【2018年10月某日】
10月に入り、随分と涼しくなってきた。
業務の都合などもあり、平日休みとなった秋晴れの一日。
こんな日に社宅で一人過ごすなんてもったいない!
ってことで、慌ただしく朝食と洗濯を済ませ、本日のトレーニング?のために社宅を出る。
最寄りの駅は淀屋橋。
ここは大阪市の官庁街なんだよね。
だから出勤してくる人たちを尻目に地下鉄御堂筋線→近鉄南大阪線と逆の行動。
前回のゴール地点からだと、このまま道明寺駅下車なわけなんだけど、最後の素敵な街道筋を慌ただしく終わった気がしてね。
わずか300mほどの重複にはなるけれど、1駅手前の土師ノ里(はじのさと)駅で下車。
まだ10時を少し回ったところだから、ゆっくり落ち着いて走れそうだ。
ここも普通のみ停車の無人駅だが、記念(証拠?)に駅看板をシャメしておく。(冒頭写真)
さて、駅前の府道12号を線路伝いに歩き、約3分。
最初の踏切を渡るところが前回も通った東高野街道。
渡った先に、街道らしい素朴な景色が続き、期待感が膨らむ。
ここを本日のスタート地点とする。
といいつつ、最初の300mほどは前回と重複なんだけどね。
はい、前回のコースアウト地点、道明寺到着。
ここは前回にも寄ったけどさ、平日の昼間、実に静かな佇まいを素敵に感じつつ、トレーニングの無事を願い、再度手を合わせて行こう。
さぁ、ここからが実質の前回の続き。
街道は1本道で南下、案内板も整備されていて走りやすい。
300mほど走った先の十字路に案内があり、気になったので少し寄り道とし、右折する。
西名阪をくぐった先にある、整備された広場が「大鳥塚古墳」。
古市古墳群の一角にある代表的な前方後円墳でありながら、埋葬者が誰なのか詳細はわかっていないらしい。
そのおかげ?で限定的ながら敷地内に立ち入ることもでき、墳丘を眺めることができる。
街道に戻り、さっきの十字路から再び南下。
ここでも西名阪自動車道を潜る。
行政区域が藤井寺市から羽曳野市に変わる。
府道20を斜めに横切った先には誉田中学校があり、その前に石道標が今も残されている。
道なりに走るだけだからね、快調に足を進める。
次のチェックポイント?は、誉田八幡宮。
祀られているのは応神天皇で、すぐ北側には応仁天皇陵がある。
ちなみに日本最古の八幡宮ということらしい。
あの道明寺合戦で、豊臣方の薄田隼人がここに陣を構えたとされるため、境内の一角には「誉田古戦場跡」なんて碑も建っている。
随分立派な社殿ではあるが、トレーニング優先(笑)のため、手を合わせるだけにして先へ進むとしよう。
しばらくすると升形になってるんだね、左折してすぐ右折。
白鳥神社の鳥居を右に見て道なりに進むと、国道166号と交わる交差点に出る。
この交わる国166こそ、わが国最古の街道「竹内街道」なのさ!
交差点の左隅に隠れるように道標が残っている。
この竹内街道も単身赴任中にぜひ…!と思いつつ、今日はそのまままっすぐだ。
大乗川という小さな川を渡り、道なりに。
近鉄南大阪線の線路を渡り、右側に見えてきたのが「安閑天皇陵」を示す案内板。
さらに進むと左斜めに歩道だけが分離する極細の道へ誘導され、その先左手にお庭のような一角がある。
そこにあるのが「高屋城址」の案内板。
そう、この古墳の跡に、応仁の乱後に畠山氏によって築かれた平山城なのさ。
正確には古墳だけではなく、この周辺一帯が城跡なのだ。
古墳時代や戦国時代の史跡が同時進行で現れるから何だか忙しいけれど、それこそかつての都が近かったことが実感できるよね。
再び府道20(旧国170)に合流し、と思ったら50m程度先で再び左へ分離。
街道は府道20に寄り添うように南下を続ける。
高屋神社を通り過ぎると、しばらくこれといった見所はない。
とはいえ、街道そのものは1本道で続いてるからね、迷いようがなく、快調に足は進んでいく。
国道165号バイパス(通称南阪奈道路)を潜り、郊外の住宅地といった風景のまま、行政区域は羽曳野市から富田林市へ。
「貴志」という変則交差点で府道20に合流すれば、あとはしばらく府道runだ。
そのまま約500m。
車が行き交う県道脇に、「櫻地蔵尊」が現れ、久しぶりの街道らしさを実感する。
さらに府道を走れば、「桜井」の信号交差点で、ふと右手を見ると神社と鳥居があり、その先緑茂る空間が見える。
何だろう?
入った先には粟ヶ池。
公園として整備されており、遊歩道も設けられていた。
給水とストレッチを兼ねて小休憩ね。
10月上旬、まだまだ走れば暑いのさ。
さぁ、まだまだ今日のトレーニングの先は長い。
気分を入れ直し、足を進めるとしよう。
(次号へ続く)