長い映画だと聞いてはいたが、まずプロローグにあたる部分もかなり長い。そして、エンタテインメントの側面を強調されることが多いが、実は最初からかなりシリアスな話。だから、コミカルな脚本や表現についても、スタイル的にあまり波長が合わない僕の場合、あらすじをある程度知っていたり、「このエピソードはこの手の話ね」というガード?をしておかないと辛かったと思う。
キャスティングについては、渡部篤郎氏はその演技のクセがあまり好きではなく、渡辺真起子氏については、脚本や演出の影響もあってリアルに苦手意識が先に立ってしまった。二人とも上手に演じたとは思う。主演の西島隆弘氏は、てらいや気取りもなく、違和感のない演技を終始続けてちょっと驚いた。満島ひかり氏については、本当に最初のうちだけタレントさん臭がしてどうなることかと思ったが、どんどん役に入り込んでゆき、こちらもとてもいい仕事をしたなと感じた。『シネマ・ハスラー』でも言及されていた、あの「若いメス」独特の目、表情はナチュラルなものもあるが、実は実社会で“磨かれて”ゆく部分が大きい。安藤サクラ氏も良かったと思うが、ひっかかった部分は演出かな、やっぱり。
それにしてもどうなのかな、若い演技者達、特に女優さんたちは、いい演技をしても、映画の外(現実世界)へ出てしまうと余計フィードバック(現実世界による消費欲)にやられてしまうことが多いのではないかな~と最近感じている。決してバカにするわけではないのだが、柔らかく、何でも受け入れるように洗脳、いや教育されてきたため、磨かれたワイングラスのように中に入れたものをすぐよく見せられるが、本質的にもろく、もしかしたら中は“空洞”になりやすい。
さて、見せ方の部分だけれど、やはり、「オス」としてのどうしようもない部分について、目覚めた自らの生理に翻弄される主人公の中により入り込んだ視点から描くことで、もっともっと切なく、笑えて、観客に深く訴えるものにできたのではないかなと。いや、これは人と人を、そして人々と“現実”をつなぐものという意味では、この映画で最も大事な部分なので、余計もどかしさが残った。こうしたほうが広く受け入れられやすいという考えなのか、監督の好みなのか。これは前段で触れた安藤サクラ氏への演出もそうで、どうしても表面的な怪しさが先にたってしまっていた。
最後の握手の握り方に、この映画全体に感じる若干のもどかしさが象徴されているように感じた。
キャスティングについては、渡部篤郎氏はその演技のクセがあまり好きではなく、渡辺真起子氏については、脚本や演出の影響もあってリアルに苦手意識が先に立ってしまった。二人とも上手に演じたとは思う。主演の西島隆弘氏は、てらいや気取りもなく、違和感のない演技を終始続けてちょっと驚いた。満島ひかり氏については、本当に最初のうちだけタレントさん臭がしてどうなることかと思ったが、どんどん役に入り込んでゆき、こちらもとてもいい仕事をしたなと感じた。『シネマ・ハスラー』でも言及されていた、あの「若いメス」独特の目、表情はナチュラルなものもあるが、実は実社会で“磨かれて”ゆく部分が大きい。安藤サクラ氏も良かったと思うが、ひっかかった部分は演出かな、やっぱり。
それにしてもどうなのかな、若い演技者達、特に女優さんたちは、いい演技をしても、映画の外(現実世界)へ出てしまうと余計フィードバック(現実世界による消費欲)にやられてしまうことが多いのではないかな~と最近感じている。決してバカにするわけではないのだが、柔らかく、何でも受け入れるように洗脳、いや教育されてきたため、磨かれたワイングラスのように中に入れたものをすぐよく見せられるが、本質的にもろく、もしかしたら中は“空洞”になりやすい。
さて、見せ方の部分だけれど、やはり、「オス」としてのどうしようもない部分について、目覚めた自らの生理に翻弄される主人公の中により入り込んだ視点から描くことで、もっともっと切なく、笑えて、観客に深く訴えるものにできたのではないかなと。いや、これは人と人を、そして人々と“現実”をつなぐものという意味では、この映画で最も大事な部分なので、余計もどかしさが残った。こうしたほうが広く受け入れられやすいという考えなのか、監督の好みなのか。これは前段で触れた安藤サクラ氏への演出もそうで、どうしても表面的な怪しさが先にたってしまっていた。
最後の握手の握り方に、この映画全体に感じる若干のもどかしさが象徴されているように感じた。