健常者の話題はころころ変わる。
メンタル疾患の患者も話題はころころ変わるのであるが、つきあいがディープになると、話の主題が一つになる。
患者の周りにいる人は、似たような人が多い。
そして患者の原始精神外傷を与えた人と似たような人物と似たような人間関係を結んで原始精神外傷事件を繰り返し起こし、その事件をきっかけとして、原始精神外傷を乗り越えようと試みる。
が、この試みは滅多に成功しない。
なぜなら述語が似ているだけであり、主語は違うからである。
もちろんこのからくりは、患者も巻き込まれている人も無意識レベルでは感じているのだが、意識化できない。
それで人間関係における失敗を、患者も巻き込まれている人も、絶えず繰り返すのである。
これは現世レベルでの人間関係失敗ドラマである。
患者も巻き込まれる人も、同じような人とであい同じような人間関係失敗ドラマを繰り返す。
これと似た概念は、フロイトの精神分析学では反復強迫というそうだ。
フロイトの治療法は、患者の言動を観察し、その病的感情を徹底操作する。
神経症レベルの治療ではこれでいいが、精神病レベルになると、人格の発達段階を治療しなければならない。
そこで問題になるのは、サドマゾヒズム人間関係である。
こんな人間関係を繰り返す人物は、人がいやがるようなことをして喜ぶ変質者であり、そしてそんな自分を嫌って人が離れていく自分を哀れむ恐るべき変質者である。
実は人生早期に、こんなサドマゾヒズム人間関係によって、心が引き裂かれた哀れな犠牲者。
そしてその心の古傷が騒ぎ、対人トラブルを起こして、人間関係失敗の不幸な歴史を繰り返し味わう人。
それがメンタル科の患者なのである。
話は前後するが、人間関係が長く深くなってくると、多かれ少なかれ、当事者の心は退行していくものである。
退行していけば、サドマゾヒズム人間関係になる。
これが困った人の正体である。
先人たちは、それで人間関係プロトールを作り、そういった対人トラブルを回避してきたのである。
これが父親が子供に与えるゲゼッツである。
そして母親とのインセスト関係において、オトコは異性愛者になり、オンナは同性愛者になって、男を受け入れる女になる。
これを性差別言動ととらえる人もいるかもしれないが、これがフロイトが言うエディプス葛藤の肝である。
実は反復強迫は、この部分での錯綜が原因となって起きるものなのである。
つまり、適齢期の血縁者以外の異性に性器期異性愛を持つように患者を導くことが、ありとあらゆる精神分析医やカウンセラーの仕事なのである。
さて、そろそろ飯を食べて薬を飲むことにする。
以上、館内田無でικμτ。