〈文化〉 追い詰められる原発避難者
2019年3月28日 聖教新聞
健康・福祉まで含む対応が必要
吉田千亜
2年前の2017年3月末、区域外避難者(いわゆる「自主避難」者/避難指示のなかった地域から避難した人々)の借上住宅の無償供与が打ち切られた。同時期に避難指示区域は3分の1までに縮小。市町村による除染も事実上の終了とされた。
今年3月末には、区域外避難者の借上住宅打ち切りの緩和施策として行われていた家賃補助や、国家公務員住宅での2年間の有償供与も打ち切られる。住まいは、8年かけて積み上げた暮らしの根幹であり、また、生活再建の道半ばの人にとっては、命にも関わる。
その実態を知る当事者団体や支援者団体は、関係省庁や福島県との交渉を繰り返しているが「退去を迫らないで」という彼らの要求には応じようとはしないようだ。
国家公務員住宅に避難を続ける世帯は、約150世帯のうち約70世帯が次の住まいが決まっていない(3月8日現在)。3月末に退去しない場合は、2倍の家賃を請求すると避難者宛てに通知も来ている。
その一人、下川まゆみさん(仮名)は、2011年の年末に福島県中通りから山形県米沢市へと避難した。正社員の職を手放し、避難後は、慣れない土地で、パートと家事・子育てをこなした。
避難先での求職中には「住民票がないからやはり雇えない」と、雇用直前に断られたこともあり、安定的な収入を得ることが難しかった。避難から2年後には、突然、原因不明の病に倒れ、入院。「もしかしたら原発事故のせいではないか」と考えた。さらに2年前、病が再発し、再び入院。その時期が借上住宅の打ち切り、子どもの受験と重なった。
「退去できるタイミングは、子どもの進学、仕事、病気の有無、それぞれ違う。私たちは、そもそも、入居時に、退去期限を知らされなかった」と下川さんは悔しさをにじませる。
「こうなった責任がどこにあるのか、裁判で問いたい」。気丈にふるまう下川さんも、裁判所からの通知には、体が震えた。
「まさか“被告”になるなんて思ってもいませんから……」。今も病院に通い、薬を服用しながらパートを続けている。裁判は係争中だ。
富岡町の地域包括支援センターの菅野利行さんは、1年後の打ち切りに向けて町の社会福祉協議会と連携し、福島県内の仮設・借上住宅を回る。
センターのある郡山市に作られた仮設住宅は、現在、閉鎖・取り壊しが相次いでいるが、残る人の多くが「退去できない何らかの問題」を抱える。
「富岡町では、隣近所、人の(見守る)目があった。でも、大家族は世帯が分かれ、同時に離婚やDVの問題も増えた。賠償の枠組みからこぼれ、再就職ができなければ、生活保護に頼るほかない人もいる」(菅野さん)
東電の月々の賠償は「避難」に対するものであり、「避難解除」された今、生活再建への賠償はない。菅野さんは復興公営住宅での、孤独死の現場にも立ち会った。
「もう、問題が住宅だけではなく、健康・福祉・住宅など、課をまたがないと対応できない」と菅野さんは指摘する。富岡町だけではなく、福島県内外で共有されるべき問題だ。
事故をきっかけに住まいだけではなく、「暮らし」そのものが成り立たなくなってしまい、行政による既存の福祉制度からすら、こぼれ落ちてしまう人がいる。命の問題になりつつある支援の現場では、貧困問題に取り組み続ける民間団体・NPOの力を借りるケースもある。
「“復興、復興”ってテレビではやってるけど、こっちはなんも変わってないよ」。厳しい現場を歩き回る菅野さんがふと漏らした言葉が忘れられない。(フリーライター)
半年以上前の記事だけど、その後はどうなったんだろうか、とても気になる。