cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~熊野古道伊勢路編(0)~プロローグ~

2017-07-26 | 熊野古道伊勢路run!!

上街道を制覇して2年近くもたった、2014年7月のある日。
コスモタイガーは、旧伊勢街道編のゴールでもあった伊勢神宮内宮前に再び立っている。(冒頭写真)

上街道を走り終えて、燃え尽きたわけじゃないけれど、肝心の財布の中はスッカラカン。
近場で愛知県内の東海道や、名もなき古道を走ったりはしていたけれど、もう我慢の限界。

甲州街道や北国街道なんかも考えたけれど、最初の1~2回はともかく、完全走破となると交通費が馬鹿にならず、財布がそれを許してくれそうにない(泣)。

善光寺西街道は、中山道の支線のような感じで資料にも載っていたものの、もちろんいずれは走ってみたいけれど、今はちょっとボリューム不足な心境。

あれやこれやと考えに考え、伊勢街道走ってた時にたびたび見ていた「三重の歴史街道」のHPを見ていたら…。

あるじゃん、三重県に!
愛知の隣だよ!
ここならまぁそんなに金掛からず出来るやろ!

熊野古道!
世界遺産だよ世界遺産!
やるしかないでしょ!

そういうわけで早速リサーチ。
熊野古道は熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を辿る信仰の道だ。
古道としてのスケールなら、中山道も負けちゃいない、いや、中山道の方が上のような気もするけれど、この「信仰の道を辿る」という神々しさが、国内外を問わず、様々な人々を惹きつけているのかもしれない。

熊野古道といっても、大きく分けて5つの道があり、その総称としての熊野古道ということらしい。

ちなみにその5つの道とは…。
紀伊路・大辺路・中辺路・小辺路・伊勢路。

今回走ろうとしてるのは、そのうちの伊勢路。
ここ伊勢神宮内宮と熊野速玉大社を結ぶという、何ともご利益ありそうなルートで、総距離約170km。
もっともその大半が山また山の峠越えらしいから、その険しさ・魅力は数字だけでは言い表せないんだろうけど。

また、伊勢国の人からすれば、熊野へ向かう道だから、単に「熊野街道」と称されることもあった。(※上記HPでも、そう表記されてます)。

さて、能書きはこれぐらいにして、伊勢街道を走破したのが2010年5月。(※旧伊勢路編6参照)
だから4年ぶりの再訪。

伊勢なら「青空フリー切符」!と言いたいところだけど、今日は平日。
コスモタイガーも人並みに転勤とかあってね、現在の職場は輪番制で、土日休みじゃなくてさ。
平日だけど、今日は週休日なのだ。

平日だから空いてるのは有り難いけれど、青空フリーのような、土日祝日対象の割引切符が使えないのは痛いよね。
だから普通に地下鉄→近鉄、そして伊勢市駅から三重交通バスを乗り継いで内宮にやってきた。

とりあえず信仰の道だからさ、まずは無事の旅を祈って、伊勢神宮、お参りするとしましょうか。

コメント (3)
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コスモタイガーのつぶやき(9)~ある町内会のお話

2017-07-07 | つぶやき/更新中

人生訓、というほど大袈裟なものではないけれど、コスモタイガーは「極論」が大嫌い。
極論を言う人物ほど胡散臭いものはない。

酒席等での軽いジョークとしてならともかく、現実の世界で、ポンポンと威勢のいいことやカッコいい言葉を発する人間ほど信用できないものはない。

本人が突っ走る分には本人の勝手なんだけど、このタイプの人間は、えてして周囲を巻き込んでいく傾向にあったりする。
その上、巻き込むだけ巻き込んでおいて、あらぬ結果が出たとして、責任を取るわけでもない。

もっとも本人は「周囲を巻き込んでる」という自覚がなく、それどころか、誰に頼まれたわけでもないのに、「俺がパイオニアとして道を切り開いてるんだから、お前らも付いてこい!」とか「自分たちが本来あるべき姿を皆に見せてるんだ!それをもっと広げていくんだ!」的な妙な正義感を振りかざしたりするから、本当にタチが悪い。

10年ぐらい経つのかな。
自分の近しい人物の所属する、ある町内会でのお話。

町内にある児童公園に花を植えよう、という話になった。
いくらかの事務手続きはあったのかもしれないが、すぐに花好きの会員(まぁ、たいがい、現役を退いた方々が多いんだけど…)が集まり、実行に移された。

住宅街の中にある、結構大きな公園だ。
週に1回程度集まって、おしゃべりを楽しみつつ、花を愛でながらの作業は少しづつ進む。
花好きの人にとっては、格好のライフワークとなり、良きコミュニケーションの場でもあった。

もちろん単なる花好きのサークル活動のようなもので、自由参加。
体調悪かったり所用があればお休みすることもごく当たり前で、妙な義務感もなく、大半が気軽に参加していた。

公園の花壇作りは一通り終了。
とはいえ、これで活動を終わらせてはもったいない。
せっかくのご縁だから、と話は拡がりを見せ、川沿いの遊歩道や、道路脇の歩道にも…という話になってきた。

それでも「週に1回、楽しく集まる」という基本線は崩されることなく、ワイワイガヤガヤと楽しく活動は続けられた。

このまま続けば、良い話やなぁ、で終わるんだけど。
いつ頃からか、この集まりはギクシャクし始める。

当然ながら、この手の集まりには、音頭取りをする人たちが必ずいる。
言葉は悪いが「仕切りたがり屋」の人たちだ。

そんな人たちだけが「勝手に」(敢えてこう書く)どこかに集まり、今後の活動方針みたいなものを話し合っていたらしい。
いつしか「単に花を植えてるだけじゃ意味がない。もっと世の中に自分たちの活動の素晴らしさを積極的に発信していこう!」という話になっていく。

大勢の参加者同士の侃侃諤々の議論の結果、というのであればともかく、実際は音頭取りの数名だけで「勝手に」決めただけの話だ。
それどころか、元来「皆でお話ししながら単に花植えるのが好き」な人の集まり。
突然「世の中に発信」なんて言われてもね、というのが本音。

それでもまぁ、しょせん気軽な趣味としてやってることだし、花が好きなことに嘘はないし、少しだけ町の美観に貢献した満足感もあったりして、ギクシャクしながらも集まりはしばらく続いた。

ところが話はさらに大きくなる。
町内会の役員なんかも巻き込んでの大宴会を定期的に催し、何となく参加せざるを得ない雰囲気に…。

さらには誰かが売込みでもしたのか、地域のコミュニティ雑誌や新聞社が取材に来ることに。
そしてそのために見映えするよう、大勢の会員が無理矢理?に召集され、活動シーンの撮影にお付き合い。
もっとも掲載は地域版とか市内版の片隅ではあるけれど。

勢いは留まるところを知らず、今度は主要道路という主要道路沿いに花壇を作り、町全体を花の街にして、地域の活性化に一役買うんだと、息巻くような事態になってきた。
当然、それに呼応するように、会合や活動の機会も右肩上がりに増えていく。

自分たちは社会的に意義あることをやってるんだ!
単なる趣味の集まりじゃない!
それが証拠に新聞社だって取材に来て自分たちに特別な視線を送ってるんだ!

そんなことを口走るようになったらしい。
新聞や雑誌の片隅に掲載されたことが、彼らにとって、「自分たちは特別な団体」とする拠り所になっているらしく、ますます饒舌になる。

大半のメンバーは、確かに花は好きだし、活動の意義や素晴らしさも理解できないわけではないけれど、そうはいってもそれぞれに家庭もあり、それなりに多忙な毎日を送っているわけで、花を中心とした生活など送れるわけもない。

それどころか優先順位からすれば、現実には2番手・3番手。
どんなにカッコいい言葉を並べたところで、他に仕事や家庭があり、花植えで生計を立ててるわけではない、という絶対的な事実がある以上、趣味としか表現のしようがない。

かくして集まるメンバーは完全に意見が割れ、音頭取りを中心とする一部のメンバーを残して大勢が去ることとなった。
去り際に「花が好きじゃないのか!」「俺たちを否定しやがって!」と一喝されたらしい。

自分の近しい人は去った側で、残ったメンバーがその後どうなったのか知る由もないけれど、問題点は明らかだ。
とはいえ、えてしてこんな場合、当事者に自覚症状がないから深刻だ。

花が好きか嫌いかと問われれば、別地区に住み、このメンバーや町内会とは何ら関係ない自分だって花は好きだ。
毎朝、出勤前に自宅のわずかな庭の花や野菜に水をやるのも案外楽しい。

花は確かに綺麗だし、町じゅう花だらけになるのに反対する理由はない。
っていうより、花を「嫌い」と言い切れる人なんて、ほとんどいないんじゃないの?

何より花を優先したい、食事と就寝以外は花中心の生活がしたい、という考え自体、別に肯定も否定もしない。
価値観は人それぞれだもんね。
むしろそれが可能な環境は、羨ましくもある。
奥さん(若しくはご主人・ご家族)に感謝しないとね。

しかしながら、「自分がこんなに頑張ってるのに!」と云わんばかりに、周囲に同じ価値観を求め、理解させようというのは、明らかに間違っている。

そして「みんなで一緒に分かち合う!」とか「協調性」とか「チームワーク」とか、もっともらしい言葉を駆使して正当化しようとする。
でもそんなのは彼らの常套手段。
要は自分の思いを一方的に押し付けているだけ。
しかもその結果に対して、何ら責任を取るわけでもないし、取れるわけもない。

どんなに素晴らしい言葉を散りばめようと、何がしかの思想・何らかの行動を他人に強いることは、単なる「強要」に過ぎない。

そもそも誰に頼まれたわけでもなく、自分が率先して(あるいは自分の意思で)音頭取りしておきながら、その思いを分かってくれなど、何とも無責任かつ恩着せがましい話ではある。

むしろこの手の話、コスモタイガー的には、本当に花が好きなら、そもそもこんな状態にならないんじゃないの?
あなたたちは花が好きなんじゃなく、花を道具にして、自分が目立ちたいだけなんでしょ!

花を植え、町の美化に貢献してるんだ!と自分に酔い、そんな自分をいろんな人に認めてもらいたいだけなんだろうね。
もはや、純粋に花そのものを愛でる気持ちは、どこかに忘れ去っているようだ。

挙句の果て、「花が好きじゃないのか」と一喝するなんて、もはや状況判断がまったくできてない証左。
「花最優先じゃない→即嫌い」という論法自体、黒じゃなければ白と決めつけるような話で、極論過ぎるし。

そもそも特別かどうかは第3者が判断すべきことで、自分たちで自分たちのことを「特別」なんて表現してる時点で、完全にNGだ。
いわゆる自画自賛というやつで、人としてこの上なく恥ずかしい話。
(もっともこれを恥ずかしい思う冷静さがあれば、最初からこんな話にならないんだろうけど)

ましてや否定だの批判だの、言いがかりも甚だしい。
上の近しい人は、「志を同じくする人だけでどーぞ」と言って帰ってきたとか。
言い変えれば、「やりたきゃあなたたちだけで好きなようにやってください。ただし周りを巻き込まないでね」と言うだけのシンプルな話。

「やるな!」とは一言も言ってない。
むしろ「どーぞお好きなように」と言ってるわけで。
にも関わらず、これが否定に聞こえるなんて、どこをどう解釈してるのか、理解に苦しむ。

やりたい人同士が仲間内でやること自体は肯定も否定もしない。
単純に興味の対象ではないというだけ。
興味がないことは否定のしようもない。
ただ「強制」されたことに対しては、はっきり「NO」と言う。
当たり前の話だよね。

自分のテリトリーを守ってるだけなのに、それすら否定しているのはどっちだ?
「NO」と言っちゃまずいのか?
つまり、文句言わず、黙って命令に従えと。
彼らに寄れば、それが「協調性」であり、「一緒に分かち合う」ということらしい。

あるいは「凄いね~、立派だね~」と心にもない世辞を言われたいのだろうか?
かといって、そんな世辞を真に受けとって、余計に暴走されちゃ、なお迷惑。
(また、そういう人種は、えてして真に受けとめる傾向にもあるし…)

さて、ここまで書いてふと思う。
自分が長く居るランニングの世界にも、同類が居たりするんだな、と。
幸い、親しくしている人たちの中に、そんな輩はいないけど。

極端な価値観を持って暴走したり、妙な正義感を振りかざしてことさら周囲に同調を求めたりしたところで、大多数は冷めた目で見ているわけで、本人達は浮いてるんだけどね。

単に自分自身が趣味に興じてるだけなのに、他人に何かを強いることの正当性などあるはずもなく、言語道断だ。
少なくとも自分はそんなみっともない人種にはなりたくないものだ、と改めて思うコスモタイガーなのだ。

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