それにしてもこれほどの作品がなぜ劇場用でないの?
で、このシリーズ、独特の演出のし方もあって、何回も見直しを強いる(何回も楽しめる)つくりなので、まさにスナップショット的なレビューしか僕はできないです…
さて、やはり一番興味深かったのは、終盤クライマックス、怪異出現の原因である、ヒロイン羽川のストレス源に関するやりとりだった。
主人公阿良々木が羽川の自宅に忍び込んだとき、そこに彼女が「住んでいる」痕跡を見つけられず恐怖を覚えたほど、極限まで冷戦化した親子関係。10数年培われた緊張状態の中、傷ができるほど殴りつけた父親に対し、あくまでおだやかに諭すヒロインに対し、阿良々木は自分と相容れない、常軌を逸したものを感じ、阿良々木にとっての初恋は、終わる。
どうしても頭に浮かぶのはアダルトチルドレンという単語になってしまう。本人達が意図しない経緯で「法律上なってしまった親子」。ひとつ屋根の下、10年以上かけても「妥協」した関係をつくれなかった人達。ヒロインの、親をゆるさない鋼鉄のような頑なさと、破綻を隠し続ける様子に嫌悪を覚えた主人公だが、一方で同じ年月かけてヒロインの氷のような心を溶かすことを含め奇怪にねじれてゆく関係を回避できなかった親(の問題)への言及がこのアニメでは多分なかったと思う。ここに僕はすごく引っ掛かった。
なまじ人並み以上の意志力と知性を持ったばかりに「大人子供」化を進めようとするヒロインに対し、庇護者としての視点、経験に基づく感情移入と寛容、問題解決能力を持ち得なかった、学べなかった「大人になれていない大人」の両親(と社会)の問題。この「昔は当り前の見方」がもう通用しない時代になって久しいことを僕は感じてしまうのだ。事実、主人公はヒロインに対し「そんな性格でも生きてゆくしかない」と、もしかしたら当然のように、言ってしまうことで、「親がもはや親であることが難しい」ことが普通であり、子供含めより若い世代はそれに合わせて生きのびてゆくしかない状態であることを、あらためて、「思い知らせる」のだ。
原作者、製作に関わった人たち、そして様々な年代の視聴者達はそれぞれどう考えたのかとても興味があります。
今回はCSオンリーユーザーのためニコ生(タイムシフト)で観たのだが、このシリーズ、そもそも『化物語』がWOWOWでやっていたのを偶然観て、オープニングからそのセンスのよさに引き込まれてしまっていた。マニアではない僕から見たらそれこそシャフトこそバケモノである。もちろん今回の作品もやはり最初から魅せてくれている。
一方、原作は最初の続編である『傷物語』のみ買って読んだのだが、アニメシリーズともに、いわゆるいまどきのライトノベル*の特性らしきものに正直なじみきれないところはある。余分なところなしに、普通?に書いてくれれば率直に意図も伝わり、楽しみやすいのにと。
*を読んだ経験は今のところそれきり。子供の頃『さらば宇宙戦艦ヤマト』と『ガンダム』の4冊(逆襲のシャア含む)は読んだことはある。
まあ、(やや特殊な?性)描写など何とか流してしまえるところも多いが(『偽物語』はストーリーに動きが少ない分結構辛かったが)、やはり一番首を捻ってしまうのは「日常」への異常な執着かなあ。もっとも、このシリーズではアニメの描き方もありそれほど気にならなかったが、評判を聞いてWOWOWで録画しておいた『涼宮ハルヒ』シリーズはアウトだった。あの「放課後の学校」への執着は、(もはや世代論時代論を超えて?)しょうもなさしか感じられなかった。
そういえば以前、政治家としては嫌いだが批評家としては悪くない感じの(笑)猪瀬直樹氏が日経BPのウェブ連載で、「携帯小説をバカにする風潮があるが、太宰だって当時は時代を写し取った「そういうもの」として最初は人気が出たのだ」というようなことを書いていたなあ、ということを思い出すまでもなく、ライトノベルやアニメーションという表現形式で頭のいい人たちが優れた作品をたくさん世に出しているということをまた感じさせる作品でした。年末それなりに評判が高かった小説二冊『解錠師』と『サイバラバード・デイズ』借りて読んで、その内容がそれこそライトで大層拍子抜けしたのを埋め合わせるに充分だったということも付け加えておこう。