cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧西国街道編(1)~後編

2020-02-13 | 旧西国街道run!!

この道は府道67号だ。
一文橋を渡れば、道なりに左へカーブし、小畑川に沿う。
ただし、西国街道はカーブ直後の横断歩道を渡り、右側の一段低いところに寄り添う小道になる。

といっても300mほどで再び府道に合流だけど。

馬場1丁目の交差点に出た。
変則の6叉路になったてるからややこしいが、よく見ると左手前方に分岐する、それらしき道があり、石畳風の舗装がされ、案内板も建てられている。


長岡京市の中心街に向かって進む。
この辺り、住所自体が「一里塚」らしいから、きっとこの辺りに一里塚があったんだろうね。
残念ながら正確な場所を示すものは何もなさそうだ。

左手やや離れた位置に、JR東海道本線の長岡京駅。
まだ着任して2週間だけど、職場から直接名古屋へ帰省する際は、この駅を利用することになるんだろうね。
(※実際、この後何度も利用しました)

さらに進むと、いかにも昔から住んでるであろう大きな屋敷もあらわれ、旧街道であることを実感できる。

右手、神足(こうたり)公民館。
長岡京市を名乗る前は、この辺りは、神足という集落だったのさ。
さっき通ったばかりの長岡京駅も、もともと神足駅だった。

その神足駅の駅名標が、公民館の前に掲げられている。

100mほどで右手に立派な町家造りの建物が。
「石田家住宅」。

現在は「長岡京市立神足ふれあい町家」、まぁ要するに、簡単な喫茶室もある集会場になているらしい。

さらに100mほど先で、「神足商店街」のアーチをくぐり、右へとカーブするのが西国街道。
当然そのまま…、と言いたいけど、ちょっと寄り道ね。
分岐する道を左折。
そこにはひっそりと当時の道標が残っている。


そこら中に「2020年大河ドラマ主人公!明智光秀ゆかりの地・勝竜寺城」という趣旨の幟や案内板が立っているから気になるのさ。

そういえば再来年は明智光秀が主人公なんだな!
(※だから2018年4月現在ね!)

案内板に従い、到着した大きな公園が「勝竜寺城公園」。
文字通り、城跡は立派な公園として整備されている。

そしてその門の前には、勝竜寺城の説明書きと、「明智光秀公三女玉お輿入れの城」の石碑が誇らしげに立つ。

いわゆる細川ガラシャ夫人ね。
そう、光秀の三女、玉さんはこの城で細川忠興さんに嫁いだんだよね。

悲運とされるガラシャ婦人ではあったけど、政略結婚でありながら、夫婦仲は非常に良かったとされている。
公園内には、夫婦仲睦まじい姿を見ることができる。(冒頭写真
そういえばお父上の明智光秀公も、側室すら持たない愛妻家だったそうだからね。
いつの時代も、子は親を見て育つんだなぁと感慨に耽ったりするのは、年を取った証拠だね。

庭園も綺麗に手入れされ、思わずシャメを撮ってしまう。

さらに隣接しているのが、勝竜寺。

もともとこの寺があったからこその「勝竜寺城」なわけだけど、どういう謂われか、ボケ封じにご利益あるとされる。
教科書にも出てきた空海が開基、とあるから、9世紀ごろの話なわけで、とっても古いお寺らしい。
しかもご本尊は重要文化財。
この辺りの住所も「長岡京市勝竜寺町」というのも納得だ。

本当ならもう少しゆっくり散策してみたいところだけど、トレーニング中なんだよね。
街道に戻らなきゃ!

ってことで、街道に戻るとすぐに「片泓」の交差点で県道といったん合流し、50mほどでまた左へ分岐する。
しばらくは見どころもない住宅街。
緩やかなカーブが、旧街道であることを教えてくれる。

左手に立命館高校を見て、道なりに右へ。

「調子八角」というややこしい交差点に出た。
名前の通り、8叉路。
しかも真上に高速が通り、右手少し離れたところに阪急電鉄「西山天王山」駅のロータリーが見えている。

この西山天王山駅は、2014年に開業した新駅で、長岡京市としては新副都心として売出中(ちょっと大げさすぎ?)の場所で、駅前ロータリーには複数の高速バス路線も停車。
立派な停留所も設けられている。

西国街道も、交差点の一角が小さな公園のようになっており、「調子八角」という石柱と立派な案内板が掲げられている。

相当にややこしい交差点だけど、コスモタイガーは着任2週間で、すでに数日前から通勤ランを復活させててね。
ここからの西国街道はその際に1~2回、走ってるのさ。
というより、今、ものすごく職場に近いところにいるんだよ(笑)。
(※この後、何十回と走ることになります、はい)

だからもう地図の確認もしない。
高速(京都縦貫自動車道)の下を潜ってから右に分岐する府道67号が西国街道ね。
道なりに左にカーブすると、あとは1本道。

すぐに小さな川(小泉川)を渡ると、長岡京市とお別れで、ここからは大山崎町。

今度は名神高速を潜ると、大山崎町役場が左、右には大山崎小学校。
さらに200mほど走った先に、「石敢當」と「大山崎の東黒門跡」の説明板がある。
石敢當、とは一種の魔除けで、中国に由来するものらしい。

旧街道らしい道が続き、テンションも維持できる。

ここからしばらくはコスモタイガーじゃなくても地図は要らないぐらい。
道なりに走るだけ。

聞法寺、安養院、山崎聖天宮と、いかにも旧街道らしいお寺が続けざまにあるけれど、いちいち寄ってたらトレーニングにならないからね。
快調に進んでいく。
右手、家並みの後方には、あの天王山が見えている。

新幹線高架が左手に寄り添う。
手元の資料によれば、ここで一瞬だけ高架下を潜った反対側の道に出るらしい。

でもすぐに行き止まりだからね、元に戻るんだけど。

元に戻ったところにあるのが、大山崎町立歴史資料館。
天王山の合戦や明智光秀に関わる資料も多くありそうだ。

もちろん見たい!
でもそろそろ疲れた!
だってもう13時半過ぎてるもん。

資料館見学は次回に回すとして、そろそろゴールにしよう。
…と改めて言うほどでもなく、100mもしないうちに阪急電鉄の大山崎駅。
さらに200mも街道を進めば、JR山崎駅。


ここまで散策・寄り道含めて13~14kmといったところかな?
旧街道runとしてはちょっと短めながら、朝から動いてるからね、ちょっと早いけどここで店仕舞いとしよう。

着替えを済ませ、駅周囲を眺めてみると、こんな駅前にも歴史遺産が結構あったりする。

駅舎に隣接するようにある、小さな神社は「離宮八幡宮」。
現在ではどこにでもある「村社」のようだけれど、かつては広大な敷地を持っていたらしい。
そういえばさっき通った「大山崎の東黒門跡」も、この神社の門だったようだ。

あ、もう1つ発見!
妙喜庵。
千利休が作ったとされる茶室が今なお、そして唯一現存してるらしい。
とはいえ、拝観には1か月前に予約が必要とかで、そんな準備などしてないからね、当然門は閉まってました。
記念?に、垣根にある案内板のシャメだけしておこう。

さて、この駅発着で天王山めぐりのハイキングコースがあり、道標なども整備されている。
当然興味はあるんだけど、今から登山という気分にはなれない。
それにまだ社宅も片付いてない。

次回、時間があれば…ということにして、今日のところは退散するとしましょうか。

阪急の方が若干便利ではあるけれど、せっかくJRの駅前にいるんだから。
それに阪急は毎朝乗ってるし、これからも数えきれないぐらい乗るでしょ!

ってことで少しだけ新鮮?なJRを選択。
幸いにも座ることもでき、寄り道もせず社宅へ帰還。

こうして、関西初の旧街道runは無事終了したのであった。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧西国街道編(1)~前編

2019-12-11 | 旧西国街道run!!

★関西ネタです。

西国街道と一口に言っても、広義には古くからの五畿七道の1つ、山陽道(京都~下関)の別称とされる場合もあるようだ。
豊臣秀吉により大坂(現在の大阪)が大きく発展することにより、山陽道の役割は大坂~下関に移り、京都~西宮間6宿約55kmが独立?して、西国街道と称されるようになった。
このブログでの「西国街道」は、この狭義の意味で使用することとしたい。

東寺の参拝を終え、南大門(プロローグの冒頭写真参照)を出れば目の前は現代の東海道、国道1号線。
そしてここからが旧西国街道だ。

西に向かえばすぐに「京阪国道口」の大きな交差点で、左折する国1と直進する国171に分かれるが、西国街道は直進だ。

約300mで、羅城門跡。
平安京の南側の大門だったとされている。
何より芥川龍之介の小説「羅生門」のモデルになったことでその名が知られているが、現代では小さな児童公園に石碑が建つのみだ。

しばらくは京都市街地ど真ん中の国道run。
九条新千本とか九条七本松とか、京都特有の交差点名を楽しんだりする。

後でわかったから仕方ないけれど、本当はこの辺り、北上約200mほどで、「西寺跡」が公園として残ってるらしいんだけどね。
知らない街の街道を走ることばかりに気を取られ、リサーチ不足で素通りしてしまった。
東寺があれば西寺もあった、と考えるのが普通だよね!

「九条御前」の交差点で、斜め左の狭い道に入るのが正解らしいが、案内板もなくわかりづらい。
まぁ、国道よりマシではあるが、住宅街の中を直線的に走るだけ。

さっき別れた国171を斜めに横断。
南西にそのまま進む。

右手に「日向地蔵尊」。
体が温まってきて、リズムに乗ってたこともあり、無礼にも素通り。

坂を登れば桂川に沿う形になり、国171にぶつかる。
ここで右折して、久世橋を渡る。
ここはかつては渡し舟の区間だったのさ。

渡ったらすぐ左折。
といっても直接は無理だから、いったん右の道から降りてって、橋の下を潜るんだけどね。

堤防沿いに走れば、道は右へカーブ。
体育館を左に見て進む形。

くねくねとしたラインは旧街道らしいけれど、立ち止まるほどのポイントもなく、足取りは快調に進む。

「久世殿城」の交差点に出た。
目の前はまたしても国171。

ここで旧街道は消滅しているらしい。
きっと左斜め前方の町工場の方ににそのまま続いてたんだろうね。

仕方なくそのまま直進(西)へ。
新幹線の下を潜り、さらに直進。

コンクリート工場?
数台の大型トラックが止まってて、一瞬途方に暮れるが、よく見れば地下道があり、ここで東海道本線を潜るんだね。

潜って今度は左。
線路沿いに南下。
この辺りで京都市から向日(むこう)市に代わるらしい。

JR向日町駅の前を通り、道なりに右へカーブ。
この辺りからは案内板も整備され、迷うこともない。(冒頭写真

さらに反対車線にも、ここがかつての向日町駅だったことが詳しく解説されている。
向日市、頑張ってます!

続いて阪急電鉄東向日駅。

このJR向日町と、阪急東向日駅は、徒歩6~7分。
隠れた乗換ルートとして、鉄ちゃんネタなんだけどね。

地域住民にとって抜け道になってるのか、交通量が多いのが気になるけれど、踏切を渡れば3叉路。
そこには歴史を感じさせる大きな常夜灯が建っている。
築榊講(つきさかこう)常夜灯、と称する。

街道は左の道ね。
ゆるやかな登りになった。
石畳を思わせるカラー舗装が施され、街道らしい雰囲気が残っている。

しばらくは街道風情を楽しくrunすれば、再び交差点に出て、常夜灯で別れた県道67と再合流。
ここには向日町の道路元標が設置され、さらに正面にあるのが、京都府の指定も受けている「旧須田家住宅」。

右手に鳥居が現れた。
長~い参道が続いている。
迷ったけど、この辺りの名刹だから、お参りしていこう。

向日神社。
可愛らしい科学館も併設され、市民の憩いの場所にもなっているようだ。
神社の歴史は718(養老2)年まで遡るとか。

初宮参りかな?
玉のような小さな赤ちゃんを抱いたご一家がお参りしていたのが印象的だった。
今となっては懐かしいなぁ。

県道に戻ってすぐ、「五辻」の交差点。
名前のとおり、5つに分かれており、常夜灯が目立っている。


関西に来ても街道センサー?はちゃんと働くよ。
左斜めの狭い道が旧街道なのは間違いない。
由来は知らないが、「アストロ通り」の看板がかかっている。

ここでちょと寄り道ね。
ここまで来たら外せないスポットがあるんだよね。
案内板があるからね、左折。

2本目を再度左折、案内板に従えば、「太極殿公園」。

何を隠そう、ここはまさにかつての長岡京跡。

長い日本の歴史の中で784年からわずか10年間、ここが都だったんだね。
そして794年、教科書にも出てくる平安京へ遷都されることになる。
(鳴くよウグイス平安京、で覚えました♪)

しばし歴史の余韻に浸り…と言いたいところだけど、トレーニング中だからね♪
すぐに五辻交差点に戻り、アストロ通りを登っていく。

登りきったところにあるのが「石堂寺」。
創建は1310(延慶3)年、要するに鎌倉時代の終わり頃というからここもやっぱり由緒あるお寺なのだ。

ここからは緩やかな下りとなり、街道らしい道が静かに続いている。


再び寄り道。
案内板に従い、すぐの道を左折してしばらく進んだところにあるのが、「朝堂院公園」。


一見するとただの児童公園だけど、ここも長岡京の一部なんだね。
説明書きによれば正確には「長岡京朝堂院西第四堂跡」。

難しいな。
要するに首都機能を持った建物の1つってことだね。

旧街道に戻り、先へと進む。
再び県道と合流し、阪急京都線の下を潜り、また右へと分離。

ここでまた風格ある邸宅が!

「中小路家住宅」。

現在は喫茶店として営業もしているらしいが、入り口は別にあるのか、それらしき雰囲気はない。

左手にガソリンスタンドが現れたところで、変則の5叉路に出た。
「一文橋」の交差点だ。

信号を渡れば、その名の通りの橋があるけれど、その手前には橋の由来名が書かれた碑が建っている。


橋の下は小畑川。
市境になっていて、ここで長岡京市に入ったんだね。

つまり長岡京跡は長岡京市ではなく、今まで走ってた向日市にあるわけで、不思議な話だけど、とにかく長岡京市に入った。
そしてそれはコスモタイガーにとって、職場に近づいていることを意味する。

まだ着任して2週間余りとはいえ、馴染みのある空間に突入!
でもまだ体は元気!
トレーニングは続くのだ。

(後編に続く)
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモタイガー漂走記~旧西国街道編(プロローグ)

2019-11-12 | 旧西国街道run!!

★関西ネタです★

2018年4月。
コスモタイガーの大阪単身赴任生活が始まった。

諸々の準備等で最初の1週間のホテル住まいを経て、社宅への引っ越しも終了し、ようやく落ち着き出した4月中旬。
コスモタイガーは、社宅からほど近い京阪電車の始発駅「淀屋橋」から、大好きな8000系特急に身を委ねている。

着任後、関西地区の旧街道をいろいろ調べたのは言うまでもないが、職場のある京都府長岡京市某所の近くに「西国街道」が通っており、気になってしまう。

ならばまずはその「西国街道」完全走破を目指そうか!!
となり、京阪電車で京都へ向かっているわけさ。

約50分の京阪特急を味わい、降り立ったのは「七条」駅。
地下に潜って最初の駅なのさ。

地上に出ると、そこは七条大橋で、京都を代表する鴨川が眼前に広がっている。

さて、ここは西国街道とは直接関係ない。
駅舎も特徴あるわけじゃないし、観光客が押し寄せるほどの駅でもない。
強いて言うなら、大坂冬の陣の発端となった梵鐘(国家安康君臣豊楽ね♪)のある方広寺が近いぐらいか?

でも鉄チャンなら知っている、大阪⇔京都を行き来する隠れたおススメルートなのだ。
JRなら大阪(梅田)⇔京都間560円。
京阪なら淀屋橋⇔七条間410円。(※2018年4月現在ね。まだ消費税は8%です)

梅田~淀屋橋も、七条~京都駅も、いずれも歩ける距離(10~15分)だからさ。
そして何より淀屋橋は京阪の始発ゆえ、絶対座れるし。
特急は日中ですらほぼ10分間隔で発車してるし。

多少の時間と労力を惜しまなければ、京阪の方が便利で安いのさ。
ましてやコスモタイガーの住まいは淀屋橋に圧倒的に近いからね。
京阪利用の方がむしろ自然な感すらある。

時計はまだ朝9時を回ったところだから、のんびり観光する手もあるけれど、やることはさっさと済ませよう。
いくら「一人暮らし」とはいえ、まだ片付いてない社宅。
夕方には戻りたいからね。

ってことで、runはここをスタートにしましょ♪
七条大橋を渡ってそのまま西進。

左折して南西に向かえばJR京都駅。

この辺りは旧街道とは何の関係もないから、気の向くまま、南西を意識して走るだけ。
大きなイオンを通り過ぎると、すぐに見えてくるのが高架になってる近鉄京都線で、目印の1つだった「東寺」駅がある。
文字通り、東寺への最寄駅。

300mほど西へ。
はい、「東寺」到着♪
さすがに堂々とした門構えである。(冒頭写真

そしてこの東寺こそが、西国街道の起点なのさ!(諸説あり)
ここから兵庫県の西宮神社まで至り、そこで山陽道と合流する、約55kmの街道とされている。

東寺自体広大で、有料エリアまで参詣してるとキリないからね、本堂だけはキチッとお参りして、早々に西国街道runとしよう。
すでに時計は10時を過ぎている。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする