ガイアシンフォニー第6番
6番のテーマは『音』ということで、音に関連した不思議な世界を体験できました。
『虚空の音』ということで、実際に聞こえる音以外にも悟りを開いた後に聞こえてくる音があるそうです。
(音は神なり)この字幕を見たとき、ちょうど先週きたKOJIMAさんのメルマガを思い出しました。
何のことかというと、
『観音』についてです。
微笑をたたえた静かな表情でたたずんでいる、あの観音様です。
『
「観音」。
不思議な言葉です。
音とは通常「聞くもの」であって、「観る(みる)」ものではないからです。な
のになぜ、「音を観る」のでしょうか。
例えば、生後間もない赤ちゃんは、1~2年は言葉を話すことができず、泣き声
や笑い声、表情、動作によって無意識のうちに意思表示を行います。
それを見るお母さんは、「ちょっと、あんた!何が欲しいのよ!ちゃんと言葉で
言いなさい!」とは言わないでしょう。そんな親がいれば、虐待マザーです。
お母さんは赤ちゃんの泣き声や表情を見て、「ああ、ミルクが欲しいのね」、「
おむつを替えてほしいんだ」、「快適で気持ちいいのね」と赤ちゃんの心を察し
、必要な処置を行うものです。
つまり、これが「音を観る」という行為です。
言葉にならない気持ちを察し、優しい心で真意を受け止め、相手が望む行動を取
ってあげること、これこそ、コミュニケーションの大前提とはいえないでしょう
か。
観音さまは、愚かで自分の位置が分からず、何でも自分の尺度で割り切ろうとし
て現実と理想の落差にもがき苦しむ人間のうめき声を察し、温かく救って下さる
のだ…というのが、「観音経入門」の教えです。
』
KOJIMAさんはこの考えをヒントに言語感覚が未成熟でコミュニケーションが苦手な若年フリーターといかに接するかの答えを出したそうです。
『「就職できるか、自信がないんです」
「私、何も長所がなくて、コンプレックスばかりなんです」
「僕はどうせダメなんです。商社なんて、目指さないほうがよかった」
そういう言葉の裏側にある気持ちを見抜き、相手がそうありたいと望む自分を見
極めて、少しでも要望に叶う行動に移す…。再就職支援や採用コンサルティング
とは、そういう仕事だと思ってやってきました。
』
との事です。
音とは全く関係の無い話になってしまったのですが、音っていうものは言葉にできませんが、言葉もまた、音では表せません。
どちらかをどちらかで表そうとすると必ず嘘になってしまう気がします。
例えば、犬の鳴き声はワンワン。『ワンワン』は表記としてはこう書きますが、アメリカ式では『バウワウ』ですし、どちらとも犬の鳴き声を正確に表せているとは思いません。
言葉で表現できない事でも音楽でなら表せるという人もいるでしょう。
ここでは(ことばにならない気持ち)=音 とし、説明しているんですね。
さらに、僕が今日とても疑問に思ったことが一つ。
くじらについてです。
くじらの歌は感動的で、壮大で、聴いているだけで涙が出てきます。
これは本当です。
その中では、くじらは人に感動を与える素晴らしいくじらを殺してはいけない。
というようなメッセージも含まれているような気がしました。
日本では昔から捕鯨の文化がありますが、最近は国際社会から規制が入り、調査用としての捕鯨しか認められなくなっています。
『くじらは頭のいい動物だから殺してはいけない。』
『くじらは優しく感動を与えてくれるから殺してはいけない』
この発言にはずっと疑問が残ります。
くじらはダメで他の動物だったらいいのか?ということです。
頭がいい悪いを規準に、するのは、クラスで頭のいい子は褒めて頑張ってもできない子は貶す。そんなことと変わりないような気がします。
くじらは頭が良くて歌も歌えるから殺してはいけなくて
牛は馬鹿で人を乗せて走ることすらできないから殺して食べてもいい。
そんな馬鹿げた規準があるかって!
それだったら、僕は全部食べるか全部食べないかのどちらかにしたい。
今のところは僕は捕鯨には賛成です。日本の伝統でもあり、『くじらは頭がいい動物だから』というそんな表面的な偽善者的な意見を聞きたくもありません。
思えば、動物だけでなく、人間も生まれるときも死ぬときも平等では無いんですね。
有名人が死ねば、全国ネットでその人の死が悼まれ、その人の存在が全国で確認されます。
しかし、一般の人が、病気なんかで死ぬと、地方紙の新聞にすら載りません(当たり前ですが)ほんの親族にしかその人の生と死は確認されず、生涯を終えます。
僕は、有名になりたい理由の一つに、自分の死が全世界に知れ渡って欲しい、自分が確かに存在したということを知って欲しい、全世界に生きた証を残したい。というものがあります。
だから、世界メディアで放映される、凶悪犯の犯罪暦とその死が放映されるたびに、一部では悔しい思いもあります。
こんな奴の存在が世界で知れて、日本の片田舎で地道に農作業にいそしむおじいさんの死=生は全世界の99%は知る事は無い。
人は平等な社会を、人は表面的なところを飾りつけ、人はやれ捕鯨反対とか、やれ条約違反とか叫びます。
ガイアシンフォニーの監督の全く意図しなかったであろう事を僕は映画を見た感想としてこう感じました。
ただ、くじらの歌を聴いて涙したことは事実です。
タイトルは、秘密です。(やっぱ書きます)
俺は小さいときから警察が苦手です。
今日もそんな理由から、ビビッて留学生との浜での花火を途中退出しました。
まぁそんな理由です。
6番のテーマは『音』ということで、音に関連した不思議な世界を体験できました。
『虚空の音』ということで、実際に聞こえる音以外にも悟りを開いた後に聞こえてくる音があるそうです。
(音は神なり)この字幕を見たとき、ちょうど先週きたKOJIMAさんのメルマガを思い出しました。
何のことかというと、
『観音』についてです。
微笑をたたえた静かな表情でたたずんでいる、あの観音様です。
『
「観音」。
不思議な言葉です。
音とは通常「聞くもの」であって、「観る(みる)」ものではないからです。な
のになぜ、「音を観る」のでしょうか。
例えば、生後間もない赤ちゃんは、1~2年は言葉を話すことができず、泣き声
や笑い声、表情、動作によって無意識のうちに意思表示を行います。
それを見るお母さんは、「ちょっと、あんた!何が欲しいのよ!ちゃんと言葉で
言いなさい!」とは言わないでしょう。そんな親がいれば、虐待マザーです。
お母さんは赤ちゃんの泣き声や表情を見て、「ああ、ミルクが欲しいのね」、「
おむつを替えてほしいんだ」、「快適で気持ちいいのね」と赤ちゃんの心を察し
、必要な処置を行うものです。
つまり、これが「音を観る」という行為です。
言葉にならない気持ちを察し、優しい心で真意を受け止め、相手が望む行動を取
ってあげること、これこそ、コミュニケーションの大前提とはいえないでしょう
か。
観音さまは、愚かで自分の位置が分からず、何でも自分の尺度で割り切ろうとし
て現実と理想の落差にもがき苦しむ人間のうめき声を察し、温かく救って下さる
のだ…というのが、「観音経入門」の教えです。
』
KOJIMAさんはこの考えをヒントに言語感覚が未成熟でコミュニケーションが苦手な若年フリーターといかに接するかの答えを出したそうです。
『「就職できるか、自信がないんです」
「私、何も長所がなくて、コンプレックスばかりなんです」
「僕はどうせダメなんです。商社なんて、目指さないほうがよかった」
そういう言葉の裏側にある気持ちを見抜き、相手がそうありたいと望む自分を見
極めて、少しでも要望に叶う行動に移す…。再就職支援や採用コンサルティング
とは、そういう仕事だと思ってやってきました。
』
との事です。
音とは全く関係の無い話になってしまったのですが、音っていうものは言葉にできませんが、言葉もまた、音では表せません。
どちらかをどちらかで表そうとすると必ず嘘になってしまう気がします。
例えば、犬の鳴き声はワンワン。『ワンワン』は表記としてはこう書きますが、アメリカ式では『バウワウ』ですし、どちらとも犬の鳴き声を正確に表せているとは思いません。
言葉で表現できない事でも音楽でなら表せるという人もいるでしょう。
ここでは(ことばにならない気持ち)=音 とし、説明しているんですね。
さらに、僕が今日とても疑問に思ったことが一つ。
くじらについてです。
くじらの歌は感動的で、壮大で、聴いているだけで涙が出てきます。
これは本当です。
その中では、くじらは人に感動を与える素晴らしいくじらを殺してはいけない。
というようなメッセージも含まれているような気がしました。
日本では昔から捕鯨の文化がありますが、最近は国際社会から規制が入り、調査用としての捕鯨しか認められなくなっています。
『くじらは頭のいい動物だから殺してはいけない。』
『くじらは優しく感動を与えてくれるから殺してはいけない』
この発言にはずっと疑問が残ります。
くじらはダメで他の動物だったらいいのか?ということです。
頭がいい悪いを規準に、するのは、クラスで頭のいい子は褒めて頑張ってもできない子は貶す。そんなことと変わりないような気がします。
くじらは頭が良くて歌も歌えるから殺してはいけなくて
牛は馬鹿で人を乗せて走ることすらできないから殺して食べてもいい。
そんな馬鹿げた規準があるかって!
それだったら、僕は全部食べるか全部食べないかのどちらかにしたい。
今のところは僕は捕鯨には賛成です。日本の伝統でもあり、『くじらは頭がいい動物だから』というそんな表面的な偽善者的な意見を聞きたくもありません。
思えば、動物だけでなく、人間も生まれるときも死ぬときも平等では無いんですね。
有名人が死ねば、全国ネットでその人の死が悼まれ、その人の存在が全国で確認されます。
しかし、一般の人が、病気なんかで死ぬと、地方紙の新聞にすら載りません(当たり前ですが)ほんの親族にしかその人の生と死は確認されず、生涯を終えます。
僕は、有名になりたい理由の一つに、自分の死が全世界に知れ渡って欲しい、自分が確かに存在したということを知って欲しい、全世界に生きた証を残したい。というものがあります。
だから、世界メディアで放映される、凶悪犯の犯罪暦とその死が放映されるたびに、一部では悔しい思いもあります。
こんな奴の存在が世界で知れて、日本の片田舎で地道に農作業にいそしむおじいさんの死=生は全世界の99%は知る事は無い。
人は平等な社会を、人は表面的なところを飾りつけ、人はやれ捕鯨反対とか、やれ条約違反とか叫びます。
ガイアシンフォニーの監督の全く意図しなかったであろう事を僕は映画を見た感想としてこう感じました。
ただ、くじらの歌を聴いて涙したことは事実です。
タイトルは、秘密です。(やっぱ書きます)
俺は小さいときから警察が苦手です。
今日もそんな理由から、ビビッて留学生との浜での花火を途中退出しました。
まぁそんな理由です。