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昭和39年入社して直ぐに水が変われば体調も変化



▲もう直ぐ父の日片麻痺片手で歯磨き苦労していませんか?

楽々パラリンコップ


おはようございます。

神奈川県愛甲郡愛川町は雨です。

脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半片麻痺自助具の楽々歯磨きコップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。

2009年5月22日より掲載原田太郎の義と仁の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながらの記憶をたどりランダムな綴り方出来事などの部です。

【ガキの武勇伝Vol.16】
<水が変われば体調も変化>
昭和39年といえば東海道新幹線開通、東京オリンピック、東京五輪音頭、あんこ椿は恋の花、お座敷小唄、などなど。

水が変わったせいか入社後のめまぐるしい社会人一年生は環境に馴染むにも相当な神経をすり減らしたようにおもう。

学生時代ののんびりムードとは一変したんだから。

会社の食堂の朝定食には食べるものが無くて辟易しました。

なんてったって納豆の匂いははじめてだし、納豆が朝の定番など知る良しもありません。
朝亭の定番は豆腐とおきゅうと、味噌汁、アジの開き、でしょうと。


この納豆の匂いだけで食欲減退。(今は大好物ですけどね)


納豆と関係アリマセンガ或る日突然、ボールぺんの芯ほどの小さな外痔核がお尻に出現。

はじめての事とてあわてましたよ。偶然タクシーの運転手に聞いて品川のボーリング場裏の痔の専門病院にいって日帰り手術、T字体をして帰りの電車は釣り側に掴まって線路の継ぎ目のガタンの響きがが痔への術後の傷にずきんずきんと来て、冷やせものでした。

入院などせずにクスリの付け替えを寮のベッドで日に三回自分でして、2週間の痛みに耐えて、仕事は内勤にしてもらって、それでもまともに椅子に座れなくて、お知りを浮かすようにして事務作業をしたものです。

入社後半年も経った頃先輩が営業に連れ出してくれてどこへ行くかと思えば
多摩川を渡って大田区のお客に行く名目で朝からスマートボール屋さんです。

あるとき課長に尾行されて慌てて逃げましたが遅かったみたい、帰社したら先輩はお目玉、こちらは新入社員ということでお咎めなし。

先輩達はなんだかんだでサボるのは上手のようでした。

見本がよかったせいか?先々サボり上手になっていったのは当然の成り行きですよね(^v^)

ではまた明日、、、、。

さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。

歯磨きはしっかり続けましょう。

片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup

脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。

リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。

あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。

脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。

そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。

福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。

【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。

【編集後記】
昭和39年ゴロから重厚長大で経済発展するころで大量輸送に総てが向いていて
小さな個人の荷物など見向きも去れない時代でした。

運輸省の認可運賃表などは無いに等しく、あるとき荷主に運賃認可の話をしたら、
顔洗って出直して来いと言われ、「運賃は荷主がきめるんだ!」と。

バスや電車と違い、トラックは典型的な社会的隷属産業である事を思い知らされました。

し~ゆ~










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