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ロマンス,結婚に邪魔が

梅雨が到来しました。今日は中休みってとこの神奈川県愛甲郡愛川町は湿っぽい天気で雲の様子がすっかり暑い雲に覆われてます。

脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺自助具の楽々歯磨きコップを開発したロマンシニアの原田太郎が元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。

2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方出来事などの部です。

【ガキの武勇伝Vol.20】

<ロマンス,結婚に邪魔が>

昭和40年当時の年齢は25歳,結婚願望が強かった。
無口な女性とあけっぴろげな男ととの出会いもこれも運命かなと少しずつ恋心が芽生えやがて結婚したいと玉川の貸しボートのオールを漕ぎながらプロポーズ。
「神に誓って」といったら「新聞神(紙)」にですか?と大笑い。

このときの貯金通帳は初月給をもらった一年目にはじめて口座を創り1,000円ポッチでした。給料の1/20です。

後で聞いた話ですが結婚申し込むからには少しはためてるだろうと思ったらしい。

なのでこれから貯金するので三年待って欲しいと頼んだんです。

毎月給料の約半分の1万円です。(まさか転勤になるとは夢想だにしていません)

九州の両親にも結婚したい旨手紙を出した。

両親にしてみれば一人息子の嫁というのに両親なりの思い描くものがあったに違いないんですよね。

年末年始の帰省のおり、両親に紹介したいと言ったら、駄目だと一人で帰ってこいと。

このころは毎日飲みまわっていたことが東京にいる従姉妹から田舎の両親に噂で伝わり、とんでもないのをつれてくるんではないかと思ったらしいんです。

こうなると両親の思いを覆すのが大変困難。

何度手紙で説得しても無理となり最後は一人息子でも勘当ということになり40年末の帰省はやむなく一人で。

苦い帰省となって平行線。

その後手紙で説得するもOKの返事はもらえないどころか結婚式あげることになったら出席しないと。

頑固な父親、そういうこちらも言い出したら聞かない性格、親譲りですよね(^_-)

41年の年末転勤の辞令が出て決断のときが来るのです。

続きはまた明日、、、、、。

さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺・良か婆の生活リハビリを頑張りましょう
心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。

歯磨きはしっかり続けましょう。

片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup

脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。

リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。

あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。

脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。

そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。

福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~

【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。

【片麻痺ゲンさんのあとがき】

義と仁の原田太郎の人生ははちゃめちゃの人生を歩く事になるんですが
其のとき其の時は自分の気持ちに正直に本人は至って一直線?です。

ただいえることは結婚は両親にも祝福される事が大切でありでなければ後々、長きに渡り嫁に辛い思いをさせる事になるということです。

し~ゆ~







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