cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧岩倉街道編(3)

2016-02-02 | 旧岩倉街道run!!

3月になり、随分と暖かくなった。
寒いのは、コスモタイガーの財布!

2月の泉州国際市民マラソンの疲れもあるのか、まだ体調は完璧とは言えず、ボチボチとコンディションを戻していこうか、という感じ。
それにしても相変わらず何かと忙しく、丸一日空けることが難しい。
今日も午前中は野暮用に拘束され、自由の身?になったのは、ランチタイムを過ぎた頃。

ということで、またしても岩倉街道。
前回の続き、ということなら、扶桑駅がStartになるんだけど(※旧岩倉街道編2参照)、いかんせん、終点の犬山まで距離が近すぎる!

こんなことなら、前回もう少し頑張って、犬山まで走り、完全走破しときゃ良かった!
でも、夕暮れ近かったから、犬山着く頃には真っ暗の可能性も高かったし…。

いずれにせよ、今更あれこれ考えたところで仕方ないこと。
それならいっそ!
と思い、重複になるけど、少し手前の「柏森」駅をstartとした。

もっとも便利なのは、前回まで利用していた市バス→地下鉄鶴舞線→名鉄犬山線、だけど、いい加減飽きてきた。

だから自転車で向かったのは、懐かしい?名鉄名古屋本線鳴海駅。
中山道で、岐阜市内をウロウロ走った以来になるのかな?(※旧中山道編9参照)

といっても、旧街道runのアクセスとして懐かしい、というだけのことで、プライベートでは度々利用しているんだけどね。

金山駅で犬山線に乗換。
まぁ、名古屋地区の人間には当たり前すぎるルートで、柏森駅到着。
すでに時計は15時を過ぎている。

記念のシャメだけ撮って、さっそくトレーニング開始!
もちろんここから隣の扶桑駅までは、前回と重複だから、資料を確認するまでもなく、順調に走る。
途中で江南市から扶桑町に。

迷うことなく、扶桑駅前に到着。
さぁ、ここからが前回の続きだ。

本来の旧街道は、ロータリー真っ只中を突っ切っていた模様だけど、現在はロータリー北側で消失。
いったん郵便局前で広い道に出る。

すぐに喫茶店の脇、右折する細い道があるから、そこを入ってみると、左に90度折れ、旧街道が復活。
いったん広い道に出て、また離れる。

200mほどでまたくっ付くと、今度は少しだけ広い道の反対側を走り、信号を渡ると、あとは道なりに。

左後方から県道64号が合流した地点が「伊勢帰」の信号だ。
右手には、大型スーパーを含む複合施設が鎮座している。

ここから約1kmは県道に沿って走る。
途中、行政区域が扶桑町から犬山市へと変わったようだ。

小さな川を渡ると、ここで県道とはさようなら。
右手斜めに分岐する、生活道路が旧街道なのだ。

1本道で、視野の左半分は工場街だけど、所々旧街道らしさが残る独特のうねりは、何だか久しぶりの気がして、なかなか楽しい。

途中で可愛らしい道標も残っている。
「左小口」はわかるけど、右は何て書いてあるのかな?

段々と家並みも増え、正面に大型スーパー「清水屋」が見えてきた。
犬山市の真ん中に近づいたようで、ゴールが近いことを実感する。

清水屋を目前にしながら、この道はT字路になってしまい、ここを左折。
「出来町」の交差点で、お別れしたはずの県道64を横断。

ここからは、右に左に多くの寺院があり、いかにも歴史を感じさせられる。

本町。
名前からして、ここが城下町犬山の中心だ。
左右いくつもの道が分岐し、碁盤目状の街になってることもはっきり実感できる。

今走ってるこの道も、岩倉街道であると同時に、犬山では「本町筋」称され、江戸期のメインストリートだっただね。

右手に立派なお屋敷が。
旧磯部家住宅。

呉服商を営んできた旧家で、登録有形文化財に指定されている。
中も見学できるんだけど、とりあえずトレーニング中ね!

そのまま直進、というか北上すること、約400m。
正面には、国宝犬山城を見上げつつ、文化資料館前に到着。

この犬山城の前が、岩倉街道としての終着点。
でもトレーニング終了するには、ちょっと強度不足。

正面の小山を上った先に、犬山城の現存天守閣がある。
クロカン練習を兼ねて、山登り。
天守閣の真下まで行くものの、すでに観覧終了間近だし、まだゴールしてないし。

ってことで、もったいないけれど、そのまま引き返して山を降りる。
まぁ、過去に何度か天守に上ってるから、特に未練はないけれど。

それどころか、若かりし頃は、毎年のように「読売犬山ハーフマラソン」(2月)に出場していたから、懐かしさすら感じたりしている。

コスモタイガーのハーフマラソンのベストタイムは、この大会。
ほとんど外したことがなく、相性抜群の大会だった。
(※久々出場の2014年にも、40代のベストタイムをここで出しました)

平坦ばかりで、記録を出すために設定された都心の「高速コース」より、適度の起伏や風景の変化がある犬山のコースは、「リラックス」と「緊張」のバランスが程よく維持されている気がする。
逆に、殺風景な高速コースは、いかにも「人為的に作られた」感がして、途中で気持ちが切れちゃったりするんだよね。

せっかくだから、犬山ハーフのレース前の自分のアップコースを、走ってみよう。

犬山城を西に向かうと、すぐに木曽川沿いの風光明媚な光景に出くわす。
まさにこの辺りは、「日本ライン」と称される、絶景ポイントだ。(※旧中山道編11参照)

ライン大橋で木曽川を渡ろう。
この橋の上から見る犬山城の姿が実に美しく、結構好きなんだよね。(冒頭写真)

木曽川が愛知県と岐阜県の県境。
ということは、渡った先は岐阜県各務原市。
尾張から美濃に、国境を越えたことになる。

レース前に密かに「国境越え」を楽しんでるコスモタイガー。
さすがに多少の緊張感もあって、ここで引き返すんだけど、今日はここを右折して、木曽川の対岸をこのまま走ろう。
岐阜県道95号線だ。

対岸から犬山城の美観を愛でながら走ると、「犬山橋北」の信号に突き当たる。
そう、右手の大橋は、犬山橋。

鉄道ファン、特に「撮り鉄」には有名な橋。

かつてはここが「路面電車」区間となっていて、普通電車はもちろん、名鉄パノラマカーもここをスピードを落として走っていた。

2000年3月、車専用のバイパスが完成し、そんな風景も過去のものになった。

この犬山橋を渡れば、再び「尾張」に戻るんだけど、ここまで来たら左に折れ、最寄の新鵜沼駅をゴールとしよう。
鉄ちゃんとしても、いろいろ意味のある駅だしね。

走った距離は15kmぐらい?
でも岩倉街道としては10km前後といったところかな?(前回との重複部分含む)

新鵜沼駅。
ここは特急も停車する、名鉄の拠点駅の1つ。
見た目には、単なる途中駅なんだけどね。
名古屋方面から延びてきた犬山線は、ここが終点。
ここから先は各務原線と名を変え、西にカーブもJR高山本線に並走するような感じで名鉄岐阜駅を目指すことになる。

と書いたけど、各務原線も、書類上は名鉄岐阜駅が起点で、新鵜沼駅は終点。
つまり、この駅から発車する列車は全て、終点から起点に向かう「上り列車」ということになるんだね。

この駅はネタが多くて、ウロウロしてしまう。
旧中山道が、500mほど北を通っており、鵜沼宿の最寄駅にもなっている。
ここを走ったのも、随分昔のような錯覚を覚える(※旧中山道編10参照)

北東200mには、JR高山本線「鵜沼」駅がある。
この間を陸橋で渡れるようになって、今では乗換も以前よりは便利になった。

かつては連絡線が存在し、その上を名鉄特急「北アルプス」号が走っていた。(※旧中山道編10参照)
2つの駅の間を斜めに走る道路が、その線路跡だろうと推測される。

さて、これ以上ウロウロすると、挙動不審者になりそうだ。
もうなってるかな?

ここから鳴海駅まで、特急で途中の金山駅まで。
そこからは急行に乗換えて7~8分。
鳴海駅に到着し、本日のプチ旅行?は終了!

すでに周囲はどっぷりと日が暮れた中、自転車で自宅に向かうコスモタイガー。
あっけなさもあるけれど、これにて旧岩倉街道完全走破!
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コスモタイガー漂走記~旧岩倉街道編(2)

2016-01-09 | 旧岩倉街道run!!

自宅から名古屋市営バスに乗り、「原」駅で市営地下鉄鶴舞線に乗換。
そのまま相互乗り入れしている名鉄犬山線に入り、「岩倉」駅下車。

1週間経ち、再び岩倉駅前に立つコスモタイガーなのだ。
すでに夕刻近く、15時半を回ろうとしている。

約1週間後に今年のメインと位置づけたフルマラソン(泉州国際市民マラソン)を控えているため、すでに調整の段階で、本格的なロング走を行う時期ではない。
また、ここの所何かと忙しく、丸一日空けることも、スケジュール的に厳しい。

ということで、2週続けての岩倉街道なのだ。
まぁ、岩倉街道なら、何か用事済ませた後でも、こうして気楽に走れるからね。

駅前を直進すること約300m。
前回コースアウトした「神明生田神社」。
ここから前回の続きってことで、さぁ、今日のトレーニングスタート!!

すぐに道が升形になっていて、左・右とカーブ。
思いっきり旧街道の雰囲気だ!

中本町の信号を直進すると、左手にこれまた随分と立派な神社。
「神明大一社」ということらしい。

岩倉市のほぽ中心を走ってるんだけど、良いねぇ、岩倉市。
街道オーラを残しつつ、町が発展した感じだ。

突き当たりに「光照寺」。
ここを左折。

手元の資料に寄れば、さらに100mほど進んだすぐの道を右折することになっているけれど…。
自分のカンを頼りに、ここはこのまま直進。

右にある松栄寺を見て、すぐに右折。
確信ないけど、たぶん升形だったのかな?

すぐに左手、證法寺。
こっちの方が確実に旧街道っぽいんだけどなぁ。
それに地図に掲載されている住所(あるいは字名)が、「こっちが旧街道だよ」と囁いている気がする。
この道を境にして、左が南廻間、右が東廻間、になっているようだし。

さらに道なりに進み、県道25、国道155号を横断。
やがて右手やや奥に「覚順寺」。
ここも字名は、道の左が「往還西」、右が「往還東」。
「往還」とは、当然岩倉街道のことを指しているんだろうから、ここが旧街道だと確信する。

右手に「石仏」駅図見えてくると、すぐに旧街道は「名神高速道路」の高架をくぐる。
「石仏駅北」の信号もそのまま直進。

ここからは再び県道157に合流。
そのまま、というか、いつの間に、というべきか、道なりに走ってると、行政区域は岩倉市から江南市になったらしい。

県道157は、ほぼ完全に車仕様になっていて、旧街道らしさは偲ぶべくもないけれど。
「小折」の交差点を過ぎたすぐのところ、足元にひっそりと、道標が残されている。


100mほど進むとJAがあり、その後方から左に分岐する狭い道が伸びている。
これ、岩倉街道やね、間違いない!

すぐに御嶽神社があり、ここで案内板に従い、寄り道ということで、左折。
県道172の信号を渡った先に、市立の布袋保育園がある。

実はここが「小折城跡」。
別名「生駒屋敷跡」。


名前のとおり、織田家の有力家臣、生駒氏の居城跡だ。
その生駒氏の名が知られているのは、何と言っても、織田信長が最も愛した側室とされる、吉乃さん(吉乃の方)が生駒氏の出身ということ。

吉乃の方様は、嫡男信忠、次男信雄を出産。(他に姫を一人)
信長の寵愛を受け、その影響力は、子供のできなかった正室濃姫を凌駕していたとされる。

さぁ、再び旧街道に戻り、先へ進もう。

御嶽神社から約200m。
正面には「般若寺」。
1391(明応2)年の創建という古刹。

当時からここが道、つまり街道であったことの証左やね。
ここは升形になっていて、右に行ったらすぐ左。

そのまま進むと、すぐに国道155号にぶちあたる。
ここで旧街道はどうやら消失しているようだ。

仕方なく、右折してすぐの交差点。
「南山町」の名が付いている。

100mほど先、2本目の狭い道を左に入ると、また100mほどで、右へ行くくねくね道が・・・。
たぶんこれが旧街道だ。

地図上でも、さっきの国道155号とぶつかった道の延長線になっている。
もっとも「復活」するのはごくわずか。
400m先のT字路で終了。
再び右折して、県道157に舞い戻る。

東海道や中山道と違って資料が少ないんだよね。
だから、ある程度の推理を駆使して、オリエンテーション感覚で楽しむのが、「脇街道の走り方」なのだ、

でも神社とか、お寺、そして昔から地域の人に利用されている公民館(寄合所)などを辿っていけば、そんなに大幅に外れることはない。
これも旧街道runの蓄積された経験からはじき出されるのさ。

そして舞い戻った地点に津島神社があり、ここもかつての街道だったことが推測できる。

しばらくは直進。
地味な県道runながら、右側に地蔵寺。

そこから100mほど進み、何の目印もないけれど、直感で右折。
すぐに左折して、そのまま進んで県道157を横断すると、「朝熊神社」の脇を通り抜け、若宮八幡宮の前に出る。

その若宮八幡の裏手から、くねくねっとした感じで右へ細い道が分岐している。
旧街道オーラ満載!
迷わず足を踏み入れる。
かつてはこの八幡社の境内を素通りしていたのかもしれないね。

「力長北」の交差点を過ぎたところでいったん県道157に合流するものの、次の「前野南」で再び左側に古道らしき細道を迷わず選択。

200mほど先で、街道はそのまま直進だけど、ちょっと寄り道。
左折して、最初の信号で県道179に出る。

ここを左に折れ、さらに少し裏道に入ると、「旧前野家住宅」。
前野家は、織田・豊臣・徳川に仕えた名門一族。
現在もその家系は、連綿と続いている。

旧街道に戻り、さっきの道をそのまま進むと、大きな工場に遮られて終了。
「オークマ」の江南工場とのことで、旧街道は本来直進していたんだね。
現在はこの工場により、消失したことは間違いない。

仕方なくそのまま道なりに右折し、すぐに広い道(県道157の延長」に出る。
工場に挟まれて単調だけど、ここはもう道なりに進むしかない。

工場を過ぎた辺りからは、恐らくこの道がそのまま旧街道になってるんだろうな。
わずかばかりのうねりを感じる。

「柏森」駅前を通過。
駅から最初の信号が「柏森西屋敷」、

何となくごちゃごちやした感じの交差点。
でもここがかつての高札場の跡らしい。

そしてこの道は、そのまま県道159、ということになる。

そのまま古い商店街のイメージの街を直進、「柏森辻田」の交差点。
県道159としては左折だけど…。

コスモタイガーはそのまま直進。
すぐに左斜めに分岐する細い道が、岩倉街道やね。

300mほど進んだところで、扶桑(ふそう)中学校に行く手を阻まれて行き止まり。
かつての岩倉街道は、このまま直進していたんだろうけれど、現在は中学校の運動場に化けてしまったようだ。

仕方なく右折し、すぐにさっきまで走ってた広い車道に出る。

「高木白山前」の信号に出た。
恐らく旧街道は、中学校の敷地を突き抜けたのち、この辺りに出てきたんだろうと推測。
現在は、街道の面影はない。

いつの間にか、名鉄線が右に寄り添っている。
そのまま名鉄の線路に沿って走ること、約400m。
「扶桑」駅のロータリーに出た。(冒頭写真)

便利だから、本日はここをゴール!
街道だけで12~13km、実走はもう少し長く、14~15kmってところかな?

陽も随分と西に傾いている。
帰ろうっと!

そういえば前回も今回も、切符を買ってない。
改札では手元のユリカを通してただけだから、それ自体、いかにも「地元ウロウロ」感なんだよね。

それはそうと、このユリカに代わる、非接触型ICカード(manaca)が、発売されたばかり。
アナログ人間だから、まだそのメリットにピンと来ないけれど、近いうちに変更しないとなぁ…。
などと思いつつ、帰路につくコスモタイガーであった。

(※そのmanacaをこの直後に購入、現在は毎日普通に利用しています。東京大阪等国内各地で利用できる他、コンビニ等での買い物もでき、便利なのは言うまでもありません)
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コスモタイガー漂走記~旧岩倉街道編(1)

2015-12-09 | 旧岩倉街道run!!

2月の寒風の中、すでに時計は15時近く。
コスモタイガーは、名古屋市営地下鉄鶴舞線、浅間町駅(4番出口)の前に立っている。

もちろん旅行色0。
それどころか勤務先にも程近い。

え?何してんのかって?
そう、ここは中山道とはまったく関係がない。

中山道は、時間も金もかなり要してね~。
マラソンシーズン真っ只中の現在、本職?のレースや駅伝などもあって、丸1日空けるのは当分厳しそうだし、ぶっちゃけ、長旅連発で、財布の中もスッカラカン。

そういうわけで、いきなりローカルに戻り、岩倉街道(または犬山街道・柳街道とも)を走ってみようと思い立ったのさ!
これまた中山道の裏企画として、気軽にやってみよう!

名前の通り、名古屋城下を起点とし、岩倉を経由、尾張藩重臣成瀬氏の治める犬山城下を結ぶ街道で、それゆえ往来も多く、道沿いに「市(いち)」も盛んだったとされる。

何せ犬山だからさ!
愛知県どころか、尾張限定の超ローカル街道。
「裏企画」と称しつつ、2~3回で終わってしまいそうな気配だけどね(笑)
経路的にも大半が名鉄犬山線内を行ったり来たりするだけで、鉄チャン要素0、面白味はほとんどない。

浅間町の交差点を北上。
100m少々で最初の信号があり、ここが美濃路との接点。

名古屋城下と犬山城下を結ぶという趣旨からして、本来なら名古屋宿札の辻(伝馬町本町:旧美濃路編2参照)をスタートにするべきかと思ったりもしたけれど、この辺りの美濃路は過去に何度も走ってるし、「旧街道run」としても2回走破している。(旧美濃路編2、4)

そんなわけで、駅からすぐに旧街道に入れるこの浅間町駅をスタート地点にしたのさ。

そのまま美濃路を走る。
枇杷島橋までは、「重複区間」というやつ。
旧街道runだけてなく、若かりし一時期、西区民だったころには日常的に走ってたコースでもあり、見慣れた風景だ。

屋根神様も清音寺も立ち止まることなく素通りし、県道67号に合流し、あっけなく枇杷島橋を渡る。
「問屋町」の信号から左斜めに入るのが美濃路。

50m先がY字型になっていて、いわゆる追分。
鋭角に右折して、再度県道67号を渡り、「橋詰神社」の前を通るのが岩倉街道ってことになるのさ。

あとは右手に庄内川を見ながら、堤防下の道を走ることになった。

さぁ、いよいよ岩倉街道も本番!
とはいえ、脇街道も脇街道。
一里塚とか本陣跡とか、旧街道名物的な史跡は期待できそうにない。
ひたすら堤防に添って走る。
それでも注意しながら走ってると、小さな祠が、気休め程度に点在する。

下小田井の町並みを過ぎ、国道22号(名岐バイパス)の下を潜ると、今度は中小田井の街だ。

すぐの道を左折し、ちょっと寄り道したところにある、児童公園。
実はここがかつての小田井城址。
隅の方に、控えめに?それを示す標柱が建てられている。

そしてこの辺りは、2000(平成12)年9月の東海豪雨で、大きな被害を受けた地域でもある。(旧美濃路編3参照)

当時庄内川沿いに住み、日常的にこの周辺を走っていたコスモタイガーも、随分と心を痛めたことは、今も記憶に新しい。

やがて庄内川から少しづつ離れる形になり、堤防から徐々に離れていく。

左手約100mほど寄り道すると、西方寺。
平安時代から続く古刹だとか。

右手、庄内川の堤防沿いに大きな公園が出現した。
名古屋市民の憩いの場として利用されている、「庄内緑地公園」だ。

コスモタイガーも、西区在住時代、この緑地公園内の2.3kmのランニングコース、数え切れないぐらい走ったなぁ。
まさにかつての本拠地、といった感じで、感慨深く走りすぎる。

その緑地公園と岩倉街道に挟まれる感じで存在するのが、願王寺。
829(天長9)年建立という、地味ながらとても由緒ある寺だ。

明治に入ってから、信州善光寺より如来様のおすそ分けをいただいたとのことで、善光寺別院の別称もある。

ここを境に、中小田井の古い町並みが始まるのさ。
住宅街の一角にもかかわらず、名古屋市の町並み保存地区にも指定された、貴重な遺産なのだ。(冒頭写真

名鉄犬山線中小田井駅の北側を斜めに横切る。
さらに進むと、東海交通事業城北線の高架下を潜る。

この城北線、JR東海の子会社、東海交通事業の運行だから、JRじゃないんだけど、JRの雰囲気が味わえる。
しかも気動車というのが嬉しい、何とも不思議な路線なのだ。

三菱東京UFJ銀行の横を通り、「大木曽」の交差点に出た。
正面少し奥には、「上小田井」の駅があり、街道を見失ってしまいそうだけど、左に目をやると、歩道橋があって、その横からひっそりと細い道が分岐している。
これが岩倉街道の続きやね。

マンションの間を縫うように走ると、国道302号と交差。
その先で、新川を渡る。
橋の名前は平田橋。

右に並行する名鉄犬山線には、かつて平田橋駅が存在していたけど、今は、先ほど目にした「上小田井駅」に取って代わられている。

ちなみに車社会の現在は、左手少し離れた、県道63号(通称:名草線)の新平田橋を通過する車が大半で、今走っている平田橋は、地元の人がたまに通る程度の、静かな橋となった。

住宅街を走る。
秋葉神社が左にあり、かすかにここが岩倉街道だと確信できる。

そこから約600mほど。
何の目印もない住宅地の中で、「いつの間に?」という感じで、行政区分が北名古屋市に変わるんだよね。

で、この辺りからが、かつての九之坪集落。
古くからの一軒家が多く、何となくだけど、街道らしさが残ってるんだよね。
両家天神社、なんてのも左にあったりして、結構楽しいrunだ。

右側にぴったりと名鉄が寄り添いながらのrunningが続く。
線路の向こう側に平田(へいでん)寺。
きっとこれが平田橋の名前とリンクしてるんだろうね。

アパート・マンションが増えてきて、少し賑やかになったと思ったら、「西春(にしはる)駅」前。
名鉄犬山線の主要駅の1つで、特急も停車する。

西春は合併前のかつての町名だ。
駅ビルがそのまま百貨店(パレマルシェ、かつての名鉄パレ百貨店)になっていて、便利なんだけどね。

お隣、西区民の頃は、「ちょっとまとまって大きな買い物に・・・」は、この名鉄パレが多かったからね。
久しく来てないだけに、中を覗いてみたい気持ちは大いにあるけれど、後ろ髪を引かれつつ、runに専念♪

また、西春駅は、県営名古屋空港(かつての名古屋空港)の最寄駅であり、現在のセントレア(中部国際空港)開港前は、空の玄関口でもあったんだけどね。

かつてコスモタイガーが西区に住んでいたのも、セントレア開港前。
全体的に、当時よりは寂れた感じがして、少しばかり悲しい。

道的には迷うところもなく、走りやすい。
とにかくまっすぐ進むだけ。

特に見るべきポイントもなく、西春の街中を抜ける。
相変わらず名鉄線が右に寄り添う。

また駅だ。
今度は「徳重・名古屋芸大前」。

単に徳重で良いんだけどね。
実際、コスモタイガーが西区民の頃はそう呼んでいた。

緑区にも同名の地名があってよく間違われるけれど、近くの名古屋芸大の契約により、2005年よりこの駅名となったんだね。

緑区の徳重の方は、まもなく地下鉄桜通線「野並~徳重間」延伸予定。(2011年3月27日開業予定/だから今は2011年2月です、はい!)
随分と便利になりそうだ。

そうなると、徳重発徳重行鉄道の旅、なんてのも可能。
「徳」が重なってなおかつ2つもある。
縁起良さそうで、レイルウェイライター、種村直樹氏が喜びそうなネタだけど、ちょっと近すぎるか?
ルート的にも全然面白くなさそうだけど。

300mほど先で五条川を渡ると、岩倉市だ。
1本道だから迷うことはない。

大山寺(たいさんじ)駅前の小さな信号。
そのまま直進し、しばらくして名鉄犬山線を横断。
字名が、下街道・中街道・上街道となってるから、ここが旧街道なのは間違いない!

「下本町下市場」の信号で、県道25号と出会うけれど、そのまま直進。
さぁ、今日の予定「岩倉駅」は近い。

300mほどで、左手に目的の「岩倉」駅。
そのままゴール!としたいところだけど、ちょっと寄り道。

右に目を向けると、「神明生田神社」。
結構立派な神社だ。
この一角に、「山内一豊公出生地」の碑が建っている。

山内一豊といえば、「功名ヶ辻」でも有名な、のちの土佐藩初代藩主。
この岩倉市の出身なんだね。

お参りを済ませて、本日の旧街道runはこじんまりと終了。
岩倉駅をゴールとした。

距離は短めで、実走13~14kmかな?
ま~、近いからね、気楽だね。
何よりすでに夕刻の雰囲気。
また続きは今度ね♪

岩倉駅も特急停車駅。
急に近くなって、旅情も何もなく、名鉄・地下鉄を乗り継いであっさり帰宅。

原点回帰したような、近場の旧街道を久し振りに楽しんだ、コスモタイガーであった。


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