たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

読書 少女アンネ-その足跡

2012年06月23日 | 読書

今日は昼前図書館へ行ってきた。「アンネの日記」を読んでみようかと思って借りてきました・・。2ヶ月ほど前、Reユース棚から

「少女アンネーその足跡」 シュナーベル著(久米 譲訳) 偕成社文庫 1978・7刊 偕成社 

を、誰か市民が寄付されていて、貰ってきて長い時間をかけて読了しました。30年も前の本で新書版です。さすが紙焼けしていますが、新品同様で書き込みもなく良書でした。
内容は、”「アンネの日記」の筆者、アンネ・フランク・・・その短い生涯を彼女を直接知っていた人たちの生々しい証言によってあますところなく伝える・・・・世界的反響をよびおこした名著の完訳。”です。

子供さんにも読めるよう、漢字のほとんどにルビがふってあって、文言は優しさにあふれた筆致で書かれています。
”原著者エルンスト・シュナーベルはドイツに生まれ、そだち第二次大戦中は海軍軍人として連合軍とたたかいました。そして戦後1950年代の初めに「アンネの日記」を読み、深く感動すると同時にじっさいのアンネを知りたいという衝動にかられました。その後数年間をかけて、アンネの足取りを追って各地をめぐり歩き、アンネとかかわりのあった76人の後を追い、そのうちの46人の人たちと会ったり、手紙でつぶさに話を聞き、自分の主観をくわえることも、修飾することもなく伝えているのです。
それにもかかわらず、アンネの人となり、よろこび、悲しみ、いかりが、みごとなまでにえがきだされ、わたしたちにせまってきます。”と、訳者後書きに書いています。初出版は西ドイツの出版社から出版され、出版と同時にひじょうな売れ行きを示し、アメリカ、イギリスなど9カ国で翻訳出版されて、民族・国籍を問わず、多くの人々に深い感銘を与えた本です。

アンネ・フランク一家は1933年ドイツのフランクフルトから迫害を逃れて、オランダのアムステルダムに移住しますが、1940年5月、ドイツ軍はオランダに侵攻しわずか5日で降伏します。
それからもう7月にはオランダ国籍以外のすべてのユダヤ人は役所へ出頭し、住所、氏名を申請すべし。とユダヤ人の迫害がはじまります。
1942年7月、一家は隠れ家生活に入る。この地で父オットー・フランクは香辛料を加工する会社を経営していて、クラーレル、コーフェイス、女性のミープ、タイピストのエリの4人の従業員がいた。他に倉庫番の男の子が二人いたが、二人はこの会社の3階と5階に7人もが、咳一つ音を立てずに隠れていることは知らない。隠れ家には7人に後でひとり加わり8人になったようだ。
4人の従業員が25ヶ月にわたって彼らの隠れ家生活を支える。パンを大量に工面して分けてくれるパン屋さんや八百屋さんが、そうした内情を内心知りながら、真相は問わず協力する。多くの善意に支えられたのだ。
1944年8月誰かの密告で捕らえられて、アンネはアウシュビッツ、ついでベルゲン・ベルゼンに送られ、そこでチフスのため15歳の短い生涯を終えた。1945年2月末から3月と推定される。彼女は最後はひとりになってしまう。
「アンネの日記」は13歳の誕生日に父から日記帳をプレゼントされ、早速日記を書きはじめ、連行される1944年8月1日まで書きつづけた。
クラーレル、コーフェイスは政治犯収容所へ入れられるが、逮捕をまぬがれた二人の女性が、手入れのあった翌週床に散らかった、アンネの日記などを発見し保管する。このミープとエリはただひとり生き残って帰ってきた、父フランク氏にアンネの日記原稿を渡す。
こうして、アンネの声は沈黙させられた6百万の人からはなれて、のちの世までのこされた。

この本は、連行されてからのアンネの収容所生活がどんなにかみじめで、ひどいものであったかを、身近にいて幸い生き残った人の生々しい証言で知ることができる。


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