引き続きこんちゃんが盛岡城跡からお送りします😊
前回三ノ丸跡から二ノ丸へ向かう所でしたが、こちらが虎口の出口側です😌
ここに車御門(二階門)があったみたいです😊
盛岡城跡公園散策GUIDE MAPの御門跡に「二階門」と書かれている所がありますが、これはいわゆる「櫓門」のことでしょうか?😌
盛岡城は、内曲輪の入口からいくつもの櫓門を通って本丸へ向かわないといけなかったのですね😃
二ノ丸跡です😊
御中之丸御殿や大書院が建っていたそうです😌
脇櫓跡の石垣の上から二ノ丸を眺めました😃
二ノ丸は公園整備の際に造成されたため、現在は同一平坦面になっていますが、藩政時代には南東部が2mほど高くなっており、その上に大書院と呼ばれる御殿があったそうです😌
奥へゆくと、二ノ丸と本丸を隔てる堀切がありました😊
そして堀切を橋でつないでいました😃
二ノ丸から本丸へ登るには朱塗りの橋(渡雲橋)を渡るのですね😌
ここにお城時代に架けられていた橋は御廊下橋といわれ、屋根の付いた他に類を見ない三重構造の橋だったそうです😌
二ノ丸の御殿から直接、御本丸御殿へ上がることができたそうです😊
それでは御本丸跡へ向かいましょう😃
御本丸跡です😊
御本丸跡の真ん中には、南部中尉銅像台座が残っています😌
御本丸跡にも門跡がありました😃
本丸御門(二階門)跡です😊
こちらの石垣も立派ですねぇ😌
こちら天守閣跡です😊
白壁造りの三重天守閣が建っていたそうです😌
天守閣跡から見える下の曲輪は、腰曲輪跡みたいです😊
行ってみましょう😌
御本丸跡の真下にある腰曲輪跡です😊
「腰曲輪」と刻まれた石碑がありましたので乗らせていただきました😌南西隅にあるのは三社跡の四阿です😊
隅櫓跡でもあるようです😌
そしてその横には虎口があります😊
吹上御門跡です😌
隅櫓跡から吹上御門跡とそれに続く坂道を眺めました😊
こちらから二ノ丸の下へ向かって下りて行けるのですね😌
本丸南西部の石垣です😊
発掘調査の結果、石垣は築城当初から構築されていましたが、元和年間(17世紀前半)以降の本丸を拡張するため、築城期の石垣を覆い隠すように構築されていることが確認されたそうです😌
さらに藩政時代の記録によると、この部分の石垣は地震によって傷んだため、元禄16年(1703年)と宝永2年(1705年)に石垣の修復を幕府に届け出ており、宝永3、4年(1706、1707年)に工事が完成していることが記されているそうです😌
この部分の石垣は、鑿加工により石材が整形されており、本丸の他の部分に比べ規格が揃っているそうです😊
こちらの石垣がとてもきれいなのは、石垣の技術が進んでから、修復されたものだったからなんですね😃
吹上御門跡から二ノ丸方面を見ています😊
二ノ丸へ戻ってゆくのもよかったのですが、今回は坂を下りていってみました😌
最後に西側から二ノ丸の石垣を見上げました😌
盛岡城は本丸、二ノ丸、三ノ丸、本丸腰曲輪の長大な城壁を全て石垣で築いており、その石垣の量は東北地方では突出しているそうです😃
石垣は盛岡産の花崗岩で築かれているそうなので、地元で大量に調達することができたからなのでしょうか😌
東北ではなかなか見られない石垣造りのお城でした😊
今回はここで終わりです😌
しかし、まだめぐれていない部分がたくさんあります😊
それはまた次回のお楽しみにとっておきます😌
お城めぐりは何度訪れても楽しいですし、その度に新しく気付けることもありますからね😃
それではまた次のお城めぐりでお会いしましょう😊
こんちゃんがお送りしました😌