shukyo(宗教)。
あなたの信じる信念こそ、実はあなたの信じる宗教そのものなのである。
口では教祖の説く無限供給を信じながら、実際生活で一円に泣き笑いをする人がいるとする。
実はこの人の宗教は、先祖伝来の宗教ではなく、はたまた教祖の説く新興宗教でもなく、「一円泣き笑い教」なのである。
頭では夫唱婦随を説く倫理を信じながらも、実際は器が小さく、夫や子供の些細なミスで激怒するような人は、「器量狭量瞬間湯沸かし器」型の生き方が、この人の実践倫理なのである。
スピでも陰謀論でも何でもよい。
そんな怪しげな説に飛びついて、言い出しっぺ(グル)の講演会に出席し書籍やビデオを買いあさることこそこの人の「ワーク」であり、同好の士の会合が「サンガ」であり、これが彼らの帰依する三宝である。
これは某女性アイドル集団を売り出したやり方と全く同じである
そしてこれらの三宝に深く帰依すれば帰依するほど、強盛な狂信者になっていくわけである。
さて、どんな宗教を見ても、出始めな頃は、特殊な実践倫理を説き、珍妙な修行を説いているように見える。
が、これらをモデリングすれば、それこそ、怪しげな商売人がやっている怪しげな商法そのものである。
はっきり言って宗教なんてものは、パラダイスや現世利益を商品にしたネズミ講ではないか。
ネズミ講の商品であれば、二束三文でフリマで叩き売ることができるが、パラダイスや現世利益など、どうやって叩き売ることができるのか?
そしてそんな当たり前のことに気づいてサンガを抜けようとすると、堕地獄を説いてみたり、脱会者に集団嫌がらせをかけるという、反社団体にもにた行動をするのであるから、これは笑えない冗談だ。
それが宗教の本質である。
わはは。
私だってカルペ・ディエム(今を楽しめ)がモットーなのに、考えていることは辛気くさいことばかりなのであるから、私の信じている宗教は辛気くさい教なのかもしれない。
そんなわけこんな訳で、以上、管内虎ノ門交差点でИКМТ。