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昭和30年代後半貧乏学生の恋、唯一の宝物

おはようございます。

神奈川県愛甲郡愛川町は朝から雨です。梅雨の前線が北上しているようですね。

脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半片麻痺自助具の楽々歯磨きコップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。

2009年5月22日より掲載原田太郎の義と仁の人生小さな武勇伝と出来事などの部です。

【ガキの武勇伝Vol.13】


昭和35~39年年後半貧乏学生の助っ人は何といっても日本育英会の毎月3000円の奨学金であった。
当時の一日のアルバイトで一日300円代が一般的でした。
ショートホープ・ピースが40円コーヒーが60円多分コノくらいの値段だったかと銭湯が15円ぐらいかな~。

唄は「黒い花びら」「上を向いて歩こう」「高校三年生」「スーダラ節」「赤いハンカチ」「いつでも夢を」などが流行っていた。

貧乏学生にも若いトキメク恋心はあって下宿の娘に恋心をいだいたり、同じ育英会の奨学生にとか、喫茶店の娘、デパートガールだったり、だったが公園を散歩したりがせいぜいで手さえ握れなかった今では考えられない純情可憐な???な貧乏学生だった。

ほぼ?振られました~。

唯一遠くはなれた同い年の従姉妹との福岡と大阪の三日に一度の文通は卒業する頃は蜜柑箱の段ボール箱一杯になっていて、唯一の宝物でした。

大学4年のとき大阪に就職したくて、今で言うところの就職活動で長姉のところに泊めてもらいましたが監視の目は厳しくて~、、、、、。

福岡の下宿に帰るとき従姉妹が梅田の駅まで送ってくれるというときもそれさえも駄目ダシが出たぐらいでしたから。


大阪に就職できたものの研修中人事の希望欄に大阪京都神戸と歌の文句みたいに希望するも会社の辞令は川崎でした。

一週間食事が取れず、仲間に慰められた事もありましたっけね。
仲間はその理由を知る由もアリマセンガね。

また、川崎と大阪の文通です。

三親等以内ですから結婚は許されません。
当然故郷の親たち周囲にも文通の件は知れ渡り、包囲網が張られていたように後々聞かされました。


続きはまた、明日、、、、、、。

さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。

歯磨きはしっかり続けましょう。

片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup

脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。

リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。

あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。

脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。

そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。

福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。

【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。

【編集後記】

外は雨ですが今日も厚木市情報プラザに教えを請いに出かけます。

終わったらパラリンコップの注文を届けに平塚に。

し~ゆ~











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