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日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧中山道編(5)

2013-08-23 | 旧中山道run!!


2009年、あけましておめでとうございます!!
まだ正月気分まっただ中、温暖な気候を狙って、中山道を走りに行こう。

だんだん家から近くなり、時間的にも金額的にも楽になってきた。
いつもの通り、大高駅に車を置き、「青空フリー」を購入し、東海道本線を乗継ぐ。
すっかり慣れっこ?になった米原駅での近江鉄道への乗換。

前回のゴールは、高宮駅だったんだけど、かねてよりの腹案どおり、ここで支線である、「多賀線」に乗り継ぐ。
電車の中は、かなりの利用者だ。

わずか5分ほどで、終点「多賀大社前」に降り立った。

読んで字の如く、ここは多賀大社参拝の最寄り駅だ。
年始早々、混んでるのは当然なわけだ。

これで旧東海道編と合わせて、近江鉄道全線完乗!!
いや~、鉄チャンとしての本来業務?を果たして、実に気分が良い。

名古屋は穏やかな日差しだったのに、ここまで来ると寒い。
しかも空はどんより曇り、道路の両側にはわずかながら雪が残っている。

とはいえ、当然のことながら、露店が立ち並び、初詣客でごった返していて、熱気は満ち溢れている。
何といっても、古くは「古事記」にすでに記述があるとされるほどの歴史を持つ、滋賀県では超有名なお参りスポットだ。

まぁ、直接中山道には関係ないんだけどね。
それでもせっかく来たんだから、お参りだけは普通に済ませておく。
もっとも、初詣は元旦に近所の神社で済ませてあるんだけどさ。

露店で軽く腹ごしらえを済ませ、ここをスタートに走り出し…といいたいところだけど、凄い人混みで、ここを走るのはちょっと顰蹙(ひんしゅく)かな。

仕方なく、多賀大社駅までのんびり露店を冷やかしながら戻る。
大半はそのまま電車に乗るため、途中で右折して駅へと流れていく。

コスモタイガーは、この駅手前のT字路をスタート地点にして、そのまままっすぐ進むことにした。
たぶんこれがかつての参詣道だ。

名神高速の下をくぐって、しばらくすると分岐点があり、そこを右。
そうすると「多賀西」の交差点に出る。

直進すると左手にキリンビールの大きな工場があるけれど、残念ながらこの辺りには旧道らしい雰囲気は全くない。
ひたすら直線化した道を走る。

見通しが良いのはありがたいけど、その分北風をまともに受け、なかなか体が温まらないけど。

やがて東海道新幹線の高架をくぐり、近江鉄道本線を渡ると、あっけなく前回の終了地点「一の鳥居」が見えてきた。
こうして中山道に首尾よく合流し、オプションは終了。

何やら完全乗車も果たし、オプションだけで充実感に浸り、ここからが本番だってこと、忘れてしまいそうだ。

鳥居前の道をそのまま北東に進む。
近江鉄道本線を再び渡ると、常夜燈が残っている。
ここが高宮宿の東側出入口ということらしい。

交通量も減り、周囲に緑が増えてきた頃、左手階段を登ったところに、「石清水神社」がある。
階段の途中に「扇塚」なる史跡があった。
能楽にまつわるものらしいけど、残念ながらそっち系には全く興味なく、素通り。
お参りだけして先を急ぐ。

「大堀橋」を渡り、さらに中山道を走る。
この辺り、ちょっと単調ながら、左に「春日神社」が見えてくるのが目印だ。

「正法寺町」の交差点で、国道306号を渡る。
目の前には名神高速のインターチェンジが見える。
「彦根IC」なんだけど。

この彦根ICの脇をすり抜けていくのが中山道。
でも道そのものは1本道だから、迷うことはないけどさ。
何やら旧東海道の岡崎IC辺りを彷彿とさせる。(旧東海道編3参照)

途中で古い道標も残っている。
「すぐひこ弥」
彦根のことかな?
「弥」は「ね」と読めるのか?
ちょっと疑問を感じたりもするけどね。

家並みがバッタリ途絶え、そのまま右に名神高速と新幹線を従えながら、中山道は山中に入っていく。
途中で新幹線は右から左に移るけど。
この辺り、「彦根市小野町」というらしく、すぐに右手に「小野小町塚」が現われる。


小野小町といえば、秋田美人の祖としても名が知れているけれど…。
実はこの辺りが発祥の地とする説もあるらしい。

コスモタイガーのもっとも好きなお米の銘柄も「あきたこまち」だし、秋田新幹線を走るのも「こまち」号だし。
完全に出羽国(秋田県)の人物と思われている小野小町だけど、謎が多く、出生地に関しても、通説である雄勝町(秋田)をはじめとして、今立っている彦根市の他、京都説・厚木(神奈川)説、さらには九州の熊本まで飛び出したり、その他にも異説があったりして、まさに諸説乱立状態ということらしい。

名神高速が徐々に遠ざかり、人家がチラホラしてくると、右手に郵便局が現われる。
明らかにこの辺り、古い民家が多く、旧街道のオーラを感じる風景だ。

鳥居本(とりいもと)宿に入ったらしい。
静かな風情ある町の中を走るのは心地よい。

左奥に近江鉄道「鳥居本」駅が見えると、その角に「脇本陣」「本陣」の跡がある。
といっても簡単な木札がかかっているだけなんだけど。

300mほど進むと、道は90度右にカーブ。
「枡型」やね。

正面には「有川薬局」。

江戸より続く超老舗の薬局だ。
「赤玉神教丸」というのが、その伝統の万病薬らしい。

そういえば、旧東海道にも似たのがあった。
あれは「和中散」、石部宿やね。(旧東海道編26参照)

この辺りで鳥居本宿は終了らしい。
反時計廻りにカーブしつつ、さらに北上する中山道。
やがて国8に合流。

200mほど直進すると、正面に大きな道標がある。
「磨針峠望湖堂」と大書されている。

ここを指示通り、右折。
名前の通り、「摺針峠」への登りとなる。
中山道2つ目、草津からだと最初の峠ということやね。
といっても、ここから先、まだまだ遥かに続く中山道の道のりを思えば、この程度の峠、可愛いもんなんだけどさ。

ここで2つの道がある。
リサーチの資料により異なっていて、ここから直進し、アスファルトの道を登っていく方法と、もう1つは、すぐに左の道(ポンプ場の脇)に入って、ほとんど獣道と化した、林の中を行く道を行く方法。

こういう時はね、両方走ればいいのさ♪
ということで、まずはアスファルトの道を登ってみる。

しんどいけど、足元は安定してるからね、景色も良いし、交通量も少ないけど、あまり旧街道らしさはない。

また元に戻るため、一気に下る。
今度はポンプ場の脇から、鬱蒼とした林の中に入る。

かなりの悪路だけど…。
雪解け水なのか、足元も湿っぽく、安定しない。

でも確かに道は続いており、雑草を掻き分けながら進むこと、約400m。
さっきのアスファルト道にぶつかる。

アスファルト道はそのまま左の方に進み、明らかに「車を意識した」作りで、ヘアピンカーブになっている。
逆に獣道は、このアスファルト道を横切るように直進し、そのままヘアピンカーブをショートカットする形で登っていく。

こりゃ、多くのランナーやハイカーには申し訳ない?けど、間違いなく、この獣道の方が、正当な中山道だと思うけどね~。

ヘアピンをショートカットし、登りきったところが摺針峠の頂上で、「望湖堂」の跡らしい。
簡素な神社(神明社)が残っているから、そこから振り返ると、名前の通り、遠くに琵琶湖を望むことができた。(冒頭写真)

さぁ、今度は一気に下る。
下りが得意なコスモタイガー、快調に走る。

やがて2手に分岐するけれど、ご丁寧にここにも道標が立っている。
左に行けば「番場・醒ヶ井」らしいから、それに従う。

すぐに名神高速が近づき、中山道に寄り添う。
標高は若干下がったはずだけど、日陰になるせいか、道の両側には雪が残っている。
走ってるし、ましてや峠越えの跡だから、寒くはないけどね。

再び緩やかな上り坂になり、名神高速がトンネルに入ったところで、彦根市と米原市の市境になり、「小摺針峠」。
まぁ、事実上、さっきの摺針峠とセットのようなものだ。

これまたしばらくの間、名神高速と並走し、緩やかに下っていく。
左手に小さな鉄工所があり、道が左にカーブし、名神高速とはここで離れていく。
チラホラと人家も見えてきた。

公民館の前に、「中山道西番場」の碑を発見。
さぁ、「番場宿」に入った。

番場の忠太郎なる人物で有名らしいけど、ごめん、あまり興味ない。
本陣・脇本陣1軒づつ、旅籠10件、の小振りな宿場町ながら、歴史は古く、東山道の宿場町でもあったらしい。

残念ながら旧宿場町としての雰囲気はないけれど、米原市のはずれで、観光客はおろか、すれ違う人すらなく、ひっそりとした集落で、素敵な空間を保っている。

案内板に従い、右折して「蓮華寺」を訪問してみる。
名神高速をくぐった先に、そのお寺はあった。

ここもかなりの古刹で、本堂が静かに横たわっている。

梵鐘は重要文化財に指定されているらしい。

再び中山道に戻り、先へと走る。
本陣跡、さらに県道240と交わる交差点を渡ったところに脇本陣跡。
ともに案内板のみが掲げてあるのみ。

ここからは山あいの一本道の風情で、心地よい。
右に左にと、道は緩やかな弧を描きながら、やがて名神高速米原ICの下に出て、そこで県道と合流する。

合流地点にあるのが「久禮(くれ)一里塚」。

ちょっとした休憩スポットのように、整備されている。

そのまま県道で米原ICをくぐり、2本目を右折するのが中山道。
すぐに、左に簡易郵便局が出てきたら正解だ。

再び人家が増え、ちょっとした集落の中をのどかに走る。
「樋口」の交差点に出た。
目の前には、久しぶりに再会した国道21号。
やっぱりこの道だけは、交通量がそれなりにあり、しかもかなり飛ばしている。

ありがたいことに、ここは国21、信号で渡るだけ。
そのまま斜め右の小道に入る中山道。

この辺り、静かな集落で走ってて快適なんだけど、見るべきものは特になく、1kmほどで再び国21にめぐり合い、吸収される。

しばらくは国21を走るしかないね。
まぁ、狭いながらも歩道があるからさ、困ることはないけれど。
左手にはJR東海道本線の線路が見え隠れする。

500mほどで、右に分岐する道があって、当然コスモタイガー、その道を選択。
すぐに左手に現われるのが「六軒茶屋跡」。

名前の通り、6軒の茶屋がここに置かれたらしい。
そしてここが醒ヶ井(さめがい)宿の入り口ということになるらしい。

醒ヶ井宿は、事前リサーチによれば、小さいながらも案内板も整備され、とても素敵な癒しの場になっているらしいけれど、それは次回にまわすとして、今日は駅近くのこの辺りで終了としよう。
すでに実走距離も、20~21kmぐらいになっている感じだし。

50mほど先に十字路があり、ここをゴールにする。
右には名神高速が走り、案内板の通り、左折すると醒ヶ井駅に出る。

この先も、いかにも中山道オーラ出しまくりのうねった道が続いている。
ちょっと後ろ髪ひかれる思いながら、左折し、駅を目指す。

200mちょっと、徒歩5分ぐらいで、東海道本線「醒ヶ井」駅に到着。

まだ滋賀県ではあるけれど、ここまで来ると「東海」の匂いを感じられる。
理由は簡単、醒ヶ井駅は「JR東海}の管轄なのだ。
つまり、ここはすでにJR東海営業エリア内ってこと。

今日も交通費としては、青空フリー(2,500円)と、近江鉄道の片道分(米原→多賀大社間460円)のみの出費。
中山道近江路は、財布には優しいのだ。

時計はすでに16時を過ぎている。
さぁ、帰るとしますか!
ここからは、いつもの東海道本線乗継だ。
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身近な気になる古道たち⑧

2013-08-14 | 身近な旧街道run!!


★愛知郡東郷町祐福寺地区

今日も自宅から走ってきて、白土交差点に立つコスモタイガー。
岡崎街道を辿ってみよう。

この白土交差点自体、地蔵堂もあり、古くからの地名らしい。(古道たち②参照)
この白土を横切る県道56号を走ることにする。
この道が、岡崎街道なのだ。

岡崎街道。
江戸初期に、徳川家康が先頭に立って敷設したとされる、東海道のバイパスルートだ。
御三家筆頭の尾張藩、その中心、名古屋城下と、家康の故郷、岡崎を結ぶ。

言うまでもなく、徳川家にとっては由緒深い2つの街を結ぶだけでなく、名古屋城下からだと、東海道経由より近道だったため、かなりの需要があったらしい。
敷設以降も、家康の命により尾張藩が整備・管理した道だ。

いわゆる「藩道」というやつで、現在もそのまま愛知県が管理し、その大半が県道56号になっている。
昔も今も、尾張と三河を結ぶ、代表的な「県道」なのだ。

宿数は2次。「平針」と「堤」。
ちなみに名古屋札の辻から平針宿までは、飯田街道との重複にもなっているが、そこはまたの機会に走るとしよう。

「涼松」(すずみまつ)という地名が現われる。
かつてこの辺り、松がたくさんあって、旅人が涼んだところから、そのまま地名になったらしい。

さすがにかつての「近道」として敷設された道らしく、それなりに交通量もある。
コスモタイガーも、車で岡崎に出掛ける際、この道を使うことも多い。

しばらくは単調な県道runが続くけど、右手に「東郷製作所」の工場があり、「小坂」の信号を超える。

やがて両側に現われるのが、復元された「祐福寺一里塚」。
右側はちょっと貧相だけどね。

藩道とはいえ、前述の通り、重要路線だったため、一里塚や松並木も整備されたといわれている。
かつては平針宿内にも一里塚があったというから、平針からだと、この辺りが4kmぐらいってことになる。

さらに走り続けると「祐福寺」の交差点。
東郷町内では、主要地名の1つだ。
名鉄バスの拠点の1つにもなっている。

でもさ、地名としては結構耳にするけど、肝心のお寺は?
「祐福寺」という以上、そういう名のお寺、あるはずだよね。

今走ってきた道を少し戻ると、「岡崎信用金庫」があり、そこを左(北)に曲がるんだよね。
そのまま直進すると、正面にお目当てのお寺がある。

「祐福寺」
創建は1191(建久2)年というから、古いね~。
立派な門は「勅使門」といって、愛知県の指定文化財に登録されているらしい。

ちなみに「勅使」というのは、天皇や上皇の使者のこと。
室町時代に、その勅使をこのお寺に迎える際に、建立された門ということらしい。

ちなみにこの祐福寺から西に約4km。
ここもコスモタイガーのジョギングコースの1つだけど、お隣り豊明市にある「勅使池」。
最近になって整備され、1周2.7kmのジョギングコースも完成した。
緑に囲まれ、快適なジョギング(またはウォーキング)を楽しめる。

ここも祐福寺に来る途中、その勅使が立ち寄って、ため池を作る工事を監督(というより見学?)したとされ、それが「勅使池」と呼ばれるようになったとされる。

こんな身近なところにも、室町時代を偲ばせる史跡が残ってるということやね。
そしてまた、その頃から、この辺りにも人々の生活があり、行き来するための「道」があったということだ。

一見無関係な祐福寺と勅使池。
でも歴史を調べると、勅使さんを通じて1本の線に繋がっていく。
歴史好きの人間が、泥沼?にはまっていくのも、こんなところなんだろうね。

そして古くからの地名には、必ずと言って良いほど、意味がある。
疑問を持ちながら走っていると、かなり楽しい。

祐福寺に似たような例として、「高蔵寺」(愛知県春日井市)、「吉祥寺」(東京都)がある。
どちらも地名や駅名としてはかなりの知名度があるけどね。
いずれも紆余曲折はあるものの、同名のお寺が由来になっていること、そして肝心なお寺の存在はあまり意識されていないところは共通しているね。
地名になるぐらいだから、それなりの名刹であることは容易に想像できるけど。

話が逸れちゃった。
県道に戻って先に進む。
境川を超える。

名前の通り、かつての国境。
「三河」に入る。
現在の行政区分だと「みよし市」に入ったことになる。

相変わらず、小さな工場などがあったりして、単調な感じだけど。
やがて左にコンビニがあり、県道56は大きく右にカーブする。

ここで直進する、あきらかにマイナーな道の方が、岡崎街道。
実際にはこの辺り、すでに正確な道筋を辿ることは無理らしいけどね。
まぁ、比較的旧街道に近い形で走るということで納得するしかないね。

急に視界が広がった感じで、のどかになってきた。
左手に大きな工場。
トヨタ自動車明知(みょうち)工場。

「明知西山」の信号もそのまま直進。
両側は田んぼで、随分遠くに来た気がする。

岡崎街道はこの先も続くけど、そろそろ復路にしないとまずいよね。

ってことで、次の信号。
ここをそのまま入ってすぐ左にカーブする、いかにも古道らしい雰囲気の道があり、そそられる。
どうやら明知集落に入っていくらしい。

逆に信号を右折し、少し先で左に入ると「細口池」なる小さな池があり、周囲をとりまくように小公園がある。
「細口公園」というらしい。

この池を周回するか、明知集落めぐりをして、国境を再び超え、帰途に就くコスモタイガー。
これで概ね、120分LSDのマイコースなのだ。
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コスモタイガー漂走記~旧中山道編(4)

2013-08-06 | 旧中山道run!!

本職?のレースを楽しんだり、大風邪をひいたりして、しばし中山道から遠ざかってしまい、いつしかすっかり冬になってしまった。
野球では、落合政権では最低の3位と低迷し、何となく盛り上がりに欠けたドラゴンズ。
あまり良いことなかった2008年も、師走半ばを迎えた。

窓からはやわらかな冬の日差しが差し込む。
さぁ、久々に中山道runに出掛けよう!

いつものように大高駅に車を置き、これまた久々に「青空フリー切符」(2,500円)を購入。
米原駅で近江鉄道に乗り換える。
懐かしい「S・S切符」(550円)を購入し、本線で八日市駅へ。
さらに支線の八日市線に乗換、武佐駅に降り立った。
旧東海道runで利用した、あの切符、再び使うことになろうとは。(旧東海道編19&24参照)
そして予定通りなら、今日の(交通費としての)出費はこれだけ。

前回、武佐駅から郡上八幡に出てしまったことを逆手に取り、こうして八日市線も全線乗車!
まぁ、目的は「中山道」、じゃなかった、まじめなトレーニングなんだけど。

中山道といっても、近江路は全体的に穏やかで、交通の便も、部分的な「空白地帯」もあるけれど、それなりに利便性は整っている。

ところで、我々東海地区の人間にとって、中山道は、現代の国道19号、電車なら中央本線(西線)に並行するイメージが強い。
まぁ、「中山道駅伝」(または東濃駅伝:中津川駅前~多治見市役所間)なんてのもあるからね。

「中山道駅伝」と中山道との関わりについては、また別の機会に触れることにして、実は中山道のルート、そんなに単純ではない。
だからこそ、旧東海道以上に、事前に念入りなルート確認や交通アクセスのリサーチが必要なのだ。

詳細は長くなってしまうため、その都度触れるつもりだけど、近江路では概ね、鉄道なら近江鉄道&東海道本線、車なら国道8号が現代版中山道ということになるかな。

「何で中山道なのに『東海道』本線なの?」という疑問が残るけど。
もともと東海道本線は、敷設時の構想として、鈴鹿山脈を越え、文字通り旧東海道に沿う形で想定されていたらしいけれど、当時の時代背景や利便性等の様々な事情が絡み、名古屋(正確には熱田駅)から急遽北に向きを変え、中山道ルートに変更になったことが大きな理由だ。

さて、前回、夕暮れ状態だった武佐駅、今日は明るい日差しの中、再度写真におさめ、本日のトレーニング、スタート!

と思ったら50mぐらい?
ほんとにスタート直後、高札場跡がある。
周囲の町並みも静かで雰囲気あって、いきなり武佐宿に入り、旧街道オーラ全開だ!

この武佐宿周辺の説明板は、地元小学生の手作りとかで、何だか温もりを感じさせる。
その上、地味ながらも宿場の雰囲気もよく残っている。

すぐに常夜燈があり、だて続けに「松平周防守陣屋跡」。
小さな武佐宿だけに、濃縮された感じで目白押しだ。
「本陣跡」。


さらにすぐ隣といっても良いところに、旅籠「中村屋」の建物が当時のまま残る。
正面の郵便局が「伝馬所跡」。
かつての商家「大橋家」も昔のままの姿らしい。

何やら忙しいけれど、いかにも旧街道らしい微妙なうねりが雰囲気を出している。
信号を渡ってさらに進むと「武佐町会館」。
ここが脇本陣の跡やね。

さらにちょっと進むと、左手に牟佐神社。
右手には武佐小学校。

ここの小学生たちが、説明板を作ってくれたんだね、どうもありがとう。
そしてこの神社が、武佐宿東側の入り口ということだったらしい。
つまり、東に向かうコスモタイガーとしては、武佐宿はここまでね。

当分は道なりに走る。
途中で県道を渡って、近江八幡市から安土町に変わったらしい。(2008年現在。ちなみに2010年3月、合併により、(新)近江八幡市となりました)

安土町といえば、何といっても、織田信長が建てた「安土城」が有名だけど、中山道のルートからも外れてるし、直接関係もないからね。
今回はパスする。

左手に「東光寺」。
この辺りを拠点にした「六角氏」ゆかりのお寺らしい。

老蘇(おいそ)小学校を右に見て、道は緩やかに左にカーブ。
「福生寺」。
ここも天正年間に遡る名刹らしいけど、キリないからね、そのまま進む。

すぐに左手に、大きな森が現われる。
「奥石(おいそ)神社」。

その背後に「老蘇の森」。

奥石神社の本殿は、天正年間に創建されたものらしく、重要文化財に指定されている。
その奥の森も一体となって、静かなパワースポットになっている。

いつしか中山道は北に進み、そのまま国道8号にぶつかってしまった。
ここからは仕方なく、しばらくの間、国8を走るしかない。

といっても1kmもない話で、右手にド゛ライブインが見えたら、そこから左に分岐する小道がある。
当然、これが中山道。
ホッとしたところで、行き止まりを今度は右へ。

冬とはいえ、今日は暖かい。
近江路ののどかさも、それを後押ししている。
いつのまにか東近江市になったらしい。

500mほどで、国8が右手に再び近づいてきたと思ったら、T字路で行き止まり。
その手前に井戸のような史跡が。

清水鼻名水と銘打った、かつての立場(休憩所)跡。(冒頭写真)
ここで中山道を行きかう人々の喉を潤したんだね。
今も現役?の湧水らしい。

再び国8。
でもまたすぐに右へ分岐するのが中山道。

見どころらしいところもなく、ひたすら進む。

左に郵便局があり、小さな川を渡ると、右斜めに行く道がある。
うっかりまっすぐ行ってしまいそうだけど、ここは斜めの道を行く。
この辺り、旧五個荘(ごかしょう)町に属し、近江商人発祥の地とされているけれど…。
かつての面影を残しているものの、これといった目玉もない感じもある。
まぁ、五個荘集落の中心は、中山道からはずれ、国8の反対側、西に約800mほどのところにある商人屋敷街だから、仕方ないけどね。

五個荘集落も、寄り道したい気持ちもあるけれど、まずは中山道走ることが先決だし、このまま先へ行く。

近江鉄道本線を渡り、やがて広い県道に出た。
ここに常夜燈が残っている。
そのまま左の方に進むと、再び線路を潜って「簗瀬北」の交差点で国8と交わる。

右折して「御幸橋」を渡るしかないね。
下を流れる大河は、「愛知(えち)川」。
我々愛知県人は、どうしても「あいち」と呼んでしまいそうだけど。

この橋はかつて、「無賃橋」とも呼ばれたらしい。
江戸の世では、橋はあっても有料が当たり前の時代。
貴重な「無料」の橋だったのだ。

ひたすら国8を走る。
この辺りはちょっと楽しくない区間だけど。

御幸橋から1km弱、道は大きく2手に分岐。
そのまま左に行くのが国8、右が旧国道かな?
で、中山道はその旧道の方だよね。
頭上に大きく「中山道愛知川宿」のアーチが掛かってるから、すぐ判るけど。

商店街のようになってしまっていて、ちょっと物足りない感じはするけれど、ところどころに宿場の面影を残す愛知川宿。

左手にいかにも古い佇まいの建物は、かつての旅籠跡らしい。
さらに進んで、脇本陣跡、高札場跡と、簡単な標柱のみ。

1本道で迷うところはないけれど、何となく盛り上がりを欠いたまま、愛知川宿を抜ける。
小さな川を渡る。
「歌詰橋」というらしい。

平将門を退治した、藤原秀郷。
その秀郷を、将門の「生首」が追ってきて、ここで秀郷を襲ったという話。
「歌を読んだら許したる」と言われ、秀郷さん、即興で和歌を作ったとか。
そんな話が由来になってるらしいけど、当然ながら、架空でしょうね~。

さぁ、豊郷町に入った。
今じゃ、あるネタですっかり有名になった町だ。
ある意味、今日はこれが一番の見どころかも?

やがて右側に立派な古い家が。
この堂々とした構えは「伊藤忠兵衛旧宅」。

続いて「伊藤長兵衛旧屋敷跡」が。
要するに伊藤忠&丸紅の創始者のことやね。

そういえば、西武グループの堤家も、この辺りの出身で、もともとは近江商人だ。
(東海道編19参照)
だから近江鉄道(西武系列)が、この辺りは親切すぎるぐらい、きめ細かく対応しているんだね。
いずれにせよ、近江商人侮りがたし!
大手企業を興す気風があるらしい。

豊郷町役場前に出る。
その少し手前に、小さく目立たない様に「一里塚跡」の碑があった。

さらにそこから進んで約300m。
小さな神社があり、今度はまたまた一里塚!
しかもこっちは文字通り「塚」として整備されてある!
説明書きを読むと「本物はもう少し南、役場近くにあった」みたいなことが書いてある。
あ~、さっきの小さい碑のあったところやね。
紛らわしいなぁ。
どうせなら、正規の場所で復元すれば良いのに。
この手の史跡は、その場所にあるからこそ、意味があると思うのだけど…。

で、ちょっと進むとすぐ右手に、目指すべき「豊郷小学校」があった!

まさについこの間まで、この小学校の旧校舎を残すべきか建て替えるべきかで、町ぐるみで揉めに揉め、町長さんの進退問題にまで発展し、一躍全国ニュースになった場所だ。
残念?なことに、敷地内は工事中のため、判然としない。
よそ者がとやかく言える立場にはないけれど、耐震などの安全面が解決できるなら、残してもらいたいものだ。
(2013年現在、結局、新校舎とは別に、旧校舎群として保存されたようです)

しばし、単調な道が続く。
両側には小さなお寺や工場があるものの、足を止めるほどの見どころはない。
正直、ちょっとこの辺り、ダレ気味のコスモタイガー。
淡々と走る。

やがて道の両側に欅並木がある、ってことらしいけど、季節がら、これも別にどうということはない。
いつのまにか彦根市に入ったようだ。

県道を渡ると今度は松並木。
距離も本数も少ないけれど、久々に目を楽しませてくれる。

左に了法寺、月通寺と、何気に歴史ありそうなお寺が続き、ここが中山道であることを教えてくれている。

微妙にカーブはしているものの、この辺りはひたすら1本道で、少々退屈ではある。

高宮橋で犬上川を渡る。
そしてこの橋も「無賃橋」だったらしい。

名前の通り、ここから一気に宿場町の雰囲気になった。
高宮宿だね。
イントネーションは、最初の「た」を強く言うらしい。
ちと、言いにくいけど。

すぐに目立つ寺院がある。
「円照寺」。

境内には徳川家康が座ったとされる「家康腰懸石」なるものがあった。

円照寺向かい側にあるのが、本陣跡。
立派な門だけが残っている。

さらにちょっと進んで左手、脇本陣跡。
東海道で散々見てきただけに、「跡」だけではなかなか心が動かないんだよね。
感動のハードルが高くなっちゃったかな?

街中なのに、右手に大きな鳥居が見えてきた。
多賀大社一の鳥居ということらしい。


中山道はこのまま鳥居をくぐらず直進だけど、この鳥居の下を通ってひたすら進むのは、多賀大社への参詣道ということになる。
次回の腹案との兼ね合いもあり、今日はここをゴールにする。
時計も15時半を過ぎてるからね。
この時期、日が短いから、この辺が潮時やね。

実走距離、20km弱かな?
ルール通り?といったところだよね。

さて、この鳥居から徒歩5分ぐらいで、近江鉄道「高宮駅」がある。
このまま中山道を進み、300mほど先の十字路で右に曲がれば、高宮駅だ。

近江鉄道高宮駅は、多賀線も分岐する、近江鉄道の主要駅の1つ。
ここから、往路で使った「S・S切符」が再び活躍し、米原着。

ちょっと米原駅周辺を散策したのち、東海道本線で大高まで戻ったコスモタイガー。
予定通り、「青空フリー」と、「S・S切符」の組み合わせだけ。
近江路は、懐にやさしい街道なのだ。
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