湘南平塚での約4年勤務・やはり波乱万丈
おはようございます。
神奈川県愛川町は曇りで避暑地を思わせる涼しさです。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺の生活自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事の自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.32】
<湘南平塚での約4年勤務>
前任地の藤沢でも営業所内草野球チームを作って休日には近隣の営業所と親善試合を楽しんだものです。
新任地の平塚営業所の草野球チームは強いほうのレベルにあり、メンバーにいれてもらい毎週の休日を楽しんだものです。
野球の後の反省会と称するする乾杯ビールの美味しかった事。
物流会社としての仕事環境は土地面積も狭く片面ホームで劣悪なほうでした。
大きな営業成績の目標をクリアーすることで施設の増改築の許可を本社から取り付けました。
所員一丸となって目標をクリアして、隣の地主さんと交渉して借受け土地面積が約2倍ほど使用可能となり、増改築をし両面プラットホームに作業環境がよくする事ができました。
管轄支店が川崎から厚木支店に変わり、仕事を進めるにあたっては比較的順調でした。
営業所長会議ではいつも叱られ役でしたが信頼関係に基づいた「あうん」の呼吸でした。
昭和52年私が37歳のとき九州にいる父親が胃ガンで入院10日ほどであっけなく逝ってしまった時はショックでした。
上司が東京へ移動になり、新任の支店長が何と豊川時代ケンカした管轄支店の課長がやってきたんです。
やがてじわりじわりと何かに付けて、、、、、言うまでもありませんでした。
40歳目前にして親父の分もと一人残した九州の母親と一緒に住みたいと,小さいながらも戸建ての家を作ることにして骨組みが出来たころでした。
上司である支店長から「あんた家を建て始めたんだったね言う事を聞かなければ北日本方面に転勤させますよ」といわれ「やれるものならやってみろい」といって電話をガチャンと切ってしまいました。
しばらく鳴りを潜めていたケンカ太郎の虫が出たんです。
多分これが原因でしょうが昭和54年7月夏の休日の或る日、しかも午後遅くに突然に転勤命令、内示も何もなし、本社で2週間超ハードなカンズメ研修、家にもそれまでの職場にも連絡とれずじまい。
本社の営業課長は「リフレッシュしてこい」とあとでいわれたぐらいですからまたまた悪評がたっていたんでしょうね。
営業所の所員は所長が行方不明になったと一時大騒ぎだったようです。
続きは又明日、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
一昨日から腰痛がひどくベットへの寝起きも大変でした。
仕事柄ギックリ腰は昔何度もやっていますが今回は腰に鉛を背負ったような感覚で鈍痛もあります。
いつもの事ですが医者には行かず、日々のストレッチをしながら生活の中で直すつもりです。
しばらくサボっていたストレッチを再開します。
ストレッチをサボるとテキメンから打破正直です。特に片麻痺になってからはです。
し~ゆ~
神奈川県愛川町は曇りで避暑地を思わせる涼しさです。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺の生活自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事の自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.32】
<湘南平塚での約4年勤務>
前任地の藤沢でも営業所内草野球チームを作って休日には近隣の営業所と親善試合を楽しんだものです。
新任地の平塚営業所の草野球チームは強いほうのレベルにあり、メンバーにいれてもらい毎週の休日を楽しんだものです。
野球の後の反省会と称するする乾杯ビールの美味しかった事。
物流会社としての仕事環境は土地面積も狭く片面ホームで劣悪なほうでした。
大きな営業成績の目標をクリアーすることで施設の増改築の許可を本社から取り付けました。
所員一丸となって目標をクリアして、隣の地主さんと交渉して借受け土地面積が約2倍ほど使用可能となり、増改築をし両面プラットホームに作業環境がよくする事ができました。
管轄支店が川崎から厚木支店に変わり、仕事を進めるにあたっては比較的順調でした。
営業所長会議ではいつも叱られ役でしたが信頼関係に基づいた「あうん」の呼吸でした。
昭和52年私が37歳のとき九州にいる父親が胃ガンで入院10日ほどであっけなく逝ってしまった時はショックでした。
上司が東京へ移動になり、新任の支店長が何と豊川時代ケンカした管轄支店の課長がやってきたんです。
やがてじわりじわりと何かに付けて、、、、、言うまでもありませんでした。
40歳目前にして親父の分もと一人残した九州の母親と一緒に住みたいと,小さいながらも戸建ての家を作ることにして骨組みが出来たころでした。
上司である支店長から「あんた家を建て始めたんだったね言う事を聞かなければ北日本方面に転勤させますよ」といわれ「やれるものならやってみろい」といって電話をガチャンと切ってしまいました。
しばらく鳴りを潜めていたケンカ太郎の虫が出たんです。
多分これが原因でしょうが昭和54年7月夏の休日の或る日、しかも午後遅くに突然に転勤命令、内示も何もなし、本社で2週間超ハードなカンズメ研修、家にもそれまでの職場にも連絡とれずじまい。
本社の営業課長は「リフレッシュしてこい」とあとでいわれたぐらいですからまたまた悪評がたっていたんでしょうね。
営業所の所員は所長が行方不明になったと一時大騒ぎだったようです。
続きは又明日、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
一昨日から腰痛がひどくベットへの寝起きも大変でした。
仕事柄ギックリ腰は昔何度もやっていますが今回は腰に鉛を背負ったような感覚で鈍痛もあります。
いつもの事ですが医者には行かず、日々のストレッチをしながら生活の中で直すつもりです。
しばらくサボっていたストレッチを再開します。
ストレッチをサボるとテキメンから打破正直です。特に片麻痺になってからはです。
し~ゆ~
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