土曜日、久しぶりに図書館へ行きました。長いこと借りた本『アンネの日記を』返本するためです。6月下旬に借りて1ヵ月半も貸し出し延長の手続きもせず横着しました。
皮膚科へ行ったとき、バッグから若いナースさん二人に本を見せたら、「図書館の本?」、「そう、もう返さなきゃ」、「返本の督促ハガキがきますよ」、と問答しました。
2003年4月出版のこの増補改訂版(文芸春秋社)は600ページもあって根気にボツボツ読了しました。
最後の日記は1994年8月1日に終わっています。その4日後誰かが密告し、秘密国家警察が隠れ家に踏み込み全員逮捕されます。
なぜ逮捕されるのでしょうか。何か悪いことでもしたのでしょうか。理由は彼らがユダヤ人だったからです。どうしてもこの謎が私には理解できません。なぜユダヤ人であることがいけないことなのでしょうか。
第二次大戦でドイツ人がナチズムという思想で、ユダヤ人を600万人も虐殺しました。
私はこの事実でどんなにドイツ人が有能な人種であっても、決して許されないことで、ドイツ人を今後も好きにはなれません。
翻訳者はあとがきで人間相互の異質さを認め合う、尊重しあうための手がかりと言っていますが、異質さへの不寛容といった思想・宗教観は日本人には理解しがたいものです。
日本人も大戦中、朝鮮や中国で同じように虐殺した事実はあっても、600万人もの人を民族・人種差別でシステマチックに殺してはいません。
そんなことを考えながら、この25ヶ月あまりの8人の隠れ家生活を、いきいきと日記に書いたアンネ・フランクを思いました。
彼女達は捕らえられアウシュヴィッツ収容所からベルゲンベンゼンの強制収容所へ移動させられます。家族はばらばらになり最後は姉のマルゴーと二人になりますが、ここは衛生状態が極めて悪くチフスが蔓延していて、はじめに姉マルゴーが亡くなり、そのうちアンネも亡くなって、穴に埋められたと推定されています。
1994から45年の寒い時期、2月か3月の頃とされています。詳しいことは誰もわからないのです。この収容所は1995年4月15日には英軍によって解放されました。
隠れ家の8人のうち、父オットー・フランクだけが生き延び、1995年6月3日、懐かしいオランダ・アムステルダムへ帰還しました。そして支援者の女性二人が保管していたアンネの日記を父に渡しました。
そのお陰で70年経った今でも世界の人びとが感動的なこの日記を読むことができます。
“率直で、激しい気性、鋭い人間観察、この年頃の少女として自然な性への関心、をくっりと浮かびあがらせている”と、翻訳者深沢真理子氏が、あとがきに書いておられます。
鋭い感性、豊かな表現力、アンネは父オットー・フランクを敬愛し、父の影響を最も強く受けた父っ子だったことを実感しました。
写真で見る実際の日記はインクで流れるようなオランダ語の筆記体で書かれています。ドイツ語、英語とヨーロッパ人の語学力はまたすごいですね。
この本の底本はオランダ語の完全版、原本はオランダ語の研究版、英語版の原本と、三つを対比して翻訳者が独自に翻訳したとあとがきにあります。
彼女の日記の中にある「世の中の役に立つことをしたい、死んでも生きつづけたい」との、彼女の願いは見事に達せられ、世界中の人びとを感動のうずに巻き込んで、70年後のいまでも彼女は生きつづけています。
アンネが13歳から15歳で捕らえられるまで、中学1年生から2年生の2年間の日記です。
いじめなんかで、生きづらさを抱え込んでいる、今の日本の中学生達に読ませたい本です。
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