死んだ後極楽浄土にいくよりかは、お釈迦様のように、生きているうちに、
「ごらんこの世は美しい、生きることとは甘美なものだ。」
という悟りにたどり着きたい。
生きることを肯定し、この世界が素晴らしいものだという悟り。
これ以上の悟りがあるだろうか?
これこそ、無上等正覚であろう。と、いけもとは考える。
その悟りに至らせるための方便が、種々の経典らしい。
お釈迦様は若いうちは一大厭世主義者だったが、死ぬ三ヶ月前になって、阿難尊者に上の言葉を語ったそうだ。
確かにそうだ。
若い頃に釈迦のように厭世主義者になって、生きることを楽しまないで、この世の楽しみを全否定して、死ぬ間際になって後悔したって遅いんだ。
さてと、今日からικμτも生きることを楽しもう。
生きることを楽しむことに罪悪感を持って生きてきた今までのικμτは、思想的変質者だったと自己批判する。
そんな陰キャとは、誰も付き合いたくないだろう。
そんなことを思ったικμτだった。