2月の寒風の中、すでに時計は15時近く。
コスモタイガーは、名古屋市営地下鉄鶴舞線、浅間町駅(4番出口)の前に立っている。
もちろん旅行色0。
それどころか勤務先にも程近い。
え?何してんのかって?
そう、ここは中山道とはまったく関係がない。
中山道は、時間も金もかなり要してね~。
マラソンシーズン真っ只中の現在、本職?のレースや駅伝などもあって、丸1日空けるのは当分厳しそうだし、ぶっちゃけ、長旅連発で、財布の中もスッカラカン。
そういうわけで、いきなりローカルに戻り、岩倉街道(または犬山街道・柳街道とも)を走ってみようと思い立ったのさ!
これまた中山道の裏企画として、気軽にやってみよう!
名前の通り、名古屋城下を起点とし、岩倉を経由、尾張藩重臣成瀬氏の治める犬山城下を結ぶ街道で、それゆえ往来も多く、道沿いに「市(いち)」も盛んだったとされる。
何せ犬山だからさ!
愛知県どころか、尾張限定の超ローカル街道。
「裏企画」と称しつつ、2~3回で終わってしまいそうな気配だけどね(笑)
経路的にも大半が名鉄犬山線内を行ったり来たりするだけで、鉄チャン要素0、面白味はほとんどない。
浅間町の交差点を北上。
100m少々で最初の信号があり、ここが美濃路との接点。
名古屋城下と犬山城下を結ぶという趣旨からして、本来なら名古屋宿札の辻(伝馬町本町:旧美濃路編2参照)をスタートにするべきかと思ったりもしたけれど、この辺りの美濃路は過去に何度も走ってるし、「旧街道run」としても2回走破している。(旧美濃路編2、4)
そんなわけで、駅からすぐに旧街道に入れるこの浅間町駅をスタート地点にしたのさ。
そのまま美濃路を走る。
枇杷島橋までは、「重複区間」というやつ。
旧街道runだけてなく、若かりし一時期、西区民だったころには日常的に走ってたコースでもあり、見慣れた風景だ。
屋根神様も清音寺も立ち止まることなく素通りし、県道67号に合流し、あっけなく枇杷島橋を渡る。
「問屋町」の信号から左斜めに入るのが美濃路。
50m先がY字型になっていて、いわゆる追分。
鋭角に右折して、再度県道67号を渡り、「橋詰神社」の前を通るのが岩倉街道ってことになるのさ。
あとは右手に庄内川を見ながら、堤防下の道を走ることになった。
さぁ、いよいよ岩倉街道も本番!
とはいえ、脇街道も脇街道。
一里塚とか本陣跡とか、旧街道名物的な史跡は期待できそうにない。
ひたすら堤防に添って走る。
それでも注意しながら走ってると、小さな祠が、気休め程度に点在する。
下小田井の町並みを過ぎ、国道22号(名岐バイパス)の下を潜ると、今度は中小田井の街だ。
すぐの道を左折し、ちょっと寄り道したところにある、児童公園。
実はここがかつての小田井城址。
隅の方に、控えめに?それを示す標柱が建てられている。
そしてこの辺りは、2000(平成12)年9月の東海豪雨で、大きな被害を受けた地域でもある。(旧美濃路編3参照)
当時庄内川沿いに住み、日常的にこの周辺を走っていたコスモタイガーも、随分と心を痛めたことは、今も記憶に新しい。
やがて庄内川から少しづつ離れる形になり、堤防から徐々に離れていく。
左手約100mほど寄り道すると、西方寺。
平安時代から続く古刹だとか。
右手、庄内川の堤防沿いに大きな公園が出現した。
名古屋市民の憩いの場として利用されている、「庄内緑地公園」だ。
コスモタイガーも、西区在住時代、この緑地公園内の2.3kmのランニングコース、数え切れないぐらい走ったなぁ。
まさにかつての本拠地、といった感じで、感慨深く走りすぎる。
その緑地公園と岩倉街道に挟まれる感じで存在するのが、願王寺。
829(天長9)年建立という、地味ながらとても由緒ある寺だ。
明治に入ってから、信州善光寺より如来様のおすそ分けをいただいたとのことで、善光寺別院の別称もある。
ここを境に、中小田井の古い町並みが始まるのさ。
住宅街の一角にもかかわらず、名古屋市の町並み保存地区にも指定された、貴重な遺産なのだ。(冒頭写真)
名鉄犬山線中小田井駅の北側を斜めに横切る。
さらに進むと、東海交通事業城北線の高架下を潜る。
この城北線、JR東海の子会社、東海交通事業の運行だから、JRじゃないんだけど、JRの雰囲気が味わえる。
しかも気動車というのが嬉しい、何とも不思議な路線なのだ。
三菱東京UFJ銀行の横を通り、「大木曽」の交差点に出た。
正面少し奥には、「上小田井」の駅があり、街道を見失ってしまいそうだけど、左に目をやると、歩道橋があって、その横からひっそりと細い道が分岐している。
これが岩倉街道の続きやね。
マンションの間を縫うように走ると、国道302号と交差。
その先で、新川を渡る。
橋の名前は平田橋。
右に並行する名鉄犬山線には、かつて平田橋駅が存在していたけど、今は、先ほど目にした「上小田井駅」に取って代わられている。
ちなみに車社会の現在は、左手少し離れた、県道63号(通称:名草線)の新平田橋を通過する車が大半で、今走っている平田橋は、地元の人がたまに通る程度の、静かな橋となった。
住宅街を走る。
秋葉神社が左にあり、かすかにここが岩倉街道だと確信できる。
そこから約600mほど。
何の目印もない住宅地の中で、「いつの間に?」という感じで、行政区分が北名古屋市に変わるんだよね。
で、この辺りからが、かつての九之坪集落。
古くからの一軒家が多く、何となくだけど、街道らしさが残ってるんだよね。
両家天神社、なんてのも左にあったりして、結構楽しいrunだ。
右側にぴったりと名鉄が寄り添いながらのrunningが続く。
線路の向こう側に平田(へいでん)寺。
きっとこれが平田橋の名前とリンクしてるんだろうね。
アパート・マンションが増えてきて、少し賑やかになったと思ったら、「西春(にしはる)駅」前。
名鉄犬山線の主要駅の1つで、特急も停車する。
西春は合併前のかつての町名だ。
駅ビルがそのまま百貨店(パレマルシェ、かつての名鉄パレ百貨店)になっていて、便利なんだけどね。
お隣、西区民の頃は、「ちょっとまとまって大きな買い物に・・・」は、この名鉄パレが多かったからね。
久しく来てないだけに、中を覗いてみたい気持ちは大いにあるけれど、後ろ髪を引かれつつ、runに専念♪
また、西春駅は、県営名古屋空港(かつての名古屋空港)の最寄駅であり、現在のセントレア(中部国際空港)開港前は、空の玄関口でもあったんだけどね。
かつてコスモタイガーが西区に住んでいたのも、セントレア開港前。
全体的に、当時よりは寂れた感じがして、少しばかり悲しい。
道的には迷うところもなく、走りやすい。
とにかくまっすぐ進むだけ。
特に見るべきポイントもなく、西春の街中を抜ける。
相変わらず名鉄線が右に寄り添う。
また駅だ。
今度は「徳重・名古屋芸大前」。
単に徳重で良いんだけどね。
実際、コスモタイガーが西区民の頃はそう呼んでいた。
緑区にも同名の地名があってよく間違われるけれど、近くの名古屋芸大の契約により、2005年よりこの駅名となったんだね。
緑区の徳重の方は、まもなく地下鉄桜通線「野並~徳重間」延伸予定。(2011年3月27日開業予定/だから今は2011年2月です、はい!)
随分と便利になりそうだ。
そうなると、徳重発徳重行鉄道の旅、なんてのも可能。
「徳」が重なってなおかつ2つもある。
縁起良さそうで、レイルウェイライター、種村直樹氏が喜びそうなネタだけど、ちょっと近すぎるか?
ルート的にも全然面白くなさそうだけど。
300mほど先で五条川を渡ると、岩倉市だ。
1本道だから迷うことはない。
大山寺(たいさんじ)駅前の小さな信号。
そのまま直進し、しばらくして名鉄犬山線を横断。
字名が、下街道・中街道・上街道となってるから、ここが旧街道なのは間違いない!
「下本町下市場」の信号で、県道25号と出会うけれど、そのまま直進。
さぁ、今日の予定「岩倉駅」は近い。
300mほどで、左手に目的の「岩倉」駅。
そのままゴール!としたいところだけど、ちょっと寄り道。
右に目を向けると、「神明生田神社」。
結構立派な神社だ。
この一角に、「山内一豊公出生地」の碑が建っている。
山内一豊といえば、「功名ヶ辻」でも有名な、のちの土佐藩初代藩主。
この岩倉市の出身なんだね。
お参りを済ませて、本日の旧街道runはこじんまりと終了。
岩倉駅をゴールとした。
距離は短めで、実走13~14kmかな?
ま~、近いからね、気楽だね。
何よりすでに夕刻の雰囲気。
また続きは今度ね♪
岩倉駅も特急停車駅。
急に近くなって、旅情も何もなく、名鉄・地下鉄を乗り継いであっさり帰宅。
原点回帰したような、近場の旧街道を久し振りに楽しんだ、コスモタイガーであった。