cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

身近な気になる古道たち⑥

2013-06-28 | 身近な旧街道run!!

★名古屋市千種区(一部名東区)星ヶ丘周辺

以前の勤務地だった星ヶ丘。
現在は名古屋市東部の高級住宅街として発展しており、M百貨店星ヶ丘店も有名だ。

旧街道や地名にある程度詳しいと、この「○○ヶ丘」(あるいは○○が丘)や、「●●台」というのが、歴史も由緒もない、新しい地名の可能性が高いことは想像できるけど。
この星ヶ丘も、案の定、戦後に名づけられた地名だ。

昭和30年に、住都公団により大規模団地(現在のアーバンラフレ星ヶ丘)が建築され、小高い丘の上にあったことから、「名古屋近辺でもっとも星に近い」という意味で、「星ヶ丘団地」と名付けられた。
ついでに?地名も「星ヶ丘」に。
それが定着し、現在に至ってるらしいけど。

それにしても「星に近い」とは随分大きく出たものやね。
間違っちゃいないけど、物凄くミクロな距離の話だよ。

東山公園や平和公園など、この辺りは起伏も多く、クロカンコースも整備され、走るには絶好の環境だ。
特に南側、東山のクロカンコース(東山一万歩コース)周辺は、かつての尾張藩の御料林で、一帯を御殿山とも呼んでいたらしい。
ここで伐採された材木が、名古屋城下へと運ばれたりもしたらしい。
そうした人々の往来により発展したのが高針街道、現在の広小路通になるわけだね。
昔も今も、名古屋の東西の大幹線ということやね。

さて、その星ヶ丘。
旧地名は、ズバリ「追分」だ。

旧東海道にもたびたび出てくる「追分」。
全国各地に散見される地名だけど、要するに「道が二手に分岐するところ」のことを指す。

星ヶ丘の交差点に立つと、現代もここが追分の機能をそのまま持っていることがすぐに解る。
名古屋城下からやってくると、ここで大きな道が二手に分岐している。

直進する「グリーンロード」(長久手道)、斜め右に行く「名東本通」(高針街道)。
実にわかりやすい「追分」だ。

かつての分岐点は、正確には現在の分岐点のやや西、ちょうどバスターミナルの辺りだったと言われてるらしいけど。
そのバスターミナルを斜めに横切り、広小路の1本裏の道がかつての街道だったのかな?

またすぐに広小路通(この辺りでは東山通と呼ぶのが一般的)に出て、西、つまり名古屋中心部の方に走ろう。

旧街道は、某電話会社東山ビルの裏の道を行き、千種図書館の裏を通っていたらしい。
この千種図書館裏の道は、旧道らしい雰囲気があり、そのまま東山動植物園の駐車場へと抜ける。
東山通の反対側には千種スポーツセンタ及び新池が広がる。
かつての新池は、この動物園の駐車場まであったらしいけど。

で、駐車場(かつての池)をぐるっと廻り込んで、東山通に出て、反対側の歩道に渡り、西に行くと「ことわりの松」なる史跡がある。
枯れてしまったため、現在は新しく植えられた4本の松が大切に育てられている。

「本山」の交差点を過ぎてしばらく、右手にこんもりとした森が。
「城山八幡宮」やね。
ここは名前の通り、かつての城跡、「末森城址」なんだけど。

末森城。
織田信長の弟、織田信勝が居城したところやね。

東山通に戻り、「末森通2」の交差点を左折し、すぐの道を右折。
田代小学校のすぐ北側を通るこの道が、わずかに残る旧高針街道らしい。

道が狭くなり、下っていくと再び東山通に合流、地下鉄覚王山駅だ。
ちなみにこの坂が「月見坂」という名前だったらしい。
かつてはこの辺り、のんびりお月見できるほどの景観だったんだね。

こののち、高針街道はほとんど「らしきところ」はない。
「広小路通」と名を変え、大都市名古屋の中心街を行くことになる。

というわけで、ここでルートを変えよう。
覚王山の交差点を超えると、左手に郵便局がある。

この郵便局の裏から、街道オーラ出しまくりの、斜めに走る小道がある。
「四観音道」だ。

尾張四観音をめぐる、巡礼の道なのだ。
ちなみに四観音とは、名古屋城から見て鬼門になる4つのお寺のこと。

荒子観音(中川区)、甚目寺(あま市)、竜泉寺(守山区)、笠寺観音(南区)の4つやね。
で、この四観音道も、一部しか残ってないけど、その一部がここに綺麗に残っている。
ここは竜泉寺から笠寺に向かう部分やね。

1本道で綺麗に残ってるから、しばらくは迷うことはない。
右に丸山神明社。

「丸山」の交差点。
この辺り、古道らしい雰囲気が残ってる。

都市高速高針線(及び並行する幹線道路)を横切る。
(信号まで迂回してね♪)
やかで国道153号線にぶつかる。
この辺りでは「安田通」と呼ばれているようだ。

残念ながら「四観音道」はここで消失。
無理に辿っても、全然街道らしさはないからさ。

153号のすぐ西に「安田通1」の信号があるから、そこを渡って、引き続き南進する。
そうすると「塩付通2」の信号に出る。
変則の6叉路だ。

ここから右斜めに、物凄く狭い道が出ている。
これが、塩付街道やね。
並行する「塩付通」も、当然、これが由来となっている。

江戸時代、星崎村(現在名古屋市南区星崎町)が塩の産地で、その「塩」を内陸に運んだかつての古道だ。

すぐに広路通に出た。
左に正覚寺という小さなお寺がある。
きっとそれなりに由緒あるに違いない。

西友の脇を縫うように走り、突き当りを左折、すぐにマックスバリューね。

さらに南下し、「石仏町」という町名が、いかにも歴史を感じるね。
白山社も右にあり、この辺り、落ち着いた気分で走ることができる。

とにかくこの辺り、まっすぐ進むのが塩付街道。
幹線道路(藤成通)にぶつかっても、迂回して信号渡り、とにかく道なりにね。

すると右前方に巨大な建物が。
名古屋市立大学病院だ。
その手前の小さな交差点には、お地蔵さんもある。
「みやみち地蔵」として、長く信仰を集めているらしい。

また、塩付街道の説明板も設置してあり、ここが旧街道であることがはっきり確認できる。

高校野球で有名な、享栄高校を左に見る。
反対側に視線を移すと、目立たないけど「馬頭観音」が祀られている。
街道の道中安全を願ったものらしい。

さらに進むと、やがて住宅地のど真ん中で突然行き止まり。
ここは左折する。
すぐに信号があるけど、そこからまた明らかに他とは違う超狭い道が分岐している。
接骨院の裏を行く感じだ。

かつてはもっと自然に?くねくねしながら繋がってたんだろうね。
左手100mほど奥にあるのが「汐路中学校」。
北側にほぼ隣接する形で「汐路小学校」もある。
どちらも「汐の路」、つまり塩付街道に由来する名前なのだ。
そして、街道ネタとしては関係ないけど、フィギアスケートの小塚崇彦選手の母校やね。

道沿いに1本だけ、松の木が残っている。
しばらくして左手奥、50mほどのところに「村上神社」。
ここは古墳の跡らしい。
「おどり山古墳」というらしい。

さらに進んで、名古屋女子大付属高校・中学の裏を突っ切る。
さらに気持ち良く走ると、正面に「瑞穂公園野球場」(通称:瑞穂球場)に見え、道はそこで片側1車線の道路にぶつかって終了。

史実的にはまだ続いてるけど、広大な瑞穂公園に吸収されちゃったんだね。
事実上、ここで「旧街道run」はお終いだ。

さて、左には、ランナーにはお馴染みの、瑞穂公園の一角、瑞穂北陸上競技場(通称:キタリク)がある。
ここからは普通に街中を通勤ランするか、まだキタリクが開いている時間なら、ここで流し程度の練習をして帰宅するコスモタイガーなのだ。(平日は20時半まで一般開放)
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身近な気になる古道たち⑤

2013-06-05 | 身近な旧街道run!!


★名古屋市緑区大高地区

とある日のコスモタイガー。
自宅から走って、名鉄鳴海駅前に出た。

東海道鳴海宿。
旧東海道編でも走ったけど、それ以前に普段からたまに走っているエリアではある。

高架化も完成し、駅前はきれいに整備された。
もっとも駅前がそれまでの反対、南側になっちゃったけど。

「駅裏」になってしまった北側をしばらく進むと「本町」の交差点。
ここを東西に横切るのが東海道ね。

このまま直進し、すぐの小道を左折すると、奥まったところに小さな公園がある。
「鳴海城跡」。
別名を根古屋城とも言われたとか。

ときは戦国、駿河の盟主、今川義元配下の岡部氏により治められていた城なのさ。
今川方の勢力が現代の名古屋市緑区にまで進出していたってことやね。

清州城の織田信長、それを黙ってみているわけにいかず、一気に形勢逆転!
それが桶狭間合戦ということやね。

本町に戻って、東海道を西に向かう。
「作町」の交差点。

ここが常滑街道との分岐点(追分)と思われる。
道なりに進み、右にカーブするのが東海道ね。
左折し、南下するのが常滑街道。

さて、このまま南進しても良いんだけど、残念ながら旧道の面影は皆無だから、ちょっと寄り道。

すぐに扇川に出る。
小さな橋を渡ってすぐ左折、川の右側に沿って走るとしばらく、川が2手に分岐する。
左手が主流の扇川、右が支流の手越川。

左折して小さな橋を渡る。
2つの川の中州に出るわけなんだけど。

3軒目か4軒目の民家の庭にあるのが中島砦(とりで)。
道案内もあるけど、あまり目立たないから、よほどその気がないと見落としそうだ。
それ以前に、こんな普通の民家の庭にあるなんて、誰も思わないしね~。

この中島砦が、さっきの鳴海城を監視するために織田信長が作ったものなんだよね。
砦(とりで)というのは、お城ほど本格的じゃないけど、主に防御を目的に作られた簡易な要塞のようなもの。

他にも丸根砦とか鷲津砦等を築き、鳴海城を包囲していたんだね。
この辺りの砦巡りも楽しいけれど、またの機会に譲るとして…。

再び鳴海駅方向に戻ろう。
すぐの道を左折し、線路をくぐる。

そのまま進むと目の前に墓地がある。
墓地の中を行く。
左手には善明寺というのがあるらしい。

この辺りから急に古道の雰囲気になる。
国1を渡る。
(信号まで迂回してね♪)

(東海地区では有名な)カレーのチェーン店の横を通り、斜めに通り抜ける道だ。
「丸内古道」と云うらしく、歴史ある道らしい。

突き当って右折すると、作町からの常滑街道(県道23号)に出る。
そのまま県道を横断し、鳴海八幡宮の前に出るんだけど、その手前の喫茶店の植木鉢の中に隠れるようにある、可愛らしいお地蔵さんもチェックしておこう。

この辺り、「前之輪」集落といって、風情ある一角だ。
古文書等にもその名前が散見されるらしく、古くからの集落であることは間違いない。

しばらく走ると左右に分岐するむど、ここは右を選択。
左はすぐに県道23に出てしまう。

そのまま直進を続け、JR東海道本線&新幹線の高架下をくぐる。

たぶんここで旧道は消失してるような気がする。
恐らく左前方に伸びていたのかな?

仕方なく、左折し、「大高西」の交差点に出る。
ここを右折すると、再び古道らしき雰囲気が復活。
八幡神社がある。

建物は新しくなってるけど、古くから存在している雰囲気がある。

小さな橋を渡ってすぐ、突き当ってT字路になる。
左折やね。

すぐにまたT字路。
角に小さな神社がある。

そのまま直進するのは師崎街道らしい。
右折するのが常滑街道ね。

どっちも魅力的だけど、まぁ、どっちかっていうと右折かな。
古くからの大高集落の中心に向かう形になるからね。

100mほど進むと、左手奥に大高城跡を示す案内板がある。
魅力的だけど、後回しにして、まずはそのまま直進。

さらに200mほどで、道はそのまま左に90度カーブ。

そうそう、ここがネットやパンフレット等でも見どころとして案内されているスポットね。
萬乗酒造ね。

素敵な酒蔵と建物で、歴史を感じさせる重厚さもある。
国の登録有形文化財にも指定されている。

名古屋市民にすら意外に知られていないが、大高地区は、かつては日本酒の産地だったため、現在も酒蔵が多く残り、(良い意味で)名古屋らしからぬ、まるで別世界のような懐かしい風景に出会える素敵なスポットだ。

現在も、江戸・明治から続く3軒の酒造会社(萬乗酒造・山盛酒造・神の井酒造)が頑張ってるから、そっち系が好きな人にはたまらない場所やね。
山盛さんと神の井さんは、月に一回程度、試飲もできるらしいから、調べてから訪問するとラッキーかも。
(ただしランニング中の試飲はお薦めしません!)

ここ大高は、東海道からは外れていたけれど、鳴海宿から分岐した常滑街道や師崎街道は、知多半島方面に向かうための重要な道だったため、その入り口として、そして交通の要衝として発展したんだね。

さぁ、そのまま道なりに進もう。
右手に春江院が見えてきた。
1556(弘治2)年、大高城主水野大膳により建立、ということらしい。
素敵なお庭と辺りの静けさが印象的だ。

道の左側には保育園があって、そこを過ぎたところから、案内板に従い、狭い道を入っていくと、大高城跡公園に出る。

ここも桶狭間合戦直前には、今川の支配下だったからね。
桶狭間対策?として、合戦直前に、若かりし松平元康(のちの徳川家康、当時は今川方の一武将)が、兵糧を運び入れたことで有名なお城なのさ。

結構大きな城で、いろいろ巡ってると楽しい。
国指定史跡にもなっていて、ところどころに詳細な案内板も設置されている。

再び保育園まで戻って、旧街道を走る。
左手には大きな集合住宅、市営森の里団地やね。
県道23が左から合流してきて、直進すると大高中学校を左に見て走る形になる。

残念ながら旧道はこの辺りで再び消失し、大高地区の「別世界」もここでいったん終了。
仕方なく、来た道を再び萬乗酒造まで戻る。

萬乗酒造で左折し、さらに1本目を左に。
そのまま直進するこの道も、なかなかにgoodだ。

大きな幹線道路に突き当る。
国道23号バイパスやね。
上の高架は、都市高速&知多半島道路の大高IC分岐がちょうど始まるところ。
明らかに旧道は、バイパスを超えて続いてるんだけど。

ここは信号ないから、50mほど右手にある歩道橋を渡る。
歩道橋からも、旧道がこの先、わずかに残っていることがわかる。

その旧道が途切れたところの角で左折。
この道は、行く先に鬱蒼とした森が見え、わかりやすい。

森に向かって走る。
やがて大きな神社が両側に見えてきた。

「氷上姉子神社」(ひかみあねごじんじゃ)

熱田神宮の摂社(支社みたいなもの)で、創建は西暦195年と、物凄く歴史ある神社なのだ。
道の左手が本殿で、右は「元宮」と呼ばれ、690年に移転されるまではこっちが本殿だったらしい。

もともとこの辺りは「火上の里」とよばれていたんだね。
大高もかつては「火高」だった。

それが室町時代前期、文字通り?この神社は本当に火事になってしまい、シャレにもならないってことで、「氷上」になり、地名も「大高」に変更されたらしい。
ちなみに詳しい地図を見ると、この神社の建つ地は現在も「火上山」となっており、かつての名残が残っている。

両方の神社を楽しむと、これまた意外にボリュームがある。

さてさて、随分と足を運んでしまった。
この辺りでそろそろ帰らないと…。

ちょっと長めのジョグになった。
LSDってやつだね。

ワンウェイコースだと、この氷上姉子神社の先、「平野池」を見て、東海市名和町に抜けていくコースも楽しいんだけどね。
またの機会にするとして、今日はこのまま自宅に戻るとしよう。

帰りはどこにも寄らず、家までなるべく最短距離を走って戻るコスモタイガーであった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身近な気になる古道たち④

2013-05-23 | 身近な旧街道run!!

★日進市岩崎地区

名古屋市営地下鉄鶴舞線平針駅。
ここを中心に平針の町が発展している。

名古屋市民にとっては、「平針運転免許試験場」への最寄駅。
免許の更新でお世話になっているところだね。

この辺り、もともとは飯田街道の平針宿で、かつての中心は現在の地下鉄駅より南側、名古屋記念病院を超え、平針保育園(秀伝寺)の辺りだったかと思われる。

この平針保育園のある交差点を東西に横切るのが、旧飯田街道。
名古屋城下の札の辻(名古屋市中区丸の内)に端を発し、ほぼ国道153に沿う形で、吹上・八事・植田を通って、ここ平針が最初の宿場町だったそうな。
そして長野県の飯田まで繋がっていたんだね。

飯田街道も非常に興味あって、一部は通勤ランでも走ったりしてるけど、またの機会にするとして。

この平針駅の北東のはずれにあるのが、「龍淵寺」。
実はその手前の小川で、名古屋市天白区から日進市に変わっている。

創建は1573(天正元)年、丹羽信秀なる人物によるものらしい。
すぐ近くに「赤池城址」があるけど、その赤池城の城主だったらしい。
さらに云うと、丹羽信秀さん、岩崎城(日進市岩崎町)を中心に繁栄した「岩崎丹羽氏」の一派、ということらしい。

龍淵寺の前の道が、いかにも旧道らしい雰囲気がある。
ここからは1本道だから、迷うことないんだよ。

地下鉄駅の近くなのに、何やら見通し良く、のどかな風景だ。
国道153号は交差してそのまま直進。
(信号ないから、迂回して信号渡ってね♪)

梅森地区の住宅街を走る。
微妙なうねりは明らかに旧道の雰囲気。

県道219号も交差して、そのまま直進。

ここからがまた静かな旧道らしいところなんだよね。
すぐ左手を、県道221号が走る。
信号もしばらくない区間で、車もかなり飛ばす区間なんだけどね。

その1本南に入っただけで、こんなに静かってのも不思議だ。

しばらく快調に走ると「岩崎西田」の交差点に出る。
ここを斜めに横切り、県道221を走る形になる。

「岩崎神明」の交差点に突き当たり、右折する。
高針街道に合流したことになるわけだ。

名古屋市中区に端を発し、高針宿を通って岩崎城下を通る高針街道。
まさに名古屋の東西の大幹線「広小路通」の母体となった道だけに、これまた魅力を感じるけれど、またの機会にしよう。

「岩崎」の交差点。
見上げればそこには、丹羽氏の拠点だった、「岩崎城」が聳え立っている。

小高い丘の上にある典型的な平山城。
折角だから、丘の上まで行き、間近に岩崎城を見てみよう。
結構な起伏走の練習になる。

再び丘を降り、「岩崎」交差点から東に向かうと、公民館の前で分岐する、いかにも旧道らしき道がある。

道なりに走ると「岩崎橋」を渡り、そのまま南東に進む、くねくねした道がある。
これが旧高針街道かな?
藤島地区へと繋がっている。

でもまぁキリないからさ、この辺りで引き返すことにする。
家からだとちょっと長めのジョグになるし、植田駅近くの天白スポーツセンタ発着でも手頃なLSDになる、歴史を感じるコースなのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身近な気になる古道たち③

2013-05-15 | 身近な旧街道run!!

★刈谷市小垣江地区

東海道編のスタート地点だった前後駅。
そこからたまにワンウェイで走ってたコース。

名鉄線をオーバークロスし、南側に出て、そのまま道なりに走る。

道が狭くなる手前、一見突き当りみたいなところを左折。
ここから一気に旧道オーラ!

この道、恐らく師崎街道と呼ばれていたのかな?
そして何より、前後駅から始まる「知多四国88か所巡り」の巡礼の道らしい。

1番札所、「曹源寺」が右手に。
この知多四国巡りも途中まで走ってみたことあるけどね。
一部、 島があるから、runにはちょっと困るよね。

途中で右折し、知多四国巡りを楽しもう。
豊明ICの西側の細い道で、国道23号を潜る。

しばらくはくねくねと旧道らしい雰囲気が続く。

小川に橋がかかり、右折してさらに南下。
2番札所「阿弥陀寺」、3番札所「普門寺」と続く。
その間にある神田地区も、街道らしい静かな街並みで、楽しい。

「藤井神社」を過ぎてすぐ左折し、鍵型に走ると、大通りに出る。
国道366号。
正面に「正願寺」。

ここで知多四国巡りとはお別れね。
続きはまたの機会に。

左折して国道を走る。
途中から366から155に国道の番号が代わる。

境大橋を渡って刈谷市になった。
つまり「三河」の国に入ったってことだね。
この辺は単調だけど仕方ない。

最初の信号「中手町西」を右折。
ここから再び旧道オーラ満載の道が始まるのさ。
道なりに走るだけだから迷うことはないけどさ。

所々にお地蔵さんがあったり、祠があったりする。
刈谷市設置の案内板もあって、楽しい空間だ。

右手に「金勝寺」。
なかなか立派なお寺だ。

医王寺の常夜灯を過ぎ、JR東海道本線を潜る。
左手やや離れた所に「逢妻駅」が見える。

熊野町界隈も素敵だなぁ。
歴史を感じさせる史跡が所々に残る。
右手に「安養寺」。

さらに南下し、「八幡町」の信号。
歩道橋を渡る。

右手には亀城公園、要するに刈谷城跡があるんだけど、城巡りはまたの機会にね。

ひたすら走ってきたこの道も、突然T字路で行き止まり。
でも正面にある建物も良い意味で古めかしく、癒されるよなぁ。

右折してすぐ左折。
刈谷城下の道、もしかして桝型だったのかな?

専光寺の脇を通る。
左に少しカーブしながらも道は続く。

行き止まって幹線道路に出た。
「松坂町」の交差点ね。

この幹線道路をしばらく走る。
「巡見橋」を渡る。
名前からして、かつての巡見使に由来することは何となく想像がつく。
ちなみに巡見使とは、定期的に幕府が各藩の動向を調査するために派遣した使節のこと。

すぐの信号から、下の道に降りていく階段がある。
小垣江集落がここから始まる。

ここも懐かしい感じの街並みが今も残る。
地図で見ると、この小垣江集落を、北東から南西に、斜めに突っ切る道がそれ。
沿道沿いには、お寺やお地蔵さんも残り、風情ある道だ。
刈谷市による解説版も整備されている。

県道299号に突き当り、左折して小さな川を渡る。
名鉄三河線の線路がある。

少し戻ったところに「小垣江」駅があるから、ここをゴールにすることも可能だけど。
でも戻るのは癪だから、もう少し頑張って進む。
川を渡ってすぐ右折、線路沿いに南下する。

県道50号に合流。
しばらくは県道を走る。

「新田町」交差点を左折。
300mほど先を右に入ると、結構立派な神社がある。

さらに神社を抜けて、そのまま南下すると、これまた旧道らしき状況になる。
どんどん走ればこのまま高浜市内へと続くけど、この辺りでそろそろゴールにしよう。

右に入ってすぐ、そこは名鉄三河線、「吉浜」駅だ。
あの吉浜人形で有名だよね。
周辺には、人形関連のお店や美術館もあるようだけど、コスモタイガー、残念ながらそっち系には興味なし。

そして名鉄三河線。
名古屋に住む人間にとって、なかなか乗る機会ないけれど、ローカル色豊かな、素敵な路線だ。

のどかな風景を見ながら、知立で乗り換え、名古屋本線で前後に戻った。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身近な気になる古道たち②

2013-05-02 | 身近な旧街道run!!

★愛知郡東郷町傍示本周辺

これまた普段のランニングのエリア内で。

名古屋市緑区と愛知郡東郷町に跨る、「白土」の交差点。
(正確には東白土らしいけど、普通に白土と称することが多いかな)
ドライバーには悪名高い、7叉路の交差点だけど。

そもそもここ自体、由緒ある地点で、よく見ると、神社やお地蔵さんもあり、歴史をかすかに感じ取ることができる。

古よりここは街道の要衝だったらしい。
だから今もややこしいんだよね。

平針から延びてくる県道56号が、かつての岡崎街道。
徳重方面からやってきて合流するのが県道36号で、東海道鳴海宿で分岐するかつての白土道で、鎌倉時代からの古道らしい。
南からは、豊明方面から県道236号が合流する。

岡崎街道はこの交差点を道なりに直進するんだけど、左手の坂を上ると神社があり、さらに50mほどの信号を左折したところに祠がある。
この祠も結構由緒あるらしいけど。

岡崎街道はまたの機会に譲るとして、気になるのはこの左折した道やね。
主に県道36号ってことになるんだけど。
コスモタイガー的には、runningだけじゃなく、みよし市や豊田市方面に行く際の抜け道として、車でも良く利用している道だ。

祠の裏から狭い生活道路が出てるから、これがかつての古道かな?
坂を登る感じ。

住宅地を抜けると、再び県道36に合流し、音貝小学校西の交差点に出る。
ここからは県道36を走る。

左手に大型パチンコ店。
さらに少し走ると、右手に100mほど、古道らしき道が残る。
住宅の庭先を走る感じなんだけど。

桝池は、歩道だけが池の上を渡る構造で、ショートカットして得した気分。

左手に幼稚園を見て、「深池」の交差点を直進。
やがて「傍示本」(ほうじもと)の交差点に出る。

少し南に行くと「春日神社」ね。
静かで、結構癒される場所だよ。

交差点に戻り、直進すると、道が少し狭くなるけど、この辺りが「傍示本」集落の中心らしい。
ちなみに「傍示」というのは、御醍醐天皇の頃に建てられた、国境を示す立て札のことらしい。
この傍示本集落を超えた所に境川があり、その向こうはみよし市、つまり三河の国になるからね、位置関係も考えれば、語源はそこにあることは間違いないかと。

この傍示本集落が結構おススメのポイントなんだ。
まずは円盛寺。
案内板が出てるから、それに従って左奥に入るとすぐ。
「城東四国33ヶ所巡り」なるものがあるらしく、その7番札所にあたるらしい。

引き返し、再び県道36号に出て、今度は反対側の小道に入ると、傍示本公民館。
ここがかつての傍示本城の跡と、立て札が掲げてある。
他にはかつてを偲ぶものは何もないけどさ。

代々丹羽氏が治めたということらしいから、お隣日進市にある岩崎城とは密接な関係にあったと思われるけどね。

コスモタイガー、あくまでもフランチャイズは時刻表とランニングであって、お城関係の詳細な知識は、その道の詳しい人に譲るけどさ、城跡巡り、嫌いじゃないよ♪

それ以外にも、分岐路にはお地蔵さんが所々残り、明らかに歴史を感じる民家もあり、この辺り、静かで走ってて楽しい空間ではある。

このままこの辺りをウロウロして自宅まで戻ることが多いけど、体調や時間の関係で、さらに県道36号で足を伸ばし、諸輪地区の史跡を楽しむこともある。
それもまた楽しいルートなんだけど、またの機会に。

「傍示本」は、コアなHPなどでは若干紹介されているようだけど、県道36号についてはほとんど記述が見当たらない。
ただかなり古くから道として機能していたことは走ってると感じるんだけど。

何の道かな?
「三好道」とか「諸輪道」とでも言ったのかな?
これまた御存じの方、ご教授を。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする