誰にでも好き嫌いはある。
ありますよ。
ちなみに、僕はブロッコリーが嫌いです。
しかし、我が家では『お残しはゆるひまへん』的な環境だったので、
好きだろうと、嫌いだろうと、食べるまではテーブルを離れられませんでした。
意図的に食べて吐く事を覚えても、吐いたブロッコリーを食べさせられました。
胃液でぐちゃぐちゃになったブロッコリーを食べるくらいならと、その後は何とか頑張って食べるようになりましたが、嫌いということには変わりありません。
ちなみにカリフラワーはもっと嫌いです。
何が嫌かって言うと、よくわからないですが、多分、匂いと味でしょう。
茎の部分が一番嫌いでした。
とりあえず、全部口の中に入れて、食べ終わった振りをして、食器を片付け、
その後トイレに行き、口から出す。
ということもしましたが、そんな事は母親にすぐばれ、平手打ちです。
小学校卒業するまでに、推定500回以上は母親に殴られました。
ちなみに、親父からは一度も殴られた事はありません。
むしろ親父は殴られる方ですね。
いろいろ悪い事もしてましたから。
なんの話でしたっけ?
そうそう、嫌いなものの話です。
嫌いなものといえば、
僕は小さい頃メロンが嫌いでした。
理由はよくわかりません。
多分上のふにゃふにゃした毛のようなところが嫌いだったのでしょう。
でも、しばらく年月がたつといつの間にか好きになっていました。
それはなぜか???
なぜなら、うちの家族がみんな美味しそうに食べているからです。
『え?食べないの?じゃあおねえちゃんが食べるよ』
とか言って、僕の前のメロンが姉貴の胃の中に美味しそうに入っていく姿を何十回も見ていたら、、、
{チョット食べて見たいな}と思い始め、食べたら、そんなにまずくは無かった、
次食べたときは、少し美味しく感じた。
また次食べたときは、もっと美味しく感じた。
周りの人が美味しそうに食べているものは、自然と美味しそうになってくるものです。
人の好みも同じようなものじゃないっすか?
友人が、ビリヤードを始めた、『メッチャおもろいよ』
面白そうで、やってみる。面白い。
恋人が、尾崎豊の大ファンだった、今までは、尾崎豊とか興味なかったけど、彼女が好きなら、聞いてみよう。
悪くない・・。いいかも。俺も尾崎豊のCD全部買おう。
可愛い後輩が、競馬が趣味だという。
競馬?ギャンブルやん。
・・・・。でも、馬ってかっこいいよね。
とか。
周りの友達が、みんな遊戯王カードゲームの話ばかりしている。
俺も買わなきゃ!!とか
自分が好意を持つ相手の趣味ならば、なんとかその趣味をわかってやろうと、まねてみたり、挑戦してみたり、試してみたり、何かと好きになろうと努力します。
過去に、僕が通っていた無名の学習塾に、僕を追って入ってきてくれた後輩がいましたが、彼女も、そんな僕のことを少しでも理解しようとしてくれていたにちがいありません。
その人を理解しようとすれば真似て見るのが一番ですね。
その仕事がどれだけ大変か。その地位に行くまでにどれほどの努力が必要か。
なぜこの人はこんなものにはまるんだろう?どうして、彼はこんなものが好きなのか?
外から見ているだけじゃ、何も分かりません。分かったつもりでいるだけです。
いじめられる人が悪いんだという人。実際にいじめられた事があります?
いじめる方が悪いんだという人。実際にいじめた事があります?
金持ちが貧乏人から搾取しているんだといって批判する人。
金持ちになるためにどれだけの苦労があるか分かります?貧乏人の何倍頭を動かし、何倍動き、どうやったら金持ちになれるか知ってます?
ホームレスの方を批判する人。ホームレスの生活がどれだけ過酷で、どれだけ辛く、どれだけ大変か知ってます?
ホームレスの方がなぜ今にいたったか知っていますか?
誰かを理解しようとしたら、とりあえず、その人の真似をして見ましょう。
外から見るよりも、実際に一緒に動いてみることで、その人のことが少しは分かるはずです。
昔から、成績を上げたかったら頭のいい人を友達に持ちなさいと言われますが、
それは、ともに生活し、同じ環境とともに過ごす事で、習慣や好みが分かり、
そこから、勉強ができる環境。思考へと変わっていくからです。
ああいう人にはなりたくないね。とかあの人の真似だけはしたくないね。
とか言う声はどこからともなく聞こえてきますが、
真似したくないではなく真似できないのではないですか?
『人の真似はしたくないね』とか言う人のほぼ8割りは、真似する能力が無いひとです。
真似をすること自体は恥ではありません。むしろそこから得るものは大きいはずです。
学ぶという言葉は、真似ぶからきていることは有名ですよね。
国際理解をしたいなら、実際に外国人と住んでみましょう。
恋人を理解したいなら、している事、好きなこと、趣味をまねて見ましょう。
きっと学ぶ事はあるはずです。
今日は多分そんな事を学ぶ一日だったような気がします。
ありますよ。
ちなみに、僕はブロッコリーが嫌いです。
しかし、我が家では『お残しはゆるひまへん』的な環境だったので、
好きだろうと、嫌いだろうと、食べるまではテーブルを離れられませんでした。
意図的に食べて吐く事を覚えても、吐いたブロッコリーを食べさせられました。
胃液でぐちゃぐちゃになったブロッコリーを食べるくらいならと、その後は何とか頑張って食べるようになりましたが、嫌いということには変わりありません。
ちなみにカリフラワーはもっと嫌いです。
何が嫌かって言うと、よくわからないですが、多分、匂いと味でしょう。
茎の部分が一番嫌いでした。
とりあえず、全部口の中に入れて、食べ終わった振りをして、食器を片付け、
その後トイレに行き、口から出す。
ということもしましたが、そんな事は母親にすぐばれ、平手打ちです。
小学校卒業するまでに、推定500回以上は母親に殴られました。
ちなみに、親父からは一度も殴られた事はありません。
むしろ親父は殴られる方ですね。
いろいろ悪い事もしてましたから。
なんの話でしたっけ?
そうそう、嫌いなものの話です。
嫌いなものといえば、
僕は小さい頃メロンが嫌いでした。
理由はよくわかりません。
多分上のふにゃふにゃした毛のようなところが嫌いだったのでしょう。
でも、しばらく年月がたつといつの間にか好きになっていました。
それはなぜか???
なぜなら、うちの家族がみんな美味しそうに食べているからです。
『え?食べないの?じゃあおねえちゃんが食べるよ』
とか言って、僕の前のメロンが姉貴の胃の中に美味しそうに入っていく姿を何十回も見ていたら、、、
{チョット食べて見たいな}と思い始め、食べたら、そんなにまずくは無かった、
次食べたときは、少し美味しく感じた。
また次食べたときは、もっと美味しく感じた。
周りの人が美味しそうに食べているものは、自然と美味しそうになってくるものです。
人の好みも同じようなものじゃないっすか?
友人が、ビリヤードを始めた、『メッチャおもろいよ』
面白そうで、やってみる。面白い。
恋人が、尾崎豊の大ファンだった、今までは、尾崎豊とか興味なかったけど、彼女が好きなら、聞いてみよう。
悪くない・・。いいかも。俺も尾崎豊のCD全部買おう。
可愛い後輩が、競馬が趣味だという。
競馬?ギャンブルやん。
・・・・。でも、馬ってかっこいいよね。
とか。
周りの友達が、みんな遊戯王カードゲームの話ばかりしている。
俺も買わなきゃ!!とか
自分が好意を持つ相手の趣味ならば、なんとかその趣味をわかってやろうと、まねてみたり、挑戦してみたり、試してみたり、何かと好きになろうと努力します。
過去に、僕が通っていた無名の学習塾に、僕を追って入ってきてくれた後輩がいましたが、彼女も、そんな僕のことを少しでも理解しようとしてくれていたにちがいありません。
その人を理解しようとすれば真似て見るのが一番ですね。
その仕事がどれだけ大変か。その地位に行くまでにどれほどの努力が必要か。
なぜこの人はこんなものにはまるんだろう?どうして、彼はこんなものが好きなのか?
外から見ているだけじゃ、何も分かりません。分かったつもりでいるだけです。
いじめられる人が悪いんだという人。実際にいじめられた事があります?
いじめる方が悪いんだという人。実際にいじめた事があります?
金持ちが貧乏人から搾取しているんだといって批判する人。
金持ちになるためにどれだけの苦労があるか分かります?貧乏人の何倍頭を動かし、何倍動き、どうやったら金持ちになれるか知ってます?
ホームレスの方を批判する人。ホームレスの生活がどれだけ過酷で、どれだけ辛く、どれだけ大変か知ってます?
ホームレスの方がなぜ今にいたったか知っていますか?
誰かを理解しようとしたら、とりあえず、その人の真似をして見ましょう。
外から見るよりも、実際に一緒に動いてみることで、その人のことが少しは分かるはずです。
昔から、成績を上げたかったら頭のいい人を友達に持ちなさいと言われますが、
それは、ともに生活し、同じ環境とともに過ごす事で、習慣や好みが分かり、
そこから、勉強ができる環境。思考へと変わっていくからです。
ああいう人にはなりたくないね。とかあの人の真似だけはしたくないね。
とか言う声はどこからともなく聞こえてきますが、
真似したくないではなく真似できないのではないですか?
『人の真似はしたくないね』とか言う人のほぼ8割りは、真似する能力が無いひとです。
真似をすること自体は恥ではありません。むしろそこから得るものは大きいはずです。
学ぶという言葉は、真似ぶからきていることは有名ですよね。
国際理解をしたいなら、実際に外国人と住んでみましょう。
恋人を理解したいなら、している事、好きなこと、趣味をまねて見ましょう。
きっと学ぶ事はあるはずです。
今日は多分そんな事を学ぶ一日だったような気がします。