なんやかんやと忙しく、すっかり春めき、桜の花もまもなく満開となりそうだ。
今日こそ中山道run日和だ!
帰路の利便性も考慮し、自転車で家を出て、名鉄名古屋本線「鳴海」駅へ。
随分と近くなり、東海地区内ウロウロといった感じだし、生活感漂う?名鉄利用だし。
金山でJR東海道本線に乗換、大垣下車。
さて、ここからは前回乗りそびれた「赤坂支線」にするか、養老鉄道で東赤坂駅に出て、そのまま前回の続きを走るか。
迷ったんだけどね。
赤坂支線だと、これまた1.5kmぐらい、重複して走ることになるのもつまらんしなぁ。
電車の本数も少ないし。
またまた例の如く、のんびりし過ぎた上に、大垣駅で軽食も取っちゃったし。
ってなわけで、再び養老鉄道に乗り込み、「東赤坂」の駅に再び降り立ったコスモタイガー。
目の前は中山道であり、前回のゴール地点!
ということで、すぐに東に向かって、本日のトレーニング、開始!
いきなりだけど、ここからしばらくは中山道、右折左折を繰り返す。
「中山道7回り半」というらしい。
ポイントポイントには案内板が出てるはずだから、見落としには注意しないとね。
200mほど先のT字路を右折、すぐに左折。
しばらくして「中沢」の交差点に出るけれど、そのすぐ手前に、右に入る小道がある。
これが中山道らしい。
またすぐに左に曲がって、広い幹線道路を渡り、東へ。
道なりに右折左折を繰り返し、進んでいく。
左手にお地蔵さんもあったりして、ここが中山道であることを教えてくれる。
静かな田園風景で癒されるけど、寄り道するほどの見どころはなく、道なりに走り続けると、やがてT字路に突き当り、道標がある。
「中山道三回り半」と書かれているらしい。
すでに4回は廻ったことになるのかな?
右に行き、「平野井川」の堤防を走ることになるらしい。
1km弱走ったところで、大きな道標を発見。
「右すのまた宿道 左木曽路」
もっとも現代では「墨俣道」に該当しそうな道は無さそうで、そのまま川沿いに進むしかない。
バスの停留所があって、ここから左に緩やかに降りていく道が中山道らしい。
やがて左折、橋があり、「平野井川」を渡る。
「呂久」の集落に入ったらしく、旧街道らしい静かな佇まいが続く。
右手に何やら小さな風情のある公園が現われた。
「小簾(おず)紅園」として整備されているけれど、元々は「呂久の渡し跡」らしい。
現在では、ここから少し先に揖斐川があるけれど、渡し跡がここにあるってことは、この前がかつて揖斐川だったことになるわけだ。
そしてここで舟に乗換えていたってことになる。
ということで、中山道はここでいったん終了。
直進し、行止りを左折、堤防沿いの道に上がり、「鷺田橋」を渡って対岸に出て、今度は反対側(東側)の堤防道路を北上する。
200mほど北上すると、明らかに不自然に斜め(北東)に走る1本の道がある。
これが中山道なのは明らかだ。
静かな住宅街の中、ひたすら北東に走る。
突き当ったところに何やら真新しい建物が。
正確には「瑞穂市西部複合センター」、図書館等が併設された公共施設らしい。
で、今走ってきた道のちょうど延長になる形で、敷地内の散策コースが敷設されている。
実はこれが旧中山道になるという、洒落た演出がされているのさ。(冒頭写真)
その散策路の先は、巣南中学校がそびえ、中山道を塞いでいる。
仕方ないから中学校前の道を左折して北上する。
小さな橋を渡ってすぐ、右折。
道なりに鋭角に左折し、グラウンドの横を通る。
しばらくは道なりだ。
しばらくすると左側に神明神社が現われるのが目印となる。
さらに200mほどで、小さなお寺があって、ここを左に曲がると、左手に「美江寺先手観音像」が安置されていた。
まさに名前の通り、この辺から美江寺宿らしい。
突き当りを左折すると、静かな商店街を走る感覚になる。
右手に大きな屋敷があって、ここが本陣跡らしい。
でも残念ながら、ここから先のコースは全般的に見どころが少ないことはリサーチ済み。
それでもまぁ、何軒かの古い建物が、かすかに宿場町の雰囲気を伝えている。
T字路に出た。
「美江寺」の交差点だ。
正面は美江神社の森が見えるけど、ここで中山道は右折。
商店街が続く中、見落としそうな「美江寺一里塚跡」の碑が建っていた。
さらに走り、線路を渡る。
左手には「美江寺」駅が見える。
鉄チャンとしてはたまらない風景だけど。
この線路は、第3セクター「樽見鉄道」(旧国鉄樽見線)やね。
この道は県道92号に指定されているようだ。
しばらくは道なりに走り続ける。
この辺り、ところどころ古さを感じられる風景が続く。
左側に「代官所跡」の立て札がある。
かつて、この辺りに幕府直轄の「本田(ほんでん)代官所」があったそうな。
そしてここは高札場も兼ねていたらしい。
今度は右手に現われるのが、延命地蔵尊。
この道が中山道であることを確認させてくれる。
本田郵便局を左に見て、100mほどで、信号のない交差点に出る。
ここは正面やや右にカーブする道を選ぶ。
左側に「生津小学校」が見えたら正解だ。
この辺りの主要な生活道路にもなっているらしく、路線バスも通っている。
この道に沿って、やがて左にカーブし、「生津」の交差点に出た。
ここまで来ると、何の変哲もない集落を行く感じになり、残念ながら街道らしさはない。
ちょっと単調感もあるけれど、とにかく道なりに。
運河(正確には柚木川というらしい)を渡ると「河渡(ごうど)2」の信号に出た。
ってことは、河渡宿は近いはず。
いつの間にか行政区域も「岐阜市」になっている。
さらに直進し、河渡集落に入っていくと、河渡一里塚の跡の石碑があった。
残念ながら、かつての河渡宿を偲ばせるものはこれぐらいしかないらしい。
実はこれ、ある意味仕方ないんだけどね。
ここは揖斐川と長良川に挟まれた輪中地帯。
土地が低いため、度重なる水害に悩まされてきた歴史があるらしい。
明治に入ってからの長良川拡張工事により、河渡宿は、中心部を含む半分以上は川の底に沈んだとされるため、かつてを偲ぶことは難しい。
仕方なく直進し、突き当りで堤防に駆け上がる。
堤防沿いの道を走り、「河渡橋」で長良川を渡る。
ここも今でこそ橋だけど、江戸時代は「河渡の渡し」として、舟が頼りだったらしい。
左遠方の小高い山は金華山。
山頂には、織田信長で有名な岐阜城が小さく見えている。
実はここから1kmほど上流へ寄り道すると、「小紅の渡し」があり、現在も現役で頑張っている。
「河渡の渡し」が表なら、こちらは裏街道として、どちらも移動手段として重要だったとされる。
NHKの「街道てくてく旅」では、確かナビゲーターの勅使川原郁恵さんが、この小紅の渡しを渡っていた気がする。
渡り終わったところにお父さんがいてサプライズ!の演出があったような。
コスモタイガーも寄り道したい気持ちは大いにあるんだけど、一応トレーニングの一環だからさ!(爆)
陸路優先で、舟渡りはパスすることにする。
河渡橋を渡ってすぐの信号を左に折れ、今度は反対の堤防沿いを走る。
何だかさっき渡った揖斐川と同じ動きをしている気がしないでもない。
右下に目をやると、明らかに古めかしい地蔵堂が建っている。
当然、その前の道が中山道やね。
堤防を降り、その道に出て、あとは道なりに。
微妙なうねりや、時折見かける古い家に街道らしさは残るものの、この辺りの主要道路になっていて、路線バスも多く走っている。
交通量も多いのに、歩道もなく、ちょっと走りづらいな。
まぁ、逆に言えば、ここから先はしばらく、交通機関に困ることはないだろうから、どこでゴールにしても良いんだけどね。
岐阜バス「鏡島弘法前」のバス停を発見!
ここを左折すればすぐ、バス停の名前通り「鏡島弘法」に出る。
正確には「瑞宝山乙津(おっしん)寺」。
天平の頃の創建とされ、岐阜市民には古くから親しまれているお寺やね。
さて、このまま先に走ろうか。
でもさっきの「岐阜バス」(正確には岐阜乗合自動車)も気になるなぁ。
本数も多いようだし、予定を変更し、思い切って今日はここをゴールにしてしまおう!
すでに実走距離も20kmぐらいにはなっているはずだしね。
そうと決まれば少しのんびりお参りしていこう。
名前の通り、ここは弘法大師にゆかりがあるらしい。
秘密の鏡を竜神様にかざしたら、この辺りが一面、桑の大産地になったとか。
だから「鏡島」なんだけど。
あくまでも伝承だけどね。
さっき左折した地点に徒歩で戻る。
まだ15時を少し過ぎたところだからさ、お洒落な喫茶店でもあればゆっくり時間つぶしたかったけど、残念ながら該当なし。
バス停で時刻を確認すると、名鉄岐阜駅(またはすぐお隣のJR岐阜駅)行は、10~15分ごとにあるらしく、すこぶる便利だ。
少し待ってたら、バスが来たから、とりあえず乗車して、岐阜駅で時間をつぶすことにしよう。
JR岐阜駅構内の、お気に入りのラーメン店に寄り、今回の行程を復習しながらのんびり過ごした。
「名鉄岐阜」駅は、ロータリーを越え、信号を渡ってすぐ。
ほとんど隣同士と言っても良い位置関係だ。
そして名鉄名古屋本線は、ここ「名鉄岐阜」駅が始発駅。
急行に乗れば、「鳴海」までは乗り換え無しで1本。
確実に座っていけるのはありがたい。