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日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧中山道編(10)

2013-11-27 | 旧中山道run!!

GWも終わった5月の休日。
今日も天気が良いし、中山道を走ろう!
ただ今までと違うのは、今日からは東海道編や美濃路編同様、「家から遠ざかる」形になること。

向かった先は最寄りのバス停!
ここから市営バスに乗車、名古屋市営地下鉄鶴舞線「原」駅に出る。
毎朝の通勤経路そのまんまなんだけど…(泣)(2009年現在)

購入したのは、名古屋市民には重宝されている「ドニチエコ切符」。
名前の通り、土日祝日に限り(それ以外に毎月8日もOK)、名古屋市営の地下鉄・バス乗り放題で600円のお得な切符やね。

よくよく考えてみると、名古屋市民でありながら、東海道から始まった旧街道ランでの地下鉄利用ははじめてじゃね~か?
まぁね、通勤経路との重複はなるべく避けたいと、意図してた部分もあったけどさ。

原駅前のターミナルは、もう飽きるほど見てるから、何にも感慨はない。
地下鉄鶴舞線に乗車、毎朝、名城線に乗り換える「八事」駅、今日は素通り。
いかに鉄チャンといえど、景色も特徴もない地下鉄、しかも毎朝乗ってるから、こんなものは興味の対象ではないね。

地上に出てすぐ、鶴舞線の終着駅、「上小田井」駅。
大半の電車がここで終点なんだけど、一部はそのまま名鉄犬山線に乗り入れている。

ただ、平日の通勤時間帯をのぞき、「相互乗入」は全て普通。
時間かかるんだよ。

よってここで金山・名古屋方面からやってきた、急行に乗り換えた方が便利やね。
犬山駅で各務原線の電車に乗換、前回のゴール「市民公園前」駅に到着。
時計は11時を過ぎている。

実は名鉄各務原線に並走する線路がもう1本あるんだけどね。
こちらはJR高山本線。
残念ながら、市民公園前に駅はないけれど。

そもそも中山道、名古屋人的には、中央本線(西線)や国道19号に沿うイメージが強いからね、「高山本線」が登場したことに不思議さを感じたりする。
きっと、岐阜~美濃太田間は、中山道を意識して敷設されたんだろうね。
名鉄各務原線とともに、しばらくは中山道のお伴となる。

まずは公園内を散策がてら、図書館へ。
鉄道関係の本も多く、特に大好きな「種村直樹」氏関連の本には思わず時間を忘れそうになる。
1時間以上、粘ってしまった。

でもこのままじゃ、何しに来たのかわからないよね。
借りるわけにもいかんしね~、後ろ髪引かれる思いだけど、今日のトレーニングを始めよう!

公園内を突っ切って「門前町2」の交差点に出る。
ここから東に向かって走るんだね。

左手には交番があり、その背後には、何やら無機質な某電話会社のビルがあるのが目印だ。

各務原市役所を通過し、若干殺風景な街中をひたすら走る。
今日も、前半戦はこんな感じで、中山道らしさはあまり期待できないことはわかってるからさ。

道がやや右にゆるやかにカーブし始めたところに、右手に「竹林寺」がある。
その真ん前、道路の左側に、細々と「六軒一里塚跡」の標柱が建っていた。

すぐに右側後方から、大きなバイパス(国道21号)が近づいてくる。
しばらく見なかった国道21号線、久しぶりに合流だ。

交通量はかなりの量だけど、歩道も整備され、走りやすくはなっている。
ちなみに21号の向こう側には、何やらだだっ広い工場のようなものが広がっているけれど、これは航空自衛隊各務原基地。

さっき乗ってきた名鉄各務原線の上を陸橋で渡ると、そこが「三柿野」駅だ。
左右両側には、自衛隊基地と繋がるような感じで、川崎重工業の工場が広がっている。

完全に工場地帯の真ん中を走る感じで、旧街道らしさは全くないから、ちょっと不安にはなるけれど、資料を再確認すれば、ここが中山道であることは間違いないらしい。

走ることに専念!
ひたすら国道ランだ。

左手に高山本線「各務原」駅、右に名鉄の「名電各務原」駅。
鉄チャン的には少し面白い構図ではあるけどね。
旧街道ランとしては、立ち止まるような場所はどこにもない。

こんな国道わきを延々と走るためだけに、わざわざ名古屋から…。
俺もアホやな。
でもそんなアホな自分が大好きだけど。

合流点からでも3km以上走ったかな?
とにかくここまで「らしき」ところが何もないまま、某電話会社の鵜沼ビルが左に現れた。
これが目印代わりになるけど、すぐ先の交差点(鵜沼羽場町」で道は二手に分岐する。

21号バイパスは右にカーブ、車的にはこっちが幹線だけど、中山道は直進。
やっとここで21号から離れたよ。

急に静かな郊外の生活道路の雰囲気となった。
左手には何やら丸い形の小山が。

「空安寺」、そして隣接する衣装塚古墳、ということらしい。
微妙に曲がりくねる道に、街道の匂いをわずかに感じる。

信号のある小さな交差点に出た。
左側に、古い道標があり、「中山道鵜沼宿」と書かれている。
文字通り、ここから鵜沼宿に入ったらしい。

この鵜沼宿も、宿場としては小規模だったというのもあって、知名度はイマイチなんだけどさ、あちこちに古い建物が点在し、意外に旧街道の雰囲気を残しているんだね。

左手に二宮神社と脇本陣跡。
さらに少し進むと、これまた見事な旧宅が。

旧武藤家住宅。
現在は、「鵜沼宿町屋館」として、資料館となっているらしい。

のぞいてみたい気持ちは山々なんだけどね、ここは一発、決めゼリフ!
「今、トレーニング中だから!」

21号バイパスを横断し、さらに直進すると、100mちょっとで、信号のある五叉路に出る。
ややこしいけど、ここは道標に従い、少し狭い左側の道を選択し、直進する。
ちなみに道標には、「これよりうとう峠、左」。
まぁ、誤って右選んだら、国道出ちゃうから、分かるけどね。

300m少々進むと、さらに二手に分岐。
思わずそのまままっすぐ進んでしまいそうだけど。

良く見ると、真ん中にお地蔵さんが建っている。
ここは急激に左に曲がり、坂道を上がっていくのが正解のようだ。

ここから一気に高度を上げることになるらしい。
道標にあった通り、これから「うとう峠」を越えるのさ。

かつてはこんもりした山中の道だったんだろうけど、名古屋通勤圏はここまで広がってるんだね。
両側は明らかに新興住宅地の様相で、土地区画整理されたであろう、住宅街の中を、奇跡的に?残ったような1本の旧道、といった感じで、坂を登っていく。

きっと開発の際にも、この道が中山道であることを意識したんやろうな、いや、そうと信じたい!
何せ、東海道runでは、藤枝市で、土地区画整理事業には苦々しい思いをさせられたもんな~。(旧東海道編23参照)

何やら正面に大きな池が見えてきた。
案内板もなく、何やら不安な気持ちで、池の前で右折。
つまり池を左に見る感じやね。

正面は森になっていて、T字路になってるから、そこを左折。
要するに、池に沿って走るわけなんだけど。

さらに走ると、バス停が現れ、左手にはこれまた突然に大きな団地が現れた。
この辺り、「自然」と「開発」が混在している感じだ。
右側は、何やら大きな森林公園のようだ。

公園の中を右斜めに、森の中に入っていくクロカン道がある。
案内板もあり、どうやらこれが中山道らしい。

この広大な自然公園は、「日本ラインうぬまの森」として、整備されている。
公園内には、自然散策路が張り巡らされており、その一部が「旧中山道」になっているという仕組みだ。

散策路に入ってすぐ、「うとう峠一里塚」。
両側が現存しているらしいが、何せ一気に山の中。
周囲の木々に溶け込みすぎて、良く見ないとどれが一里塚なのか、判然としない。

しばらくは完全に「うぬまの森」の中を、クロカンしている状況。
わずかに石畳も残っている。
公園の案内板に従って、結構なトレーニングだ。
ちょっと寄り道して、展望台に寄って見ると、これから先走ることになるであろう、太田宿方面の遠景が、素晴らしい!

いつしか「うとう峠」を超え、下り坂に入る。
相変わらず散策路は続く。
マイナスイオンたっぷりの木立の中を降りていく。
気持ちいいなぁ。

中山道の看板に従い、さらに降りて行くと、公園を出たところに小さな川(水路?)があり、トンネルになっている。
一見、ここで行き止まりのような錯覚に陥るけれど、これまた注視すると、水路の脇に歩道が設けられてあり、トンネルを潜るようになっている。

そしてこのトンネルで、JR高山本線と国道21号の下を通るらしい。
トンネルを出て、階段を駆け上がると…!

何と、21号沿いの、ドライブインの駐車場に出た。
右手には、悠然と木曽川が流れている。

これ、反対側、江戸から走る(歩く)方には、分かりにくいやろうなぁ!
まさかドライブインの敷地(駐車場)を横切って、その先の階段を下りるなんて、念入りにリサーチしておかないと、厳しいかもな。

しかも歩道が反対側(左側)しかないし、横断歩道も見当たらないため、注意しながらササッと反対側に渡る。

しばらくは21号を走るだけ。
すぐに行政区域が変わり、「坂祝(さかほぎ)町」に入った。

左にJR高山本線、右は木曽川。
景色は悪くないけど、国道runはちょっと退屈だ。

でも左の絶壁?には「中山道」と大書された看板が出ていて、一応この道が中山道であることが主張されている。

左手頭上の山の中に、「岩屋観音」と呼ばれる名刹があって、旗(のぼり?)が立っているのが見える。
案内に従って、駆け上がる。

登りきると視界が開け、なかなかの眺めだ。
ここから見える木曽川、この辺りでは「日本ライン」と呼ばれ、川下りもある名勝だ。
思わず足を止め、見入ってしまった。

降りたところから再び、21号を進む。
「勝山西」の信号に出た。
左に目を向けると、山の上に小さな櫓のようなものがかすかに見える。
山の名前は「城山」で、櫓らしきものは、「猿啄城跡」らしいんだけど。

興味は大いにあるけれど、あの山の上まで行くのはちょっとしんどいな。
それに登り口もどこからなのかわからない。
リサーチしておけば良かった。
ってことで、そのままスルーし、21号を先へ進む。

この辺りから、右手木曽川沿いが堤防になり、その土手の上に素敵な遊歩道が整備されていて、この21号と並走する形になっている。

多分、厳格に解釈すれば、この21号こそ、中山道なんだろうけど、残念ながら旧街道を偲ぶものは皆無だからね。
ここは遊歩道を走った方が安全だし、何よりも一段高いところを走るため、景色も良くて気持ち良い。
ちなみに、遊歩道には「日本ラインロマンチック街道」の名が付けられているらしい。

遊歩道を約800m。
下の21号を見下ろすと、「取組」という変わった名前の交差点がある。
中山道的には、このまま遊歩道を走れば良いのだけど。

この先の行程も考慮し、少し余力を残しつつ、今日はこの辺りをゴールにしておこう。
というわけで、ここで遊歩道を駆け下り、信号を渡ってそのまま直進!
すると300mほどで、JR高山本線「坂祝」駅に到着。(冒頭写真)
時計はまもなく16時になろうとしている。

実走距離、今日は18kmぐらいかな?
何といっても中盤に、かなりのクロカン要素があって、しかも寄り道もしちゃってるしね。

さて、坂祝駅。
坂祝町の玄関口、といえば聞こえは良いけれど、JR高山本線の、普通しか停車しない無人駅だ。
駅前には商店もコンビニもない。

高山本線といえば、岐阜駅と富山駅を結ぶ、単線非電化のローカル線ながら、観光路線のイメージが強く、沿線には、下呂温泉や飛騨高山などの観光地も数多い。
ただその大半は、特急「ワイドビューひだ」号を利用するケースがほとんどだ。

コスモタイガーも墓参で高山へ行く際は、「ワイドビューひだ」か、東海北陸道の高速バスがほとんどで、じっくりと普通列車に乗ったのは、過去に1回しか記憶にない。

そんな高山本線の中に、忘れ去られたかのように存在するのが坂祝駅。
停車する列車の本数は、残念ながら?概ね30分に1本程度あるため、最近流行り?の「秘境駅」の仲間入りはちょっと難しいけれど。
ただ、静かな集落の中に存在し、自分だけがひっそりと小さな駅舎で過ごすひとときは、「プチ秘境駅」の雰囲気が漂っていて、素敵な空間だ。

列車到着直前に、地元の女性1人が駆け込んできたけれど、それまでは駅舎でぼんやり過ごした。

さて、普通列車に乗る。
ディーゼルカー特有のエンジン音に身を任せ…、と言いたいところだけど、ついさっき走って超えた「うとう峠」をあっけなくトンネルで超え、わずか6分程度で、すぐ隣の鵜沼駅に到着、ここで下車。
今日通った、鵜沼宿の最寄り駅だったりするんだけど。

ここは、鉄道マニア的には、有名な?駅だよね

この鵜沼駅、名鉄の新鵜沼駅と隣接し、連絡通路で繋がっている。
かつてここに連絡線が繋がっていて、名鉄の名物急行「北アルプス」号(その後、特急に格上げ)が、ここから高山本線に乗り入れて、高山や富山まで走っていた。
すでにその連絡線は撤去されているけれど。

コスモタイガーにとって、幼いころから何度も利用した、思い出の列車だ。
現在のJR「ワイドビューひだ」号のような大回りで岐阜駅は通らず、名鉄犬山線経由でショートカットし、そのまま連絡線からJRに切り替わるのは楽しかったなぁ。

全盛期には、富山からさらに富山地方鉄道にも乗入れ、立山駅まで運行され、何と3社の線路をつないでいた貴重な急行だったのだ。

さらに名鉄的には、この新鵜沼駅は、拠点駅の一つ。
ここから名古屋方面は「犬山線」、各務原・岐阜方面が「各務原線」と位置付けられている。

連絡通路を通って、新鵜沼駅に出て、「犬山線」の急行に乗車、上小田井駅へ。
ここからは、朝、来たときの逆やね。
地下鉄鶴舞線に乗換、帰宅した。

ちなみに、今日も財布にやさしい行程で、ドニチエコで600円(自宅~上小田井往復)、上小田井~市民公園前650円(名鉄/ユリカ利用)、坂祝~鵜沼180円(JR)、新鵜沼~上小田井490円(名鉄/ユリカ利用)。
合計は、ユリカ利用分含めても、わずか1,740円。

日が長くなってきて、今日も明るいうちに帰宅できたことを喜ぶコスモタイガー。
「中山道の険しさ」をリアル体験するのは、まだまだ先の話なのであった。

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コスモタイガー漂走記~旧中山道編(9)

2013-11-12 | 旧中山道run!!

GWが始まろうとしている4月後半。
でも今日は平日。
大半のサラリーマンは労働に汗流してるんだけど。

コスモタイガーは、勤務振替で、今日は休み。
せっかくの晴天だし、中山道、走ろう!!

で、鳴海駅まで自転車。
名古屋弁で「ケッタ」。

今日が中山道として、我が家から至近距離なのかな?
大半が岐阜市内中心部をウロウロする感じ。
この「ちょっと走りに行く」感じ、嫌いじゃないなぁ。
というより、そこが原点だったんだけどね(笑)。

鳴海駅からは「名鉄」ね。
言わずと知れた、名古屋圏に住む人の通勤通学の足。

そもそも自販機で切符も買わないし。
地下鉄と共通利用のユリカ(または名鉄パノラマカード:現在のmanaca)を改札口に通すだけ。
いかにも旅情色ゼロな話やね。

はい、急行で約50分、終点岐阜駅に着きました。
軽く腹ごしらえして、岐阜バスに乗り換え、前回のゴール地点、「鏡島弘法前」バス停に到着。
毎度のことながら、近けりゃ近いで、のんびりし過ぎて、12時を過ぎちゃってるけど。

もう一度、今日のトレーニングの無事を祈って、手を合わせ、周辺を少し散策し、バス停に戻る。
さぁ、本日のトレーニング、スタート!!

いきなり100mほどで道路が分岐する。
ここは右を選ぶ。

いかにも旧街道らしい「うねり感」はあるんだけど、岐阜県の県庁所在地だけに、それなりに都会だ。
両側には住宅や事務所風の建物が続き、これといった見どころはない。

「鏡島大橋南」「鹿島町8西」と、続けて主要道路(県道)を横断する。
300mほど進み、分岐があるけど、ここも右が正解とすぐに分かる。
しばらくして右手に簡易郵便局(鹿島郵便局)があって、ホッとする。

「清本町10」の交差点に出た。
何と!変則の7叉路で、相当にややこしいけど、迷わず直進。
すると東海道本線があり、下を潜る。

すぐに左折。
しばらくして分岐するから、また右ね。
慣れてくると、カンで判断できるけどね。
しばらく走るとまたまたお決まりの簡易郵便局(本荘局)。

どんどん建物が密集した感じになり、都心に入ってきたことを実感する。
まぁ、一応、岐阜県の県庁所在地なわけだし。

でも意外に静かだ。
「車」的には裏道だし、今日は平日。
みんなお仕事に行ってるんだね。

「加納宿西番所」の標柱を発見。
ここから加納宿、ということらしい。

道なりにひたすら走り、何度目かの主要道路との交差。
ここも渡って直進だけど、左手奥にはJR岐阜駅がある。

鏡島弘法からスタートしてるから実感ないけれど、ここ加納宿こそ、まさに岐阜市の中心街なのだ。
そしてこの岐阜市の街に大きな影響を与えたのが、尾張のお殿様、織田信長だ。

そもそもこの地はかつての稲葉山。
それを織田信長が斎藤氏の拠点、稲葉山城を攻略し、「本日よりここを岐阜と称す」と宣言したことで、「岐阜」になった。
まぁ、俗っぽい説明だと、そういうことになるかな。

都心のはずなのに、落ち着いた雰囲気で、気持ちよく走っている。
こんなことなら、毎回平日に走ってやろうか。
って、もちろん無理だけど。
「脇本陣跡」も、ちょっと目立たないけど、標柱が立っている。
しばらくして国道157と交わるけれど、そのちょっと手前にあるのが本陣跡。


江戸末期、公武合体の一環として、江戸幕府に輿入れした皇女和宮様。
(昨年(2008年!)の大河ドラマ、「篤姫」では、堀北真希さん熱演!)
中山道で江戸に向かう途中、ここにも宿泊したらしい。

信号まで迂回しつつ、国道を渡って直進。
そのまま走って、「加納大手町」の変則交差点に出る。

名前の通り、かつての大手門の跡らしいけど、岐阜城(稲葉山城)ではなく、それより以前にこの辺りにあった「加納城」の大手門を指すらしい。
実際ここから南下すること約1km、加納城跡が公園として整備されている。
斎藤氏が、金華山の山頂に稲葉山城を築くのに伴い、廃城となったとか。

随分昔、名岐駅伝(大垣~名古屋間、6区間52.6km)のサポートか何かで試走した時かな?
その加納城跡に立ち寄ったことを思い出す。
今日はパスして、先に行こう。

案内板に従い、交差点の直前を左折。
枡型になっているようだ。

ここからは、加納宿のもっとも雰囲気残す場所。
岐阜市の中心近くとは思えないほど、古き良き面影を残している。

正面に名鉄(名古屋本線)の線路が見えるけど、その手前も枡型の1つらしく、右折。
右手に「専福寺」、ここも歴史あるお寺らしい。

大きな道路を渡るとすぐ右側に「善徳寺」。
この前を左折し、またすぐ右折。
ここが東の番所跡、つまりこれにて加納宿は終了、ってことやね。

それにしても、この枡型連発、まさに城下町の名残そのものだ。
岐阜の街は、中山道の宿場として、そして岐阜城や加納城の城下町としても栄えたことが、車やバスではなく、自分の足で走る(歩く)ことではっきりと体感できる。
楽しいなぁ。

突き当たってまた右折。
今度は南下。
小さな橋を渡る。

すぐの十字路を左へ。
一番最初のT字路に、薬局があり、ここが「岐阜街道追分」だ。

ここを右折、南下しながら、笠松町内を通り、木曽川を渡って愛知県に入り、稲沢市内の「四ツ家追分」で、美濃街道(美濃路)に合流する。(旧美濃路編3参照)

中山道はそのまま直進。
正面に見えてくる線路は、さっきから何度も目にしている、名鉄名古屋本線だ。
右手には、普通しか止まらない、小さな「茶所」駅がある。

続いてJR東海道本線、こちらは高架下をくぐる。
ここまでくると、枡型はなくなり、しばらくは道なりだ。
一応、この道、県道181号に指定されているらしい。

やがて、右手に八幡神社があり、そこを過ぎると、左から、これまたいかにも旧街道らしき道が合流してくる。
その分岐点、つまり追分には、お地蔵さんが祀られており、道標も残っている。


「伊勢名古屋ちかみち 笠松江一里」
どうやら笠松町を通って、名古屋や伊勢に向かう街道であったらしい。

帰宅後、地図で確認してみると、南西にこの道が綺麗に残っていて、名鉄岐南駅の北辺りで、先ほど分岐した岐阜街道に合流しているようだ。
なるほど、まさに「ちかみち」の名前通り、江戸時代の「ショートカット道」だったわけだね。

300mほどで、今度は「細畑一里塚」。
両側が復元されている。


国道156号を横断する。
通称を「イチコロ」!
このイチコロを北上すると、沿道沿いにスキー場が多く、その割には縁起でもない略称で愛されている。
コスモタイガーも、若いころ、イチコロ使ってスキーにも何度か行きました。

県道181号とはまだしばらくお付き合い。
すでに住宅街の雰囲気に変わってきている。
時折、左側から電車が通る音がする。
これは名鉄「各務原線」やね。

突然左手に「浄慶寺」。
この辺り、特に見どころもないだけに、かなり目立つ存在だ。
中山道的にも、良い目印で、100mほど先に、大きな鳥居が出現!

実はこれ、直進した先に「手刀雄神社」というのがあるらしく、その参道の入り口になるらしい。

正面に道標があり、中山道は左折することを教えてくれる。
「左 木曽路」「右 東京 善光寺」。

え?東京?
古い道標には違いないけれど、どうやら明治になってからのものらしい。

ここからの県道、もとい、中山道は、右に左にくねくねとカーブし、旧街道好きにはたまらない状況となる。
特段見どころもなく、田畑が広がる郊外の風景なんだけど、道そのものが「中山道」であることを激しく主張しているのさ。

「高田橋」駅の南側をかすめ、さらに進むと、名鉄各務ヶ原線に寄り添う形になる。
そして、右手奥まったところにあるのが、「少林寺」と「善休寺」。

この辺りは、尾張徳川家の狩場だったらしく、その際に「善休寺」を宿所として利用したとか。(冒頭写真)
平日のせいか、人影すらなく、ただでさえ閑散とした境内が、余計に広く感じた。

ここで道は3つに分かれる。
そのまま直進する道、斜め(南東)にショートカットする道、右折してL字型に行く道。
正解はL字型に行くらしい。
道標に従い、個人病院の前を左折するわけだね。

で、さっきのショートカット道と交わるところが「新加納一里塚跡」。

実はこの辺り、江戸期にはちょっとした集落が形成され、加納宿に対し、新加納、と呼ばれていたらしい。
反対側には「新加納立場跡」の説明板も設置されている。

再び道なりに進むと「新加納町」の交差点。
右手に自動車学校が現れ、そこを過ぎると一気に街中の雰囲気になる。
商店や事務所の建ち並ぶ中を走る感覚だ。
各務原(かがみがはら)市の中心へと入ってきたようだ。

完全に「中山道」の雰囲気は消えた。
左手に大きな公園が現れた。

「各務原市民公園」だ。
市街地にも関わらず、広大な敷地に、緑が映え、綺麗な公演だ。

敷地内には図書館もある。

そうだ!
図書館ならここから先の情報収集にはもってこいだ。
しかも名鉄各務原線「市民公園前」駅もすぐ真ん前だ。

予定よりちょっと短めの実走距離(14~15kmぐらい?)だけど、なにせ近いから気にならない。
ここをゴールにしよう。

でも時計はまだ15時を少し過ぎただけ。
公園内をのんびり散策し、図書館に少し寄ってみる。
情報収集と言いつつ、おおかたリサーチはしてあるからね。

何冊かの旧街道関連の書籍と、ついでに鉄道関連の本をササッとめくっただけ。
さすがに借りるほどでもないか。

それより腹減ったなぁ。
公園の隣に、喫茶店があった。

軽く食事をし、ゆっくりする。
こんなことできるのも、「近いから」。

さぁ、名鉄乗って帰ろうか。
でもどっちから帰ろうか?

ここから鳴海まで、考えられるメインルートは2つ。
「岐阜」経由か「犬山」経由か?

朝、岐阜駅通ったしね~、それなら帰りは「犬山」廻りで帰ろうっと。

やってきた「犬山」駅行に乗り、あとは名鉄を乗り継いで鳴海駅に戻る。
今日は名鉄only。
これじゃ、時刻表の出番もねぇな。
もっとも次回以降も、しばらくは、「名鉄「が主役なんだけどね。
コメント (6)
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身近な気になる古道たち⑩

2013-11-01 | 身近な旧街道run!!

★JR武豊線界隈(大府市・東浦町・半田市)

旅行気分を味わいたい!
ローカル線に乗りたい!

でも時間もお金もない。
そんな時、近場でフラッと立ち寄れる路線がある。

JR東海「武豊線」。
名古屋市近郊でありながら、いまだ非電化路線で、ディーゼルカーが、「ウィ~ン」と独特のエンジン音を響かせながら、走っている。

この武豊線にほぼ沿う形で通っている旧街道が「師崎街道」だ。

師崎街道の起点は、名古屋市緑区の大高。(古道たち⑤参照)
もちろんそこをスタートにする手もあるけれど、「武豊線」をメインに考えて、東海道本線と武豊線の分岐駅、「大府駅」東口周辺のコインパーキングに車を置き、今日のランニングをスタートさせるコスモタイガーなのだ。

ただ、師崎街道は、かなりの部分消失しているらしく、江戸期の道をそのまま辿ることは難しい上に、資料も少ない。
そりゃそうだ。
知名度も重要度も、主要街道に比べれば低いからね。

東海道や中山道のように「忠実さ」を求めるのではなく、オーラを感じつつ、気楽に走った方が楽しそうだ。

大府駅前(東口)のロータリーをスタート!
右手にミスタードーナッツがある。
この脇の道を進む。

200mちょっとぐらいかな?
いかにも旧道の感じになったところに「富士屋旅館」。
何だか大府市の中心とは思えない、昭和の雰囲気の和風旅館だ。

すぐに国道155の下を潜る。
何気に良いんだよね~、街中に埋もれた歴史の道、みたいな感じ。

広い主要道(県道50号)に合流し、そのまま右へ。
すぐに、右からやってきた別の主要道と合流したところが、「朝日町2」の信号だ。

そこには、大きな案内板とともに、いかにも古い井戸がある。
いまもわずかながらも水が出ているらしい。

「おしも井戸」
ここを通りがかった弘法大師さん。
宿泊場所もなく、困り果ててていたら、ここに住んでいた「おしもばあさん」が泊めてくれることに。
いろいろお話しているうちに、おばあさんが目を患っていること。
この辺りは海が近く、水の確保に難儀していることを知った弘法さん。
御礼にと、杖で地面を突き刺すと、井戸が湧き、その水でおばあさんが目を洗ったら、病は完治した上、水不足も解消し、めでたしめでたし、という話らしい。

真偽はともかく、随分と古くから親しまれていた井戸であることは確かなようだ。
こんな主要道の真ん中に残ってるってのも素敵なことだ。

そのまま県道50号を走る。
陸橋で、JR東海道本線を超え、間髪入れずに、今度は武豊線の下を潜る。

そのまま直進すると「東浦森岡」の交差点なんだけどね。
県道50号はここを左折するんだげ。
すぐ手前をショートカットする形で左折する脇道がある。
今までの街道ランの「カン」で、この道がいかにも旧街道っぽいなと。

で、しばらくは県道50をそのまま走る。
「森岡駅西」の信号を過ぎてすぐ、右斜めに入っていく狭い道を発見!
多分これが旧街道と思われる。

大型スーパーの裏をくねくねと走る感じで、交通量も少なく、旧道らしい雰囲気を残し、なかなか楽しい区間だ。

「岡田川」という、水路のような小さな川に出る。
橋を渡って左へ。

ちょっと街道から逸れるけど、川から離れてすぐ右折したところにあるのが、いかにも古刹という感じのお寺が。
知多四国8番札所「傳宗院」。

この師崎街道は、知多四国88ヶ所霊場巡りと部分的にかぶっており、参詣の道でもあるのだ。

手だけ合わせて、再び旧道に戻り、南下を続ける。
「入海神社」「了願寺」と、由緒ありげな建物が続き、ここが古くからの道であることを教えてくれる。
師崎街道に間違いない!

ちなみに入海神社境内からは、約7000年前の貝塚も出土しているらしく、そのころからここには人々の生活があったこと、そして名前の通り、ここが海に近かったことが推察できる。

さて、東浦町の中心に入ってきたようだ。
この辺り、かつての緒川村。
今日のランニングコースのクライマックスなんだけど。

周辺は、地元東浦町の人々によって、散策コースも設けられているらしいけれど、この緒川地区、昔の街並みや史跡を多く残し、何気に埋もれた「歴史の町」なのだ。
街道沿いには、雰囲気のある建物や、歴史ありそうな寺社が点在している。

緒川村といえば、何といっても徳川家康の母君「於大(おだい)の方」(伝通院)の故郷として有名だ。
「於大の方」は、緒川城主水野忠正公の娘とされている。

戦国期の宿命だったとはいえ、この於大の方も数奇の運命をたどった女性やね。
息子(竹千代→のちの徳川家康)3歳の頃に、実家水野家が、今川家から織田家に鞍替えしたため、嫁ぎ先と離縁させられ、竹千代と生き別れに。
のち、阿久比城の久松氏に嫁いだということらしい。

もっとも家康は、出世してから於大の方を母として厚遇し、父違いの弟たちに「松平性」を許して家臣同様に扱ったとされる。
判断が難しいところだけど、当時としては幸せな方なのかな?

ところで彼女の実家たる「水野氏」。
愛知県に多い苗字らしい。

諸説あるらしいが、大別して2つの流れがあるらしい。
桓武平氏を諸とする、水野氏。
瀬戸市や春日井市を中心に広がったとされる。

もう一方は、清和源氏を発祥とする、水野氏。
この緒川を中心として、知多半島全域や、対岸の刈谷市辺りを治めた武家の一門。
のちに江戸幕府の老中なども輩出した、名門とされている。

その緒川城跡は、実に分かりづらい場所にある。
細かい地図でこの辺りを見ると、「古城」という字名が、街道筋から右手奥に入ったところにある。
「名は体を表す」の言葉通りで、この古城地区にある小さな公園が、その城跡とされている。

とても楽しい癒し空間を走り、県道24号を横切る。(信号まで迂回してね)
やがて突き当たるのが、東浦町中央図書館。
きっと、かつての街道は、この敷地内を直進してたんだろうね。

ここでちょっと寄り道。
右折し、図書館本館の前をさらに右折。
さっき横断したばかりの県道24号に出る。

そのまま県道を西へ走ると、於大公園ね。
もちろん名前の通り、於大の方に由来するネーミングだ。

その隣が「乾坤院」。
これが緒川水野氏一族の菩提寺となっている。
水野氏歴代の位牌も安置されているらしい。

緒川地区には、まだまだ水野氏を偲ぶ史跡が多く残り、ゆっくり散策してみたいエリアなんだけど、トレーニングにならないからね、そろそろ先に行くとする。

図書館と中学校に遮られ、この辺り、旧街道は消失しているらしい。
仕方なく、国道366号を走る。

小さな川を渡ると、右に分岐する道があるから、それを選択。
そのまま進むと、JAの辺りから街道らしい雰囲気が少しづつ戻ってくる。

本来の旧街道は、図書館&東浦中学校の中を通り、JAの辺りに出るようだ。

しばらくは道なりに。
なかなか静かで、良い雰囲気の道だ。
くねくね感も、いかにも旧街道らしい。

「石浜駅西」の交差点で、国道366にランデブー状態になるものの、合流することなく、再び離れる旧道。

この辺も、何気に旧道らしさを残してて、楽しいね~。
裏路地のようにせまい道をくねくねと走ると、県道469号を横断する。

さらに進むと、三叉路に出て、ここは左に降りて行く感じ。
そうすると「生路集落」に出る。

ここがまた素敵なエリアで、懐かしさを感じる風景なのさ。

生路小学校前を左折し、いかにも旧道らしい路を駆け下りる。
途中、左手奥に入ると、「伊久智神社」。

創建は不明らしいけれど、相当に古い歴史があり、製塩の神様として、信仰されてきたらしい。

「生路」の交差点で再び国道に出る。
500mほど走ると、またまた右に緩やかに分岐する古い道。

小さな道標があり、右手に「安徳寺」。
知多四国11番札所になっているらしい。

小さな川にぶつかって、左折。
そのまま国道366を横切り、直進。
すると最初の角に常夜灯がある。

これまた如何にも古く、調べてみると寛政10年設置というから、江戸中期のものだ。
ここを右折し、南に向かう。

100mほどで国道に再び巡り会うけど、そのまま斜めに横断し、直進。
しばらくは道なりだ。

1km弱ぐらいかな?
県道23号に出る。

県道を渡ると、小さな池があり、そこを池に沿う形で走る。
この辺りで、行政区域が半田市に変わったようだ。

くねくねとのどかな風景を抜ける道で、快調に足を進める。

「有脇」集落に入り、右手に「蓮念寺」が目印だ。
すぐにT字路。

ここはどっちに行くか迷う。
どっちも魅力的な古道の雰囲気だもんな。

右を選択。
「福住寺」。
知多四国12番札所になっている。

公民館を左へ。
すぐに右へ鋭角に行く道があり、そこを右折。

随分楽しんだ。
さすがに見どころはこの辺で一服かな。

県道261に出て、「東生見町」の交差点に出る。
久々に片側2車線の大通りだ。(県道46号)

左折し、この幹線道路を走るだけ。
武豊線の高架をくぐるとすぐに「亀崎北浦」の交差点がある。
国道366号と交わっている。

右折し、国道を南へ。
1kmほど走ると、歩道橋のごとく、頭上を行く道がある。
階段をあがり、その道に出て、右に向かい、裏路地のような道を行くとすぐにJR武豊線「亀崎」駅に出る。

ちょっと走った距離は短めだけどさ、鉄チャンらしく、由緒あるこの駅をゴールにしよう。

亀崎駅。
名古屋人特有の「PR下手」のせいか、知名度はイマイチだけど、この駅は1886(明治19)年開業の、日本では現役最古の駅舎なのだ。
現在も、当時のまま利用される、貴重な文化財だ。

JR九州の「嘉例川(かれいがわ)駅」や「門司港駅」の方が、国指定の史跡になったり、観光地として売り出したりして、えらく有名になってるけど。

特に嘉例川駅は、「古さ」をウリにしてるけど、あちらは1903(明治36)年開業。
確かに歴史ある貴重な文化財には違いないけれど、「古さ」だけの比較なら、間違いなく亀崎駅に軍配が上がるわけで、もっと歴史的評価をされても良いはずなんだけど。

そして名古屋からも普通に通勤圏の範囲に、こんな素敵な駅舎が残ることに感動!

そもそも愛知県内で最初に完成した路線は「武豊線」だしね。
東海道本線より先だから。

しばし駅舎を楽しみつつ、車を置いた大府駅まで、武豊線の旅を楽しむコスモタイガーであった。


コメント (1)
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