こんにちはこんちゃんです😊
1県スペシャル「岩手県」、最初のお城めぐりは、国指定史跡 盛岡城跡から始めたいと思います😃
盛岡城は、三戸から不来方に居城の移転を決定した南部信直(盛岡藩初代藩主)が、慶長2年(1597年)に嫡子利直(2代藩主)を総奉行として、築城を始めたと伝えられ、翌慶長3年(1598年)の正式許可の後、築城工事が本格的に進められたお城なんだそうです😌
それでは始めましょう😊
第130回こんちゃんのお城めぐり「盛岡城跡」です🏯
こちらの説明板を参考にして、お城をめぐりましょう😊
城の縄張りは、豊富家重臣の浅野長政の助言によるものといわれ、北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵に本丸、二ノ丸、腰曲輪などを配し、それぞれに雄大な石垣を構築して内曲輪(御城内)としているそうです😌
内曲輪の北側は起伏の激しかった現在の内丸地域を平坦にして堀で囲み、南部氏一族や藩の家臣たちの屋敷を配置して外曲輪としたそうです😌
ここがその場所のようです😊
看板の後に見えるのが、内堀跡の鶴ヶ池で、
反対側にも、亀ヶ池とゆう名前の内堀跡がありました😌
「巖手公園」碑です😊
反対側にも、亀ヶ池とゆう名前の内堀跡がありました😌
「巖手公園」碑です😊
明治39年9月15日開園と刻まれているそうです😌
この一画は、現在お店が並んでいますが、お城時代はこの辺りに綱門とゆう門があり、盛岡城内曲輪の入口はここであったそうです😃
まっすぐ進んでゆくと、櫻山神社があります😊
この一画は、現在お店が並んでいますが、お城時代はこの辺りに綱門とゆう門があり、盛岡城内曲輪の入口はここであったそうです😃
まっすぐ進んでゆくと、櫻山神社があります😊
この櫻山神社神門は、綱門の木材で作られたと伝えられているそうです😌
櫻山神社へお参りしてから右手にそれると、お城の石垣が見えてきました😃
櫻山神社へお参りしてから右手にそれると、お城の石垣が見えてきました😃
しかし、工事中で、通り抜けすることが出来ませんでした😞
令和6年11月30日まで、石垣修復工事をするそうです😌
後世に残すためには必要な事だと思います😊
登城ルートとしては、この辺りが鳩御門(二階門)跡で、石垣が残っているのが、瓦御門(二階門)跡、そこを過ぎると三の丸跡になります😊
しかし、こちらから登城出来ませんので、違う道を探しましょう😌
櫻山神社の左手側から、本丸を目指すことにしました😊
こちら側には、もりおか歴史文化館があり、ぺろ氏とよっち氏の用事が済むまで待たされました😞
さぁそれでは、お城めぐり再開です😃
さぁそれでは、お城めぐり再開です😃
櫻山神社左手のこの水路は最初入り口で見た鶴ヶ池と同じ内堀跡だったんですね😊
つながっていたとは気づきませんでした😌
通路を抜けるといきなり大量の石材が並べられていました😲
これは、先程工事中だった、三ノ丸北西部石垣の石のようです😌
通路を抜けるといきなり大量の石材が並べられていました😲
これは、先程工事中だった、三ノ丸北西部石垣の石のようです😌
古い矢穴の跡が素敵です😃
こちらの場所は、三ノ丸下台所屋敷跡なんだそうです😊
こちらの場所は、三ノ丸下台所屋敷跡なんだそうです😊
現在は多目的広場とゆうそうです😌
ここから、二ノ丸、本丸の石垣がよく見えました😃
二ノ丸の石垣には、石垣の崩壊を押える「はばき石垣」とゆうものも見えていました😊
それでは、こちらから三ノ丸へ向かってみましょう😊
それでは、こちらから三ノ丸へ向かってみましょう😊
ワタシがご案内します❗タッタッタッ🐾
二ノ丸の石垣を「はばき石垣」で押えているのが、横から見れました😌
少し高い場所から、並べられている石材と、ぐり石の山を見ました😊
二ノ丸の石垣を「はばき石垣」で押えているのが、横から見れました😌
少し高い場所から、並べられている石材と、ぐり石の山を見ました😊
これは壮観ですねぇ😃
ほんの一部分の修復だけでこんなに大量の石材が使われているなんて、改めて石垣とは凄いものなのだなぁと感じました😌
そして通り抜け出来なかった反対側へ到着です😊
そして通り抜け出来なかった反対側へ到着です😊
瓦御門(二階門)跡です😌
きれいな虎口が残っています😃
三ノ丸から見た、二の丸の外側の石垣です😊
三ノ丸から見た、二の丸の外側の石垣です😊
盛岡城内で一番高さのある石垣で約14mあるそうです😌
なかなかの高石垣ですね😃
三ノ丸から二ノ丸へ向かいましょう😊
三ノ丸から二ノ丸へ向かいましょう😊
こちらは車御門(二階門)跡になります😌
こちらの虎口もしっかり残っていました😃
続きます😊
続きます😊