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昭和39年つかの間の喜びも淡くはかなく

おはようございます。

神奈川県愛甲郡愛川町は今日も朝から雨です。
もうまもなく本格的に梅雨前線が日本列島にやってきますね。

脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半片麻痺自助具の楽々歯磨きコップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。

2009年5月22日より掲載原田太郎の義と仁の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながらの記憶のランダム綴り方出来事などの部です。

【ガキの武勇伝Vol.14】
<昭和39年つかの間の喜び淡くはかなく>

昭和39年当時は就職困難でどこでも会社と名のつくところに合格すれば大学側も良しとした時代、大阪の会社に就職が前年7月に就職活動始めの時期にはきまっていた。

大阪の会社へ入社するまでの8ヶ月、心は「大学時代の文通が実を結んで逢えるという嬉しさ喜びと希望いっぱいワクワクの日々に満ちたより充実した文通の8ヶ月」でした。

逢えるという喜びで4月の入社で大阪へ。研修期間の2週間は寮生活で缶詰。
後々わかったことだが研修途中勤務地の形式だけの希望を取ってくれた。

研修半ばを過ぎる頃勤務地の発表があり、当時公害で川崎と四日市が有名だったが何と川崎に任じられた。

コレは社会人一年生の始めの自分にとって大事件であった。
希望は大阪神戸京都としたのに何の断りもなく最もいきたくない勤務地である事、それよりも好きな人と逢える喜びや夢を打ち砕かれ引き裂かれるとおもうと社会人タマゴの一年生には厳し過ぎたんです。

それからというもの研修が終っても食事がが喉を通らなくて、入社動機の仲間は「原田よ~、飯食わなからだもたんで~」と毎日励ましてくれたほどでした。

勿論仲間は任地の公害の町川崎が食欲不振の原因だと思っていたようです。

それより何より喜びと夢が叶うとおもった矢先の見事に砕かれた事への失望感、抜け殻、え~い!どうでも成りやがれと、任地川崎へ出発の朝寮の3階のベランダから赤だまのフトン袋を地面へ投げたら見事に破裂して補修にサンザンでした。

続きはまた、明日、、、、、、。

さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。

歯磨きはしっかり続けましょう。

片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup

脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。

リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。

あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。

脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。

そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。

福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。

【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。

【編集後記】
昭和39年といえば東京オリンピック東海道新幹線開通、お座敷小唄、あんこ椿は恋の花、

最近デスクトップのUSBメモリーの差し込むグチの調子が悪くデータを美味く取り込めなくて裏側の差込口からつなぎのケーブルでつなげましたが片手での差し込みと抜き出しは不便なものです。

PCも6年になりますのでボチボチ交換のときかも~、、、、、。

し~ゆ~







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