世論が教育と事件の化合物であるように、事件は性格と境遇の化合物である。
したがって、大衆にある世論を形成させたければ、前もってこうゆう世界にしたいと言う計画を立てて、そのように子供を教育すればいい。
そしておもむろに事件を発生させる。
ある一定の性格者向けに、メディアで感情操作番組を垂れ流す。
そうすると感情的になったカモが引っかかって、感情的になり、事件を起こす。
そして首尾よく事件が起きたら、ある意図に沿って構成された番組をじゃんじゃん放送することによって、世論を形成するのである。
世論ができたら、それに従った形で法制を整備し、政策を推進するのである。
さて、こんな手筋も考えられる。
政府の諜報部員が事件を起こし、近所の鼻つまみ者に濡れ衣を着せて逮捕し、これを処刑することである。
そのカッコ付きの犯人の身柄は政府が握っている。
そこでどんな拷問取り調べが行われているかわからない。
そして括弧付きの自白が出て、鼻つまみ者は処刑され、一件落着。
もちろんそれと並行して、おとなしい鼻つまみ者が近所のやかましい有閑階級の人間サンドバックになるのだ。
まさに当局のやりたい放題である。
まあ、これぐらいにしておこう。
物事を疑い始めたら、きりがないから。
以上、いけもと。