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日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧美濃路編(5)

2013-01-25 | 旧美濃路run!!

1月のとある休日。
のんびり起きてブランチ(朝昼兼用食事)してたら、急に街道ランをしたくなり、家を出た。

当然ながらこんな時間からはすでに東海道は無理。
それに東海道、ちょっと間隔あけないと、金銭的に厳しくなってきたしね。

名鉄の鳴海駅に自転車を置き、「名鉄一宮」駅を目指す。
一宮で前回も利用した名鉄バスに乗換、「起」で下車。

再び静かな起宿にやってきた。
前回の予告通り?まずは脇本陣、旧林家住宅(歴史民俗資料館)を見学していこう。

のんびり家出て、のんびり見学できるのも、美濃路が近いからこそ。
東海道とはまた違う良さがあるね。

ここでは現存する脇本陣を見学できる上、別館では起宿の歴史はもとより、当時の美濃路の賑わいを偲ぶことができる。
また宮宿~垂井宿までの美濃路全行程の詳細な地図や見所が解説されたパンフレットも配布され、事前にここを訪れて、まずはこのパンフレットを入手することから始めるのも有効な手段だと思う。
まさに「美濃路のことは何でもおまかせ♪」的なスポットだ。
ボリュームたっぷりで、結構な時間を使ってしまった。

さて、ボチボチrunを始めようか。
資料館の前が旧美濃路ね。
そのまま北上。
すぐ左側には堤防らしきもの。
その向こうは有名な木曽川だ。

広い県道の下をくぐり、道なりに走ると、左手に金刀比羅(ことひら)神社がある。
この神社の裏手に回ったところが「起渡船場跡」。
つまり美濃路はここから舟で木曽川を渡っていたわけだね。
しかも驚いたことに、江戸時代だけじゃなく、昭和30年ごろまでは現存し、定期船もあったとか。

今走ってきた道、いかにも街道オーラ出まくりで、この先も続いている。
地図で確認すると、この先、寺社やお地蔵さんも多く、何やら魅力を感じるけど。

どうやら名鉄尾西線の終点「玉ノ井」駅近くを通り、その先も木曽川に沿って、さらには名鉄名古屋本線「木曽川堤」駅近くまで続いているようだ。

このまま直進したい衝動にも駆られるけどね、体は2つないから仕方ないね。

仕方なく少し戻って、先ほど下をくぐった県道に、階段で上がる。
ここからは美濃路じゃないけど、現在は渡し舟はないからね。

濃尾大橋を渡る。
かなりの交通量ながら、歩道は完備されてるから安心だけど。
こうして見ると木曽川って大きいなぁ。
思わず橋の上から写真を撮ってしまった。

そして橋の上で愛知県(一宮市)から岐阜県(羽島市)となった。
「尾張」から「美濃」に来たわけだね。

橋を渡りきった最初の信号を右折。
右に木曽川を見ながら堤防道路を走る。

左に降りていく道はいくつかあるんだけど、もうここまで来ると「カン」で何となく旧街道を感じるんだけど。
普通の住宅街ばかりでわかりにくいけど、堤防道路を1km弱走ると、こんもりした森らしきものが見えてきた。
ここを降りるとすぐ「金刀比羅神社」がある。

舟の安全を思い、さっき見た対岸の「金刀比羅神社」とセットになっていたんだろうね。
だからこの道で間違いない!

突き当たりを右折。
小さな道標もひそかに残っている。

しばらくはこの静かな生活道路を走るんだけど。
特に見所は無いんだけどね。
人通りも少なく、旧街道らしい素敵な道だなぁ。
右手に小さな祠があったりする。

正木小学校が右手にある。
見落としてしまいそうだけど、ネット越しに「一里塚跡」の説明板が建っている。
不破一色の一里塚。(写真)

住宅街の中にありながら、街道特有のくねくね感があって、明らかにこれが美濃路って感じだ。
一応、岐阜県道165号線ってことらしい。
時間を忘れてしまいそうな快適なrunningが続く。

名鉄の線路が見えてきた。
竹鼻線ね。

美濃路は竹鼻線を踏切でクロス。
そこに「須賀」駅がある。

すぐに変則の五叉路に出る。
ここで県道をはずれ、左折する狭い道が正解。
左手に天満神社がある。

突き当たって右折。
その角に立派な家があって、間の宿跡らしい。

さらにそのまま進むと交番に出る。
ここを左折し、道なりに走るとすぐ、広い県道(1号)にぶち当たる。

ここで美濃路は消失。
農地の開拓や区画整理等が理由だと思うけど、残念ながら美濃路を辿ることはできない。

仕方ないから県道1号を右折(北上)、足近町2の交差点を左折して、県道165を走る。
そのまま1km弱は県道run。

すると、いかにも旧道らしい道が右折している。
その道はすぐに緩やかに左にカーブしている。
この辺り、区画整理した影響で、直線的な道路が多いからね、この道だけが妙にうねってるから、カンでここで美濃路が復活したことがわかるのさ。

目印らしいものもないけれど、しいて言えば右手奥に養鶏場があることをチェックしてある。

そのまま堤防を左に上がるのが美濃路。
駆け上がるところに古い道標もある。

何だか単なる堤防道路のような気がするけど、れっきとした旧美濃路らしく、解説の書かれた案内板もある。
ちなみに右の川は「境川」というらしい。

しばらくはこの堤防の道を行く。
やがて左手に西小熊の一里塚跡の碑。
美濃路としては9番目の一里塚らしい。
解説版もそばに建っている。

右手に小さな神社があり、さらに堤防を進む。
まもなく仕出し屋さんが正面に見えてくる。
ここで堤防道路とお別れし、まっすぐ駆け降りるのが美濃路らしい。

ここで再び美濃路消失。
というより、ここからは江戸時代、舟渡しだったらしいけど。
「小熊の渡し」と云っていたらしい。

残念ながらそれを示す資料も遺構も残っていないらしいから、右手の橋を渡って県道を進むしかない。

今度は左に長良川が見えてきた。
渡しをいったん終えた美濃路は、おそらく現代の長良川の河川敷辺りを通っていたのかな?
といっても、この辺り、美濃路の面影はまったくないけどね。

そのまま県道に沿って、「長良大橋東」の交差点を左折する。

交差点名が示す通り、この大きな橋は「長良大橋」。
この100mほど上流に、今度は長良川を渡る「墨俣の渡し」があったらしいけど。
同じく何も遺構はないらしい。

橋の上からは、有名な墨俣城が見える。

長良川を渡ると、いよいよ墨俣宿だ。
「長良大橋西」を右折。
すぐに左斜めに降り、左折するといきなり墨俣宿の始まりなんだけど。

墨俣宿本陣跡。
解説付の案内板がある。

さらに西へ行くとすぐに高札場跡。
見慣れぬ男がウインドブレーカー来て写真撮ってるから、怪しく思われたのか?
地元のおじいさんに声かけられた。

「どこから来た?」と問われ、「名古屋市」と返答。
「そりゃ奇遇だね。俺も名古屋出身だ。鳴海って知ってるか?」
だってさ!

そりゃもちろん知ってるけどね。
その鳴海から来てるわけだから。

と正直にコクってしまったため、偉く感激?され、彼を雄弁にしてしまった。
あの~、すみません、先へ行かせてください。
まぁでも「鳴海」のおかげで、「怪しい者」じゃないことだけはどうやら理解されたらしい。

墨俣宿には古い家並みが残り、もう少しじっくり見学したいところなんだけどね。
朝のんびりした上、スタート前の資料館で時間かけちゃったしね。
時計はまもなく17時になろうとしている。

でもせっかく墨俣に来たんだからね!
墨俣といえば、墨俣城。
美濃路の宿場としてよりも、こっちの方が有名だよね。

さっき橋の上から見えてたから検討はついてるからね。
本陣跡まで戻って、あとは適当に北へ向かえば、5分もたたずにお城の前に出る。

有名なわりにはあまり知られていない墨俣城。
豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎)が一夜にして築城したなんて俗説もあって、「墨俣一夜城」なんて云われてるけどね。
今、目の前に見える墨俣城は、素敵な天守閣が建ち、夕暮れに美しい姿を映している。

でもこれは平成3年に再建されたもの。
しかも史実とは異なり、お隣の大垣城をパクッた、モデルにして建てられたもので、中は資料館になっている。

実際の墨俣城は、材木を組みたてた簡易な柵や防御壁程度のものだったらしい。
それを木下藤吉郎が3日程度で建築し、主君信長を大いに喜ばせたという話だ。
それを誇張して伝承され、「一夜城」という俗説になっている。

でも歴史に詳しくない人がこのお城を見たら、「秀吉はこんな立派な天守閣を一夜にして作ったのか!」と感動してしまいそうだ。
そんなわけないんだけどね。
コスモタイガーのしょぼい自宅ですら、一夜では無理だよ。

資料館は17時までですでに閉館してしまった。
ここをゴールにして、大垣駅までのバスに乗るつもりだったけど、なんとなく物足りない。

かなり無理矢理だけど、JRだと東海道本線穂積駅が最寄駅かな?
ってことで、頑張ってそこまで走ろう。
でもここまでしかリサーチしてなかったから、ここから先はぶっつけ本番だ。

方角的にはほぼ真北、約5kmぐらい、という大ざっぱな位置関係は掴んでるからさ。
とはいえ、そんなに都合の良い直線道があるはずもなく、土地勘のない集落を迷いながら走り、かなりの時間と距離を食ってしまった。

すでに辺りは暗くなってきている頃、朝日大学の前を通り、国道21号(岐大バイパス)を横断、北へ北へと進路を向けると、やっとの思いで穂積駅に到着。
もう完全に夜だよ。

実走距離20kmぐらいかな?
最後の激走?が効いたな~。

さぁ、あとは新快速で金山駅に出る。
金山で名鉄に乗換、鳴海駅に戻り、本日のトレーニング終了。
腹減った~!

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コスモタイガー漂走記~旧美濃路編(4)

2013-01-10 | 旧美濃路run!!

さぁ、久々の美濃路だよ、美濃路!
忘れちゃいけないよ、美濃路を!

長年の流れとして、2月の泉州国際市民マラソンか3月の(※)中日豊橋マラソン(いずれも42.195km)が最大目標となっているコスモタイガーにとって、12月と1月は重要な走り込み時期になるんだけど。
(※2009年の大会を最後に廃止→相性が良かっただけに残念!)

いや、東海道runも超まじめな練習なんだけどね!(またまた…)
いかんせん、往復の移動時間と労力がかかり過ぎ、いわゆるLSD的な練習には不向きな状況。
朝、家の玄関を出て、夜、玄関に戻るまで、ということなら、移動だけで多分8~9時間要してるからね…。

ということで、とりあえず東海道はお預けにし、近場で楽しもう。
そこで美濃路の登場だよ!

で、美濃路はどこまで走ったっけ??
そうそう、国府宮駅南の「高御堂二南」の交差点が前回のゴールだった。
(※旧美濃路編(3)参照)

そこから走っても別にいいんだけどね、折角だから、正月企画として所属している某ランニングチームの掲示板にも同好の士を募り、参加しやすくするために、名城公園スタートとした。
といいつつ、こんなマニアックな企画に乗る人間など居るはずもないだろうと、自分でも思ってたりする。

とはいえ、一応企画した以上、集合場所に指定した名城公園まで車で向かう。
案の定、ペース走やらジョグしたりする知った顔がいるものの、明らかに俺を待つ雰囲気はない。

やっぱりもう少し幅広く、日頃付き合いのある某走友会や勤務先の陸上部にも声かけた方が良かったかな?なんて今さら思ったりもする。
次回以降、企画する機会があったら、ぜひそうしよう!

ってことで、予定通り?今日も気ままな単独走。
名城公園をスタート。
今日はとにかく3時間走と自分で意識しているからね、楽しみながら頑張ろう。

名城公園を南下、左手に名古屋城を見ながらお堀沿いに走る。
しばらくして右手にちょっと目立たないけど歯科医院があるから、そこを右折。
以降はしばらく、美濃路編(2)(3)と重複しているからね、詳細は省略。
でも何回走っても美濃路は楽しいな。

枇杷島の街並みを過ぎ、清州城の脇を通る。
清州宿もわずかに面影を残す。

岐阜街道との分岐、四ツ家追分も 確かに記憶に残ってるな。
長束正家邸跡も再度確認し、県道136号を走って名鉄の線路を渡ると、「高御堂二南」。
ここまでですでに90分弱。
といってもまだ予定の半分だけど。

さぁ、気持ちを入れ替え、ここからが前回の続きやね。
前述の通り、所々で分離するものの、基本は県道136を走ることになる。

左手に団地が見えたら、道なりに右斜めに走る。
「曙橋北」の交差点で、県道136号はLの字になってるけど、ここは直進するのは明らかだ。

やがて閑静な住宅街に入ってくるとまもなく、右側にショボい木の札がかかっている。
相当注意しないと発見は難しいけどね。
これが「稲葉一里塚跡」。

「小沢3丁目西」の交差点を越えた辺りからが稲葉宿の始まりだ。
名古屋宿、清州宿と通過し、美濃路三番目の宿場町だ。

ここは現代では稲沢市に属するんだけど、「稲沢」は「稲葉村」と「小沢村」が合併して生まれた合成地名だ。
その稲葉村と小沢村が共同で維持していたのが稲葉宿と云われている。

突き当たりを左折するけど、その角に大きな碑があり、「稲葉宿本陣跡」と書かれている。
すぐに脇本陣跡もあり、それ以外にもレトロ感たっぷりの街並みが続く。

ただ、静岡県内の東海道runに慣れた?せいか、街並みの割に交通量が多く感じられるけど。

県道136の標識に従い、右折し、さらに左折。
するとかなり広い道に出る。
「西尾張中央道」という主要県道だね。

ここでいったん美濃路は消失。
「石橋南」の交差点をそのまま北へ直進。

またすぐに県道136が分岐するからそこを左折。
稲沢市上下水道局の北側に出て、再び北上するところから美濃路が復活する。

特に見所はないけれど、静かな郊外の道を気持ち良く走る。
この辺りで行政区域が稲沢市から一宮市に代わるらしい。
また広い道に出るけど、県道136に従い、左折してそのまま走り続ける。

1km以上、そんな状態が続き、小さな橋を渡ると再び、うねりのある昔ながらの道らしくなる。
すぐに「高木の一里塚跡」。

左側に公民館と高木神社。
この道が旧街道であることが確認できて安心。

さらに進むと、県道136は左折してしまうが、ここは直進するのが正解。
郊外の住宅地の、何の変哲もない生活道路にしか見えないけどね。
すぐに左折し、さらにまた右折。
広い道(県道513)に出て左(西)に行くと、「串作」という交差点にでる。

南北に横切るのは国道155線ね。
そのまま横断して西へ直進。

名鉄尾西線の線路を踏切で渡る。
南側に萩原駅がある。

疲れてきたな。
ここでやめたい衝動に駆られるけど、我慢我慢。
今日はLSDだ。

目の前に萩原商店街の看板が。
この辺りから、萩原宿が始まるらしい。

萩原、といえば舟木一夫だね。
人生の大先輩の方々にとっては「高校3年生」が名曲なんだろうけど。
俺にとっては「燃えよドラゴンズ99」のイメージがある。
♪あとは任せたソンドンヨル~、の歌詞が印象的だった。

ナゴヤ球場からドームに移ってのはじめての優勝。
それまで打撃のチームだったドラゴンズを、広いドームに対応するため、投手力を前面にするチームに改革したのが、ときの星野監督。
そしてそれが花開いた瞬間だった。
サムソン→落合(英)→岩瀬→宣(そん)、の豪華リレーは凄かったなぁ!

その燃えドラ99のB面だったと思うけど、一宮がどうとか、萩原が故郷だとか、そんな歌が入ってた記憶がある。
疲れてるせいか、なぜかそんなことを思ったりする。

星野監督についてはその後、阪神の監督になったりして、ドラゴンズファンの中にもいろいろな意見があるようだけどね、コスモタイガーとしては、この転換期を乗り切った功績は計り知れないと思っている。
88年・99年と、2度もドラゴンズの監督として宙に舞ったことは紛れもない事実だし、その感動は自分の中で、今も色褪せてはいない。

他球団に移ったからといって、それまでの功績すら否定する考え方は、正直、違和感を感じる。
感動という名の宝物に泥をかけられたようなもので、ちょっと受け入れられないなぁ。

のちの落合野球も、その投手力を武器に、さらに大きな花を咲かせることになった。
両監督とも俺は大好きなのさ。

生まれながらのドラファンとしては、「この選手をダメにした」とか「あの試合の采配は…」なんて、点の話じゃなく、1本の線としてドラゴンズを愛してほしいよね。

さすがに疲れてきて、集中力ないね。
話が逸れちゃった。
ってか、LSDだから、そんなに集中する必要もないんだけど。

萩原宿も昔の面影が残っていて、思わず足を止めたくなる所が多いけど。
両側には古い商店が並ぶ。

「萩原下町」の交差点で、再び県道136になり、そのまま直進。

左正面に「正瑞寺」。
ここはかつての高札場跡で、美濃路(県道136)はここで右折。
曲尺手(かねんて)やね。

今度は右側に、本陣跡と脇本陣跡。

美濃路はすぐにまた左折するんだけど、資料によれば、右に入ってすぐのところに萩原城跡があるらしい。
かつての城主は長尾吉房なる人物。
関白豊臣秀次(秀吉の甥)の実父らしいね。

秀次の失脚に伴い、廃城。
徳川時代には茶屋御殿として活用された由緒ある場所。

資料通りに、2本目を右折。
その場所には鉄筋コンクリートの殺風景なビルが…。
これはもしかして…?

やっぱりね!
某電話会社の萩原交換所じゃね~か!
ここが城跡らしい。
当然ながら、当時の面影をしのぶものは何もない。

美濃路に戻ってそのまま西へ進む。
小さな橋を渡った辺りが、萩原宿の出口になるのかな?
道なりに右折し、北上。

特段見所はないけどね、懐かしいニオイを感じさせるのどかな道を走る。
1本道だからね、迷うこともない。

右手に秋葉神社があり、そこを過ぎるとちょっとだけややこしい五叉路。
ここも県道136(直進左側)を選択すれば良いのさ。

有名な「富田一里塚」は近い。
両側に当時のまま現存している、貴重な史跡だ。

すぐそば、左側に大きな道標がある。
「左駒塚道」。

時計はまもなく3時間になろうとしている。
さぁ、もう少し頑張ろう。
道なりに進むだけだ。

歩道橋の下をくぐった辺りからかな?
起(おこし)の街並みに入った。
起宿やね。

美濃路としては5番目の宿場町なんだけど。
今日だけで4つの宿場町を通ったことになる。(清州、稲葉、萩原、起)

起宿の見所は、脇本陣かな?
旧林家住宅として、当時のまま保存されている。(写真)
ちなみに道路反対側には本陣跡だけど、碑が建っているのみ。

旧林家住宅は、資料館として一般公開もされているし、すぐ隣には資料館の別館もあり、ボリュームがあって楽しそうだ。
ただ、さすがに3時間超走って疲れた!
というわけで、ここをゴールとし、見学は次回のスタート前にしよう。

実走何kmなんだろう?
道草もしてるしねぇ。
多分32~33kmぐらいだと思うけど。

ダウンがてら、起の街を少し散策。
静かで良いところだなぁ。

資料館からそのまま美濃路を200mほど歩くと、広い2車線の道に出る。
ここを右に曲がってすぐ、名鉄バス「起」の停留所がある。

名鉄バス!
東海地区の人間には説明不要だね。
ここんとこ、聞き慣れない?バスに乗る機会多かったからね、逆に新鮮だけど。

この起の集落と、名鉄一宮駅を約25分で結び、ほぼ15分間隔で運行されており、利便性も高い。
起地区内をぐるっと循環し、再び名鉄一宮駅に戻る路線だけど、大半の客はここまでに入れ替わってしまうようで、事実上、この起バス停が起終点のような感じだ。
乗客は俺しかいなかった。

でも市内中心部に向かうにつれ、どんどん乗客は増え、駅に着くころはほぼ座席が埋まっている感じ。
休日の日中、という条件を差し引けば、それなりに需要の高い路線のようだ。

腹減ったよ。
一宮駅構内でかなり遅めの昼食とし、名鉄・地下鉄を乗継、名城公園に戻った。

日はだいぶ傾いているとはいえ、まだ明るいうちに名古屋市内に戻ってきたわけだね。
それ自体、久々だけど。

さてと、あとは車でゆっくり帰宅しようっと。


※2015.12.14追記 地図を作成しました(美濃路編3の続きの部分のみ)。(ここをクノリック
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コスモタイガー漂走記~旧美濃路編(3)

2012-08-17 | 旧美濃路run!!

金ねぇ~し!
今日は15時から約束もあって、時間もねぇし!
でもどこか走りに行きてぇし!

そうそう、美濃路、久々に走ろう。
えーっと、前回どこまで走ったっけ?
そうだ!二ツ杁駅だった。

まぁ、東海道に比べると地味な感じ?だし、壮大さに欠けることは確かだけどね。
でも気楽な街道ランにはこれが一番!

ということで、名鉄鳴海駅に自転車を置き、名古屋本線にて二ツ杁駅で下車。
何だか名鉄も久しぶりで、新鮮に感じたりする。
徒歩5分ほどで前回の終了地点、問屋記念館に到着。
江戸時代の青物問屋の建物がそのまま保存され、中を見学できる(無料)。

簡単に中を拝見したのち、ここからランのスタート!
当分の間、この道を走るだけだからね、迷うことはない。

新川橋を渡ると左側に美濃路のモニュメントがある。
そこには、新川治水工事の記念碑も建っている。

2000年9月の「東海豪雨」は、我々東海地区の人間には忘れられない出来事である。
家屋の浸水・倒壊は甚大で、多くの犠牲者も出した。
西区北部からここ新川町一帯にかけて、特に被害の多かった地区である。
当時、西区に住んでいたコスモタイガーにとっても他人事ではなく、ここは立ち止まらずには居られない。(写真)

須ヶ口辺りは、古き良き時代の雰囲気を今に残している。

名鉄津島線を踏切で渡ってしばらくすると、左側に須ヶ口一里塚跡。
さらにちょっと進むと今度は右側に「外町一里塚道標」なる標柱が建っている。
こんなに近い所に別の一里塚があるはずがなく、ちょっと意味がわからない史跡だ。

やがて行き止まりになってしまうので、そこを左折。
すぐに県道に出るから右折。

300mほどで分岐があり、メインの県道127号は右斜めへと進むけど、直進する狭い方の道が美濃路だ。
清州桜醸造という由緒ありげな清酒工場を通り過ぎると信号があって、左折して「五条橋」を渡る。

右側ちょっと街道から外れたところに「清州古城址」なる古い石柱がある。
織田信長ゆかりの清州城がすぐ右側にあって、そそられるが、今日は我慢我慢。

左側に「清涼寺」。
美濃路はここを右折し、すぐに林医院がある。
ここが清州宿の本陣跡。
この辺りが宿場の中心だったわけね。

新幹線をアンダークロスし、左折。
東名阪自動車道もアンダークロスし、右斜めに直進。

ここら辺りも旧道らしい雰囲気をわずかに残し、走っていて意外に癒される。

しばらくすると、昔の枡型の名残りかな?
道なりに左折してすぐ右折。
まぁ、何となく街道オーラ出てるからね、慣れてくると迷うことないんだけど。

左側1本奥の道なりに「総見院」という寺があり、美濃路沿いに説明書きもあるが、面倒なのでパス。
名前からして織田信長にゆかりがあることは明らかだけど。
それに今、真面目に練習中だし。

何の変哲もない住宅街の雰囲気になり、少々不安になったころ、左に児童公園が現れ、そこに美濃路の由来を示す説明書きと、簡単な地図があり、ホッとする。

突き当って県道(136号)に出るとそこを左折。
すぐにJR東海道本線を踏切で渡るけど、その手前に右に行く道がある。
良く見ると古い石碑があり、ここが追分であることがわかる。
「四ツ家追分」というらしく、県道をこのまま進むのが美濃路。
右折して線路沿いに進むのが岐阜街道。

岐阜街道はこの先、下津(おりづ)地区を通り、一宮の中心を突き抜けて岐阜に向かう。
「名岐駅伝」を逆走するような形になるから、意外に楽しいかもしれないな。
近い将来、ぜひ走ってみたいものだ。

この先、しばらくの間、美濃路は県道136号を走る。
ところどころ分岐するものの、基本は県道136号がそのまま美濃路であることが多いため、1つの目安にはなる。

しばらくは見所もないし、街道らしさもない県道ラン。
長束町という地名が目に入ってくると、左側に運送会社がある。
そのまま県道を走り続ければ良いんだけど、運送会社を過ぎたすぐの道を右折。
奥に入るとすぐ、「長束正家邸宅跡」。

長束正家(ながつかまさいえ)は、豊臣秀吉の有力家臣の1人で、五奉行にも名を連ねている。
でもちょっと地味な存在だよね。
「何した人?」と聞かれても、正直、パッと答えられないけど。

再び美濃路(県道136)に戻って、名鉄の線路の手前を右折。
しばらくして信号のある交差点を左折。
とにかく県道136そのままだからね。
この辺はランに徹するしかないね。

名鉄名古屋本線を踏切で渡るが、その手前に鳥居がある。
国府宮の一の鳥居ということらしい。
はだか祭で有名な国府宮の参道の一番最初の鳥居なわけだね。

美濃路はこの後も県道136をひたすら行くことになるけれど、これ以上行くと約束までに家に帰れないからね。
仕方なくコスモタイガーは最初の信号(高御堂二南)を右折。
そのまままっすぐ北上、800mぐらいかな?5分程度走って名鉄の国府宮駅前に到着、ここをゴールとする。
実走距離13~14kmぐらいかな?

国府宮駅は特急・急行も止まる名鉄の主要駅。
事実上、稲沢市の玄関口やね。
JRに稲沢駅があるけれど、あちらは鈍行しか止まらないため、名前とは裏腹に、町の中心というイメージはない。

鳴海まで急行に乗れば乗換不要、所要約30分、極めて便利だ。


★2014.9.8追記
地図、作成しました。(ここをクリック)
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コスモタイガー漂走記~旧美濃路編(2)

2012-07-05 | 旧美濃路run!!

再び三菱東京UFJ銀行(名古屋営業部)の前に立つ金欠コスモタイガー。
ここまで走ってきた道は、現代では「本町通」と呼ばれていて、この辺りから美濃路最初の宿場、名古屋宿の中心を突き抜けることになる。

そのまま北上した、伝馬町通本町の交差点近くに旧高札場跡(交差点を札の辻と云った)があり、その案内板もある。
新聞もインターネットもなかった時代、ここでお上のお触れや連絡事項が掲げられ、庶民はそれを情報源として生活いたというわけだ。
ここは追分になっていて、右折するのが飯田街道だけど、美濃路は左折する。

国19(伏見通)を横断し、伝馬橋で堀川を渡ってすぐ右折。
堀川沿いに北上するんだけど、実は1本西の道筋が「四間道(しけみち)」と云って、歴史ある町並みが保存されている。
心は動くけれど、美濃路にこだわるコスモタイガーは、殺風景な堀川沿いを走るのであった。

国道22号を横断し、歯科医院が見えたら左折。
右に名古屋城が見え、ランナーのメッカ、名城公園も近いけど、コスモタイガーは目もくれず、西へと遠ざかっていく。
しばらくは道なりに走るだけなんだけど、左側にこれまた目立たぬように、江川一里塚跡の碑が立っていた。

枇杷島地区は年季の入った家並みが残っていて、歴史を感じさせる。
屋根神様が多いのも特徴だね。

右側に清音寺。
平清盛により、尾張に追放された、太政大臣藤原師長(ふじわらのもろなが)ゆかりのお寺だね。
ちなみに師長が住んでいたのが、井戸田村。(現瑞穂区井戸田町)
師長にまつわる史跡や地名も名古屋市内には案外残っている。
師長は琵琶の名手だったため、その音色を妙音と称えられたため、出家してからも自らを妙音院と称した。
瑞穂区の妙音通の由来になっているし、同じく瑞穂区には師長町という町名も残っている。(瑞穂陸上競技場のすぐ裏辺り)

庄内川の堤防に突き当たって、この道は途絶えちゃうけど、かつてはきっと直進して川を渡ってたんだろうね。
仕方なく、現代の枇杷島橋で庄内川を越えると、清須市に入る。(写真上)
ここはちょっとややこしいが、橋を越えてすぐの信号を渡って、左に降りていく感じになる。

ここから先は静かな雰囲気の町並みが続き、案内板も整備されている。
問屋記念館(入館無料)に到着。
「とんや」じゃなくて、「といや」ね。
簡単に云えば、主に馬や荷物などを取り次いだところやね。
江戸時代の問屋場が再現されている。
見学を兼ねて、ここをゴールとする。

枇杷島橋で迷ったりしてるから、実走距離は10~11kmぐらいかな?
ちょっと短めだけど、近いせいか、東海道のような緊張感?もないしね。
幸い、名鉄名古屋本線二ツ杁駅まで徒歩5分ほど。

美濃路はこの先、しばらくは名鉄名古屋本線が寄り添ってくれるから、便利なんだけどね。
逆にそれが物足りないぐらいだ。


※2014.6.27追記 地図、作成しました。(ここをクリック
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コスモタイガー漂走記~旧美濃路編(1)

2012-06-28 | 旧美濃路run!!

え?突然どーしちゃったの?美濃路?東海道は?
まぁ、ぶっちゃけ、金欠ってのも確かにあるけど・・・。

2007年5月の、とある平日。
業務の都合で昨日は宿泊となり、今日は午前中で終了。
まっすぐ帰るのも勿体無く、かといって、もはや東海道は半日では無理な状況。
それに、数日前まで風邪をひいていたため、体調も万全ではないから、近場で気軽に走りたい気持ちもあったりする。
そこで思いついたのが美濃路。

そもそも美濃路って何?って話だけど。
東海道編(5)や(9)でも少しだけ触れているが、美濃路は美濃街道と称することもあり、宮宿のほうろく地蔵追分から分岐し、名古屋城下、大垣を経由し、中山道の垂井宿を結ぶ脇街道だ。
現代表記で約57km、宿数は7次。(起点の宮宿と終点の垂井宿を除く)

七里の渡しは、海さえ穏やかなら近くて速いものの、海が荒れて足止めされたり、船酔いの心配もあった上、水難事故も度々あったらしい。

その点、美濃路は、遠回りになるとはいえ、峠越えや大きな難所もなく、比較的予定通りの移動が保障されるため、人気の高いルートであったらしい。

関が原の合戦の際、勝利した徳川家康が利用したのもこのルートのため、縁起の良い道として「吉例街道」とも呼ばれ、江戸幕府も五街道に準じて重視し、整備に力を入れた街道の1つである。
現代、東海道本線や名鉄名古屋本線が美濃路に近いルートを辿っていることからも、その重要性が理解できる。

そんなわけで、過度の起伏もなく、並行する交通アクセスにも恵まれているため、歩かれる方も多いようで、ガイドブックやHPなどで詳細な情報も得られやすい。
初心者向き?で、気軽に走れる(歩ける)旧街道の1つではある。

ロッカーで着替え、遅めの昼食を済ませた後、名鉄の堀田駅に出る。
ほうろく地蔵なら地下鉄伝馬町駅が最寄駅なんだけど、堀田駅からスタートし、東海道を経由して美濃路に入ることにした。

ほうろく地蔵追分を右折。
ここからいよいよ美濃路だけど、単なる街中で、感慨は何も無い。
すぐに幅広くなっている国1に出て、歩道橋を渡り、先ほどの道を直進する形で進むと、正面に超有名な熱田神宮だね。
ちなみにこの歩道橋は、交差点4箇所全てが渡れるようになっているから、すぐ判るけど、まさしくここは現代でも「追分」になっている。
東西に走る国道1号、国道19号は北へ、国道247号は南へ、それぞれここが起点となっている。

神宮には寄らず、左折すると、再び片側4車線(だったかな?)の大幹線に出る。
今度は国道19号、名古屋市民的には伏見通やね。

この伏見通こそ、旧美濃路そのものなんだけど、主な史跡は道の左側(西側)に集中しているから、さっきの歩道橋にいったん戻って渡っておいた方が良い。

こんな広い大幹線が、旧美濃路とは、信じられないけれど、走っていくと確かにらしき痕跡?ともいえる神社やお寺などが多いことに気付く。
いくつかある中でも最も気になるのが、誓願寺。
鎌倉幕府の祖、源頼朝公誕生の地なんだよね。

織田信長や豊臣秀吉ばかりが有名で、(しかも何故か三河出身の徳川家康を入れて「三英傑」なんて呼んでるけど・・・)意外に知られていないけれど、源頼朝はバリバリの名古屋人。
お母さんの由良御前※が熱田神宮の大宮司の娘さんだったからね。
(※2012年現在、大河ドラマ「平清盛」にて田中麗奈さん熱演中)
実際の由良御前や頼朝さんは、「どえりゃ~うみゃ~」なんて会話してたのかも?

さらに行くと熱田球場があり、すぐ隣のこんもりした山が断夫山古墳。
東海地区最大の前方後円墳で、旧美濃路よりもさらにずーっと昔の史跡だけど、その頃から人々がこの辺りで生活していた証だ。

ちょっと街道からは外れるけど、「新尾頭」の交差点を右折して100mほどのところに、「金山神社」がある。
何の変哲も無い小さな神社だけど、この辺りの「金山」という地名の由来となっている。

再び伏見通に戻って、左側の歩道を走ると、次の信号が「金山追分」だ。
道路の反対側に大きなホテル(グランコート名古屋&名古屋ボストン美術館)。
良く見ると、目の前に古い道標がある。
左折するのが佐屋街道で、美濃路はそのままさらに伏見通を走る。

この辺りで右側(東側)の歩道に渡っておこう。
で、よーく観察しながら走ってると、花壇の中に木製の小さな札が建ててあり、「古渡一里塚跡」と書いてある。(上写真)
これは中々探せないよ~。

「古渡町」の交差点を過ぎてすぐ、右斜めに分岐する道が旧美濃路。
大須商店街を横切ると、大須観音が近いけど、残念ながら街道からは少し外れている。

若宮大通りに差し掛かると、左前方に白川公園がある。
名古屋市民なら馴染みあるところで、公園内には名古屋市科学館・同美術館があるね。

そのまま直進すると、名古屋の東西の大幹線、広小路通に交わり、右側に三菱東京UFJ銀行名古屋営業部。
と言われてもやっぱり名古屋人の俺にはピンとこないんだよな~。
要するにかつての東海銀行本店!
貨幣資料館(入館無料)が併設されており、以前見学した際、東海道53次の浮世絵が展示され、意外に面白かった記憶がある。

さて、夕暮れも近そうだし、体調がまだ万全でないため、実走距離はまだ8km前後かと思うけど、この辺りで自重しておこうか。

広小路通に沿って徒歩7~8分、地下鉄伏見駅は近い。


※2014.6.20追記。
地図を作成しました。(ここをクリック)
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