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日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(41)

2013-03-29 | 旧東海道run!!

基本、朝は超苦手なんだけど。
ましてやせっかくの休日に、普段会社へ行くより早く起きるのは、大いに抵抗あったりするんだけど。
財布の事情がそんなわがままを許してくれない。

ということで、往路のみ、久々の鈍行乗継とする。
まぁ、新鮮味はまったく無いけどね。

6時半には家を出る。
前後駅に車を置き、豊橋までは名鉄。
運賃支払はパノラマカード(現manaca)利用。(ちなみに現金なら840円)
これはいつもの通りだけど。

豊橋で懐かしい、「休日乗り放題切符」を購入。
熱海まで2,600円ね。

熱海で東戸塚駅までの普通切符(1,100円)を購入。
計3,700円、名鉄も現金換算して計上すると、4,540円。

豊橋から東戸塚まで、通しで普通切符を購入すると、4,620円(名鉄含めると5,460円)。
1,000円近く安くできたけど、休日フリーを片道通しで利用するだけだから、若干もったいない気もするよね。

あ~着いた!
東戸塚駅。

時計はすでに12時半を過ぎてるよ。
軽く腹ごしらえを済ませ、駅前を記念?に少し撮影して、本日のトレーニング開始!

すぐに前回の「坂下」バス停で、旧東海道に合流。
目が肥えてくると、この道だけが、何となくオーラを放っていることが解るんだけど。

微妙に登りつつ、くねくねしている。
と思いきや、200mほどで大きな幹線道路に出る。
環状2号というらしい。

目の前の歩道橋を渡り、そのまま階段を上がって行くのが東海道ね。
そのまま道なりに左へカーブ、すると分岐点に出るんだけど、ここはもう左の道だとすぐに察知できる。

横浜の市街地にも関わらず、この辺りは街道の雰囲気が残り、走っていて楽しいね。

途中から下り坂になり、すぐにこんもりした土盛りに出会う。

「品濃一里塚」。
両側とも現存する貴重な一里塚らしい。

道は続く。
横浜の市街地にも関わらず、街道らしさがよく残ってるなぁ!

再び上り坂。
焼餅坂というらしい。

大きな交差点に出る。
複雑な6叉路ね。
「境木地蔵尊前」と表示がある。

名前の通りの地蔵尊がある。
ここが旧国境、ここで相模国から武蔵国になるわけね。

その地蔵尊の前の道、交差点からだと斜め右に曲がる形で進むのが東海道。
右手に境木小中学校が現れたら正解。

で、その中学校の前で左斜めに分岐する。
街道らしい、カーブの多い道を進む。

右手に「権太坂小学校」。
名前の通り、この辺りから「権太坂」の登りが始まる。

そう、箱根駅伝で耳にする「権太坂」。
でもあっちは国1沿いの、いわゆる便宜的にそう呼ばれているだけのもの。
こっちは正真正銘の権太坂だ。(写真)

通説では、道行く人が「この坂は何と云うのか」と聞いたら、聞かれた老人は耳が遠かったのか?自分の名前を聞かれたと勘違いし、「権太」と答えたそうな。
それが由来らしいけど。

横浜横須賀道路をオーバークロスするとすぐ、広い道に出る。
ここは案内板に従い、左折。

100m少々で信号(元町ガード)に出て、そこを右折。
東海道本線が左に寄り添う形になる。

国1に吸収され、そのまま走ると「岩崎ガード下」の交差点があり、それを超えたところに「保土ヶ谷一里塚跡」&「上方見附跡」が併記されている看板に出会う。
ここから保土ヶ谷宿ね。

1kmぐらいかな?
「保土ヶ谷1丁目本陣跡前」と、長ったらしい名前のT字の交差点になる。
名前の通り、右手に保土ヶ谷宿本陣跡。

代々苅部家が勤め、(明治になって軽部に改称したらしい)、現在も軽部さんがお住まいになっている由。

で、このT字路、左折する。
東海道本線を潜ると古い道標を確認。
「金沢横町道標」と称するらしい。

ここから金沢道が分岐し、金沢(横浜市金沢区)や浦賀方面へと続いていたらしい。

保土ヶ谷宿は案内板が整備され、楽しい区間だ。
高札場跡や問屋場跡も親切に説明されている。

右からやってきた、保土ヶ谷駅前のメインストリートに吸収され、そのまま直進。
完全に保土ヶ谷地区の中心になり、さすがに街道らしさは失せるけど。

相模鉄道本線「天王町駅」が左手に現れる。
そのすぐ手前左手に「旧帷子(かたびら)橋跡」が小公園として整備されている。
相鉄「天王町駅」利用者の通り道にもなっているけれど、これが本来の東海道やね。
そしてかつてはこの下が川だったんだね。

残念ながら、東海道上に駅があるからね、現在は直進して迂回するしかない。
相鉄本線をくぐってすぐに左折、またすぐ、駅の北側を右折。

直進すると小さな川を渡る。
この川が改修工事で、さっきの帷子橋の下から、こちらに流れるようになったらしい。

国道16号と交わる交差点(松原商店街入口)が、江戸見附跡。
保土ヶ谷宿終了ね。

そのまま商店街に突入。
随分な人込みで走りにくいけど、仕方ないね。

商店街を出たところで、八王子道追分の道標、それを示す標柱も建っている。

しばらくはこの道に沿って走るんだけど、静かな住宅街を突き抜ける感じで、大都横浜市街にありながら、旧街道らしさを残していて、気持ち良い。
ちょうど我が街名古屋だと、西区浅間町辺りからの美濃路を思わせるね。(旧美濃路編2参照)

何の偶然か、この辺りも横浜市西区浅間町らしいけど。
そして浅間町には浅間神社があるはず。
と思ってたら、ありました。
左手、高台の上に。

で、神社過ぎてすぐ、広い道で突き当たる。
すぐ右手が「浅間下」の交差点。
歩道橋を渡る。

歩道橋は当然ながら視野が広がるから、結構なチェックポイントなんだよね。
今来た道と、これから行く道を、1本の線でイメージしやすいんだ。

歩道橋からだと左手の「宮谷小学校入口」の交差点から入って行くのが東海道だ。
地図で確認して見ても、さっきの浅間神社の道と、1本の線でつながることが良く分かる。

そんでもって、この辺りからの地名は「軽井沢」。
あの有名な別荘地と同名だけどね。

いずれ中山道も走ってみたいなぁ!
そうすれば本物?の軽井沢も走ることになるんだろうね。
(※2008年5月現在です。この後、中山道は完全走破します)

とにかく道沿いに走る。
迷うこともないよね。
第3京浜道路の下を潜り、信号も少なく、快適なランニングだ。

と、突然左手に現れた大きな石碑。
「神奈川関門跡袖ヶ浦見晴所」。

幕末の頃の史跡やね。
この先の神奈川宿を守るため、外国人専用?の関所みたいなものかな?
しかもこの辺り、「袖ヶ浦」という景勝地だったらしいけど、現在では想像できないね。

神奈川宿は、さすが横浜だけに、それ以外にも幕末の匂いを感じるね~。
1859(安政6)年、神奈川条約によって、横浜港が開港し、外国船がやってくるようになった経緯があるからね、当然と言えば当然だけど。

今度は「田中屋」という料亭がある。
かつては神奈川宿の旅籠だったんだね。
安藤広重の絵にもなったし、高杉晋作も利用したらしい。
そして、坂本龍馬の妻「おりょう」さんが働いてたのはここなんだね。
(※2010年大河ドラマ「龍馬伝」、真木よう子さんが演じた人やね)

左手に金比羅神社があり、その真ん前が神奈川一里塚跡。

すぐに広い幹線道路に出てしまった。
左手に「青木橋」の交差点。

左手階段上がったところに「本覚寺」
幕末には一時的にアメリカ領事館として使われたらしいけど。
この辺り、ペリー提督も散歩してたかもね。

ここは間違えやすいので要チェック!
信号を渡り、東海道本線&京急電鉄本線の上を渡り、反対側の「宮前橋商店街」のアーケード街に入っていくのが正解らしい。
ここも地図で見ると直線になってるし、慣れてくるとピンとくるんだけど、そうじゃないとちょっと分かりにくいな。

商店街を過ぎるとあっけなく、国道15号に突き当たる。
ここを左折し、しばらくは殺風景な国道ラン。

資料によれば、国道の1本北側の道に見所は集中してて、そちらが「歴史の道」としても整備されているんだけど。
東海道にこだわるコスモタイガーは、国道15号をひた走る。

さらに途中に本陣跡があったらしいんだけど、あまりに殺風景で見逃してしまった。

「神奈川2」の交差点も過ぎ、主だった史跡で唯一国道沿いに建っているのが、「良泉寺」。
お庭が綺麗で、穏やかそうな一角だけど。

先の神奈川条約の取り決めで、外国の領事館になる予定だったのに、屋根を剥がして「修理中」という名目で拒否したという。
なかなかツワモノの住職さんだったんだね。

残念ながらここから先、しばらくは見所らしきところは何もなし。
国道15号(通称第一京浜道路)を走るのみ。

名前の通り、結構な幹線道路だからさ、ビユンビュン車は走ってるし、景色も全然良くないけど。
京急本線が寄り添ってるのが唯一の慰めかな。

京急&JRの新子安駅を左に見て、そのまま通り過ぎる。
400mほどで「子安通」の信号ね。

資料によればこの辺りが「東子安一里塚」の跡地なんだけど。
見落としたのかな?
それとも最初から何もないのか?

ま、ええわ。
どうせ公害真っ只中、幹線道路を走ってるだけで、テンション下がるなぁ。

貨物線をくぐるとすぐ、「生麦1」の信号ね。
ここでようやく道路が分岐する。
第一京浜は、やや左にカーブして道なりに進むけど、そこを直進する狭い道が東海道やね。

そして分岐点には「生麦事件の碑」が設置されている。
まさに今(2008年!)、大河ドラマで放映中の「篤姫」にも深く関わる事件で、旬な場所の1つかな。

「生麦事件」。
幕末の1862(文久2)年、薩摩藩の行列の前を横切ったイギリス人数名を「無礼者!」と切り殺しちゃった事件やね。

我が国の言葉も風習も知らない外国人を、まさしく文字通り一刀両断!
しかもそのうちの1人が、リチャードソンさんという、大物?イギリス商人だったんだよね。
当然、外交問題となり、のちの「薩英戦争」につながっていく。

薩摩出身の天璋院篤姫さんの苦悩がこれからどのように描かれるのか、一視聴者としては楽しみだね。

右手には大きなキリンビールの工場がある。
まさに「生麦」を加工してるわけだ。

と、そんなオヤシギャグ言ってる間もなく、左手に病院を見てすぐ、ビール工場の通用門?に到着。
時計はすでに15時半を過ぎてるし、今日はここをゴール!
実走で20kmぐらいかな?

東海道を逸れ、通用門前の道を北上すると、国道15号を横切り、5分ほどで京浜急行電鉄(京急)「生麦駅」に到着。

普通しか停車しない、私鉄のローカル駅らしい佇まいで、駅前も個人商店が数店ある程度。
ちょっと腹ごしらえをして、さぁ帰ろう。

帰路はさすがに新幹線の力を借りるけど、どこから乗るかが問題。
距離的にもっとも近いのは「新横浜」なのは間違いないけどさ、新横浜駅って東海道本線から外れてて面倒くさいからね。
どうせ利用するのは「こだま」だし、急いでるわけじゃないし。

ってことで、節約も兼ねて、京急で横浜駅に出て、そこから東海道本線で通い慣れた?小田原に。

小田原駅からは「こだま」と名鉄の毎度おなじみの乗継で帰宅。
東海道も残り、概ね25km!!

2回に分けるか、1回で一気に片付けるか、微妙な距離だ。
うーむ、迷うなぁ…。

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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(40)

2013-03-22 | 旧東海道run!!

せっかくのGW、1日ぐらい街道ランに使いたいよ。
てなわけで、今日もまた、小田原駅で東海道本線に乗換、藤沢駅下車。
さらに小田急江ノ島線に乗換、前回のゴール地点、「藤沢本町」駅まで1駅。

と、文字にすれば簡単なんだけど、ここまで来ると移動だけでもかなりの稼働で、すでに12時半を過ぎている。

駅前散策もそこそこに、さっそく本日のトレーニングを開始する。
線路に沿って50mほど駆け上がると、県道43号。
これが旧東海道ね。

東に向かって走るとすぐ、「白旗」の交差点に出た。
いきなりだけど、寄り道したい。
交差点を左折し、北へ300mほど進むと、「白旗神社」がある。

名前からして源氏に関係することは容易に推測できるけど、ここは悲運の名将、源義経を祀っているらしい。

奥州で最期を遂げたとされる義経だけど、その首がここまで運ばれ、葬られているという。
まぁ、真偽のほどは不明だけど、この辺りではそう信じられているらしい。
ということは、当然、義経は、奥州であっさり討たれたという前提なわけだよね。

そもそも義経は奥州では死んでいない!って話も有名だけどね。
多くの諸説や文献もあって、かなりのボリュームだから、詳細は省くけれど、俗に言う「義経北行伝説」ってやつだ。

秘かに奥州藤原氏の本拠、平泉を抜け出した義経一党は、ひたすら北を目指し、逃避行。
津軽海峡を越え、蝦夷地(北海道)に入る。

ここでアイヌ人たちに受け入れられ、彼らを統率しながら余生を送ったとか。

いやいや、そんなケチ?な話どころか、さらにそこから北に向かい、ついには大陸に上陸。
そこでジンギスカンになった、という説まであるしね。

どの説もそれぞれ頷ける部分もあって楽しいし、単なる伝説では片づけられない部分が多々あることも確かだ。

実際、平泉以北に、義経や弁慶に由来する地名や名字が残ってたりして、彼らが平泉であっさり?死んだとすると、これらは説明できないらしい。

一行を風呂に入れ、その際に「風呂」の苗字を義経から直々に賜ったとされる風呂家は、今も続いている。
(時折、TV番組等で、珍名として紹介されている)

弁慶岩とか判官神社とかも東北や北海道各所に残ってるらしいし。
義経は正確には、源九郎判官義経(みなもとのくろうはんがんよしつね)、だからね。
弁慶はもっとも有名な家来やね。

地名として例を挙げるとすれば、青森県の黒石市。
鉄チャン的には、弘南鉄道弘南線の終着駅なんだけどね。
その語源は、九郎→黒に転訛したとする説もある。

鉄チャン目線で、もう1つ。
名前の通り、津軽半島を走るJR津軽線の終着駅、三厩(みんまや)駅。
江戸時代には、松前街道(または広義の奥州街道)の三厩宿として栄えた集落だけど、その語源は、義経一行がここに滞在し、その期間、3つの厩(うまや:馬小屋のこと)を設けたことによるとするのが通説だ。

こんな感じで、あちこちに義経や弁慶にまつわる地名や史跡が残っているという事実があるけれど…。

それなら平泉での最後、義経が自害のために立てこもったお堂の前で、弁慶が立ちふさがり、矢があちこち刺さっても、立ったまま死んでいく、あの有名なシーンは、何だったのか~って話になっちゃうんだけどね。
個人的には大好きなシーンなんだけど。

あの名作「さらば宇宙戦艦ヤマト」での都市帝国爆破作戦にも流用?されてるからなぁ。
爆破装置をセットする真田技師長。
それを仁王立ちで敵兵から守る斉藤始空間騎兵隊長。
銃弾を何発も受けながらの「技師長、あわてず急いで正確にな!」の名セリフ、カッコ良いねぇ!

セット完了と同時にバタッと倒れた斉藤、駆け寄る真田技師長。
「隊長、ありがとう。」
あ~、思い出すだけで涙が出る~。

って、何の話してんだ?俺。
脱線しまくりだ。
いい加減、話を戻さなきゃ。

「白旗」の交差点に戻り、東に進む。
ちなみにここから、今までの県道43号から、国道467になるらしい。

と、またすぐの道を左折し、奥まった小公園に、義経の首塚。
そしてその首を洗ったとされる、首洗井戸がある。
さっきの白旗神社の関連史跡的な感じやね。

国道467に戻る。
やがて左手に「蒔田本陣跡」。
要するに、藤沢宿の本陣跡。

藤沢本町駅からこの辺りまでが、藤沢宿の中心だったのかな?

しばらくはそのまま国道を走る。
「藤沢橋」の交差点に出たら行き過ぎ。
その1本手前の道を左折するのが東海道さ。

すぐに橋を渡り、そのまま直進。
正面に大きな寺院が現れる。

藤沢宿の象徴、遊行寺(ゆうぎょうじ)だ。(写真)
正式名称は「清浄光寺」。

せっかくだから寄ってくことにしよう。
樹齢700年超のイチョウの木もあり、ひとときの癒し空間だ。

来た道を戻る。
橋の手前を左折する。
すると県道30号に出る。

かなりの交通量だ。
関東地区に入っていることを実感するよなぁ。

ここは上り坂になっている。
資料によれば「道場坂」というらしい。

左手に「遊行寺一里塚跡」の説明板。

残念ながら、ここを過ぎるとしばらく見所もなく、ひたすら県道ラン。
知らない街を走る楽しさはあるけどさ、街道らしさはほとんどない。

ついに横浜市に入った。
前後駅スタートで気楽に始めた東海道ラン。
あの時点でまさか横浜を走ることになるとは思ってなかったよ~。

やがて左からやってきた国1(藤沢バイ゜パス)と合流、そのまま自然と国1を走る。
片側2車線(だったかな?)の大幹線だからね、情緒も何もないよ。

「原宿」の交差点もそのまま直進。
500~600mほどのところに「原宿一里塚跡」があるはずなんだけど、右側を走ってたせいか、完全に見落としたらしい。

まぁ、「跡」だからね、説明板があるだけらしいから、そのまま進むとしよう。
でも先のことを考えると、ここは右側を走ってた方が絶対無難なんだけどね。

「吹上」の信号を越すと、上り車線と下り車線が少し離れた感じになる。
東海道は下り車線、つまり今走ってる右側だからね、そのまま走ってれば良いのさ。

1kmほど走ると、国1とパイパスが分岐して、インターチェンジみたいになってるから、ややこしいけどさ、とにかく右の歩道を道なりに走ってれば迷うことはない。
要するに、(バイパスではない方の)国道1号が旧東海道ってことさ。

やがてサイゼリアが見えてくると、そこに「戸塚宿見附跡(上方見附)」の細長い表示柱が。
戸塚宿京側の入口ってことだけやね。

わずかに石垣を残す、と資料にはあるんだけど、本当に「わずか」だよ。
完全に花壇?扱いされ、その上には土を入れて盆栽?のような木が植えられている。

200mほど進む。
「戸塚町」の交差点、道路反対側の左手にはこんもりとした森がある。
交差点を渡り、森の前に行くと、そこは「富塚八幡宮」。

この辺りではそれなりに有名な神社で、後方の森(小山?)は、「塚」の名が示す通り、古墳ということらしい。
この「富塚」の「み」が抜けて、「戸塚」に転訛したとする説もあるようだ。

そのまま国1左側を進む。
興味がなければ、普通に国道を走ってるだけの感覚なんだけど、こんなメインストリートにも、神社や史跡が散見するから、かろうじて東海道の匂いを感じ取れるんだね。
左手に八坂神社があるのもその1つだ。

戸塚消防署を超えたところに、戸塚宿澤邊本陣跡の木柱。
現在も、澤邊さんがお住まいになっているらしい。

何やら大きなビルが目立ち出し、明らかに都会の雰囲気。
戸塚駅がすぐ右手にある。

両側は工事中で、近い将来、大きなショッピンクセンターになるようだ。
街道らしさはまったく無く、不安になるけど、とにかく国1を行くのが正解らしい。
「清源院入口」の交差点名がかすかにそれを伝える。

その清源院は、左手奥まったところにあるらしいけど、こんな都会の中、ウロウロする気になれないから、先を急ぐことにする。

東海道本線を踏切で渡る。
さらに進んで吉田大橋を渡る。

渡ってすぐに「戸塚一里塚跡」の案内板を目にする。
ついに東海道も残り40kmを切ってしまったよ!

ちょっと進んで、右にカーブする国1。
そのカーブが終わると、左手にダイエーがあるけど、そのわずか手前が「戸塚宿見附跡(江戸方見附)」。
はい、戸塚宿、終了。

コスモタイガー、国1を気持ち良く走ってたから通り過ぎ、あわてて戻ってきたけれど、この先、小さな橋を渡ってすぐの「舞岡入口」の信号を右折するのが東海道。
左手に大きな工場があるから、それが目印かな?
久々に国1を外れるから、逆に調子狂っちゃったよ。

200mほどて、道が右と左に分岐するけどさ、これはもう、確信持って左を選択。
いかにもって感じの曲がり方してるしね。

この辺りの東海道はちょっとややこしいけど、逆にそれが新鮮だったりする。

「不動坂」の信号脇で、再び国1に合流、そのまましばらく国1を進む。
2kmぐらいかな?
左から来る道と立体交差するけれど、そこから右に分岐する別の道があるから、これが東海道ね。

ちょっとだけ街道らしさを感じたと思ったら、またすぐに「赤関橋」で国1に合流。
で、またすぐの道を右に入る。

そうすると「東戸塚駅入口」の信号に出るんだよ。
そのまま国1を横切り、直進する。

のどかな住宅街の中、小川(水路?)沿いの道を走る。
ちょっと街道らしからぬ状況だから、不安だけど、資料を再確認すると、やっぱり間違い無いようだ。

でも路線バスの停留所を発見!!
これ、意外と重要な目印なんだよ。

バス路線も基本は鉄道と同じ、集落と集落を結び、人を運ぶところから始まってるからね。
むしろ鉄道以上にきめ細かく東海道上の集落を結んでるケースも多い。

こんな狭い住宅街の道でも、あえてこの道にバスが走るということは、何かこの道自体に意味がある。
そんなことに気付きだすと、街道ランも楽しいね。

水路?を離れたところで、分かりにくい5叉路に出るけど、道なりに斜め右を選択。
街道特有のうねりも出てきて、久々に「らしさ」を感じられるね。

でもさ、時計を見ると15時半。
せっかくノッてきたところだから、もっと先にも行きたい気持ちもあるけど、利便性も考えて、この辺にしておこう。

「坂下」のバス停があるから、ここをゴールにする。
「神奈川中央交通」。
いや~、興味ありありなんだけど。

残念ながら?ここを左折して、北西へ5分も歩けば、JR東戸塚駅。
バス乗るまでも無いからさ。

今日は最近ではちょっと少なめ、東海道だけで14~15kmぐらい?
実走距離、16~17kmというところかな?

東戸塚駅前は、大型百貨店が建ち並び、予想外の賑やかさだ。
あまり散歩する雰囲気じゃないね。

ここから小田原まではJR東海道本線、そして「こだま」に乗換、いつものルートで帰宅。
それでも自宅到着は20時過ぎなのさ。

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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(39)

2013-03-15 | 旧東海道run!!

東海道、続きをやりたい!
でも金ねぇし…!
家計苦しき折、2週続けてってのもねぇ…。
でもやっぱり行きたいし!

もじもじしながら、やっぱり現地に向かってしまうコスモタイガー…。

通い慣れた?乗継で、またしても小田原駅へ。
小休憩を兼ね、軽食をとるのもパターン化してきたぞ。

東海道本線に乗り換え、大磯駅に到着したのは12時過ぎ。
前回の終了地点、「鴫立沢」交差点まで歩き、本日の出発点とする。

目の前の国1を、東に向かってスタート。
国1はすぐに左にカーブするけど、分岐して真っすぐ進む狭い道が東海道やね。
でもこれまたすぐに行き止まり、直角に左折し、国1に合流。
「照ヶ崎海岸入口」という交差点らしい。

国1runに戻る。
資料によれば、この辺りから大磯宿なんだけど、残念ながら、かつての宿場の雰囲気はあまり残ってない。
途中、大磯本陣跡があるが、わずかに案内板を掲げるのみ。

「三沢橋東」の信号を直進、100mほどで、左斜めに分岐する道が。
はい、これ、東海道ね。

そしてここから松並木も再び始まる。
別世界のような静かな道になった。

しばらくして左手に
江戸見附跡。
ここまでが大磯宿ね。

ある種の規則性がわかってきてるから、説明書きも斜め読みになったりしている。

東海道本線を地下道で潜るけど、道は線路の向こうにもそのまま続いてるからね。
道なりに走り、やがて再び国1に合流だけど、合流地点の手前に「化粧坂(けわいざか)一里塚跡」。
すぐ隣には、「虎御前の化粧井戸」。

国1沿いなのに、この一角だけが旧道の雰囲気を残している。
何だか随分前の「日永の追分」の湧水を思い出すなぁ。(旧東海道編10参照)

そしてこの合流地点が「化粧坂」の交差点。
ここからまたまた国1runだけど、左手に小高いけどちょっと気になる山がある。

昔の人にとっても目立つ山だったようで、高麗山(こまやま)というらしく、広重の絵にも描かれているらしい。

ちょっと寄り道。
左折して、山裾の高来(たかく)神社を目指す。

高麗山に高来神社。
きっと元は「こうらい」だったんだろうね。
ってことは、朝鮮半島に存在した「高句麗(こうくり)国」と何か関係あるんだろうなぁ、と推測はできる。

それにしても何かイベントでもあったのかな?
結構な人だかりで、賑わってるねぇ。

この街道ラン、よく地域のイベントに出会うよね…。

神社の裏手から、高麗山のハイキングコースがあり、かなりの興味が湧くんだけど。
距離もそこそこありそうだし、起伏もあって、こりゃ、クロカン走にはもってこいだ!

でも…。
やっぱ、やめとこ!
道草し出すとキリないし、ここは時間取りそうだし。

後ろ髪引かれる思いで、国1に戻る。

「花水橋」を渡る。
文字にすると綺麗だけど、口にすると、風邪引きそうやね。

「古花水橋」の交差点には「東海道平塚宿」と書かれた大きな石碑がある。
ここが京方見附跡で、ここから平塚宿の始まりね。
ちなみに現代もここが大磯町と平塚市の境界になっているようだ。

さっき大磯宿出たばかりだけどね。
実は大磯宿~平塚宿間は、現代表記で2.9km、御油宿~赤坂宿(約1.7km)に次いで2番目に間隔が短い。
ランナー的には、本当に近い感覚だよ。

ここは三叉路になっていて、左の国1を選択。

最初の角に歯科医院があるからね、そこを右折するのが東海道。
気になる史跡があるようだから、またまた寄り道ね。

案内表示に従えば良いから、迷うことはないけれど、左折して北を目指すと右手に要法寺。
さらに奥の公園の一角に、こんもりとした塚がある。(写真)

その名も「平塚」。
桓武天皇の孫、高見王の子、平政子なる人物がここで亡くなり、その塚(墓)を地元では「平さんの塚」→「平塚」と呼ばれるようになったというのが通説だ。
だから平塚市なんだね。

東海道に戻ろう。
すぐに右からやってきた広い道に合流。
さっきの「古花水橋」で右の道を選ぶと、この道を来ることになる。

すぐに左手に「平塚宿本陣跡」。
しばらくはこの道をひたすら走るのみ。
脇本陣跡も石柱で示してあった。

平塚市民センターの前が「江戸見附跡」。
はい、平塚宿終了。

右手奥に平塚駅が見える。
しばらくは平塚市のド真ん中を走るだけで、東海道らしき見所、何にも無いよ。
まぁ、知らない街を走ってるゾクゾク感はあるけどさ。

「馬入」の交差点。
左から国1が合流してくる。
その手前に「馬入一里塚跡」の案内板があった。

そのまま国1run。
「馬入橋」で相模川を渡るのさ。
江戸時代は舟渡しだったとさ。

ここからまた、長~い国道runが続くんだよね。
箱根までの道中が変化に富んでいるのに比べると、大磯以東はちょっと単調感があるのは否めない。

途中で、新湘南バイパスを潜り、約10分ほどは、ただ漫然と国道1号を走る。
小出川という小さい川を渡ると、右手に「ニトリ」が見えてくる。
その手前に、ニョキニョキと、太い切り株みたいなものが

旧相模川の橋脚だ。
関東大震災の際、相模川流域が隆起した結果、鎌倉時代の橋脚が姿を現したとか。
小さな池(水たまり?)を作り、保存されている。

さらにそこから3kmほど走ると、茅ヶ崎駅前の交差点に出る。
本当にこれ、東海道なの?と不安に思ったりするんだけど、ちょっと進むと右手に「茅ヶ崎一里塚」の跡が、こんもりとした繁みになって残っている。

「道」に対する考え方の違いかな?
あるいは急激に東京のベッドタウンとして発展してきた結果なのか、この辺りは、旧東海道がほとんどまるまる国道1号として利用されている感がある。

「保存」だの「整備」だの言ってる間もなく、東海道を取り急ぎ?拡張して国道にし、そのままあれよあれよと発展してきた感じだ。

国1と東海道が付かず離れずなのは当たり前なんだけど、今まではところどころで分岐したり、全く離れたりして、それなりに変化はあったんだけどね。

現代でもメインストリートとして活躍してるから、かなりの交通量だ。
その中をまだしばらく国1とお付き合いしないといけないよ。

茅ヶ崎一里塚以降も、特にこれといったスポットもなく、国道1号を走り続ける。
微妙なうねりが、かつての街道であることをわずかに主張している。

途中、ほんの少しだけ松並木も残ってるんだけどね、なにせ交通量が多く、生活感ありすぎる状況で、興ざめ状態。

「大山街道入口」の信号までやってきた。
名前の通り、大山街道と交わっている。
先には鳥居も見える。

って、前回(旧東海道編38)にも「大山道」の道標、あったよね?
まぁ、関東では大山詣りは、江戸時代は盛んだったらしいから、参詣の道がいくつも存在してたということやね。

さらに進んでやっとこさ、「辻堂一里塚」。
左側にある。

成り行き上、右側走ってた上、しばらく見所もなかったからね、あやうく見落とすところだったけど。
あわててすぐ先の「羽鳥交番前」交差点を横断し、一里塚を近くで確認しておく。

国1run、「馬入一里塚」から10km以上続いたんじゃないの?
ここでやっとお別れだ。

次の「四ツ谷」の信号で、左右に分岐するけど、旧東海道は右の道。
(ちなみに国1は左で、そのまま藤沢バイパスとなる。)

といえば聞こえはいいけどさ、これ、旧国道1号だよね。
藤沢゛バイパスができたから、県道(44号)に格下げになっただけなんちゃうの?

というわけで、国道が県道になっただけで、似たような状況だけど。

右手に赤い屋根の小さなお地蔵さんを発見!
不思議なことに、顔には常に白い粉が付いているらしく、「おしゃれ地蔵」というらしい。
そしてここが東海道であることをやっと確認できる。

「引地橋」を渡る。
すぐに左の脇道に。

と思いきや、すぐに道なりに右折し、そのまま再び県道に合流。
ほんの100mほど分離しただけね。
それでも久しぶりの分離で、ちょっと嬉しかったりする。

で、そのまま走ってしばらく、電車の線路を高架で渡る。
左手50mほど降り立ったところに駅が見える。
「藤沢本町」駅。

はい、こうなりゃもうゴールにしたいよね、乗りたいし。

ちなみにこの駅は「小田急江ノ島線」
名前の通り、小田急本線(小田原線)の相模大野駅と、観光地として有名な江ノ島までを結ぶ路線だけど。

また「本町」という名前からして、この辺りがかつての藤沢宿の中心だったんたろうな~と推測できる。

まだ16時前だし、このまま江ノ島まで行ってしまいたい気持ちは山々だけど。
今日もなんだかんだと20kmちょっと走ってると思うし、意外に移動だけでも疲れるのさ。

東海道本線藤沢駅まではわずか1駅。
つまみ食いってやつね。

藤沢駅前を軽く見学。
ここから出てる江ノ島電鉄も魅力的なんだけどなぁ。
中学生のころに乗ったきりだもんな~。

まぁでも、今日は大人しく帰ろうっと。
東海道本線に乗り、小田原駅にまたしても再会。

もう何度目かの「こだま」の乗客となったコスモタイガーであった。



※(2016.5.26追記)ルート地図、作成しました。(ここをクリック
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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(38)

2013-03-08 | 旧東海道run!!

名古屋ではすでに桜も散った。
うっすらと陽が差し込み、穏やかな一日になりそうだ。

コスモタイガーは、今日も名鉄と新幹線(こだま)を乗継、またまた小田原駅に降り立った。
縁もゆかりもない小田原駅に、妙に詳しくなってきたぞ!

もっとも、随分前だけど、街道ラン以外でも、小田原駅は利用することもあったけどね。
東京に行く際の「裏技ルート」の乗換駅だもんね。

時間にかなり制約がある場合はちょっと厳しいけど、ある程度余裕あって、かと言って「鈍行乗継や東名高速バスは遅いし、マニアック過ぎる!」というなら、小田原まで新幹線で来て、ここから小田急利用で新宿に出る、なんてのは、意外に楽しい裏技なんだけどね。
景色も小田急沿線の方が優っているし、何より新鮮だ!

ちなみに名古屋~東京(品川)間(または新宿)を新幹線で乗り通すと(自由席で)10,070円。
名古屋~小田原間8,190円で、ここから小田急の急行なら何と!850円で新宿まで行けちゃうからね。(合計9,040円)
座席指定の特急(ロマンスカーと総称される)に乗っても、870円プラスされるだけだから、それでもまだ新幹線より安い!

ちょっとした節約になり、特に23区内の西側が目的地なら、時間に余裕ある場合のお薦めの裏技ルートなんだけど、あまり知られていないよね。
(もちろん逆に帰路、新宿から小田原に出るパターンもOK)

地図を見れば明らかだけど、小田原~新宿間をショートカットするかのように走っている小田急本線。
最近ではVSEとか、HiSEと呼ばれる新型ロマンスカーも走り、乗ってみたい衝動に駆られるけどね、我慢我慢!

おっとっと、初っ端から話が逸れちゃった。
駅構内で軽食で腹ごしらえ。
バスで前回のゴール地点、なりわい交流館前に到着。

ここでいったん休憩し、めぼしい資料がないかをチェック。

交流館前の道を東に向かって、本日のランニングのスタート!
と思う間もなく、すぐに「清水金左右衛門本陣跡」「明治天皇行在所跡」。
要するに、小田原宿の本陣跡で、かつては明治天皇もお泊りになられたってことね。

「青物町」の交差点もそのまま直進。
やがて道は突き当たり、そこを左に。

交差点に出る。
「新宿」。
ここにもあるんだね、新宿。(旧東海道編33参照)

右折して再び国1を走る。
しばらくして左側に「小田原一里塚跡」。
江戸から数えて20番目らしいから、残りはすでに80km弱ということやね。
またここは、「江戸口見附跡」でもあり、小田原宿の東側の出入口ということにもなっているらしい。

しばらくは国1ランだけど、「宗福寺」「山王神社」とゆかりのありそうな建物が左側に続くから、良い目印にはなる。

山王橋を渡り、「常剱寺入口」の信号で二手に分岐。
これはもう、右がいかにも旧道だね。

ここで見ておきたいのが「新田義貞公首塚」。
ちょっと奥まったところにあるんだけど、親切な案内板に従うとすぐに到着。

新田義貞は、云わずと知れた、鎌倉時代末期の武将だ。
越前国で落命したはずだけど…?

説明書きによれば、その首を家臣が上野(こうずけ)国に持ち帰るところ、家臣自ら重病になり、やむなくここに首を埋葬したとか。

手を合わせ、写真を撮り、東海道に戻る。
思わず道なりに直進してしまいそうだけど、そうすると高校の裏手に出て行き詰ってしまう。
ということで、高校の手前を左折するのが正解。
「ビジネス高校前」の交差点に出る。

本来の東海道は、ここを渡ってそのまま斜めの道に入っていたらしい。
八幡神社があるから、間違いないね。
現在は残念ながら、大きな川(酒匂川)にぶち当たってしまう。

国1に戻ってそのまま走り、「酒匂橋」を渡る。
本当は、さっきの八幡神社の前を通って、この100mほど上流で「徒歩(かち)渡し」(人足による肩車)をしていたらしい。
川べりに小さな黄色の花が咲き、綺麗だ。

しばらく国道ランは続く。
沿道には由緒ありげなお寺が点在し、ここが確かに東海道であることを示唆してくれている。

そして松並木が始まったけど、交通量が多いから、ちょっと興ざめかな?
でも、単調な国道ランに、彩りを添えてくれたことは間違いない。

「小八幡一里塚跡」。
案内板が残るのみ。
この辺りの松並木は、かなり立派だ。

当分、地図を見る必要もないよ。
しばらくはひたすら国道1号を走るだけだから。
前回まで、クロカン道やら石畳やらを右往左往していたことを思うと、物足りないぐらいだけど、資料によると、国1がそのまま旧東海道となっている。

右手には西湘バイパスが見えている。
国府津駅前を通過。
今度は左手に、東海道本線も寄り添ってくる。

思わずランに集中してしまいそう?だけど、左手に年代を感じさせる道標が。
「大やまみち」「是従大山道」と書かれている。

「大山詣り」といって、ここから参詣の道が分岐していたらしい。

国1ランは続く。
小田原市役所橘支所を過ぎ、押切橋を渡る。

と、すぐに右に分岐して駆け上がっていく道を発見!
間違いないね、こっちが旧東海道。
久々に国1を離れる。

でもそれもつかの間、300mほどで再び国1に合流。
合流地点にあるのが「押切坂一里塚跡」。
小さな碑が残るのみ。

しばらく走って「山西」の交差点。
ここで今度は左に分岐する東海道。

国1を見下ろす感じになり、見通しも良く、ちょっとだけ雰囲気残る道だけど、やっぱり400mほどで国1に吸収される。

残念ながらしばらくは見所もなく、国1を走るのみ。
まぁ、箱根駅伝の7区を楽しんでると思えば苦にならんけど。

二宮駅前を通過。
写真すら撮るところもないからね。
まじめに走るよ、まじめに!
って、元々まじめなトレーニングなんだけどね。(また…)

再び松並木らしき景色が現れた。
「国府新宿」の信号に出る。
ここから旧東海道は、国1に寄り添う遊歩道のように、一段高いところを通っている。
松並木もここまで来ると見ごたえがある。

やがて東海道はそのまま左にカーブし、国1と別れる。
微妙なうねりはわずかに旧街道を偲ばせるものの、見所はこれと言ってないけどね。

左前方に大きな公園が見える。
「大磯城山公園」というらしい。
散策したい気持ちもあるけどさ、肝心の東海道をもっと楽しみたいんだけど。

再び国1に合流。
ここに「旧吉田茂邸」があるらしいけど。
(ちなみにその後、2009年3月、失火により全焼したらしい)

吉田茂、云わずと知れた元総理大臣。
まぁ、でも旧東海道とは直接関係ないし、特段関心あるわけじゃないしね、素通りする。

さらに進んで、右手に大きな建物が。
「滄浪閣」。

元大磯プリンスホテルで、またそれ以前には、初代内閣総理大臣、伊藤博文邸跡でもあるらしい。
手元の資料には、「現在もレストランや結婚式場として営業している」とあるが、人の気配もなく、妙に陰気くさい。
よく見ると案の定、不動産屋の貸店舗云々といった看板が掲げてある。

東海道とは時代的に異なるからね、最初から素通りのつもりではあったけど、さすがにこんな状態だとちょっと悲しいね。
由緒ある建物だけに、新たな活用方法を考えてもらいたいものだ。

それにしても歴代総理の建物が続いてるには理由がある。
大磯は、明治末期~昭和初期までは別荘地として有名だったからね。
全盛期の明治末期には、150軒以上の別荘が建ち並んでいたとか。

そしてこの滄浪閣前から再び松並木。
今度の松並木は本格的に残されており、「大磯松並木」としても有名だ。(写真)

松並木は500mほど続くかな?
両側の松は見事に尽きるけど、天下の国1、交通量が多いのが気になる。
終わったところが「大磯中学校前」の交差点。

さらに400mほどで次の交差点、「鴫立沢」(しぎたつさわ)。
この辺りのかつての地名なんだけど、西行法師の和歌にも出てくるらしい。

ちなみにその歌とは、
「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」

残念ながら和歌の心得がないから、詳しい解説はできないけれど、この辺り、かつては夕暮れの綺麗な景勝地だったんだね。

そしてその西行法師を偲んで、江戸初期に建てられたのが、俳諧道場の「鴫立庵」。
目の前に入口があるんだけどね、いかにも古風なお庭とお屋敷だ。

ただ俳諧とか和歌には残念ながら縁がなくてね。
職場でも、交通安全標語とか、お客様情報管理の標語とか、ときどき募集してるけどね、毎回ウンウン唸ってるのさ。

そこそこ距離も走ったし、ここから大磯駅も近い。
時計もすでに16時近い。
ということで、ここをゴールにして、鴫立庵をさらっと見学した。
静かな佇まいで、しばし癒しの世界を堪能。

「鴫立沢」交差点から国1(旧東海道)をはずれ、北に向かう道を行けば、徒歩5分ほどで自然と大磯駅に到着する。

大磯町は、平成の大合併にも屈する?ことなく、現在も単独で町制を敷いている。
現在でも、大企業の保養所も結構あるらしいし、観光地としては「大磯ロングビーチ」も有名だ。
きっと裕福な財政状態なんだろうなあ、と推測できる。

駅までの道沿いにも、比較的大きめの建物が多く、この街の伸びやかさを感じ取れるね。

さぁ、大磯駅到着。
ここから東海道本線で小田原に戻り、あとは前回同様、新幹線と名鉄の乗継で帰宅。
マジ、お金かかるよね。

ちなみに本日の実走距離、20kmぐらいかな?



※2016.4.14追記 ルート地図、完成しました。(ここをクリック
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