお時間です😊
第107回こんちゃんのお城めぐりは「新庄城跡」です😌

見てください❗
本丸堀がちゃんと残っています😊
これは期待できそうですね😌

反対側を眺めていると…
右寄りに蔦に絡まっていますがなにやら石垣のようなものが見えます😊
遺構でしょうか?😌
行ってみましょう😊

これは、やはり石垣ではないですか😊
それも門跡のようですよ😊

奥に標柱が立っていました😌
表御門跡でしたか😊
本丸正門のあったところで、表御門はこの石垣を土台とした櫓門であったそうです😌
最上公園となっていても、遺構が残っていてうれしいですね😊
それに城跡としての説明がある標柱も設置されていてありがたいです😌

反対側から見た表御門跡です😊
切込接のきれいな石垣です😌

石垣の隣に新庄城絵図と新庄城についての説明板がありました😊
それによると、寛永2年(1625年)新庄藩初代藩主戸沢政盛が築いたお城なんだそうです😌
創建時の新庄城は本丸中央に3層の天守閣、3隅に隅櫓、表御門、裏御門を備え、二の丸は役所や米倉、大手門、北御門を有し、三の丸には多数の侍屋敷を区画した堂々たる近世城郭であったそうです😌
藩主戸沢氏は元和8年(1622年)から明治初年まで、11代250年にわたり、この城を拠点として藩政を展開したそうです😌

現在本丸中央は戸澤神社になっています😊
新庄藩主戸澤家の始祖戸澤飛騨守衡盛公及び新庄藩移封当時の藩主戸澤右京亮政盛公の霊を奉祀する為、旧領民が創建した神社なんだそうです😌
お参りしてからお城めぐりの続きをしましょう😌

神社の境内にも標柱がありました😊
御玄関跡です😌
新庄藩政庁の正面玄関で、この奥に廊下をへだてて、40畳敷の大書院、32畳敷の御広間などがあったそうです😌

石垣のあった表御門跡を通って南へゆくと門跡のように見える場所がありました😊
後で見つけた最上公園(新庄城跡)史跡案内図によると南門跡だったようです😌

南門跡を出るとお堀があり、その先に「二の丸跡」の標柱が立っていました😊
本丸の南に設けられた廓で、廓内に二の丸長屋があったそうです😌

二の丸から見た本丸堀と土塁です😊
弘前城や久保田城などと同じ東日本の土造りのお城ですね😌
ステキです😊

本丸へ戻って、天満神社へきました😊
新庄藩主戸沢家の氏神として旧領秋田仙北の角館時代から崇敬されてきたそうです😌
そうでしたか、戸沢氏とは秋田の戸沢氏と同じだったのですね😊
秋田では戸沢氏の居城だった、古城山城跡(角館城址)や、それ以前約200年間居城としていた門屋城址などの、お城めぐりをしましたねぇ😌
色々な所で繋がっているものです😊
元和8年(1622年)に藩祖政盛公が常州(元茨城県)松岡から新庄に入部した折りに共に移し、寛永5年(1628年)に新庄城本丸西南の現在地に遷座したそうです😌
いつか角館と新庄の間に居た常州松岡にも行ってみたいですね😊

天満神社本殿・拝殿は山形県指定有形文化財なんだそうです😌
2代藩主正誠公時代の寛文8年(1668年)に社殿を再建し、さらに延宝8年(1680年)には茅屋根の葺き替えなどを行ったことが棟札に記されているそうです😌
お参りしてゆきましょう😌

本丸の駐車場になっている場所は立派な土塁に囲まれています😊
きれいに残っていますね😊

上にあがれるようになっています😊
行ってみましょう😌

土塁の上から眺めるお堀もいいですねぇ😌

反対側は少し曲がっています😊
次はあちらに行ってみます😌