たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

啓蟄・蘇我倉山田石川麻呂の墓

2021年03月07日 | その他

二十四節季・啓蟄の時季を迎え今朝は庭にトカゲが出てきていた。
江南緑地のトラちゃんが出て来なかった。どうしたんだろう。野球とテニスで駐車場が満車なので、例により大縣神社へ行ったがここも満車で諦め、尾張富士本宮浅間神社へお参りしてきた。
帰宅途中、住まい近くの各務原市・蘇原自然公園へ寄った。河津桜が満開だった。

傍の私有地にあるが、下枝を払いよく手入れしてくださっている。

タンポポも咲いていた。

白梅も咲いている。

この公園の近くの農地にある小山・宮塚町・宮塚へ寄った。乙巳の変の立役者・伝・蘇我倉山田石川麻呂(そがの くらやまだの いしかわまろ)の墓である。

蘇我蝦夷と入鹿が専横を極めたので、中大兄皇子中臣鎌足が多武峰(とうのみね)で相談し、蘇我入鹿の首を刎ねた。
入鹿の首が飛んで御簾(みす)に喰らいついたという。蝦夷はその後自害した。
乙巳の変の脇役が蘇我倉山田石川麻呂です。その石川麻呂の墓がここ美濃の地だという伝説があるのです。
多武峰の麓にある談山神社へお参りしたこともある。宮司が「釈 迢空(本名:折口信夫) 研究会」の看板を出しておられた。「彼はホモだった」と呟いたら、同行した級友が「バカなことを・・」と、たしなめたら「いや、そのとおりです」と宮司がお認めくださったことがある。

  室生犀星著

蘇我倉山田石川麻呂が自害した菩提寺・山田寺跡も見た。標柱のみ残る芝生公園だった。その近くに飛鳥資料館がある。見張り番のおばさんに近くに「石川麻呂の墓がある」と言ったら驚いて「学芸員を呼ぶので詳しく話してやってください」と言われ、学芸員に説明した。
奈良・興福寺宝物館も見た。ここに山田寺にあった仏頭が展示してある。観ながら「桜井市・山田寺にあったのだ」と呟くと、そばに観ておられた老婦人が「そうです、興福寺が盗んできたのです」と肯定された。

当方の住む各務原市・那加地区は正倉院文書にもある「御野国各務郡中里戸籍(断簡)」が残されている。
原文
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先日、那加地区の隣、蘇原地区・蘇原野口町の区長さんから、昔の記事にコメントをいただいた。
平和主義のお方で、新しい看板を掲げてあるので見て欲しいとのことで、寄ってみました。平和は大事なことです。後ろの建物が無くなって更地になっていた。


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