17巻が出る前日にようやく書くという…
ある程度テニスをやっていれば、まあ一通りのショットがそれなりのレベルで打てるようになるものだが、実際に試合に出始めると“大きな問題”になるのは、フットワークの品質やショット選択、そして何よりも“メンタル的な一貫性”だったりする。特にシングルスでは精神状態を自分でメンテするのが最優先事項になるので、週末プレイヤーレベルでは、殆どコミュニケーション不全でダブルスでは絶対組みたくないような人がえらく強かったりする。プロでも、2009年の全仏だったか、試合中に乱入しまとわりついてきた男をただただ顔を伏せて“閉じこもり”、やり過ごそうとするフェデラーの姿が印象に残っている。
低いレベルであれば、極端に言えば“飽きずに同じことをミス無く繰り返すだけ”の自閉的スタイルで何とかなり、プレーの多彩さや駆け引きの重要度はずっと低い。レベルが上がっても、フィジカルの裏付けをとりつつこの比率が少しづつ変化してゆくだけとも言える(プレースタイルやコートサーフェースによっても若干変わるが)。よく指摘されるように、テニスはノックアウトが無く、ミスの積み重ねで勝敗が決まる、つまり統計的には陰気な(笑)競技なのだ。だから快感のポイント(モチベーション)をどこに置くかが鍵になる。アマチュアでは理数系の職業や公務員が強いのも、この“作っては壊す作業を延々繰り返し、切れたら負ける競技特性”に適しているからかも知れない。(もちろん試合に勝つことが全てではないことは僕も強調したい。)
さて、エーちゃん、第1セットは今まで学んだあの手この手を尽くして何とか相手を乗せないようにして第1セットを取る(「よしっ!! 逃げ切った!!」)。相手が慣れる前に目先を変えてポイントを稼いだ一方、相手の井出は、主人公(のテニス)のいわばより本質的な部分を掴むのに1セット費やしたと言える。そしてスコア上は不利になることで観客を味方につけるのが井出流必勝パターンなのだろう。テニスはメンタルが大事で、なにしろいくらリードされてもマッチポイントさえ取られなければ負けないスポーツなのだ(心当りがありすぎて辛い…)。
予定通り?乗ってきた井出は第2セットを取る。そこで主人公は自分が感じているプレッシャーを書き出し、一度相対化してみる。更に相対化することによって管理可能になったプレッシャーを、試行錯誤しながら“最適化”させることによって盛り返してゆくことになる。
…やっぱり主人公の地味な超人振りが目立つ。相手の井出の方が余程普通の人類である(笑)
<以下、余談>
だから(今更ながら)、この漫画も大人向けである。もしくは体育会系脳みそ向けである。なぜなら『とてもリアリティのあるスポーツ漫画という矛盾』を読者側が乗り越える必要があるからだ。
“より一般的な”例を挙げよう。テニスはその最たるものだが、スポーツ全般において、現実の試合中あんなにクルクル表情を変えているようでは絶対に勝てない(笑)
いくら魅力的な漫画でも、漫画はあくまで漫画の表現としてスポーツを描いているに過ぎない。これを承知して楽しんでいるのが大人であり、そんな表現自体気づきもしないのが体育会系脳みそのガキどもなのだ。だからイチローは『ドカベン』と『大甲子園』を読破しても史上稀な大選手になり、一方僕は日曜日に遊べないリトルリーグを早々に辞めてしまったのだ(笑)
そしてだから、かつて『漫画夜話』において、いしかわじゅんは“(現実世界とは違う独自の視覚表現こそ大切であると考える)従来の漫画の常識”を破った『男組』と『スラムダンク』を「下手な写生だ」とけなしたのだ。さらにそれゆえに、『男組』の格闘場面は力強く美しく、『スラムダンク』は現実の肉体によるスポーツという新しい表現を漫画にもたらし、さらに“実用的”であったわけだ。
『ベイビーステップ』に戻ると、プレー中の画(表情は関係なく)については、正直なところ“写生”になってもいいからもうちょっと頑張って欲しいレベル(むしろ写生してくれ)。が、内容自体は、連載では、更に深く“リアル”になっているので当分楽しめる漫画だ。
ある程度テニスをやっていれば、まあ一通りのショットがそれなりのレベルで打てるようになるものだが、実際に試合に出始めると“大きな問題”になるのは、フットワークの品質やショット選択、そして何よりも“メンタル的な一貫性”だったりする。特にシングルスでは精神状態を自分でメンテするのが最優先事項になるので、週末プレイヤーレベルでは、殆どコミュニケーション不全でダブルスでは絶対組みたくないような人がえらく強かったりする。プロでも、2009年の全仏だったか、試合中に乱入しまとわりついてきた男をただただ顔を伏せて“閉じこもり”、やり過ごそうとするフェデラーの姿が印象に残っている。
低いレベルであれば、極端に言えば“飽きずに同じことをミス無く繰り返すだけ”の自閉的スタイルで何とかなり、プレーの多彩さや駆け引きの重要度はずっと低い。レベルが上がっても、フィジカルの裏付けをとりつつこの比率が少しづつ変化してゆくだけとも言える(プレースタイルやコートサーフェースによっても若干変わるが)。よく指摘されるように、テニスはノックアウトが無く、ミスの積み重ねで勝敗が決まる、つまり統計的には陰気な(笑)競技なのだ。だから快感のポイント(モチベーション)をどこに置くかが鍵になる。アマチュアでは理数系の職業や公務員が強いのも、この“作っては壊す作業を延々繰り返し、切れたら負ける競技特性”に適しているからかも知れない。(もちろん試合に勝つことが全てではないことは僕も強調したい。)
さて、エーちゃん、第1セットは今まで学んだあの手この手を尽くして何とか相手を乗せないようにして第1セットを取る(「よしっ!! 逃げ切った!!」)。相手が慣れる前に目先を変えてポイントを稼いだ一方、相手の井出は、主人公(のテニス)のいわばより本質的な部分を掴むのに1セット費やしたと言える。そしてスコア上は不利になることで観客を味方につけるのが井出流必勝パターンなのだろう。テニスはメンタルが大事で、なにしろいくらリードされてもマッチポイントさえ取られなければ負けないスポーツなのだ(心当りがありすぎて辛い…)。
予定通り?乗ってきた井出は第2セットを取る。そこで主人公は自分が感じているプレッシャーを書き出し、一度相対化してみる。更に相対化することによって管理可能になったプレッシャーを、試行錯誤しながら“最適化”させることによって盛り返してゆくことになる。
…やっぱり主人公の地味な超人振りが目立つ。相手の井出の方が余程普通の人類である(笑)
<以下、余談>
だから(今更ながら)、この漫画も大人向けである。もしくは体育会系脳みそ向けである。なぜなら『とてもリアリティのあるスポーツ漫画という矛盾』を読者側が乗り越える必要があるからだ。
“より一般的な”例を挙げよう。テニスはその最たるものだが、スポーツ全般において、現実の試合中あんなにクルクル表情を変えているようでは絶対に勝てない(笑)
いくら魅力的な漫画でも、漫画はあくまで漫画の表現としてスポーツを描いているに過ぎない。これを承知して楽しんでいるのが大人であり、そんな表現自体気づきもしないのが体育会系脳みそのガキどもなのだ。だからイチローは『ドカベン』と『大甲子園』を読破しても史上稀な大選手になり、一方僕は日曜日に遊べないリトルリーグを早々に辞めてしまったのだ(笑)
そしてだから、かつて『漫画夜話』において、いしかわじゅんは“(現実世界とは違う独自の視覚表現こそ大切であると考える)従来の漫画の常識”を破った『男組』と『スラムダンク』を「下手な写生だ」とけなしたのだ。さらにそれゆえに、『男組』の格闘場面は力強く美しく、『スラムダンク』は現実の肉体によるスポーツという新しい表現を漫画にもたらし、さらに“実用的”であったわけだ。
『ベイビーステップ』に戻ると、プレー中の画(表情は関係なく)については、正直なところ“写生”になってもいいからもうちょっと頑張って欲しいレベル(むしろ写生してくれ)。が、内容自体は、連載では、更に深く“リアル”になっているので当分楽しめる漫画だ。