こんにちはこんちゃんです😊
今回はいきなり発掘現場(でしょうか?)からお届けします😌
こちらは鶴ヶ岡城大手馬出跡から出土した石なんだそうです😌
令和3年(2021年)12月、酒井家庄内入部400年の記念の年を前に、道路整備工事が行われている場所から、約30個の金峯石群が出土し、鶴ヶ岡城跡の馬出と思われる遺構が確認されたそうです😌
鶴ヶ岡城には金峯石(花こう岩類)が使用されていたと資料にはあり、今回の調査で実際にその状態が確認されたそうです😊
見てください😌
矢穴の跡があります😊
ステキです😌
すぐそばの荘内神社参道脇に「鶴ヶ岡城址」の石碑がありました😌
若干肩身が狭い感じに建っていたのが残念です😅
それではここから今回のお城めぐりを始めましょう😊
第108回こんちゃんのお城めぐり「鶴ヶ岡城跡」です😌
鶴ヶ岡城のうつりかわりと復元図です😊
鶴ヶ岡城は古くは大宝寺城とよばれ、鎌倉期以来戦国期まで武藤氏の居城であったそうです😌
天正15年(1587年)武藤氏が滅び、庄内は越後の上杉氏、次いで慶長6年山形の最上義光の支配となったのですね😌
慶長8年(1603年)大宝寺城は義光の隠居城として修覆され鶴ヶ岡城と改称したそうです😌
元和8年(1622年)最上氏が領地没収となり、信州松代より酒井忠勝が入国、庄内14万石の居城として整備拡充されたのですね😌
酒井氏は徳川幕府の譜代大名として明治まで約250年間庄内を治めたそうです😌
本丸跡は現在荘内神社になっています😌
見えているのは参道にある大鳥居です😊
その下に石碑を見つけました😊
「二の丸 大手門跡」です😊
それではここまでの参道は、かつては外濠だったとゆうことですか😌
この立派な江戸彼岸桜も、たぶんお堀を埋めた場所にあるのですね😌
大鳥居をくぐった先の左手に内濠がありました😊
本丸跡にある荘内神社です😊
庄内と荘内、どのような使い分けになっているのでしょうか?😌
まずはお参りしてきます😌
荘内神社から左へ移動してきました😊
こちらの石碑は…
「本丸御殿御玄関跡」でした😊
ここが本丸御殿の玄関でしたか😌
隣の幟は酒井家庄内入部400年の幟です😊
格好いいですね~😊
本丸南東に建つ建物の前には「本丸 中門跡」の石碑が建っていました😌
二の丸から本丸へはここにあった本丸中橋を渡り
中の御門を通って入っていっていたのですね😊門跡に建つ建物は「大宝館」といい、大正4年(1915年)に大正天皇の即位を記念して創建されたそうです😌
内濠はほぼ残っているようです😊
南側の内濠に沿って歩いてゆくと「本丸 渡櫓跡」の石碑がありました😊
その近くに「明治天皇御駐輦之地」の石碑がありました😊
この後も引き続き本丸をめぐってゆきます😊