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昭和20年後半30年頃の原田太郎

おはようございます。

神奈川県愛甲郡愛川町は今日もところどころちぎれた白い雲青い空から太陽が。
夏日がもどりそうですが朝のうちは片麻痺にはヒンヤリ感じます。

脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半片麻痺自助具の楽々歯磨きコップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。

2009年5月22日より掲載原田太郎の義と仁の人生小さな武勇伝と出来事などの部です。

【ガキの武勇伝Vol.10】

<昭和20年後半30年頃>

昭和20年後半の小5の頃はチビで身体もあまり丈夫でなくて、直ぐに熱を出したり下したりでした。

母親の一番上の姉(叔母さん)の同じ町の嫁ぎ先の家業は新聞屋さんで伯父さんは消防団長など後には町会議員もしていて子供にはちょいと怖い威厳があって存在感のある伯父さんでした。

そこのおばさんの家では山羊を飼っていて、かわいがってくれた優しい叔母さんは身体の弱い甥っ子のためにと毎朝山羊の乳を搾って、サイダービンに詰めて同い年の娘(従姉妹)に学校へ持たせてくれて毎日学校でその従姉妹が恥ずかしそうに手渡してくれましたが本人は当時大変恥ずかしかったようですがおかげさまで身体も丈夫になったこととのちのち背が伸びたことは確かです。

この従姉妹(従兄弟)はうえに兄二人姉二人下にに妹二人の大家族で、兄弟のいない私はは泊りがけでよく遊びに行ったものです。

叔母さんは4斗樽に良く漬物、大根や高菜を漬けるのが上手で町でも有名でした。

漬けものづくりの名人でもあり、来客のお茶請けに必ずといっていいほどこの美味しい漬物が器に盛って出てきたのを覚えています。

またここのお茶の美味いのなんのって、おすそわけで漬物とお茶を頂くのが大好きで、「太郎ちゃんはとしよりみたいね~」といわれたものです。

小5のときに山羊の乳を学校へ届けてくれた従姉妹は田舎の同じ町で嫁ぎ、いまでも美味しいお茶と田舎の名物十夜飴などを送ってくれます。

年のず~ッと上の従兄弟の兄の二人とも小さな弟みたいに後々大きくなるまで良く面倒見てくれましたし私が東京へ出てからも父親や母親のことを従姉妹全員で何かと影に日向に支援してくれたことにはいつも感謝しています。

惜しくも今はうえの二人の兄貴はなくなりましたが実の兄貴のように心にしっかりしまってあり二人の義理の姉と同い年の従姉妹に今も世話になっています。

今ではそれぞれ子供に代替わりしていて立派に事業をついでいたり、独立したり、町の行政に携わったりしています。

今の若い人は随分としっかりしているとおもいます。

さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。

歯磨きはしっかり続けましょう。

片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup

脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。

リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。

あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。

脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。

そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。

福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。

【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。

【編集後記】
子供の頃の事って決行覚えているものですよね。

一日前の食事は何だったっけ~と直ぐに忘れてしまうのに不思議ですよね。

さて今日もホームページとインターネットショップの手直しや追加をします。

脳ミソが錆び付かないように頑張らなくっちゃ~です。

不定期のメルマガも少しづつペースを上げなくっちゃ~です。

し~ゆ~

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