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昭和50年ゴロのやり甲斐!希望・信念!

おはようございます。
神奈川県愛川町は曇りですが予報ではあつくなるそうです。

脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。

2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事の自分史です。

【ガキの武勇伝Vol.31】

<昭和50年ゴロのやり甲斐!希望・信念!>

藤沢へはいうなればデモドリであり主任当時の従業員もほとんどいてくれたし皆は仲間がもどってきたと喜んでくれたが同僚であっても営業所の所長としての本文は遂行しなければならないことは当然でした。

赴任当時業績はどん底状態で何としても業績を浮上させねばいけない事と,残業管理などマネージメントの部分がかなり改善の必要がありました。

そんな事で心を鬼にして日々の管理コントロール厳しくした事で、組合の分会長はじめ従業員がかなり反発して不満が大きくなりました。

反発や不満の原因は自分の損得から出ているものです。
赴任して直ぐころには職場の雰囲気を変えるためのエネルギー消費で自律神経をやられたほどでした。

神経戦の戦いです。

業績が上がっていないのに月々の経費は業績花盛りのときのままです。

早い話が仕事の量に見合った勤務計画を立て,最初は窮屈であっても厳しさをしってもらうために,それに皆が月々の給料のが増える為にはしごとを増やす事のこの1点ですよと、毎日の朝礼昼礼には30分かけて説明。

なぜこうするのかの「目標」「目的」「なぜそうせねばならないか!」をはっきり述べて「一つの目標」のために全員の力を結集すれば必ず結果がついてくことを
毎日話し続けました。

最初のうちは露骨に反発したり渋々仕事をしたりの職場の雰囲気でしたが徐々に変わってきました。

所長としての自分の損得ではありませんので皆に通じ賛同してくれたんです。


仕事を開拓するのは営業マンだけではなくドライバー一人ひとりも営業マンであることの自覚が出てきて,其の効果が見え始めると目の色が違ってきて日々の仕事に輝きが出てきました。

昭和50年当時は会社で「ZD運動」を取り入れ(トヨタの看板方式に多少にています)
「ZD運動」の基本は人間は間違いを起こすものであり其の間違いの原因分析対策をどうすればよいかなどグループごとに別れ効果を挙げていく方法です。

仕事もスポーツも全員が一つのチームになったとき効果は予想以上に相乗効果を挙げるものです。

業績はぐんぐん伸びる事故は無くなる。仕事が楽しくて会社に出てくることが喜びとなる。

良いことづくめです。


藤沢4年間の勤務中仕事が大幅に増えたことで仕事の環境充実をして欲しいと従業員の要望で施設の拡張を図る事になり、増改築をしました。

4年目を迎えるころ,目標も達成できてちょいとゆっくりできるカナと思ったとき隣の平塚へ転勤の事例です。

続きは又明日、、、、、。


さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。

歯磨きはしっかり続けましょう。

片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup

脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。

リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。

あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。

脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。

そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。

福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。

【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。

【片麻痺ゲンさんのあとがき】
藤沢での4年間は営業所を管轄する川崎支店長の支持のもと大変良いムードで神奈川県内業績が上がったようです。

リーダー次第で部下は良くも悪くもなるの見本みたいでした。

平塚ではそれなりの苦労がはじまることに、、、、、。


平塚の従業員の間ではとんでもない厳しい所長が移動してくると相当身構えていたようです。

し~ゆ~

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