2013年の日本を表す本当の一文字は文句なしで『軽』であった。
日本漢字能力なんちゃらとかいうところが『輪』と決めたことがいみじくも物語るように、もっとも象徴的だったのはもちろん、我らが安倍晋三首相がオリンピック選考会の質疑応答で吐いた「ブロック」発言である。本音と建前、「事実」と「損得」、絶望的なまでに分裂してしまっていた「このくにのことば」。1980年代半ばより急速に、順調に進んでいた「日本語」と日本語という「現象」をかたちづくる要素の腐敗。そして2013年9月7日、臨界点に達していた腐敗は、PM Shinzo Abeによる最後の一押しによって、日本語を塵と変え、それは東京砂漠に消えた。日本語が、日本人のことばが、屁の様に軽く空虚なものであることが世界の常識となった瞬間であった。だから、年末に沖縄県知事が米軍基地の移転について述べた内容にもはや驚きはなかった。そもそも、頭の悪い甲子園インタビューや泣けたり癒されたりするポップソングが示すように、日本語という「高級言語」はもはやこの国では無用の長物なのだ。だからHTML5とJavascriptをウェブやアプリケーションの世界だけでなく日本の標準語としても全く不思議ではない。
システムとしての日本もまた夢幻が如く軽い。国民と運営委託先間の契約書である憲法、議院内閣制と三権分立が共存するというジョークの中での司法、そしてもちろん国会議員にとっての国民、国民にとっての(国民の代表者であるはずの)国会議員。公僕であるはずの官僚にとっての国民。投機のネタにしか過ぎない指標を根拠に語られる経済。己の権利だけを死守するマスメディア…
そしてそんな2013年の日本同様、醜悪に、ただ時間が過ぎたから、きれいなオチも何も無くこの文章は終わる。