冬だね。
山岳部に差し掛かった中山道、冬季はお休みするしかないもんね。
仕方ないから、冬の間、大人しく近所をjog…、してるだけじゃ物足りないのさ!
一種の中毒なのか?
もう、旧街道エキスを定期的に摂取しないと、体が持たないのさ!
かと言って、大々的な遠征も費用的に厳しいしね。
中山道で随分浪費している上、さらに別の企画まで…、では今度は財布が持たないのさ!
近場でなんか良い街道ねぇかな~、と思いつつ、紋々とした日々を過ごし、資料を見たりしながら、注目したのが「伊勢街道」。
前半は近鉄名古屋本線、後半はJRになりそうだけど、それもすべて「青空フリー」のエリア内にすっぽりと収まる。
これなら「お値打ち」に完走できそうだ。
全てお隣、三重県内の平野部で、大雪の心配もない。
中山道の裏企画?としては、良い意味で適正規模やね。
伊勢街道。
伊勢路とも、参宮街道とも称されることがあるらしい。
旧東海道を日永追分で分岐し、伊勢神宮(内宮)を結ぶ、約18里(70km)の街道だ。
峠越えも無く、地味な印象は拭えないけれど、何といってもゴールがあの伊勢神宮!
江戸時代、庶民の間でもお伊勢さん参りはかなりトレンディーだったらしく、かなりの通行もあったらしい。
コスモタイガーも、こう見えて?いろいろ公私にわたって悩みもあるからね、神妙にお伊勢さん参りと洒落込んでみるか!
2009年も年末に入り、慌ただしくなってきた。
それでも何とか1日空け、自宅を出発。
2年半以上のご無沙汰となる、「日永追分」(旧東海道編10参照)に向かう、コスモタイガーなのであった。
(※冒頭写真は、旧東海道編10の際に撮影した、日永追分の湧水)
2009年も師走に入った。
中山道はついに最大の難関、「信濃路」に突入!
名古屋に比べれば確実に雪が多い地域なわけだし、何とか本格的な降雪の前に1回、走っておこうと思い、日程をやりくり。
やっとの思いで1日空けたものの、朝起きると、今にも泣き出しそうな曇り空。
天気予報によれば、「ところにより雨」と曖昧な表現になっている。
さぁ、出発!
と思い、カメラをポーチに入れようとした瞬間。
「あぁ!!」と絶叫!
何と、レンズ部分が壊れ、作動しない。
困った!
とはいえ、いつもの中津川駅10:10発の普通列車には間に合わせたい!
ここであれこれ考え込んでしまって乗り遅れては身も蓋もない。
思考停止状態で、とりあえず大高駅に向かう。
まぁ、とりあえず、携帯あるし、今日のところはシャメで対応しよう!
元々、自己満足で記録を残しながら走ってるだけだから、デジカメに拘る理由もないし。
(※2009年のこの時点では、そう思ってました、はい。)
乗り継いで、前回の終了地点、日出塩駅に到着したのは、12時少し前。
相変わらず空は曇っている。
自分で自分を慰めては見たものの、シャメなんて最近あまり使ってないから心配だけど、とにかく今日はこれで頑張ろう。
どうせ今回を最後に信濃路は長い冬となり、中山道の山岳路を進むことはしばらく不可能となるはず。
その間に、新しいデジカメでも購入しようかな?
(※といいつつ、メカに弱いコスモタイガー、この後もデジカメ購入はせず、最後までシャメ対応となります。ちょっと見づらいところも出てくるかも?あらかじめご了承ください。)
日出塩駅からすぐ先の県道に出て、前回の続き。
さっそくここをスタートとする。
200mほど先の漆器屋の前にあるのが、「日出塩一里塚跡」。
標札が建っているのみ。
そこから左に分岐する狭い道に入り、しばらく走ると、「シンセイ」という会社の事務所?がある。
ここはかつて、「日出塩の青木」なる大木があり、道行く人の目印になっていたらしい。
現在は記念碑が事務所の前に建つのみ。
この事務所の前から、これまたさらに狭い、未舗装の草道が分岐。
これが中山道らしく、すぐに中央本線を越え(第二仲仙道踏切)、国19へと合流する。
300mほどで、再び左に分岐する中山道。
この辺りから「本山宿」とされる。
左手には、中央本線が寄り添っている。
静かな集落で、自分以外にすれ違う人もいない。
肝心の本陣・脇本陣は何も残っておらず、わずかに脇本陣跡を示す標札を残すのみだ。
すぐに「川口屋」。
かつての旅籠で、現在もその面影を残す。
数は少ないけれど、わずかに当時を偲ばせる町並みが残る本山宿。
その特徴は、「斜交屋敷」といい、道路に対して斜めに建てられている。
雨がパラパラ降ってきた。
嫌な予感。
右に秋葉神社があり、そのまま国19に合流したら、本山宿は終了。
しばらくは国道run。
600~700mぐらいかな?
「牧野」の交差点に出た。
ここを左折。
ぐるっと右にカーブし、そのまま道なりに進む。
「県道304号線」に指定されているこの道が、旧中山道だ。
くねくねとうねったカーブが続き、いかにも旧街道らしい道だ。
途中、右手に牧野公民館があるけれど、どうやらこれがかつての「牧野一里塚」とのこと。
残念ながら現在は、それを示す標札も説明板もないため、判然としない。
もう少しゆっくりと堪能しながら走りたいんだけど、雨足が徐々に強くなってきた。
すぐに中央本線を潜るけれど、そのすぐ手前にあるのが「滝神社」。
洗馬(せば)宿の入口とされているそうな。
さて、洗馬宿。
残念ながら、ほとんどが建て直しされ、当時を偲ぶものはほとんど残っていない。
県道に沿った、普通の集落、といった感じで、やや単調ではある。
右側の民家の脇に、わずかに「脇本陣跡」の標柱があるのみ。
すぐに右側、「→洗馬駅」の案内がある。
資料によれば、この左側が本陣跡らしい。
この洗馬宿本陣、中山道中でも随一の広大な敷地を持っていたらしく、立派な庭園があったらしい。
その庭園が、現在の中央本線、洗馬駅になっているという。
ただ残念ながら、現在は、庭園はおろか、本陣跡を示すものは何もない。
200mほどで、案内板に従い、左の路地に入ると、小さな井戸?
「太田(あふた)の清水」と呼ばれる湧水で、当時から生活用水として、また馬の体を洗うなどに使われていたとか。
これが「洗馬」の語源とされている。
県道(というか、中山道)に戻り、先へ行く。
すぐに道が二手に分岐。
右がそのまま県道304号線、左が県道293号線。
ここは「善光寺道の分去れ(わかされ)」と呼ばれる追分ね。
中山道は右、つまり県道304の方。
左は、善光寺街道(または北国街道)と呼ばれ、名前の通り、善光寺への参詣の道とされる。
もっとも、江戸当時の追分は、正確には善光寺街道を50mほど先に行ったところだったらしいけど。
雨脚がさらに強くなってきた。
でもなぁ、距離にしてまだ7~8kmしか走ってないぞ。
やめるとしたら、洗馬駅が近い今のうちだけど、勿体ないよね~。
ということで、強行!
一応、持ってきた合羽、ここで着用しよう。
少しだけ登り坂になり、登りきった所に「肱懸松」があるらしいけど、視界がせまくなったせいか、見落としちゃった。
戻ってまで確認する気持ちも起きず、スルーする。
国19に合流。
「平出歴史公園」の交差点だ。
周囲は田園風景で、建物が少ないため、広々とした感じ。
ここはうっかりすると、そのまま直進してそのまま広い道を行き、中央本線を越えてしまいがち。
それは間違いで、国19の歩道のような狭い道を降りて行くのが正解だ。
ちょうどコンビニがあり、その裏を行く形になる。
すぐにまた国19に合流、そのまま国道run。
「中仙道一里塚」の交差点を右折。
県道305号線が、旧中山道になる。
そしてこれが木曽路から長く続いてきた国道19号との最後の別れ。
国道19号はここから先、さっき追分で分岐した善光寺街道に沿う形で、松本・長野方面に向かう。
何度も説明したとおり、中山道のルートは複雑で、東海道のように一筋縄にはいかない。
東海道なら、「現在の国道1号線に概ね沿ってます」で簡単に説明できるんだけどね。
中山道を無理矢理に現代国道で説明しようとすると、、近江路では国道8号→21号(中山道編0~6)、美濃路に入ってからは21号→19号(中山道編6~15)、木曽路は概ね19号(中山道編15~21)という感じかな。
だから名古屋近辺の人間には、中山道=国道19号のイメージになっているけれど、中山道と19号が並走する区間なんて、中山道全体からするとごく一部なのだ。
特にこの信濃路は、ルートがややこしく、いくつかの国道とくっついたり離れたりを繰り返し、山中を延々と越えていく形になる。
両側とも建物が少なく、だだっ広い感じの中、雨に降られながら進み、中央本線の踏切を渡る。
この辺り、平坦だったためか、中山道も直線的だ。
線路を越えて約400m、何もない十字路を右折し、南下すると、さっきの交差点名にもなっていた「平出歴史公園」に到着。
縄文から平安時代の大きな遺跡らしく、大量の土器・石器も発掘されたらしい。
名前の通り、公園として整備され、当時の竪穴式住居なども復元されているらしいけれど。
本当はゆっくり見学するつもりだったんだけどね、この雨だからさ。
のんびりしてたら寒くなりそうだし、江戸時代の中山道とは直接の関係はないからさ。
外から見るだけにして、急いで引き返す。
中山道に戻るとすぐ。
今度は両側にこんもりとした塚。
「平出一里塚」。
これまた両側が現存する、貴重な史跡。(冒頭写真)
実はここも2度目の訪問。
依然、鈍行乗継でブラブラした際、塩尻駅で1時間近くの乗継時間となり、その合間に訪問したことがあってね。
だから今日は写真だけ撮って、先に足を進める。
左手に大きな工場が現れ、ちょっと殺風景な景色の中、ほぼ直線で中山道は進む。
この工場の反対側に、塩尻駅がある、という位置関係になる。
中央本線そのものは、東京駅と名古屋駅を結ぶ、JRの主要幹線の1つなわけなんだけど。
塩尻駅を三角形の頂点のような形になっていて、塩尻から名古屋までを中央西線、塩尻から東京寄りを、中央東線と呼ぶことが多い。
管轄も、西線はJR東海、東線は、JR東日本だからね。
実態としては、塩尻を境に、全く異なった2つの路線のようになっている。
中山道は、その三角形の頂点をショートカットする感じで、直線的に塩尻市内を走り、やがてまた中央本線の下を潜る。
この中央本線は、さっきの一里塚手前で渡った「西線」ではなく、「東線」の方だ。
名古屋~松本・長野方面への利便性を考慮し、塩尻駅は1982(昭和57)年に現在地に移転したんだけれど、それまでは、ちょうどこの真上辺りが塩尻駅だったんだね。
現在も貨物列車や回送列車の退避場所として、使われているらしい。
大門地区を駆け抜け、「下大門」の信号に出る。
合流した道は、新たな相方、国道153号線。
名古屋市東区を発端にする国道で、名古屋市民には「飯田街道」として親しまれるあの国道と、ここで巡り合うとは!(※身近な古道たち⑨⑪参照)
そしてここからは、わずかな区間ではあるけれど、この国153が中山道の相方となる。
小さな川を渡ってすぐ、右脇に入る。
何やら行き止まりっぽいけれど、アパートの裏?を通り、駐車場のフェンスの横をすり抜けると、すぐに国153に合流。
知らない人が見たら、怪しまれるようなシチュエーションだけど、これも立派な中山道と云うことらしい。
「大小屋」の交差点が目の前だ。
左に分岐する小道が中山道。
300mほど走ると「旧堀内家住宅」。
かつての庄屋さんの家として現存しており、国の重要文化財だ。
ゆっくり写真でも撮りたいけれど、雨はいよいよ本格的になってきた。
今となっては逆戻りも気が乗らないし、とにかく先に進もう。
道そのものは、旧街道らしいうねりもあって、なかなかの雰囲気だけど、雨の影響で、なんだか落ち着かない。
まぁね、雪よりは全然良いけどさ。
「阿礼神社」
平安時代創建の古社で、いかにも風格ある社殿だ。
お参りだけして、すぐ進もう。
すぐに国153に出た。
ここに目立たないけれど「中山道鉤の手跡」の碑。
「鉤の手」とは、道が90度曲がるところを言うらしい。
その碑の示す通り、ここで左折して、国道をしばらく走る。
この辺りからが「塩尻宿」の中心になるんやろね。
最初に陣屋跡。
続けざまに、脇本陣跡、本陣跡、高札場跡。
いずれもこの国道沿いに目白押しながら、いずれも簡素な石柱が建つのみで、旧街道らしさは残念ながら、あまり感じられない。
唯一、そのちょっと先の右手にある、重厚な木造建築が、旧小野家住宅。
かつての旅籠の跡とされている。
やがて小さな道標があり、「是より西中山道塩尻宿」と記されている。
文字通り、ここで塩尻宿は終了、ということやね。
50mほどで「仲町」の交差点に到着。
ここで国153と別れ、左の道を行くのが中山道だ。
国153、本当に短い付き合いの相方だったけど、ここでさようなら。
100mほど進んだ左手にやる山寺っぽい古刹が現れる。
立派な山門だ。
「永福寺」。
ここも木曽義仲ゆかりのお寺らしい。
リサーチによれば、ここから少しづつ峠越え。
本格的に「塩尻峠」越えとなるけれど…。
いくら準備万端とはいえ、さすがにこの雨の中、峠越えは厳しいな。
それに体も何やら冷えてきた。
そろそろゴール地点を考えよう。
といいつつ、2つの方法で迷ったりする。
このまま直進し、しばらく中山道を走り続け、1.5kmほど先へ行くと、長野自動車道と立体交差することはリサーチ済み。
そこに中央道高速バス「長野道みどり湖」バス停がある。
ここから名古屋に戻ることも魅力的ではあるけれど…。
ぶっちゃけ、この雨で気持ちに余裕なく、時刻通りに来てくれる電車で手堅く帰りたい心境。
即席で手元の資料や携帯の地図で確認し、JR「みどり湖」駅に向かうことにした。
ということで、「仲町」交差点経由でさっきの道標に戻る。
そこから南へと分岐する脇道を選択。
どうやらこの道も、旧街道の匂いを感じさせる。
さすがにこの道を走ることは想定してなくて、リサーチしてなかったからね。
恐らく塩尻側の「飯田街道」になるのかな?
地図で確認すると、国153に沿う形でくねくねと道が続いている。
途中、右に小さな神社があるのも、いかにも旧街道らしさを演出してるんだよなぁ。
で、その途中、JR中央本線(東線)の上を通るけど、その下にある小駅が「みどり湖」駅。
ここを本日のトレーニングのゴールとする。
こんな状況だからね、中山道runとしては、12~13km、実走距離は14~15kmぐらいとちょっと少な目かな?
うーん、今回、距離稼ぎのLSD(※LongSlowDistance…長い距離をゆっくり走るマラソン練習の呼称。麻薬のことじゃありません!)的な位置づけで、一気に峠を越えたかったけど、目論見がはずれてちょっと意気消沈。
防水対応しているものの、すでに全身、じっとりしている状態で、まずは暖を取りたい。
やってきた「松本行」の普通電車に乗り込むと、幸い空席があった。
一気に緊張感が抜け、ヘタッと座り込んだ。
中央東線、いつ以来だろう?
ちょっと記憶が定かじゃない。
多分中学生の頃に乗って以来やね。
地図や時刻表で確認すると、塩尻~岡谷間は、中央東線は2つのルートが存在している。
自分の中学生の頃の塩尻~岡谷間は、現在で云う「辰野回り」しかなかったはず。
現在の「みどり湖」経由は、1983(昭和58)年に短絡線として開通した新線。
だからもしかして初乗りになるのかも?
じっくり味わいたいところだけど、腰を落ち着ける間もなく、わずか1駅、たった4分で塩尻駅に到着。
実はこの塩尻駅。
「普通」同士の接続があまり良くない。
普通列車の本数が少ないこともあるし、先述のように、鉄道会社の境界というのもあるんだろうけどね。
今日もここで約1時間の待ち時間だ。
まぁ、そのおかげ?で、ゆっくり着替えたり、構内の喫茶店で温かいコーヒーを飲んだりして、ちょっと落ち着く時間はあったけど。
次回以降、この塩尻駅としばらくはお付き合いすることになりそうだけど、この「無駄」?をどうするかってのも、課題になるかな。
もっとも、その次回は当分先になりそうだ。
すでに季節は冬。
信濃路は積雪地域だし、ましてや峠越えだしね~。
東海道の箱根のような思いをするのはもうこりごり!(旧東海道編36参照)
ってか、あんなのシャレにならないほどの積雪だと思うしね。
それにしても今日はデジカメ壊れたり、雨に降られたり…。
長く感じる一日だ!
マジ、疲れた!
中央西線の普通がホームにやってきた。
毎度おなじみとなった中津川乗換までの長丁場、のんびり車内で過ごすとしよう。
春の雪解けまで、中山道runはお預けだ。