B&B&B

回り道を全力疾走

林原めぐみ

2009-10-18 11:14:33 | 未分類
オススメの声優さんっていますか?


という問いに対しての返答にこの人の名前があったことをうっすら思い出した。

林原めぐみ


最近はYouTubeから変換サイトを通じて音楽や映像を落とすのが当たり前になってきて、金を払ってCDやDVDレンタルをするのが馬鹿らしくなってきた。


ネット社会はまだまだ、やりたい放題だ。統制することなんてできるのだろうか?


まぁ、そんな中俺もだいたい欲しい曲を落とし尽くして昔好きだったアニソンでも落とそうと検索をした。


うろ覚えでも、歌詞の一部、アニメ情報、のどちらか一つがあればすぐに見つけられる。

全く便利な世の中だ。


爆れつハンター
スレイヤーズ
セイバーマリオネット

今からだいたい10~15年前の曲だろうか。

すべて林原めぐみの曲だった。

Wikipediaで調べてみると、今の声優アイドルの先駆け的な人だということがわかった。


二次元にしか興味を持たない人を声優という媒体を通して三次元に関心をつなげていくというリハビリ的な活動を始めた人(と勝手に解釈)

僕もまた興味が湧いてきました。

今に従順になるか、社会に疑問をもつか

2009-10-17 09:26:50 | 未分類
こんな社会はどっか間違っている。

モノを作り出している人よりも、
金融ゲームで遊んでいる人の方が金を稼げている現実

飢えで苦しんでいる人がいる一方で、先進国では水のように残飯のように売れ残りの食べ物を捨てている


環境破壊をして築く技術開発


金さえあれば信用でも、人でも会社でも何でも買えるという金至上主義。

人間の豊かな生活のために動物実験や食肉にされる動物たち。

僕の周りにもそんな考えの人は沢山いる。


その思想に至ることは間違いじゃない。


ただ、そんな社会を受け入れている人と受け入れられない人。

どっちの生き方が幸せかなと考えてしまうと、受け入れてしまった方が楽なんじゃないかと個人的には感じてしまう。

活動するにはエネルギーを消費する。

生計を立てる活動をする上に、社会に抵抗する活動をしていたらすぐに衰弱してしまいそうだ。


自分を貫くことは、ツラい。流れに乗ってしまえば楽だ。


日本が長寿国となっているのは、ツラい自己主張することなく、流される楽な生き方を選んだからではないかと、ふと妄想してしまう。


(でも、今の100歳とかは戦前生まれだから、それも当てはまらないのか?)


ありがちな結論だが、貫くことと流されることのバランス。
調和。だね。


俺の結論は中立やらバランスやら調和が多い…。


気持ち悪い。


外国人がいたら、
イッツジャパニーズ!
とからかわれそうだ。

40キロ走る

2009-10-17 06:36:31 | 未分類
昨日は自転車で大学から家まで帰宅しました。

距離にして約40キロ。

自宅にある自転車がもう寿命だったんで、学校で使っていた自転車を持って帰ることに。

時間にして2時間こぎ続けました。

まぁ、その前日に4時間ほど37キロ走っていたので、それほどきつくはなかったですが、若いうちにしかできないことだとは思います。


40キロと言うと、関東で言えば、横浜駅からディズニーランドへのルートが丁度それくらい。沖縄で言うと、石垣島を縦断するくらいが丁度40キロです。

さすがに、連日40キロ級は足が悲鳴を上げています。

今日はクールダウンに水泳でも行くかな・・・。





・・・・・ん???



トライアスロンじゃん!!!

見えないゴール

2009-10-15 19:00:10 | 未分類
今日は一日中休みだったので、フルマラソンの予行演習でもしようかと思い立った。

マザーハウスの山口さんの講演会にも興味あったが、闇の子供たちのDVDを見た後だったんで、面倒になって自分の予定を優先した。

そういえば昨日からDVDをたくさん借りてみている。

駐在さんとの700日戦争のやつと
解夏
男はソレを我慢できない
闇の子供たち
ひとまず走れ(韓国映画)

中でも、
『男はソレを我慢できない』

『闇の子供たち』
を一緒に借りて連続してみていた自分に、自分らしさを感じた。

闇の子供たち は原作は読んでいたが、映像化するとどうなるのかが気になって見てみた。これは東南アジアにおける児童買春の話で、文章だけでもリアルでグロいかった。映像では原作よりかは放送レベルまで下げられて、カットされている部分が多かったが、それでも人にショックを与えるには十分な映像作品だった。

男はソレを我慢できない は竹中直人主演の、ソープランド建設にまつわる話で、性欲をパロディで表した作品。町のためにソープランド建設反対をしようとするが、性欲に負けて飲み込まれてしまうという話。

お互いが補色の関係のように、混ぜ合わせてしまうとどす黒い色になってしまう。

その二つのドロドロとした世界観。ぐるぐる回る価値観。何が正しいかが分からなくなる倫理観。矛盾。もどかしさ。

それがたまらない。

考えれば考えるほど自分の中での正義が定まらない。

たとえば、自分がフェアトレードの考え方がすばらしいと思ってその活動推進をやっていたとしよう。
『この活動はすばらしいから皆さんもやってください』と周囲に呼びかける。
そうしているうちに、その正しい活動をしている【私】自身も正しいと錯覚してしまう。【私】が正義だと。

いつから【私】はそんなに偉くなったんだろう??



もし、その活動が仕事ならば俺はやれる。
多少疑問が起こっても「これは仕事だから」と割り切れる。

どんなに環境破壊が起ころうと、世界の裏側で人が死んでようと、まずは自分の明日の生活が大事だから。

ただ、自覚しておきたいのは、間接的に僕は人を殺しているということ。

この感覚を愛読しているスカイクロラシリーズの中で面白い例えで書いてあった。



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ボールの穴から離れた僕の指は、
今日の午後、
二人の人間の命を消したのと同じ指なのだ。
僕はその指で、
ハンバーガーも食べるし、
コーラの紙コップも掴む。
こういう偶然が許せない人間もきっといるだろう。
でも、
僕には逆に、その理屈は理解できない。
ボーリング場のシートと同じグラスファイバが、ロケット弾の翼に使われている。
花火大会と爆撃は、ほぼ同じ物理現象だ。自分が直接手渡さなくても、お金は社会を循環して、どこかで兵器の取引に使われる。人を殺すための製品も部品も、必ずしも死を望む人たちが作っているわけではない。
意識しなくても、
誰もが、どこかで、他人を殺している。
押しくら饅頭をして、誰が押し出されるのか・・・・。その被害者に直接触れていなくても、みんなで押したことには変わりないのだ。
私は見なかった、私は触らなかった。
私はただ、自分が押し出されないように踏ん張っただけです。
それで言い訳になるだろうか?
僕は、それは違うと思う。

(スカイクロラ P246)
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キリスト教では、人は生まれながらに罪人だという考え方がある。
それに近いのかもしれない。

罪悪感を感じながら生きていく。
それが、俺の生きるテーマの一つでもある。

ただ、本当に自分の感じているものが罪なのか?という疑問も持つことがある。

動物は生きるために動植物を殺して食べる。
縄張りに入ってきたら、同じ動物でも攻撃する。
その動物たちには罪悪感はないだろう。

罪の意識は人間にしかない。

そもそも殺生が罪であるという価値観や正義すら人間が作り出した思想。

と、考えると罪悪感を感じるのが馬鹿らしく思えてくるときがある。

ただ、それは俺自身が許さない。

俺は俺にもっと苦しんで悩む人生を送るようにしてもらいたいという要望を持っている。

それも、罪悪感からか・・・?

やべぇ・・・ぐるぐるしてきた。


ということで、走ることにした。

フルマラソンの距離。

今は地図の道路から距離を算出するサイトがあってマラソンコース作りには非常に便利だ。

だいたい41キロほどのコースを決めて走ることにした。

12時スタート。本日は晴天だが、気温は適温。
さらに、筋肉の超回復のタイミングにもピッタリ。
先週、海まで走って約23キロほどのランニングでの筋肉痛が治ったばかりだった。

食事後4時間は経った。
水分補給のためのお金も持った。
MP3プレイヤーやらも準備万端で40キロ強のランニングに挑んだ。

思えば、長距離が得意と思っていた割には実際に走った経験のあるのは15キロそこそこで40キロは、その2.6倍やろ。くらいの感覚しかなかった。

先週も20キロそこそこ走っていたので、その2倍くらい・・・。という考えしかなかった。

その考えが結構甘いと思ったのは20キロ地点。

先週は20キロでゴールして20キロの先には休息という天国が待っていたが。
強は20キロ地点では、これから今まで距離がもう一回あるという地獄が待っていた。


俺の今日の体の反応としては、
10キロで疲れたという悲鳴を上げる。
20キロで、もう走れないと足が動かなくなる。
30キロで、痛みが発生する
という感じだった。

体力的には、もう少しいけるかなと思ったが、下半身の筋肉と精神力がもうダメだった。

悔しいが、コースを外れて家へ向かった。

だけど上半身は全然元気で、今からでもボクシングができるくらいの力の余り方をしていた。

昔から下半身には自信があった。

持久走もベスト10には入っていたし、腕立てよりも腹筋のほうが何倍もできた。

ただ、今日で自分の中の「下半身が強い」というレベルが分かった。

距離にして37キロ。

残り5キロを走るには精神力か筋力が足りなかった。


10日後に控えたフルマラソンでは精神力が鍵だろう。

どこまで見栄と羞恥心を発揮できるか。

見栄の使いどころをマスターせなあかんなぁ・・・。











見えない独り障壁

2009-10-13 15:28:22 | 未分類
大学生活は誰かと活動する時間よりもはるかに独りで活動する方が多い。


独りで旅行にも行くし
独りでレストランにも入るし、
独りで運動もする

独りでイベントに参加するし
独りで食べ歩きもする


ただ、そんな独り行動をかみさんと報告しあっていると、独りで行動するにも知らず知らずのうちに行動の壁を作っていることに気がつく。

独りでカラオケには行けるのに
独りでボーリングには行けない
独りでガストには行けるのに、屋台には入れない
独りで映画は見に行けるのに、シルクドソレイユは見に行けない

10個パックなら買えるのに単品一個では買えない


この壁を越えると、何があるのだろうか。


少なくとも、節約のために大丸地下で一個単位で買えるようになりたい。


それが見栄や羞恥心だったとしたら、なんともくだらん感情だ。


威厳や誇りに余計なもんがくっついてくるから面倒だ。