空に投げ上げた鍵の束を取り損ねて地面に落とす。
落ちた鍵を拾い上げ、もう一度投げ上げる。
次はうまくキャッチ。
これと同じ事が世界中のどこででも起こっています。
医者は殺した患者の数だけ名医に近づくと聞きます。
だったら人間なんて、みんな死ねばいいのに・・・。
僕がこう思うことは珍しくありません。
別に、俺は一度は生きる事を諦めた人なので、今の僕には死に対する恐怖は普通の人より少ないと思います。
間違いを犯して、そこから修正するスパン。
それが長いか短いかの差。
別に、今頑張って僕達が環境保全!格差是正!!国際協力!!なんて活動しなくても、いずれは、修正されます。
今までもそうだったし、これからもそうでしょう。
それが自然の理。
人間なんてその理のリズムの一つの波を上っているだけに過ぎない。
たかが人間。
所詮人間も長い地球の歴史のほんの一部でもてあそばれているだけ。
そんなこと考えたら、生きる意義すらわからなくなります。
話は変わりますが、僕は「ダイの大冒険」が大好きでした。
その中のワンシーンの言葉が特に小さい頃からのお気に入りです。
「あんたらみてえな雲の上の連中に比べたら
おれたち人間の一生なんてどのみち一瞬だろう!!?
だからこそ結果が見えてたってもがきぬいてやる!!!
一生懸命に生き抜いてやる!!!
残りの人生が50年だって5分だって同じ事だっ!!!
一瞬…!! だけど… 閃光のように…!!!
まぶしく燃えて生き抜いてやる!!!
それがおれたち人間の生き方だっ!!!
よっく目に刻んどけよッ!!! このバッカヤローーーッ!!!!」
このマンガを読んだのは小学生の頃ですが、この言葉だけは今でも覚えて心にしまっています。
「鍛え上げて身につけた強大な力で弱者を思うようにあしらう時
気持ち良くはないのか? 優越感を感じないのか?
"力"ほど純粋で単純(シンプル)で美しい法律はない
生物はすべからく弱肉強食 魔族も竜も皆そうだ
人間だけが気取った理屈をつけてそこに目をそむけておる」
こういう冷めた視点での言葉も結構好きだったりもします。
今日したことといえば、朝から他大学の門でイベントのビラ配り、
そこで多くの旧友と会い、
昼からはミーティング
夜は、路上で原価100円のアクセサリーを売る兄さんの店で溜まり、
ストリートミュージシャンの歌を聞いていました。
今日思った疑問というか、批判は、ここで書くと、後々友人関係がギクシャクしそうなので書きませんが、
結局は自分がどう行動するか?一体俺は何をしているのか?どんな方向に進んでいるのかというところにたどり着きます。
人を、理論的に批判するのは結構得意だったりしますが、
結局批判しているだけなんですね。
自分では何もしていない。
今は、人から知識や事実を教わるだけで、まだ、どう行動すればいいのかが分かりません。
例えば、フェアトレードが良いと思う人なら、そこに力を入れ、行動できる。
世界をNPOや大使館を尋ねながら、学ぶ事が良いと思うならそう行動できる。
今の僕には、良い、悪いの判断ができません。
優柔不断なのかもしれないっすが、フェアトレードはつまりは購買力平価と為替レートの格差を是正するための半ば強制的な取引であって、根本的な解決にはなりません。(と認識しています。)
募金活動や途上国での施設の建設、インフラの設備をすることが、本当に彼らの成長につながるかといえば、そうとは言い切れません。
じゃあ何をしたいのか?
聞いていて分かると思いますが、行動を伴わない人の批判ほど、聞くに値しないものはありません。
今、俺はアクションを起こしたい。
けど、何をすればいいか分からない。
とりあえず、これすれば?
で、真面目に取り掛かれません。
一年の頃から、目指している途上国支援。
半年前までは、途上国に雇用形態を確立させようと、ずっと考えていました。
それは、資金、権力、名声、知識、智恵が必要となります。
今俺に足りないものは全てです。
日本がそうしたようにビジネスから発展させていく。
その方針には揺るぎは無いですが、それを達成させるためには長い年月が必要です。
周りの人は、それぞれすべき事を見つけアクションを起こし始めている中、僕ができる事は資金調達(バイト)と知識の蓄え(勉強)です。
かなり焦りを感じます。
残りの学校生活、一年間の留学は諦め、ビジネスを起こそうかと本気で考えてきます。
今日、会った旧友や路上販売の兄さんにそんなことを考えさせられました。
落ちた鍵を拾い上げ、もう一度投げ上げる。
次はうまくキャッチ。
これと同じ事が世界中のどこででも起こっています。
医者は殺した患者の数だけ名医に近づくと聞きます。
だったら人間なんて、みんな死ねばいいのに・・・。
僕がこう思うことは珍しくありません。
別に、俺は一度は生きる事を諦めた人なので、今の僕には死に対する恐怖は普通の人より少ないと思います。
間違いを犯して、そこから修正するスパン。
それが長いか短いかの差。
別に、今頑張って僕達が環境保全!格差是正!!国際協力!!なんて活動しなくても、いずれは、修正されます。
今までもそうだったし、これからもそうでしょう。
それが自然の理。
人間なんてその理のリズムの一つの波を上っているだけに過ぎない。
たかが人間。
所詮人間も長い地球の歴史のほんの一部でもてあそばれているだけ。
そんなこと考えたら、生きる意義すらわからなくなります。
話は変わりますが、僕は「ダイの大冒険」が大好きでした。
その中のワンシーンの言葉が特に小さい頃からのお気に入りです。
「あんたらみてえな雲の上の連中に比べたら
おれたち人間の一生なんてどのみち一瞬だろう!!?
だからこそ結果が見えてたってもがきぬいてやる!!!
一生懸命に生き抜いてやる!!!
残りの人生が50年だって5分だって同じ事だっ!!!
一瞬…!! だけど… 閃光のように…!!!
まぶしく燃えて生き抜いてやる!!!
それがおれたち人間の生き方だっ!!!
よっく目に刻んどけよッ!!! このバッカヤローーーッ!!!!」
このマンガを読んだのは小学生の頃ですが、この言葉だけは今でも覚えて心にしまっています。
「鍛え上げて身につけた強大な力で弱者を思うようにあしらう時
気持ち良くはないのか? 優越感を感じないのか?
"力"ほど純粋で単純(シンプル)で美しい法律はない
生物はすべからく弱肉強食 魔族も竜も皆そうだ
人間だけが気取った理屈をつけてそこに目をそむけておる」
こういう冷めた視点での言葉も結構好きだったりもします。
今日したことといえば、朝から他大学の門でイベントのビラ配り、
そこで多くの旧友と会い、
昼からはミーティング
夜は、路上で原価100円のアクセサリーを売る兄さんの店で溜まり、
ストリートミュージシャンの歌を聞いていました。
今日思った疑問というか、批判は、ここで書くと、後々友人関係がギクシャクしそうなので書きませんが、
結局は自分がどう行動するか?一体俺は何をしているのか?どんな方向に進んでいるのかというところにたどり着きます。
人を、理論的に批判するのは結構得意だったりしますが、
結局批判しているだけなんですね。
自分では何もしていない。
今は、人から知識や事実を教わるだけで、まだ、どう行動すればいいのかが分かりません。
例えば、フェアトレードが良いと思う人なら、そこに力を入れ、行動できる。
世界をNPOや大使館を尋ねながら、学ぶ事が良いと思うならそう行動できる。
今の僕には、良い、悪いの判断ができません。
優柔不断なのかもしれないっすが、フェアトレードはつまりは購買力平価と為替レートの格差を是正するための半ば強制的な取引であって、根本的な解決にはなりません。(と認識しています。)
募金活動や途上国での施設の建設、インフラの設備をすることが、本当に彼らの成長につながるかといえば、そうとは言い切れません。
じゃあ何をしたいのか?
聞いていて分かると思いますが、行動を伴わない人の批判ほど、聞くに値しないものはありません。
今、俺はアクションを起こしたい。
けど、何をすればいいか分からない。
とりあえず、これすれば?
で、真面目に取り掛かれません。
一年の頃から、目指している途上国支援。
半年前までは、途上国に雇用形態を確立させようと、ずっと考えていました。
それは、資金、権力、名声、知識、智恵が必要となります。
今俺に足りないものは全てです。
日本がそうしたようにビジネスから発展させていく。
その方針には揺るぎは無いですが、それを達成させるためには長い年月が必要です。
周りの人は、それぞれすべき事を見つけアクションを起こし始めている中、僕ができる事は資金調達(バイト)と知識の蓄え(勉強)です。
かなり焦りを感じます。
残りの学校生活、一年間の留学は諦め、ビジネスを起こそうかと本気で考えてきます。
今日、会った旧友や路上販売の兄さんにそんなことを考えさせられました。