これは良い意味でも悪い意味でも「所謂日本のロボットアニメ」におけるレガシーとなっている、「昭和後期の「いい時代」につくられた(アムロとシャアの物語としての)機動戦士ガンダムという呪縛」をきちんと乗り越えた、今の時代の、素晴らしい作品です。また、例えば親子で観ても(男女で観ても)それぞれ違う見方と深さで深い満足を得られる作品です。
所謂ファーストガンダムを小学校卒業前にリアルタイムで観た世代ですが、その後出てくるのは「時代と共に内面から成長すること」を拒否した作品群(ビジネス)という感じで、正直「まだやっているのか」と横目で見ていました(まあ自分自身アニメファンという程でもなかったですし。)。そして自分と同世代の人達がストーリーをつくった「アムロ以後」らしいというのでストリーミングで観たUC(ユニコーン)が支離滅裂だったのも、残念ではあるが、(既に「逆襲のシャア」で「天寿を全うした物語」を墓から掘り起こして)フランケンシュタインをつくるようなものなので、「まあこんなものだろうな」と思いました。
だからナイトキャップがわりにこの『鉄血のオルフェンズ』を偶然(!)観た時は驚きました。これは「年齢と経験を重ねた大人として鑑賞しても」深い感動を味わえる作品です。
今の時代の問題の本質を真正面から扱い、最後まで逃げも無駄も、そして娯楽としてのロボットアニメのご都合主義もない(物語としては古典的ともいえる)ストーリー展開と描写。緻密で繊細なキャラクター造形とその見せ方(若年層は大分経験を重ねてから観返してはじめて「ああそうだったのか」と気づくことも多いと思います。)。そしてなにより、「ガンダムとは何か?」を徹底的に考え抜き、その成果を「ソフトとハードの両面」で見事に表現しています。(もちろんこの『鉄血のオルフェンズ』は、「ガンダムという文脈」を考慮してもしなくても十分楽しめます。)
この作品は真っ正直かつ優れた内容である分、「近年のアニメ業界」や「ガンダムファン(特に冨野ガンダムのファン)のコミュニティ」の「痛い所」を鋭く突いています。だから余計に、この作品をつまらぬ妥協なく最後までやり切り、「新しい時代に正面から対峙し、未来へ進める」ことを示したクリエイター達とプロデュースサイドには称賛と尊敬の念を禁じえません。
(おかげでブルーレイと解説本だけでなく、この年になって初めて「ガンプラ」をひとつ買ってしまいました(笑)。記念みたいなものなので組み立てず仕舞ってありますが(笑))
所謂ファーストガンダムを小学校卒業前にリアルタイムで観た世代ですが、その後出てくるのは「時代と共に内面から成長すること」を拒否した作品群(ビジネス)という感じで、正直「まだやっているのか」と横目で見ていました(まあ自分自身アニメファンという程でもなかったですし。)。そして自分と同世代の人達がストーリーをつくった「アムロ以後」らしいというのでストリーミングで観たUC(ユニコーン)が支離滅裂だったのも、残念ではあるが、(既に「逆襲のシャア」で「天寿を全うした物語」を墓から掘り起こして)フランケンシュタインをつくるようなものなので、「まあこんなものだろうな」と思いました。
だからナイトキャップがわりにこの『鉄血のオルフェンズ』を偶然(!)観た時は驚きました。これは「年齢と経験を重ねた大人として鑑賞しても」深い感動を味わえる作品です。
今の時代の問題の本質を真正面から扱い、最後まで逃げも無駄も、そして娯楽としてのロボットアニメのご都合主義もない(物語としては古典的ともいえる)ストーリー展開と描写。緻密で繊細なキャラクター造形とその見せ方(若年層は大分経験を重ねてから観返してはじめて「ああそうだったのか」と気づくことも多いと思います。)。そしてなにより、「ガンダムとは何か?」を徹底的に考え抜き、その成果を「ソフトとハードの両面」で見事に表現しています。(もちろんこの『鉄血のオルフェンズ』は、「ガンダムという文脈」を考慮してもしなくても十分楽しめます。)
この作品は真っ正直かつ優れた内容である分、「近年のアニメ業界」や「ガンダムファン(特に冨野ガンダムのファン)のコミュニティ」の「痛い所」を鋭く突いています。だから余計に、この作品をつまらぬ妥協なく最後までやり切り、「新しい時代に正面から対峙し、未来へ進める」ことを示したクリエイター達とプロデュースサイドには称賛と尊敬の念を禁じえません。
(おかげでブルーレイと解説本だけでなく、この年になって初めて「ガンプラ」をひとつ買ってしまいました(笑)。記念みたいなものなので組み立てず仕舞ってありますが(笑))