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日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(37)

2013-02-27 | 旧東海道run!!

さぁ、東海道西側に続き、美濃路も制覇!
あとは東海道を東に向かってゴールを目指すのみ。
もう逃げ場はないよ。

といいつつ、前回から1ヶ月半以上東海道から離れていたため、、曇天とはいえ、すっかり春らしくなってきた。
さすがにもう雪の心配はないよな…。

名鉄と新幹線(こだま)を乗継、小田原駅に到着。
ここから箱根登山鉄道に乗車、箱根湯本駅に到着。
すでに目的の「箱根町」行(旧街道経由)、箱根登山バスはバス停で待っていた。

ちなみにここから箱根町行、休日日中なら30分間隔だからさ、乗り遅れると30分のロス。
あわてて飛び乗った。

「畑宿」で降りる。
前回のゴール(棄権?)地点やね。
時計は12時過ぎ。
あんなに積ってた雪は、当然ながら今はない。

周囲を散策。
前回は疲れ切って、バス乗っただけだもんね。
まずはその際、雪にまみれた畑宿一里塚をもう一度確認した後、街道沿いに小さな飲食店を発見。
満腹にならない程度に腹ごしらえしておこう。
客は自分のほかに、先客が一人、あとはマスターだけ。
その先客も、早々に出て行った。

寄木会館が登ってすぐのところにあり、少し顔を出す。
その手前には、本陣跡「茗荷屋」も残っているけど、時計を見るとすでに13時を過ぎている。
外から写真を撮るだけにした。

さぁ、バス停に戻り、今日のランニングのスタートだ!
静かな街並みだ。
一応、県道732号ということらしい。

今日も、特に箱根湯本駅周辺までは、遊歩道として整備されているようだからね、案内標識を見落とさないように注意すれば、迷う可能性は低いけど。

県道は大きく左にカーブだけど、旧東海道は案内板に従い、目の前の階段を降り、未舗装のクロカン道、というより石畳を走る。

「大沢坂」。
石畳は綺麗なんだけど、走りにくいな…。

小さな川を小さな橋で渡り、再び県道732に合流。
300mほどで左に分岐する石畳の道。
ここも案内表示に従う。
「割石坂」。
江戸時代の石畳が現存し、素敵な道が続く。
まぁ、走るには適してないけどさ(笑)。

旧東海道だけじゃなく、「須雲川自然探勝遊歩道」なる道もハイキングコースとして整備されているようで、かなりの部分でかぶっているようで、気になったりする。

再び県道に合流したところに、何やら小さな感じの神社がある。
県道を下るとすぐ、「女転がし坂」の説明板。
本来の旧東海道はこの右側に、名前の通りのかなりの急坂で降りていたらしいけれど、現在はすでに道は消失し、通行不能らしい。

仕方なくそのまま県道を降りる。
急激に右にカーブするところに、正面から入っていく大きなお寺らしきド派手な看板が。
残念ながら、あまり東海道とは関係なさそうな施設のようだけど、かなり目立つ。

このカーブを右に左に曲がりきると、先ほどから並走していた「須雲川自然探勝遊歩道」、ここを右手に入っていくらしい。
推測だけど、本当の東海道は、「女転がし坂」を通ってここに出たんだろうね。

気になったので道草してみる。
まぁ、ちょっと息抜き?のクロカンだね。

森林浴みたいで気持ちいい。
小川に沿って涼しげな小道を走ると、小さな発電所の脇を通り、再び県道に戻った。
何だ、さっき通った小さな神社のところか!

ということで、ヘアピンカーブを再度走りぬける。
「鎖雲寺」「駒形神社」、ともに由緒ありげな史跡だけど、ここは気持ちよく走りぬける。

この辺りは、間違いなく県道732がそのまま旧東海道やね。
左手に大きなホテルが見えてきた。
その先には、さらにド派手なお寺があるから、目印にはなる。
あとで調べたところ、地元では「金ピカ寺」と云われているらしいから、ホントに目立つ。

しばらくは、この県道732に沿って下っていくのみ。
途中、小さな湧水もあり、癒される。

下れば下るほど、ホテルや旅館らしき建物が増え、温泉街らしくなる。
ってか、前回、バスの中から見た景色なんだけどね。
なるべくこういうシチュエーションにならないよう、工夫してきたんだけどね。
前回の途中棄権?は計算が狂ったよ。

福寿院というお寺が左にあり、それを示す看板もある。
これが目印で、東海道は看板に従うように、左に分岐。
そして再び石畳の道。

これが、箱根東坂の最後の石畳となるらしい。
「猿沢の石畳」というらしい。

ホテルの裏庭みたいなところを走り、再び県道に出て少し行くと、今度は左手に「湯本茶屋一里塚跡」の碑。

ここまで来ると完全に温泉街の雰囲気だ。
旧東海道は、湯本温泉のメインストリートとして、温泉街のド真ん中を突っ切っていく形だね。

右手に「花紋」という大きな温泉宿がある。
その前に気になる看板が…。

「秀吉が築城した小田原一夜城はこの地なり」という主旨のことが書いてある。
そうだったの?
ここから小田原城まで、随分距離あるから、明らかに史実と食い違う気もするけど…?

小田原一夜城は、小田原市早川地区の石垣山に築かれ、別名「石垣山城」とも呼ばれている。

要するに、北条氏の拠点、小田原城を睨みつけるように築かれたわけで、湯本温泉街のこんなド真ん中に一夜城があったとは初耳だ。

もしこれが事実なら、「石垣山城」ではなく「湯本城」と呼ばれていたと思うけど…?
それにお城があったとしたら、付随する建築物も当然あるはずで、由緒ある温泉街のド真ん中にポツンと建っていたというのも疑問だ。
納得いかない…。

で、「花紋」の前から東海道の1本北側の道に入ると、北条氏の菩提寺、早雲寺がある。
これは正真正銘、由緒正しきお寺で、温泉街の喧騒をしばし忘れさせてくれる。

再び東海道に戻る。
右手に某電話会社の交換所。
そーか、「東日本」なんだね、ここは。

「三枚橋」に出た。
下を流れるのは「早川」。
左手奥に箱根湯本駅ね。
今朝(午前中?)、降り立った駅だね。
前回、ここをゴールの予定にしてたわけなんだけど。

橋渡って右折し、下っていくのが東海道。
500mほど国1を走ると、箱根新道と交わるややこしい地点に出る。
「山崎IC」というらしいけど、その手前でこっそり?と左に分岐するのが東海道だ。

しばらくの間、東海道は箱根登山鉄道に沿っている上、国1とくっついたり離れたりを繰り返す。
分岐しても、ここまで来るとさ、直感的に判断できるようになるよ。

箱根登山鉄道線を踏切で渡り、今度は右に線路を見ながら走ってすぐ、入生田駅。
この南東1kmほどのところが、さっきの石垣山城なんだけどね。
あれはいったい何なんだろう?

ちょっと走ると左手に「長興山招太寺」(しょうたいじ)の看板がある。
気になったので、予定になかったけど寄り道しよう。

門構えも立派ながら、奥行きのあるお寺で、結構なボリュームだ。
それもそのはず、徳川政権になってからの小田原藩主、稲葉氏の菩提寺らしい。
稲葉氏は、あの有名な春日局(かすがのつぼね)の子孫だからね、そりゃ、徳川家にとっても大切な家系だよね。

春日局、は、大奥で出世してからの呼称で、本名は「おふく」(または「ふく」)。
稲葉正成(まさなり)の妻として、それなりに平凡な日々を送っていたところ、2代将軍秀忠の嫡男竹千代(のちの3代将軍家光)の乳母として江戸大奥に登ることになり、そのため正成とは離縁する。

もっともこの離縁は、諸説あって、ホントに仲悪かったという説、あるいは今風に言うと「偽装離婚」だという説もある。

仲悪かった理由として、実は正成に愛人がいたとか、勝手に乳母になると決めた妻に対して激怒したからだとか。

偽装離婚説にもまた、おふくの方が発案したとする説と、正成から申し出たとする説と、まさに諸説入り乱れている感がある。

ただ、その後、おふくは「春日局」として出世し、それに合わせるように、夫の正成も含め、稲葉一族も出世街道を走ってったからね~。
まぁ、どっちが言い出したかまでは夫婦内の話だからね、稲葉家のプライバシーまで踏み込むつもりないけどさ、偽装離婚説が当たってると個人的には思ってるんだけど。

ホントに離婚してたら、子供ならともかく、別れた夫や妻なんかに情けは掛けないぞ!
おっとっと、脱線しちゃった。

本堂は静かなお庭に囲まれていて、とても素敵な空間だ。(写真)
さらに登っていくと、一番奥には「稲葉一族の墓」が並んでいた。

東海道に戻ろう。
何やら小雨がパラついてきた。

この辺りの東海道も、独特のうねりを残し、旧街道らしさを残している。
風祭の一里塚跡の碑があった。

国1に合流し、すぐに小田原厚木道路の下をくぐる。
しばらくは国1ラン。

「上板橋」の信号から、再び旧街道が左に分岐。
国1もここまで来ると、かなりの交通量ながら、一歩奥に入ると静かな道が続くのが素敵だ。

新幹線高架の下を通り、「板橋見附」の交差点で国1にぶつかる。
「見附」。
つまりここから小田原宿ってことだね。

左折して、あとは小田原市の中心を目指す。
すぐに東海道本線の下を通ると、一気に市街地っぽくなり、街道らしさは無い。
すでに起伏も終わり、平坦な市街地が続く。
いつしか雨もやんでいる。

左手奥に小田原城があるけれど、もう少し頑張って先に行こう。
「本町」の交差点に到着。
ここに「なりわい交流館」がある。

関東大震災で崩壊した建物を、昭和7年に復元したものらしく、いかにも昭和のニオイを感じさせる佇まいだ。
中は簡易な観光案内所&休憩所になっていて、嬉しいことに、無料でお茶のサービスもある。

そんなら、ここでゆっくり休憩&情報収集とし、ゴールとしよう。

東海道だけなら、14~15kmなんだけど、須雲川自然観察路や招太寺等、いろいろ楽しんじゃって、意外に距離踏んだよな。
20kmは完全に超えてる気がする。

ここから小田原駅まで、1km強。
普通に歩ける距離ではあるんだけど。
交差点の反対側に「幸町」のバス停見ちゃったからね、変な虫がうずいちゃうよね。

さすが小田原市の中心部。
あちこちからいろんな系統のバスが集まり、ここから小田原駅行までは、頻繁にバスが走っている。
箱根登山バスと伊豆急バス、両会社が入り乱れ、休日といえど、夕方の時間帯なら5分ごとにバスがやってくる。

コスモタイガーが乗車したのは箱根登山バス。
スタート前に畑宿まで乗った会社だけどさ、この路線は初めてだしね。
やっぱ、知らない街の路線バスは楽しいなぁ。

運賃160円、約5分であっさり、小田原駅に到着!
帰りもこだま号で帰るぞ!

そしてこれにて最大の難所、箱根越え終了!
さぁ、東海道もいよいよ残りわずかであることを実感しているコスモタイガーであった。



※2016.3.17追加:地図を作成しました。(ここをクリック
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コスモタイガー漂走記~旧美濃路編(6)

2013-02-14 | 旧美濃路run!!

美濃路と聞くと、ホッとするね~。
さすがに今日は豪雪の心配ないからね。

大垣から名阪近鉄バスで墨俣バス停下車。
概ね40分間隔で運転されている。
ここでコスモタイガー、小さなミステイクを発見!

旧墨俣町は、2006年に大垣市に編入。
だからつい、「大垣」の意識が強すぎちゃってね。

良く考えたら、名鉄&JR双方の岐阜駅前から墨俣行の路線バスが30分間隔で運転されていたことに気付いた。
「先入観はダメ」なんて言いながら、自分もすっかり「大垣」の先入観を持ってしまった。

ましてや、名鉄の方が家から近く、利用しやすいことを考えると、岐阜駅前からのバス利用が自然で、わざわざJRで大垣まで来たのはミステイク。

近すぎて、かえって気が抜けちゃったかな?

まぁいいや、バス停を降りて北東に向かうと墨俣小学校。
さらに北東に向かうと、前回の終了地点、墨俣宿の中心街に出る。

本陣跡を再度確認してから、本日のrunnigを開始!
そのまま道なりに西へ。

この間のおじさんに見つかりませんように。(美濃路編(5)参照)

高札場跡も再度確認し、脇本陣跡の素敵な建物の前を通る。

小さな電気屋さんの角を右折。
突き当たり、正面に犀川(長良川の支流)。
左手に小さな神社があって、土手を左に駆け上がっていくのが旧美濃路だ。

200mほどで、分岐があるからね、左の太い方を選択。
しばらくは堤防に沿って走る。

目線は左に気を配りながら走る。
気持ち良く走ってると見落としそうだけど、一段低い所に一里塚跡の碑と祠が祀ってある。
「東結の一里塚」。

しばらくは道なりに走るだけで、やや単調だ。
白山神社が脇にあるから、目印にはなる。

左手に「町屋観音堂」がある。
説明板によると、小栗判官と照手姫にまつわる史跡らしい。

鎌倉時代の人物やね。
残念ながらあまり詳しくないけれど、そのころからこの辺りには人々の生活があった証左でもあるわけだ。

美濃路から少し北にはずれたところに、結(むすぶ)神社があるから、寄って行こう。
由来書きによれば、創建は1169年。というから、由緒ある神社らしい。
名前から想像できる通り、縁結びの神様らしい。

そしてこの神社の奥には「さざれ石」がある。
君が代の歌詞にも出てくるよね。

再び町屋観音堂まで戻り、美濃路を進むと、すぐに行止り。
土手に上がると目の前は揖斐川だ。

かつては「佐渡の渡し」と呼ばれ、ここは舟で行き来していた。
現代はすでに渡し船は無く、500mほど北にある、新揖斐川橋を渡るほかはない。

橋を渡って反対側の堤防道路を500mほど南下、さっきの町屋観音堂と揖斐川を挟んで対の場所に出るから、ここを右に降りて行くと美濃路が復活。
降りる手前には、佐渡の常夜灯があるから、目印になるね。

降りて再び西へと向かう旧美濃路。
道はそのまま左折し、すぐに右折する。
いかにも旧街道、枡型やね。
途中、いかにも歴史を感じる、大きな造り酒屋が印象的だった。

200mほどでまた道なりに右折。
小さな水路に沿う形で、西を目指す。

小野小学校を右に見ながら、直進する。
「小野」の交差点も渡ってそのまま直進。
残念ながら、この辺りに来ると、街道らしさは失われ、特段見所もないけどね。
左手には、大垣市の現代の象徴?ソフトピアジャパンセンタービルが見えている。

道は緩やかに左にカーブ。
この辺り、資料によると、右手に「今宿城跡」があったらしいけどね、それを思わせるものは何もない。

またすぐに右へカーブし、道なりに進む。
閑静な住宅街に入ってきた。

案内板を見落とさないようにしないと!
右側にJR東海道本線が近づいてきたら、左折する。
正面に接骨院があるのが目印かな?

そのまま南下し、600mほどで信号のある交差点。
ここを右折。
そこに「三塚一里塚跡」の碑が建っている。

随分と、大垣市の中心に近付いてきたことを実感するね。
住宅よりも、事務所やビルが増えてきた。

このまま素直に西へ直進したいところだけど、資料や様々なHPによれば、一里塚跡からすぐの道をいったん左折するのが美濃地らしい。
そしてすぐに(20~30mぐらい)で小さな川(水路?)があるけど、この水路に沿うような形で、美濃路は存在していたらしい。
残念ながら現在、そんな道は存在しない。

せっかく曲がったのに、すぐに途絶えてしまった美濃路。
仕方ないから水路を越えてすぐの道を右折、東中学校の北側の道を行き、すぐに突き当たりを右折する。

歩道橋のある交差点に出て、さっきの一里塚跡の広い道に合流。
現代はこうするしかないけれど、この辺りを美濃路はくねくねと通り、この交差点あたりで、この広い道と再び重なるわけね。

東小学校の前を通る。
さらに直進し、どんどん街中へ。

「伝馬町」の交差点で、国道258を渡り、さらに西へ直進。
「伝馬町西」の交差点を過ぎるとさらに道は広くなり、やや右へとカーブしている。
いかにも大垣市の中心部に突入したことを実感。

それもそのはず、歩道の正面に「東総門(名古屋口)」の立看板。
ここが大垣城下、そして大垣宿の東の入り口というわけだね。

ここからは正真正銘、大垣市の街中を走ることになる。
名古屋口を左折して南へ。

大垣は、戸田氏10万石の城下町というだけでなく、美濃路最大の宿場町としても繁栄した。
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒を数える。

岡崎の27曲には及ばないものの、大垣10曲といわれ、美濃路は城下町内を右折左折を繰り返しながら進んでいく。
案内板があるからね、見落とさないように走る。

すぐに右折し、また左折。
右手に脇本陣跡があり、さらに直進。

まぁ確かに、岡崎市内を走ってた感覚に似てるかな?
広い県道を渡り、すぐに右折、また左折。

左側に産婦人科があり、そこを右折し、今度は西へ。
問屋場跡。
さらに進むと右手に「竹島会館」という、地域の集会所?がある。
これが大垣宿本陣跡。
看板も建っている。

すぐに大通りに出ちゃうからさ、それをちょっとだけ南下して、また右に入る。
すると、何やら古めかしい建物が目立っている。

垣羊羹本舗「槌屋(つちや)」。
創業1755(宝暦5)年、という由緒ある和菓子屋さん。
名前の通り、垣羊羹(かきようかん)が名物らしい。

突然道が広くなって、すぐに信号がある。
ここを左折。

京口門跡。
さっきの名古屋口の反対側の出入口ってことやね、
宿場はここで終了ということさ。

船町道標が残っている。
右京道、左江戸道、と書いてある。

水路のような川が寄り添う。
水門川と言うらしい。

すぐに大通り(県道18号)に出る。
水門川を「高橋」で渡る。

ここは見所満載の地点やね。
船町港跡。
水運豊かな大垣、ここから桑名や伊勢方面への水運が盛んだったとされる。

と同時にここは「奥の細道むすびの地」でもある。(写真)
それを示す碑もあり、奥の細道資料館もある。

あの有名な松尾芭蕉の旅は、この大垣の、この場所で終焉を迎えた。
そう、美濃路と城下町、そして奥の細道。
ついでに「西濃駅伝」(2月)と「水都おおがきハーフマラソン」(10月)。
大垣は実に魅力的な街だね。

この県道をそのまま西へ向かうのが美濃路。
途中で養老鉄道線を越え、「久瀬川町4」の交差点を渡ると小さな水路がある。
そこを左に入るんだね。

正面に「徳圓寺」が見えたら正解。

道なりに右折して川を渡る。
杭瀬川、というらしい。
橋の名は塩田橋。
左手に常夜灯も見える。

渡ったら右へと進む。
左右にはそれらしき寺や神社があって、街道の雰囲気をかすかに伝える。

県道はそのまま直進する。
1本入ると、左(西)に向かって、いかにも旧街道らしき道が。
本能?のまま左折するとすぐに「久徳一里塚」。
南側のみだけど、現存する貴重な一里塚だ。

そのまま美濃路は西へ。
静里小学校前を通過。
右手に大きな工場があり、美濃路はその先、再び行止り。

仕方なく工場の正門前から、さっきの県道(31号)に出て、再度西へ向かう。
手元の資料によれば、「中曽根町西」の交差点から、右斜め前方へと美濃路は向かっているらしいけれど、現在は該当の道は存在しない。

ということで、そのまま直進し、次の「荒川町東」を右折し、自動車学校に沿って1本目を左折し、西進。
この辺りから美濃路は復活することになるようだ。
左手に「白髭神社」があるからホッとする。

「大谷川」にぶち当たる。
県道に出て橋を渡る。

渡ってすぐ、右に降り、北へ向かうのが美濃路らしい。
「林松院」というお寺が目印になる。

変則の5叉路があり、左折。
この辺りは、いかにも旧道の名残があって、楽しいね。
古い道標も残っている。

T字路を右、北上し、やがて国道21号にかかる。
ここで美濃路は再び消滅。
しばらくは国道を走るしかないんだけど。

この国21を、現代では「中山道」と便宜的に称しているんだけど。
確かに少し北側には本物の?中山道もあるんだけどね。
でもね~、中山道というより、明らかに美濃路に沿って作られた国道なのに、変な感じ。

大垣市から垂井町に入ってすぐ、「綾戸口」という交差点から、美濃路が復活、右に入る。
ここまで来ればゴールは近い!

綾戸集落を走る。
これといった見所は無いけれど、神社やお寺が残り、気持ち良く走る。
若干、交通量が多いかな?

東海道本線の踏切を渡る。
さぁ、ラストスパート!
両側に松並木が残っているんだね。
「美濃路松並木」あるいは「綾戸松並木」と呼ばれているらしい。

松並木を快調に走る。
すでに時計は17時を過ぎ、夕暮れの雰囲気だ。
自然とペースは上がってしまう。

「流」の交差点もそのまま直進、右側に垂井郵便局、左手に「中山道ミニ博物館」を発見。
美濃路を走ってきたし、しかも美濃路沿いにあるから変な感じだけど、ここはすでに垂井の町。
垂井は中山道の宿場町なのさ。

さらに100mほど走ると、小さな交差路。
右手に看板と道標が!

「ここは追分、←中山道、→美濃路」
垂井追分にめでたく到着!
ここが美濃路の終点だ。

コスモタイガー、東海道に先んじて、美濃路を完全走破してしまった!
東海道の合間のプチ企画として始めたのにね、まぁ、東海道に比べりゃ、近いし、距離も短いからね。
当然と云えばそれまでだけど、1つの旧街道を最初から最後まで踏破したのは、ラン・ウォーク問わず初めての経験。
感動だぁ~!!

何だかんだと、良い練習にもなった。
20kmぐらい走ってるかなぁ?

写真をバチバチ撮って、周囲を散策してても、何やらテンションが高いまま。
気がつけば辺りは真っ暗になってしまい、後ろ髪ひかれる思いで、徒歩5分ほどの垂井駅に向かうコスモタイガー。

垂井と言えば、かつて「新垂井駅」があり、この垂井駅と新垂井駅は、セットみたいなもので、マニアとしては忘れられないネタなんだけどね~。
もう夜だし、ちと疲れた!

何も考えず、素直に帰ろうっと。
今日は美濃路制覇の余韻に浸りたい。

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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(36)

2013-02-01 | 旧東海道run!!

ボチボチ東海道runをやりたい!
と思うものの、いよいよ移動もシャレにならない状況になっていて、東海道本線乗継を利用なると、三島からのバスも含めて、片道で5時間以上。
朝6時台には家を出ないと、現地での滞在&走行時間が短くなり、慌ただしいことになる。
特に冬は日が短いからね~。

その上東海道本線乗継も、いい加減飽きてきてるし。
静岡県内のロングシート車の長距離移動も、うんざりするほど体験した。

いくら鉄道大好きと言ってもね、何時間もかけて毎度毎度同じ路線を行ったり来たりはちょっとね~。
とはいえ、東海道はぜひとも走りたい!!

金額的には大きいけど、そろそろ新幹線利用にすることを決意した。

朝起きると、穏やかな冬晴れだ。
いつもの前後駅に車を置き、豊橋までの名鉄は前回までと変わらないけどね。

名古屋市民的には「新幹線なら名古屋駅」なんだろうけど、コスモタイガーの自宅から名駅(名古屋弁で「めーえき」)までは1時間はかかるしね。
それに鉄オタとして、よほど時間に制約がある場合や「のぞみ」利用時は別にして、目的地と逆に向かう行為というのはナンセンスで、抵抗あるのさ。
料金的にも高くなるしね。

「こだま」に乗るのであれば、1時間もかかる名駅に向かうより、前後に出て名鉄で豊橋に向かうか、車で三河安城駅に出るのと、大差ないのさ。
何事にも先入観は禁物ってことやね。

豊橋の駅前には、南口・北口いずれにも、金券ショップが数店舗あり、若干ながらも定価よりお安く切符を購入できる。
新幹線利用なら、南側がオススメかな。
ここで三島までの自由席切符を購入。
東海道run初の新幹線(こだま)の旅となった。

さすが新幹線!
70分少々で三島着。

30分程度の待ち時間を利用して、ちょっと腹ごしらえ。
名古屋では晴れていたのに、ここ三島駅上空はどんよりした曇り空。
まぁ、降らなきゃ良いんだけど。

お馴染みとなってきた「沼津登山東海バス」元箱根行に乗車。
40分ほどで、予定しているスタート地点「箱根町」バス停に到着!
…のはずなんだけどね、

三島大社を過ぎ、市街地を出るとバスは徐々に標高を上げていく。
何やら窓の外はにはチラホラと雪が…。

標高が上がるたび、さらに雪は強くなり、地面には白いものが積ってるんだけど。

突然バスは、広いドライブインのようなスペースに進入し、停車。
「ここより先、大雪のため、ただいまからチェーン装着作業を行います。しばらくこのままで…」という車内放送。

聞いてね~よ!(古!)
まじかよ!
名古屋は晴れてたぞ!

しかもよりによって今日から新幹線に切り替えて張り切ってやってきたのに!

上から降りてきたバスは、逆にここでチェーンをはずしてるんだけどね、屋根にはぎっしりと白いものが付いてるんだけど。

当然ながら、定時運行云々を問題にする状況ではなく、登るたびに窓の外は雪深くなっていく。
車内の乗客も、地元客が多いせいか、慣れているのかな?
あんまりあわてた様子もない。
しかも大雪の勢いは収まらず、さらに積り続けている感じ。

車窓は左右とも何とも美しい白銀の世界。
名古屋じゃ、こんな大雪、見かけないよ~。
積雪1mぐらいあるんじゃね~か?
あの~、スキーじゃないんですけど…。
走りに来たんですけど…。

オロオロ状態のコスモタイガーを乗せ、バスは(多分)30分ほど遅れ、少しだけ建物があるところにやってきた。
そこが予定地点の「箱根町」だ。
降りてすぐの所に、前回のゴール地点、箱根駅伝往路のゴールポスト。
その先に「箱根駅伝ミュージアム」がある。
どちらも雪をかぶり、見事な冬景色だ!(泣)

とりあえず寒いし、気持ちを落ち着かせよう!

というわけで、ミュージアムに入館し、しばし見学がてら時間をつぶす。
しかしこんなときにも結構な見学客がいるんだね。
物好きな…。
って、俺もその1人なんだけど。

雪は幸いにも、かなり小降りになったけど、しんしんと降り続けている。

ここまで来て引き返すなんて嫌だ!
でもまだ死にたくないし。
とりあえず行けるところまで行こう!

覚悟を決めて、本日のrunningをスタート!
とりあえず今日も、大半がハイキングコースとして整備されていて、道標や案内板は完備されているはずなんだけど。

まずは箱根町のメインストリート(要するに国1兼旧東海道ね)を走る。
さすがに天下の国1、車や観光客が多いから自然と除雪されただけだと思うけど、歩道上ならゆっくり走れる。

左手にすぐに箱根ホテルね。
ここが箱根宿本陣跡でもあるわけで、解説板も設置されている。
前回、ここからバス乗ったよね。

「箱根関所跡」のバス停があり、土産物店が並ぶ道を左折、突き当たりに有名な箱根関所。
前回は門の前で写真を撮っただけだった。

もちろん当初は見学していく予定だったけど。
この天気だからね、パスしてそのまま進みたい気持ちにもなる。
でもそうすると、国1まで戻ってそのまま国道runしか選択肢がない。
そしてその道は旧東海道ではない。

東海道にこだわるなら、この関所を通るしかないわけよ。
そりゃそうだよね、関所で厳しく検問してたわけだから。
ここを強制的にでも通さなきゃ、関所の意味ないもんね。

通行料(というより見学料)500円を払って中に入る。

1998年から2006年にかけて、大がかりな復元工事が行われ、江戸当時そのままの姿を見せている。
じっくり見たい気持ちは山々なんだけどね。

相当に着込んで見学している観光客も居るには居るけどさ。
コスモタイガーももちろんウィンドブレーカーぐらいは着てるけど、基本、走るつもりで来たからね、彼らに比べれば(良く言えば)動きやすい服装なんだよね。
寒いというか冷たいというか、のんびり見学できる状況じゃないよ~。

写真を撮る余裕もなく、じっくり拝見する気持ちも起こらず、ほとんど素通りに近い状態で走り抜ける。
我ながら、もったいない!

まぁね、「入鉄砲に出女」なんて云われて厳しく取り締まった江戸時代を思えば、500円で素通りさせてくれるんだから、ありがたいことなんだろうけど。

関所の出口を「江戸口御門」というらしいけど、出たところ、左側に「県立恩賜箱根公園」という広大な公園がある。
天気が良ければ走ってみたいけどね、今日はパス。
観光客の大半はこの江戸口御門で引き返すため、ここから先はひっそりした感じになる。

ここで再び国1に戻り、右側の歩道を走ってれば、そのまま旧東海道だけが、少し国1と離れて平行する。
ここが有名な箱根松並木。


うまい具合に防雪林になってて、ちょっとだけホッとする。
右側に箱根一里塚を見つける余裕も出てきた。

左手、芦ノ湖に観光船が停泊している。
元箱根港らしい。
ここで国1は二手に分岐。
右側を行くのが東海道。

興福院というお寺の前を通り、少しづつ登っていく東海道。
案内板に従い、やがて右の小道に入る。
…と言いたいところだけど、道はどこ?

良~く見ると、積雪の合間に何となく道らしき気配が…!
え~、ここかよ。
仕方ないよな、覚悟して登るしか。

「権現坂」というらしいけどね、どう見てもスキー場の林間コースにしか見えんけど。


山の神今井君も、さすがにこんなところは登らないよね。
雪は相変わらず降っている。

本来ここは快適な森林浴&石畳のハイキングコースのはずだけど、石畳なんてどこ??
雪しか見えないけど。
それ以前に、どこが道なのか、案内板やわずかな痕跡を頼りに探すのが精いっぱい。

一面雪景色の中、道標だけを頼りに走る。
というか、走れてないけど。

もう、膝の上か太ももあたりまで埋もれちゃうからさ、雪中行軍、ただ前に進んでるだけ。
1km何分ペースなんて、もう全然意味ないね。
当然、この状況では誰にも会わない。

続いて「天ヶ石坂」。
あっそう。
雪しか見えないけどね。

それどころか標高が上がるたびに、ますます積雪量が増えている気がする。
当たり前のことなんだろうけど。

久々に県道(旧国1)に出た。
やれやれ。
でも向かい側から再び小道を案内してある。

途中まで小道を進むも、いよいよ積雪が増え、すでに道の判別不能。
これ以上はさすがに危険を感じ、仕方なく退却。

戻って仕方なく旧国1を進む。
疲労困憊状態で、人家を発見!
これが有名な甘酒茶屋だ。(冒頭写真)
江戸時代から続く名店だけに、観光客が何人かいる。
こんな雪の中、車利用も結構いるんだね~。

店に入ってしばし休憩、甘酒を注文。
店員さんに「あ~、あんた、走ってきた方ね」

何で知ってるの?
どうやらこの雪の中、走ってる姿を、チェーン(スタッドレス?)付けてゆっくり並走するドライバー達から好奇の目で見られていたらしい。
恥ずかしい!!!

まぁ、こんな雪ん中、走るなんて確かに奇人だよね。
甘酒飲んだら、いろんな意味で体が赤くなった気がする。

お店の前にバス停がある。
箱根登山バス「箱根湯本駅」行。
休日日中は30分に1本。
もう、ここでゴールにしようかな…。
休憩したら、ドッと疲れた。

そりゃ、正直、もっと行きたいんけど。
当初の予定ではバスじゃなく、走って「箱根湯本」駅までは行きたかったんだけどね。

と思ったら店員さんが一言。
「この雪でバスは運休だよ。ここから降りて行った畑宿で折り返し運転だよ。」

はぁ~~~?!!
じゃ、まだ走らんといかんがね~!

一度切れた緊張感を戻すのはきついよね~。
でも覚悟を決めて重たい腰を上げて、再びrun開始。
わずかばかりの慰めは、この先、下りってことかな。

すぐ隣に旧街道資料館ってのがあるんだけど、もう見る気力ない。
旧国1を進むとさっそくゆるやかな下り。
「追込坂」。

旧国1はこの先ヘアピンカーブ、その手前、左に昇る階段が東海道なんだけど
げんなりするぐらいの積雪で、いかにもつらそう。
それに旧国1から丸見えだしね。
またドライバー達の目にさらされるわけね。

旧国1をショートカットする形になってるけどね。
階段を降りると再び旧国1。
そのまま渡るとまたまた雪中クロカンの道がある。

この辺りが箱根東坂を登る際、最も難所とされたらしいけど。
「猿滑坂」「樫木坂」、何度か旧国1と並走しながら、急な下り坂が続く。
注意しないと転んでしまいそうだ。

難所過ぎるぐらい難所だよ。
相変わらず足はズボズボ雪の中に埋まりつつ、前に進む。
走ってるつもりなんだけどね。
降ったばかりで、凍結してないのが救いだけど。

途中、雪の重みで木が倒れ、ただでさえ狭い東海道を遮ってるよ。
困ったね~。


雪の上にうつ伏せになり、木の下をくぐり抜ける。
うわ~、体中、雪だらけだ~!

いったん旧国1に合流し、ヘアピンカーブをそのまま走る。
この辺り、新国1(箱根新道)も立体クロスしていて、天気が良ければ結構な交通量なんだろうね。
その箱根新道を3回クロスすると、再び東海道がショートカット状態で復活。

ここまで来ると標高が低くなったせいか、若干積雪が少なくなってて、今までを思えば天国だ。
もう1回、箱根新道を立体クロスし、しばらく下り坂を降りると、両側に畑宿一里塚。

2000年に復元されたものらしいけどね。
立派な一里塚だけど、今日は真っ白けっけ(名古屋弁だぎゃ~)。

50mほどで旧国1に出た。
やっと着いた!
畑宿だ。

畑宿も間の宿ってやつでね、53次の勘定には入っていない。
地元の「有松宿」や、途中で通ってきた「岩淵宿」と同類やね。
ここは寄木細工が名産品として知られている。

そして目の前に「畑宿」のバス停がある。
疲れた!!
もう絶対パス乗ろう!

汗ダクダクだよ。
キロ何分ペースで何km走ったのか、さっぱりわかりません。
(帰宅後地図で確認したら、10kmにも満たないようです…、ガッカリ↓)

箱根登山バスが下からやってきた。
さっき、甘酒茶屋で聞いた通り、ここで引き返すようだ。

よっこらしょ!
バスの窓からは、バスの走る旧国1に寄り添う旧東海道が見え隠れする。
心のどこかに「もったいない」気持ちもあるんだけどね、もう、体が言うことを聞きません。
お願い、もう休ませて!

といいつつ、箱根登山鉄道「箱根湯本」駅に着くと、電車の写真を撮る元気があったりするんだな。
何といってもここから入生田までは、レールが3本(3線軌条)あることで、マニア的には有名な区間だからね。
だからこの「箱根湯本」にこだわったんだけどね。

当然ながら、通常、レールは2本。
でも、レール幅の違う2つの鉄道会社が相互運転すると、3本のレールが必要になる。

箱根登山鉄道は、小田原~入生田~箱根湯本~強羅をつなぐ、15.0kmの私鉄だ。
そのうち、小田原~箱根湯本間は、箱根登山鉄道(レール幅1435mmの標準軌、つまり新幹線と一緒)と小田急(レール幅1067mmの狭軌、つまりJRの在来線や名鉄と一緒)が、2006年3月まで相互乗り入れしていた。
それまではこの区間、両社の鉄道が通行できるよう、3線軌条になっていたわけだ。

現在は事実上、この区間は小田急車両のみが走るのみ。
(つまり路線は箱根登山鉄道が保有するものの、運行は全面的に小田急に移管)
そして途中の小田原~入生田間の、箱根鉄道用のレールは撤去されたものの、入生田駅近くに箱根登山鉄道の車庫(検車区)があるため、入生田検車区~箱根湯本間は今も3線軌条が残っている。

3線軌条は全国でも数少なく、他に代表的な例としては、秋田新幹線(標準軌)と奥羽本線(狭軌)の一部区間で用いられている。

またいずれ開業するであろう、北海道新幹線も、青函トンネル内は在来線と供用らしいから、3線軌条になるんだろうね。

すでに16時を過ぎた。
箱根湯本駅で、写真撮ったりして休憩後、体はフラフラなのにテンションは上がり、箱根登山鉄道(といっても車両は小田急だけど)に乗り込み、小田原に向かう。
小田原からは、新幹線(こだま)にて豊橋へ。
ここから先は、往復ともこだま利用かな…。

豊橋に着いたら、雪どころか、雨すら降った形跡がない。
どうやら東海地方、今日は一日、穏やかな晴天、洗濯日和だったらしい。
嘘でしょう??
こんなにヘロヘロに雪に塗れたのに…。

(教訓:①お出掛け前に現地の天候は必ず確認しましょう。②無理は禁物、真似しないでね♪)


※2016.2.9追記:地図作成しました。(ここをクリック
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