最近、はまっている歌手がいます。
なんか、よくわからんけど、いつも頭の中でその曲が流れています。
昨日は、早速その歌手のアルバムを3枚借りました。
『♪~別れる 理由 3つあるなら 別れない理由100探すから カランコロン カランコロン きっと~♪ 』
『♪~僕が君に描く想い 君が僕に抱く想い 違ったって 一つじゃなくて いいと思う 分かり合えない想いは 無理に頷くためではなく いつかの楽しみに そう とっとこう
何を求めるでもなく 無理に意味を添えるでもなく つまりは探しにゆこう 二人の最大公約数を~♪』
リズムと歌詞が心に染みました。
流行の曲とか今はよくわからないけど、
友達とかとカラオケにいったときに、この曲いい!! と思った曲は、メモって帰るようにしています。
この歌手も後輩とカラオケに行ったときに知りました。
カラオケとかは結構自己満の世界だから、あまり人が歌う曲とか気にしないけど、
本当にいい歌は、気になるんですよね。
心なしか、本当に俺が好きな曲は、あまり大衆には知られていない曲が多いですね。
いい歌なんだけど、なぜか人に知られない。
いい素質を持っているんだけどなぜか芽が出ない。
いい性格なんだけど、なぜかモテない。
そんな人を探すのが得意なのかもしれません。
っていうか、好きです。
そんな金の卵を見つけては、育てるような。
ホント、先輩が言うようにベンチャーキャピタルが向いているかもしれないですね。
路地裏に咲くような花を見つけては、日の当たる花壇に運んでやるようなことがしたいですね。(それが、その花にとって喜ばしい事かも考慮に入れながらですが)
まぁ話は変わりますが、
ときどき、一人で授業を受けるときがあるんですが、たまに盲目の方が隣に座る事があります。
今日で3回目ほどでしたが、席を探していたようなのでつい声をかけて、隣が空いている事を教えてしまいました。
その授業は、先生がプロジェクターを使いながら、講義する、授業なのですが、
一般の生徒は、そのスクリーンに映し出される文字を一字一句もらさずに、ノートに写すことで必死です。
しかし、一方、盲目の方は、専用の、点字キーで先生の話を聞きながら、入力しています。
俺らは、タダ、スクリーンの文字を写すのに必死になっている一方で、スクリーンが見えない代わりに、先生の言葉から要所を汲み取り、タイプする盲目の方を見て、きっと、俺よりもすごいノートを打っているんだろうなって横目で感じていました。
俺も負けず嫌いなので、板書だけでなく、先生の言葉からも意味ありげなワードを書き込んだりしていましたが、そんなこと一朝一夕でできるわけが無いですね。
しばらく、そんな隣の人のことを妄想したりもしていました。
この人はどんな一日を過ごしているんだろう?とか、過去とか未来を想像したりもしました。(特技は妄想です)
そんな、妄想をした結果、『やっば、、俺も負けちゃおれんな』という結論に達しました。
これも言うなれば、金の卵なのかもしれません。
金の卵は、金色はしていません。
宝石の原石なんかも、最初は普通の石ころと変わりません。
ただ、注意深く観察したり、視点を変えてみると、そのものの本質がわかってきたりします。
チャンスも”チャンス”としては転がっていませんよね?
それと同じですね。
今日言いたかった事はそんな感じのことです。
なんか、よくわからんけど、いつも頭の中でその曲が流れています。
昨日は、早速その歌手のアルバムを3枚借りました。
『♪~別れる 理由 3つあるなら 別れない理由100探すから カランコロン カランコロン きっと~♪ 』
『♪~僕が君に描く想い 君が僕に抱く想い 違ったって 一つじゃなくて いいと思う 分かり合えない想いは 無理に頷くためではなく いつかの楽しみに そう とっとこう
何を求めるでもなく 無理に意味を添えるでもなく つまりは探しにゆこう 二人の最大公約数を~♪』
リズムと歌詞が心に染みました。
流行の曲とか今はよくわからないけど、
友達とかとカラオケにいったときに、この曲いい!! と思った曲は、メモって帰るようにしています。
この歌手も後輩とカラオケに行ったときに知りました。
カラオケとかは結構自己満の世界だから、あまり人が歌う曲とか気にしないけど、
本当にいい歌は、気になるんですよね。
心なしか、本当に俺が好きな曲は、あまり大衆には知られていない曲が多いですね。
いい歌なんだけど、なぜか人に知られない。
いい素質を持っているんだけどなぜか芽が出ない。
いい性格なんだけど、なぜかモテない。
そんな人を探すのが得意なのかもしれません。
っていうか、好きです。
そんな金の卵を見つけては、育てるような。
ホント、先輩が言うようにベンチャーキャピタルが向いているかもしれないですね。
路地裏に咲くような花を見つけては、日の当たる花壇に運んでやるようなことがしたいですね。(それが、その花にとって喜ばしい事かも考慮に入れながらですが)
まぁ話は変わりますが、
ときどき、一人で授業を受けるときがあるんですが、たまに盲目の方が隣に座る事があります。
今日で3回目ほどでしたが、席を探していたようなのでつい声をかけて、隣が空いている事を教えてしまいました。
その授業は、先生がプロジェクターを使いながら、講義する、授業なのですが、
一般の生徒は、そのスクリーンに映し出される文字を一字一句もらさずに、ノートに写すことで必死です。
しかし、一方、盲目の方は、専用の、点字キーで先生の話を聞きながら、入力しています。
俺らは、タダ、スクリーンの文字を写すのに必死になっている一方で、スクリーンが見えない代わりに、先生の言葉から要所を汲み取り、タイプする盲目の方を見て、きっと、俺よりもすごいノートを打っているんだろうなって横目で感じていました。
俺も負けず嫌いなので、板書だけでなく、先生の言葉からも意味ありげなワードを書き込んだりしていましたが、そんなこと一朝一夕でできるわけが無いですね。
しばらく、そんな隣の人のことを妄想したりもしていました。
この人はどんな一日を過ごしているんだろう?とか、過去とか未来を想像したりもしました。(特技は妄想です)
そんな、妄想をした結果、『やっば、、俺も負けちゃおれんな』という結論に達しました。
これも言うなれば、金の卵なのかもしれません。
金の卵は、金色はしていません。
宝石の原石なんかも、最初は普通の石ころと変わりません。
ただ、注意深く観察したり、視点を変えてみると、そのものの本質がわかってきたりします。
チャンスも”チャンス”としては転がっていませんよね?
それと同じですね。
今日言いたかった事はそんな感じのことです。