波乱万丈も本格的に悪名は東京まで
おはようございます。
神奈川県愛川町は雨です。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.29】
<最低の設備施設からの脱却と移転計画>
波乱万丈も本格的に悪名は東京まで聞こえてきたそうです。
相模原勤務時代の上司の所長が心配して豊川まで訪ねてきてくれて,
「原田君は福岡の支店長の机をひっくりかえしたんだって~関東では大評判だよ」
「いえいえ、、机を10センチ移動しただけです」と事情を説明したら、なんだ~そんな事だったのか~「皆は原田君だったらやりそうなことだとって言ってたんだよ~」と大笑いでした。
なにせ,藤沢営業所時代の営業主任から福岡支店の営業課長代理というのは昭和45年当時,東京大阪名古屋福岡は4大支店といわれた重要な拠点の支店だったわけで周りから見たらとんでもない出世だったようですが自分ではそれほど意識はありませんでした。
その福岡から豊川の営業所はおそらく東京から九州までの全営業所の中で,もっとも小さい規模も設備もお粗末なところへの転勤ですからきっと上の人間は逆らうとこうなるんだ~と見せしめにしたんでしょうけどこちらはせいせいしていて歯牙にもかけていませんでした。
これではここで仕事をする従業員もやる気が出ないだろうし将来的発展はないだろうと高速道路のインターチェンジ脇の長距離トラック用の広い土地に移転するべく
支店や本社にも交渉し,移転が決定しました。
決定したところで,神奈川県の厚木ターミナル営業所次長に降格となり又転勤です。
理由は簡単です。相変わらず、身の保身をする支店の管理職に徹底的に逆らったからです。
この豊川での勤務は一年8ヶ月ほどでした。
所長なんてのは直ぐ移動するわけで従業員はよほどの事情がない限り転勤はありえないわけで従業員の職場環境を良くることに徹しました。
豊川営業所では右腕の業務主任の家庭の事情を優先し、
交代要員なきまま移動希望をかなえてやったり、人で不足の時代大変な決断でした。
この業務主任は仕事のできる人間でしたが前任者の影響が強かったせいか私には反発ばかりしていました。
それでも坊主と袈裟を一緒にすることはしませんでした。
会社にとって優秀な人間はきちんと評価するべきでいくら逆らってこようとも上司の好き嫌いの問題ではありませんから。
転勤した後何年も経ったころ,私の従業員に対する真の気持ちがわかってくれたみたいで私の下で仕事をしたいので呼び寄せて欲しいといってきたほどでした。
自分のやってきた事が間違いなかったんだと嬉しくもありました。
続きは又明日、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
会社は従業員あっての会社従業員は会社あっての従業員です。
部下の評価は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の理屈でやってはいけないと思っています。
自分が上司に受けた仕打ちで嫌だった事は絶対に部下にしないというのが原田太郎の信条です。
これは娘が生まれたときから自分が子供のときに親は良いと思っていても子供の立場からは嫌だった事は自分の娘にしない、これも守りました。
其の都度理由を理解できるまで説明する事にしました。
し~ゆ~
神奈川県愛川町は雨です。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.29】
<最低の設備施設からの脱却と移転計画>
波乱万丈も本格的に悪名は東京まで聞こえてきたそうです。
相模原勤務時代の上司の所長が心配して豊川まで訪ねてきてくれて,
「原田君は福岡の支店長の机をひっくりかえしたんだって~関東では大評判だよ」
「いえいえ、、机を10センチ移動しただけです」と事情を説明したら、なんだ~そんな事だったのか~「皆は原田君だったらやりそうなことだとって言ってたんだよ~」と大笑いでした。
なにせ,藤沢営業所時代の営業主任から福岡支店の営業課長代理というのは昭和45年当時,東京大阪名古屋福岡は4大支店といわれた重要な拠点の支店だったわけで周りから見たらとんでもない出世だったようですが自分ではそれほど意識はありませんでした。
その福岡から豊川の営業所はおそらく東京から九州までの全営業所の中で,もっとも小さい規模も設備もお粗末なところへの転勤ですからきっと上の人間は逆らうとこうなるんだ~と見せしめにしたんでしょうけどこちらはせいせいしていて歯牙にもかけていませんでした。
これではここで仕事をする従業員もやる気が出ないだろうし将来的発展はないだろうと高速道路のインターチェンジ脇の長距離トラック用の広い土地に移転するべく
支店や本社にも交渉し,移転が決定しました。
決定したところで,神奈川県の厚木ターミナル営業所次長に降格となり又転勤です。
理由は簡単です。相変わらず、身の保身をする支店の管理職に徹底的に逆らったからです。
この豊川での勤務は一年8ヶ月ほどでした。
所長なんてのは直ぐ移動するわけで従業員はよほどの事情がない限り転勤はありえないわけで従業員の職場環境を良くることに徹しました。
豊川営業所では右腕の業務主任の家庭の事情を優先し、
交代要員なきまま移動希望をかなえてやったり、人で不足の時代大変な決断でした。
この業務主任は仕事のできる人間でしたが前任者の影響が強かったせいか私には反発ばかりしていました。
それでも坊主と袈裟を一緒にすることはしませんでした。
会社にとって優秀な人間はきちんと評価するべきでいくら逆らってこようとも上司の好き嫌いの問題ではありませんから。
転勤した後何年も経ったころ,私の従業員に対する真の気持ちがわかってくれたみたいで私の下で仕事をしたいので呼び寄せて欲しいといってきたほどでした。
自分のやってきた事が間違いなかったんだと嬉しくもありました。
続きは又明日、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
会社は従業員あっての会社従業員は会社あっての従業員です。
部下の評価は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の理屈でやってはいけないと思っています。
自分が上司に受けた仕打ちで嫌だった事は絶対に部下にしないというのが原田太郎の信条です。
これは娘が生まれたときから自分が子供のときに親は良いと思っていても子供の立場からは嫌だった事は自分の娘にしない、これも守りました。
其の都度理由を理解できるまで説明する事にしました。
し~ゆ~
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